第4-1話 聖女、現る
そよそよと、一面のラベンダーが美しく揺れる薄紫の丘で、コーデリアはお弁当のバスケットを持って立ち尽くしていた。
その少し先には、麗しのアイザックともう一人。さらさらのミルクティーカラーの髪を揺らせ、平民らしきエプロンのついたワンピースを着た美しい少女が、ラベンダーの花束をアイザックに手渡している。
(あ、これ見たことある。『アイザック王子〜幼少期ver〜』のイベントで、実はヒロインとヒーローは小さい頃に出会っていました! ってやつね……)
コーデリアの怪我がよくなったのを記念して、アイザックから散歩に行こうと誘われてルンルンでついてきた結果がこれだ。
まさか目の前でこのイベントを見せられるとは。
(と言うかコーデリア、実はイベント中その場にいたんだね。不憫すぎる……)
かつてのコーデリアの気持ちを考えてると、思わず涙が出そうである。
(しかも聖女さま、どう見ても“ひな”だよね?)
おかしい。ゲームの中でもエルリーナは美人だったが、これほどまでに“ひな”の顔ではなかったはずだ。元々美人だったため聖女になっても全然違和感はない。ないが、それにしたってまんますぎる! とコーデリアは心の中で毒づいた。
「ひなって呼んで。あなたが元気なさそうだから、気になっちゃったの」
(えっ!? 聞き間違いじゃなければ自分でひなって言ってない!? これからもひなの名前で通す気!?)
やっぱりそうだったことに驚き、それ以上にひなの我が道の行きっぷりに度肝を抜かれる。エルリーナという名前は丸無視だ。戸籍はどうする気なのかという疑問ですら、今の彼女の前では霞んでしまいそうだ。
とは言え、二人の間に割り込んで行く勇気はない。コーデリアは息を殺して大人しく草むらにしゃがみ込んだ。原作でもこうして隠れていたのかもしれないかつてのコーデリアを考えると、涙が出るどころか号泣してしまいそうだ。
一方のひなはこのまま“過去イベント”を進めるつもりなのだろう。何やら積極的にアイザックに話しかけていた。
(それにしても……よりによって、ひなが聖女かぁ……)
――実は、うっすらと、そんな気はしていた。
もともと加奈はひなに巻き込まれて階段から落ちたのだし、女神も「あなたたち」と言っていたし、状況から考えて一番可能性が高いのはひなだった。それでもなるべく考えないようにしていた。なぜなら……。
(ひなも、アイザックさま推しなんだよね……)
過去の事実を思い出して、コーデリアの気持ちはさらに沈む。
(女神さまは、努力すれば報われる世界にしてあげると言っていたけれど……こればっかりは無理よ……)
幼少の頃から植え付けられたひなに対する劣等感。好きだった人は皆もれなくひなのことを好きになり、恋愛の世界で同じ世界に立つことすらおこがましいと思い続けてきた。
その挙句、年齢イコール彼氏なしの状態で死んだ加奈にはハードルが高すぎる。例え今の外見がどれだけ美しくても、だ。
(アイザックさまの愛を、ヒロインのひなと競うとか、絶対無理……)
コーデリアは膝に顔を埋めた。この瞬間、コーデリアとアイザックの薔薇色ハッピーエンドは、消えたのだった。
――やがてひなが立ち去ったのを確認して、コーデリアはアイザックのもとへ駆け寄った。
彼は子供とは思えないほど紳士的にエスコートしてくれ(もちろんほとんどのセッティングは侍従たちがしてくれたが)、彼女はそこでひとときだけ、世知辛い現実を忘れることができた。
「……まだ、体調が良くない?」
知らずため息が漏れていたのだろう。アイザックが探るように顔を覗き込んでくる。コーデリアは慌てて手を振ってみせた。
「いえっ! 大丈夫です! その、目の前のお花があまりにも綺麗だから」
「そう。よかった」
コーデリアの幼女らしからぬ喋り方にも気づいていないようだった。その純真さが眩しくて、気がつけば彼に語りかけていた。
「……アイザックさまは、そのうち素敵な人と恋に落ちるんですよね」
「……どうして?」
「そういう運命だからですよ」
「うんめい……。むずかしい単語だ。次までに勉強してくる」
生真面目に答えるアイザックが可愛くて、コーデリアはふっと笑って彼の頭に手を伸ばす。小さな手が、小さな頭をポンポンと撫でる。
「アイザックさま。どうか違う女性を好きになっても、私のことは忘れないでくださいね」
「なぜそんなことを言う? 僕は他の人を好きになんてならない。君と結婚するんだよ」
少しだけムッとしたように唇を尖らせる姿もまた、とてつもなく可愛い。
(もうこの顔が見られただけで、いや、しばらく見られるだけでよしとしよう)
婚約破棄までは時間がある。だったら、それまでの間だけでも、この可愛い王子を大事にしよう。彼がやがてひなを選んでも、コーデリアのことを忘れられなくなるぐらい、たくさん思い出を作ろう。
それがコーデリアの考えた、“期間限定薔薇色ハッピーライフ“の始まりだった。