003 太陽の王子 月の公女 その2
「ヴィオレーヌ。すまない。俺との婚約の解消を本気で考えてくれないか」
王立アイネイアス学園上級学生用校舎のとあるサロンで立太子を確実視されているフランセルク王子が自らの婚約者、ヴィオレーヌ公女に深々と頭を下げたのだ。
突然の婚約者からの言葉に言葉を失うヴィオレーヌ。様々な感情が頭をめぐる中、出てきた言葉は至極真っ当なものだった。
「正気ですか?殿下」
いきなり婚約解消と言われて怒りだとか戸惑いだとかの感情以上に相手の正気を疑った。
自分と王子の婚約は国王が決めたいわば国策である。それはたかだが一介の王子が易々と破棄できるようなものではない。
「ヴィオ。君の意見はとても正しい。私もどうかと思うが、俺は自分の感情に嘘はつけん」
(なるほどね……)
目の前のフランセルクは公人として話す時は自分のことを『私』、私人として話す時は『俺』と使い分けている。
つまりこれは『王子としておかしいのはわかっているけど、男として好きな人ができたんだ』という告白なのである。
「殿下。まずは――」
「ヴィオ。ここには俺と君しかいない。そう堅苦しい物言いはしなくていい」
確かにフランセルクは話を始める前にお互いの従者を部屋から出し、部屋には2人だけ。
……従者達からすれば婚約者同士の甘い会話を期待したのだろうが、実態はその真逆の破局話となってしまったのは申し訳ない。
「ではお言葉に甘えまして。フラン。まずは状況を整理しましょうか。どこの誰を好きになったの?」
「ソフィー・フォルスター男爵令嬢だ」
「あぁ。あの子。フランはあんな子がタイプだったのね」
ヴィオとてプライドがある。どこの馬の骨とも知れない女より自分の魅力が下だ、と言われれば腹が立つが、フォルスター男爵令嬢だと言われれば納得はできる。
可愛らしいとは思うが、それ以前に自分とは全く違うタイプの女性だ。彼女は良くも悪くも貴族らしからぬ令嬢である。
貴族とは何事につけても優雅に振舞うことを求められる。優雅とは余裕から生まれる。何事についても「し過ぎない」ことが大切なのである。
ところが彼女は生まれもあってか、よく笑い、よくしゃべり、よく怒り、よく泣く。
性格も良く言えば素直、悪く言えば単純で、『学園内は身分によらず平等な場』というお題目を馬鹿正直に信じて行動する子である。
相手が例え王族や上級貴族であってもおかしいと思えば平然と真正面から直接抗議し、反対に相手が平民であっても必要であれば頭を下げてお願いをする。
自分はそう育てられたとはいえ、あのように表裏なく振舞うことはできない。それはフランとて同じだ。
だからこそ珍しい、天真爛漫な彼女に惹かれたというのなら納得できる。出来るのだが……
「それだけか?なら先ほど言葉をそのまま返そう。正気か?ヴィオ」
顔をしかめ、ヴィオに詰め寄るフラン。それに対しにっこり笑うヴィオ。
「正常な判断を下せるようで安心したわ。フラン」
「はぁ……。そうか。俺は試されたのか。いや、そう思って当然だ。なにせ彼女は『聖女』様だからな」
「試すようでごめんなさいね。でもフランが洗脳の類を受けていない保証がないから、あなたの口からまずは自分が洗脳されていないか疑えているかを確認したかったの」
この世界には4種類の魔法が存在する。
使用者自らの魔力を使用して森羅万象あらゆる奇跡を成す万理魔法
常人では目に見えぬ精霊の力を借りて使用する精霊魔法
触媒を使用し、物質変化を得意とする錬金魔法
そして神に代わって神の奇跡を起こす神聖魔法
4種の魔法の中で最も使い手を選び、未だその原理が不明なままであるのが神聖魔法である。
そも魔法とは何か。
それは体内にある魔力を用いて、通常では起こりえない現象――例えば何もないところから火の玉を出す、傷を素早く治す、華奢な女性が屈強な男性並みの膂力を発揮する――を起こすことである。
万理魔法は自らの魔力を以て魔法を行使する。最も基本となる魔法で最も汎用性に優れ、反面効果では他の魔法に一歩劣る魔法である。
