第35-2話 逢魔が時
(と言うか、一時間後って全然時間がないですわよ!?)
相手から考える時間を時間を奪い去り、不利な契約を迫るのは悪徳商人がよく使う手だ。わかっているのに、今はその手に乗らざるを得ないのが悔しい。
(殿下に気をつけろと言われたばかりなのに……また怒られてしまうわね)
コーデリアは心の中でアイザックに謝り、それからすっくと立ち上がった。
「リリー。私、とってもお腹が空いたわ。もっと料理を持ってきてくれる?」
「はい! 何か食べたいものはありますか? 病み上がりなら、消化にいいものにしましょうか?」
「いえ、今日はとびきり辛いのをお願い。食べると泣いちゃうくらいの」
「辛いもの、でございますか……?」
リリーが不思議そうに首を捻った。それもそのはず、普段のコーデリアは辛いものは全くと言っていいほど食べないのだ。
そんなリリーの背中を、コーデリアが急かすように押す。
「そう、辛いもの。ああ早く食べたいわ。お願いよリリー。時間がかかってもいいから、たくさんお願いね」
「は、はい! すぐに料理人に聞いてみます!」
パタパタとリリーが駆け去っていくのを確認すると、コーデリアは一人でてきぱきと着替え始めた。以前町娘に扮した時のような、ごくごく簡素なワンピースだ。それから廊下に立つ護衛騎士たちに声をかける。
「お願いがありますの。殿下のためにお花を用意したいから、あなたは何か花束を見繕ってきてくださらない? そっちのあなたは流行のお菓子を買ってきてくれないかしら。お願い、どうしてもすぐに必要なの」
今までこんな頼み事をしたことがないため、護衛騎士たちは戸惑っていたが、聖女直々の頼みでは断れるはずもない。
彼らを体良く追い払ってから、コーデリアはそっとマントを羽織って王宮を抜け出し、一人グリダル大教会へと向かった。
◆
「うう、夜の教会ってこんなに怖いところでしたっけ……」
秋にもなると、日が暮れる速度は格段に上がる。つい先ほどまで太陽の名残を感じさせる濃い紫色が残っていたのに、コーデリアが教会にたどり着く頃には、すっかり闇色一色に染まっていた。
ひやりとした風が頬を撫で、コーデリアは羽織ったマントの上から体をぎゅっと抱える。
それから、恐る恐る巨大な扉に手をかけた。ギィ……と扉の軋む音が辺りに響き渡る。
グリダル大教会は、王都でも有数の大教会だ。祭礼の時などは人で賑わっているが、今は誰もいない。大きく厳かな教会である分、静まり返った時の空気は重く、怖いくらいだ。魔法で灯された灯りだけがチラチラと動いている。
「手紙通り、一人で来ましたわよ」
室内に向かって問いかけるが、静まり返った教会で返事をする者はいない。コーデリアは慎重に歩みを進めつつ、いつでも発動できるよう、闇魔法をかき集めていた。
(闇魔法は、かなりを聖魔法に塗り替えられてしまったけれど……まだ自衛くらいはできるはずよ)
一歩ずつ歩みを進めていくうちに、木でできた長椅子の最前列に、誰かが座っているのが見えた。彼は教会の前を向いていて頭と背中しか見えないが、やたらゴツい肩幅は見覚えがある。
コーデリアは息を吸い込むと、彼の名前を呼びながら駆け出した。
「……サミュエルさま、あなたがこれを企んだんですの!? ……って、あら?」
コーデリアの声が、教会に吸い込まれていく。
勇んで駆け出した先に待っていたのは、悪巧みを働かせた悪者顔のサミュエル――ではなく、座ったまま口から涎を垂らし、間抜けな顔で眠りこけているサミュエルだった。
「ちょっと、なんであなたがここで寝ていますの。起きて! 起きてくださいまし!」
ペシペシと顔を叩いてみるが眠りは相当深いようで、全く起きる気配がない。帰ってきたのは、ンゴゴ、という気の抜けそうないびきだけ。
コーデリアは、バチンバチンと、もはやビンタと言っても差し支えないほどの力でサミュエルの頬を叩き始めた。
「起きて! ひなはどこにいますの!?」
「ヒナさまならこちらだ」
聞いたことのない男の声がして、コーデリアは弾かれたように振り向いた。見れば、コーデリアが入ってきた扉に立ち塞がるように、一人の男が立っていた。




