第10-2話 聖女、気付く
「……ええ、そうです。私は、元・加奈ですわ」
「よかった! 私一人だけ変なところに来ちゃって、どうしようかと思ってたんだよね。ここの人たちってなんか冷たいし、常識全然通じないし……」
そう言って悲しそうに笑うひなの顔を見て、コーデリアがハッとする。
(もしかして、一人ぼっちで心細かったの? ……そうかも、そうよね。ひなはマンガも小説も読まないからこういう文化に詳しくないし、実はずっと辛い目に遭っていたのかも……!?)
原作のエルリーナは確か、貧しいながらも優しい両親に囲まれて幸せに育っていたはずだが、世界そのものが変わったことで苦労したのかもしれない。
そう思ったとたん、コーデリアはひなのことなどまるで気にせず人生を謳歌していたことに罪悪感を覚えた。咄嗟に萎れてしまったひなを慰めなければと考える。――が。
「ていうか加奈ちゃん、その言葉遣い変だよ? なんかおばさんみたい。それより加奈ちゃんならシナリオ戻すの手伝ってくれるでしょ? 知ってた? ここ『ラキ花』の世界なんだよ」
語尾に(笑)でもつけていそうなトーンに、コーデリアが言いかけた言葉を飲み込む。
(一瞬でも同情したのが間違いでしたわ……。そもそもひなはヒロインだし平民女子だから許されるかもしれないけれど、令嬢はこの言葉遣いが普通なんですのよ!)
ひなにも、ばあやを家庭教師としてつけてあげたい。普段の優しさからは想像もできないほど恐ろしいばあやの豹変ぶりに、コーデリアは何度逃げたいと思ったことか。
脳内でばあやに叱責されるひなの姿を想像しながら、コーデリアはこほんと咳払いする。
「ひな、この言葉遣いは全然おかしくないのです。私は確かに“加奈”だったけれど、今はもう“コーデリア”として生きているの。貴女にも“エルリーナ”という名前があるでしょう?」
言外に「貴女エルリーナの名前はどうしましたの!」と問いかけたつもりだったのだが、残念ながら全く伝わらなかったらしい。
「意味わかんない。加奈ちゃんは加奈ちゃんで、ひなはひなだよ? それより、加奈ちゃんもアイザックさまに言ってよ。どっちと結婚した方が幸せになるかなんて、加奈ちゃんなら知ってるでしょ?」
またもやイライラして来たらしいひなが、責めるように言った。コーデリアは言葉を選びながら、慎重に口を開く。
「……政治的には貴女と結婚した方がメリットは大きいですわ。でも、その前に殿下の気持ちを尊重して……」
「ひなは尊重してるよ? だからデートに行こうって言ってるんじゃん。……加奈ちゃんさ、自分がアイザックさまのこと好きだからって引き留めようとするの、わがままだと思うな。原作のコーデリアはかっこよかったよ? アイザックさまのために自分から身を引いててさ。忘れちゃった?」
(……ものすごーくイライラして来ましたわ。ひなってこんなに嫌な子でしたっけ?)
この期に及んで、どうしてコーデリアがわがままを言って皆を困らせているみたいな認識になるのだろう。ひなのあまりに自分勝手な物言いに、抑えていた怒りがむくむくと鎌首をもたげるのを感じる。
「今なら間に合うからさ、ほら加奈ちゃん早くアイザックさまに言ってよ。婚約破棄するって」
その言葉には答えず、コーデリアは決意したように大きく息を吸った。それからまっすぐひなを見据える。
「……私だって貴女たちが両思いなら潔く身を引くつもりでしたわ。でも、両思いどころか、あなたアイザック殿下に拒否されているじゃない」
――その瞬間、ひなの顔が真っ赤になった。
バッとコーデリアの手が乱暴に振り払われ、ひなの体が怒りでワナワナと震える。かと思えば、彼女の大きくて可憐な瞳から、ぼろりと涙がこぼれ落ちた。
「っ! もう嫌! なんなのここ! みんなひなに優しくない! 加奈ちゃんも変わっちゃった! こんなのひなのいる場所じゃない!」
癇癪を起こした子供のようにひなは叫んだ。それから突然声のトーンを落としたかと思うと、今度は虚ろな目で言う。
「……もういいよ。ひな、きっと悪い夢を見てるんだよ。早く目を覚まして現実に帰ろ。この世界を壊せば夢が覚めるかな?」
泣きながらひなは後ずさりした。その目は狂気でギラギラと光っており、とてもじゃないが聖女の姿には見えない。それでも、彼女は紛れもなく聖女の力を持っているのだ。
コーデリアはこれからひなが何をしようとしているのか気が付いていた。拳をにぎり、全神経を集中させる。聖獣に対抗するための魔力をかき集めるために。
「……来て、フェンリル。この世界を全部、壊して!」
ひなの叫びに呼応するように、辺りに突風が吹き荒れた。




