婚約を破棄された令嬢は隣国の皇子に求婚される ~実際皇子ではなく皇女だったわけですが~
「アリシア・ステイファン――君との婚約を破棄させてもらう!」
貴族達の集まる夜会で、そんな言葉を突き付けられるとは、私は思いもしなかった。
そんな言葉を口にしたのは、私の婚約者であるクルス・エルロード。
この国の王太子であり、騎士公爵家の娘である私との婚約は――幼いころから決まっていたものであった。
決められた婚約だとしても、私は誠心誠意尽くしてきたつもりだ。
それなのに――どうしてこんなことになるのだろう。
クルスの傍らには、同じく公爵家であるリリーナ・アルバリアの姿がある。
私を見るその表情は怯えていて、けれど私には全く身に覚えのないものであった。
「一体、どういうことでしょうか」
だから、私も毅然とした態度でクルスに問いかける。
知らないことなのだから、当然のことだ。
「白を切るつもりか? だが、すでに君と結託して、同じ学園に通う彼女に陰湿ないじめを行ってきたという証拠を、すでにこちらも掴んでいる」
「そうよ。わたくしにあれだけ非道なことをしてきて……今更言い逃れをしようだなんて」
――一体、何の話をしているのだろう。
むしろ、リリーナの方が私に嫌がらせをしてくることの方が多かったくらいだ。
それでも私は、事を荒立てないように努力してきたつもりだ。
それなのに、私の方がいじめの首謀者で、リリーナのことをいじめてきた?
私はリリーナの方を見る。
相変わらずに怯えた表情を見せる彼女の口元が、少し笑っているように見えた。
……全ては、彼女が仕掛けたことなのだと理解するのは十分であった。
そして、私はすでに追い詰められているということも。
この場の空気は、すでに私が『リリーナをいじめた』という事実で固められている。
それでも、私は平静を装って弁解をする。
「お待ちください。私には本当に身に覚えが――」
「まだ言うか。罪を認めるのであればまだ許すこともできたが……認められないとは呆れた奴だ。もはや、この国に君と居場所があるとは思うなよ」
クルスの言葉は本気だ。
私の言葉など聞く耳も持たず、私にはこの国に居場所はないとさえ言い切ってしまう。
ひそひそと、話す人々の声だけが私には届く。
――私は、貴族に生まれるべきではなかったのかもしれない。
私はただ陥れられて、反論することすらもできないのだから。
この場で私を助けてくれるような人だって、いるはずもない。
「――少しいいかな」
凛とした声が会場に響き渡り、皆がそちらに視線を送る。
声を発したのは、この国の人間ではなく――隣国の皇子であるルーン・ハリアベルであった。
中性的な顔立ちをした、黒髪の男性。
国は違えど、友好関係にある両国では、彼の立場はここにいる人々の中ではクルスに並んで巨大なものだ。
彼がここにいる時に婚約破棄をすることを選んだのは、明確に私ではなく、リリーナの方を婚約者に選ぶという意味合いも含んでいるのだろう。
どこまでも、私は陥れられている状態なのだ。
だが、ルーンの言葉で場の空気が変わる。
「ルーン殿下……何か?」
「いや、彼女――アリシアとの婚約を破棄すると言うのであれば、ボクがもらってもいいかな?」
「は?」
「え?」
「な……!?」
その場にいる人々は皆一様に驚きの声を上げるが、一番驚いたのは私なのは間違いないだろう。
「い、いや……もらうとは」
「だから、婚約を破棄するんだろう? 彼女に婚約者がいないのであれば、ボクがもらいたい」
そう言って、ルーンは私の元へと近寄って来る。
その場で膝を突くと、私の手を握って宣言する。
「ボクの元へ来てくれないか? アリシア」
「は、はい……?」
思わず、その言葉に圧されて疑問形で答えてしまった。
けれど、あの場から逃げ切ることができる――唯一の救いの手であり、私は驚きながらもそれが生き残る唯一の道だと理解できていたのだ。
***
夜会の途中ではあるけれど、私はルーンに連れられて会場の外にいた。
とても戻れる雰囲気ではない。
けれど、ルーンのおかげで現状は私の立場は保障されたことになる。
「あ、ありがとうございました。ルーン殿下」
「礼など必要ないよ。彼が君との婚約を破棄したから、ボクは君と婚約することを選んだ――それだけさ。正式な手続きは、また後日ということになるけれどね」
「……本当に、私と婚約をするのですか?」
