第11-1話 フェンリル、ご乱心
体ごと持っていかれそうな強い突風に煽られて、コーデリアは床に膝をついた。顔を上げて見れば、ひなが一人だけ平然と立っている。その隣には、ひなより二回りは大きいであろう、禍々しい巨大な獣が現れていた。
(あれが……聖獣フェンリル!?)
フェンリルは体こそ真白だったが、濁った闇色の瞳は憎悪で吊り上がり、大きく開かれた口からは涎がダラダラと垂れている。大きな白い牙が、刃のような鋭さで光っている。飢えた狼ですら、ここまで恐ろしい形相はしていないだろう。
(原作と全然違うじゃない!)
コーデリアは心の中で叫んだ。
原作のフェンリルは美しい獣で、澱んだ空気をひと睨みで吹き飛ばしてしまうほど、神聖で気高い獣だった。
前世のコーデリアは、フェンリルのこともすごく気に入って、アイザックと同じぐらいグッズも買った。……だと言うのに。
(これじゃ……これじゃ本当にただの怪物みたい……!)
好きだったフェンリルの面影はどこにもない。恐ろしさよりも悲しさの方が優ってきて、コーデリアは咄嗟に口を覆って涙をこらえた。
「……加奈ちゃんのせいだよ。加奈ちゃんが、私の言うこと聞いてくれないのが悪いんだからね」
いつの間にか目の前にゆらりと立ったひなが、濁った目でコーデリアを見下ろす。
(この期に及んで……!)
――ぶちんと、堪忍袋の緒が切れる音がした。コーデリアはすくっと立ち上がると、思い切り右手を振り上げる。
パァンッ!
頬を弾く乾いた音が、謁見の間に響いた。
「いい加減にしなさい!」
もう、周りの目などもうどうでもよかった。
「わがままを言って困らせているのはどっちなのか、よく考えなさい! 今まではなんでも望みが叶って来たかもしれないけれど、今は違うのよ! 私はもう加奈じゃないし、あなたもひなではないわ! しっかりと目を見開いて、現実を見なさい!」
ひなは打たれた頬を抑えて、ぺたりと地面に座り込んだ。その呆然とした姿は、初めて親に怒られた子供のよう。コーデリアの心がちくりと痛んだが、今はそんなことを気にしている場合ではない。
「そこで見ていなさい! あなたのわがままで国が滅ぼされそうになっているけれど、そんなことはさせないわ。私が止めてみせるから!」
これは完全に強がりだったが、その言葉は同時に自分に発破をかけることにもなった。
(そうよ! フェンリルがなんだって言うのよ! こちとら転生者で女神さまから譲り受けたチート機能持ちなんですからね! 多分!)
ギンッ! と音を立てそうな勢いでフェンリルを睨みつける。
禍々しい獣は太い牙を剥き出しにして、今にも飛びかからんばかりの勢いでこちらを睨んでいた。その恐ろしい姿にぶるっと震えが走ったが、強く手を握って自分を奮い立たせる。
そして。
ゴッ! と風を切る音がしたのと、フェンリルがコーデリアに飛びかかってきたのは同時だった。




