第29-2話 女神さまと魅力値と
「……ひな、いる? 私よ。……加奈よ」
コンコンと控えめにノックをした先は、ひなが住むトルマリンの間。彼女は治療会の日以降、部屋に閉じこもって出てこないらしい。今も中にいるはずだが、しばらく経ってもうんともすんとも反応が返ってこない。
悩んだ末にドアノブに手をかけると、扉はいともあっさりと開いた。
「……入りますわよ」
コーデリアがためらいがちに扉を開ける。
部屋の中は昼だというのに、カーテンを閉め切っているせいで薄暗く、空気は淀んで埃っぽい。奥にあるベッドがこんもりと盛り上がっているが、おそらくそこにひながいるのだろう。
「もうこんな時間ですから、カーテンは開けてしまいましょう。というか、換気もしましょう。体に毒ですわ」
返事はなかったが、コーデリアは気にせず次々と窓を開け放っていった。すぐさまそよ風が、部屋の淀んだ空気を運び出していく。
「今日はまだ何も食べていないのですって? 果物とスープを持って来たから、今から食べましょう。ひな、朝はモソモソしたもの食べられないって言っていたものね」
続いて入ってきたリリーが、カットされた果物と、ひなが飲みやすいよう、皿ではなくマグカップに入れたスープを運んでくる。
「……加奈ちゃん」
あたたかなスープの匂いに誘われるように、ベッドのふくらみがもぞりと動いた。かと思うと、中からボサボサの髪をしたひなが姿を現す。目の下には、くっきりとクマができていた。
その姿にコーデリアが驚く。前世のひなは、どんな時でも完璧な可愛らしさを保っていたというのに。
「あなたのそんな姿、初めて見ましたわよ。治療会のこと、そんなにショックだったんですのね?」
ベッドの横の椅子に腰掛け、コーデリアが尋ねる。
「ショックっていうか……なんかもう全部嫌になったの。アイザックさまのことも、聖女のことも、加奈ちゃんのことも」
ぷいと、ひなが拗ねた子供のように顔を背ける。
「あら。私のことは嫌いなのに、お話はしてくれるのね」
「そ、それは。まともに会話できそうなの加奈ちゃんぐらいしかいないからで……!」
「アイザック殿下がいるじゃない。それにラヴォリ伯爵も、ごくごく普通に会話が成り立つ方でしょう?」
「そういうことじゃない! ここのみんな、なんかおかしいんだよ? ひなが何をお願いしても駄目です、無理ですって……人の心がないんじゃないの!」
話しているうちにイライラしてきたらしいひなが、枕を床に投げつけた。
「ひな……」
コーデリアは困ったようにひなを見つめた。それから、意を決して口を開く。
「残念ながら、おかしいのはみんなじゃないの。……ひなの方だったんですのよ」
とたんに、ひながキッとコーデリアを睨んだ。
「何!? お説教に来たの!? 前も思ったけど加奈ちゃんって昔はこんなに嫌な子じゃなかったよね! なのにアイザックさまに選ばれたからって急に偉そうになっちゃってさ!」
「確かに、偉そうになったのは認めますわ。公爵令嬢という立場柄、すっかり命令するのに慣れてしまいましたもの。淑女としてもっと謙虚に生きるべきだとは思うのですがなかなか……。あ、話が逸れましたわね」
うんざりした顔のひなに、コーデリアは慌てて居住まいを正した。
「とにかく、それとこれは別よ。私がどうであれ、ひなが……いえ、今までひなの振る舞いが許されていた世界がおかしかったんだと思いますわ」
「何それ。意味わかんない」
「あのね、普通はねだれば何でも手に入るっておかしいことなの。たしかにひなは可愛いけど、それにしたって普通じゃなかったですわ。――ひな、この世界に転生した時に、女神さまから何か聞いてない?」
「女神さま?」
ひながうーんと首をひねる。コーデリアは聞き逃すまいと、じっと言葉を待った。
「……もしかして、あの真っ白な女の人?」
「多分、その人ですわ。私は女神様に言われましたの。『あなたたちの設定を間違えた』って。一体何の設定までかは聞く余裕がなかったですけれど……」
「ああ、それだったら魅力値とかなんとかって言ってたよ。加奈ちゃんの分も、間違えてひなに入れちゃったって」
「えっ!? そうなんですの!? 初耳ですわよ!」
そんな話、まったくもって初耳なのだが、どうやらひなは最初から聞かされていたらしい。
コーデリアはガバッと身を乗り出した。