「ん、そこを疑問に思うのかい?」
「そ、それはそうですよ。私を助けたって、なんの得もないのに」
「ははっ、そういうことか。それなら、ボクが君を手にしたことに意味があるじゃないか」
「……え?」
「ボクはね。夜会で君と会うたびに、ずっとその姿を追っていたんだ」
それを見上げて、そんなことを口にするルーン。
「私を……?」
「ああ。クルス殿下は君の魅力の全てを理解していなかったらしい。もちろん、ボクも全てを理解しているわけではない。けれど、短い時間だけでも十分に分かる。君は、婚約者のために誠心誠意尽くせる人間だ。嘘を吐けない性格であることもよく分かる――けれど、正直者は馬鹿を見ることになるのが貴族社会でもあるからね」
「……それは、分かっているつもりです。だから、私には貴族なんて、向いていないのかもしれません」
「そういうところも、ボクが好きになった理由でもある」
「……っ」
ルーンの言葉に、恥ずかしくて少し顔が熱くなってしまう。
先ほどまで絶望的だった状況が、気付けば彼のおかげで変わっていた。
そして、決められた婚約などではなく――私は今、救われて彼に恋をしたのかもしれない。
そんなことさえ、思うようになっていた。
「ルーン、殿下」
「殿下などと呼ぶ必要はないよ。君はボクの婚約者になるんだ」
「……では、ルーン様と」
「ああ、アイシア。ボクが本気で好きになった人だから、ボクの真実も話しておかないとね」
「ルーン様の真実、ですか?」
「うん。実はね――ボクは女の子なんだ」
「……?」
ルーンの突然の言葉に、私は考えが追い付かず、無言で首をかしげてしまう。
一体どういうことなのだろう。
「だから、ボクは女の子なんだ。君と同じ性別。分かるよね?」
「……え、えっと、分かりますけど。え? あれ……皇子は、女の子なんですか? えっ、じゃあどうして私と?」
「君のことが好きだから」
「え? え?」
全く理解できない――しかし、ルーンは至って真剣な表情をしている。
つまり、皇子を名乗っているけれど、実際は皇女で――私のことが真剣に好き。
……うん、色々と理解が追い付かない。
「やっぱり、女の子同士なんて変、かな」
「あ、いえ……ちょっと驚いただけというか、ええ。そういう本もありますよね」
「本の世界ではなく、現実のことなのだけれどね。実のところ、ボクが女の子であることを知っているのは――ボクの国でも限られた人物だけなんだ」
「! なんで、そんな秘密を私に……?」
「君に信用してもらうためだよ」
その言葉で、彼――ではなく、彼女が本気なんだということが理解できた。
ルーンは女性で、皇子を名乗っている。
それが、大きな意味を持っていることも、私には理解できる。
「本来ならば教えるようなことではないのだけれどね。それでも納得できないと言うのであれば、どのみち君はボクを頼ることしかできない立場にあるから」
「そ、それは脅し、ということでしょうか?」
「脅してでも君がほしいという意味でもある。どうかな? これを知ったうえでも、もう一度ボクの婚約話に、頷いてくれる?」
ルーンが改めて問いかけてくる。
それを断れば、私の立場はまた危うくなるだけ。
どのみち、私はこの話を受ける他ないということだ。
けれど、初めにその話をしなかったのは、彼女が本当に……私のことが好きだからなのかもしれない。
どのみち、ルーンに私を助けるメリットなどないのだから。
今度は本当に、信じられるのかもしれない。
「……はい。婚約話は、お受けします」
「! そうか、良かった。断られたら脅す他なかったから……」
「脅す他ないって……怖いことを仰いますね」
「好きな人はどんな方法でも手に入れる――そういう貪欲な人間になれってよく言われたからね。まあ、今でもあそこで発言するのは結構勇気が必要だったんだよ。でも、本当によかった」
「た、ただ……その、女性同士というのは、私の理解がまだ追いつかないというか、やってみないと分からないと言いますか」
「確かにそうだね。じゃあ、早速今夜はベッドに行って試してみようか」
「……? 試すって、何をですか?」
「それはもちろん、女の子同士のことを理解するためだよ」
よく分からなかったけれど、私は言われるがままルーンに連れられて夜会を抜け出し、彼女がこちらにやってきた時に使っている屋敷へと招かれる。
そして、女性同士とは何なのかは分からされることになった。
男装っていいよね!