精霊魔法は精霊と契約を結ぶことによって魔法を行使する。前提条件不要の万理魔法と異なり、最初に精霊に気に入られることが必要であり、行使できる魔法も精霊の力の及ぶ範囲でなければならないという条件がある。ただし、その制限の見返りに同等魔力では万理魔法より強力な魔法を使うことができる。
錬金魔法は200年程前に鉄を金に変える方法を研究している中で生まれた新しい魔法である。魔法の触媒を用いて物質の材質や形状を変えるところから始まり、現在では自然界には存在しない金属への置換、はたまた生命体の一時的な身体能力向上など当初よりはるかに出来る範囲が増えている魔法である。
これら3種の魔法は新しい錬金魔法を含めても体系化され、その理論もかなりのところまで判明している。
一方で神聖魔法にはそれらが一切ない。
まず使い手からして不明である。前述の3種の魔法は程度の違いこそあれ健常者なら大半の者が使用できるのに対し、神聖魔法は使える者が少ない。
神聖魔法と名がついているが、それは効果からそう呼ばれているのであって高僧なら使えるという代物ではない。
無論、厳しい修行の果てに習得した者もいるが、ある日突然何の前触れもなく使えるようになったものも多い。
そして応用範囲が異常なほど狭く深い。
万理魔法は魔力を水に変換することで、精霊魔法なら水の精霊を行使することで、錬金魔法なら触媒を通じて大気中の微量な水分を増幅することで水を生成することができる。
が、神聖魔法は水を生成することができない(とされている)。
万理魔法にしろ、精霊魔法にしろ、錬金魔法にしろ火を出すことができる。
が、神聖魔法は例え種火の元に使う小さな火すら出すことができない(とされている)。
……神聖魔法に『とされている』がついて回るのは仕方がない。今のところそれを証明するだけの根拠はなく、実績から推測するしかないからである。
応用範囲が狭い一方で、治療・浄化・解毒といった分野において神聖魔法は他の3種の魔法の追随を許さない。
例えば、単純骨折の治療にかかる時間は万理魔法にしろ、精霊魔法にしろ、錬金魔法にしろ、熟練の使い手でも完治にはおよそ半日を要するのである。
これに対し、神聖魔法なら使い手にもよるが複雑骨折でも300を数えるかどうかの時間で完治できる使い手が殆どである
この世界の常識において自然に得た病は魔法では治せない。少なくとも3種の魔法で治療する場合は患者自身の体力を増強させることで治すのが一般的で病自体を治す方法は見つかっていない。
が、神聖魔法は当たり前のように病自体を治してしまう。
この世界の常識において手足など失った部位は再生できない。3種の魔法はあくまで自己治癒力を高めるだけだからだ。
が、神聖魔法の使い手は失った部位の再生はもちろん、生まれつき手足がない場合でも創造して生やしてしまう。
このように詳細不明ではあるが、『優しい』分野に特化した魔法を使える神聖魔法の使い手を民衆は『聖者』あるいは『聖女』として称える場合が多い。
一方で為政者達から見れば神聖魔法の使い手は要注意対象となる。彼らは民衆から異常なまでの支持を受けて時に支配階級に対し牙をむくことがある。
それはそれで恐ろしいことだが、今懸念すべきはその点ではない。
「それでフラン。確認するけど、いつごろから彼女に好意を持っていたの?」
「難しい質問だな。彼女は入学時から少し……いやかなりの奇行が目立っていたとはいえ、その行動は無知からくるものだ。学んだあとは直そうと努力をしていたし、よく言えば純真で素直な彼女を男女だとか恋愛だとかを除いても嫌うのは難しいだろう。そう言った意味では最初から嫌いではなかったし、数ある学友の一人として親愛の感情は持っていた。
……これこそが計略だと思うか?」
「……難しいわね。ただ、可能性は捨てきれないわ」
今懸念していること。それはソフィーが魅了の魔法でフランを洗脳しているのではないかということ。
過去の神聖魔法の使い手で魅了の魔法が使えたという事例は聞いたことがない。が、聞いたことがないだけで実際には使えたのかもしれないし、そもそもソフィーにその前例をあてはめていいのかも不明である。
が、わかっていることとしてフランセルク・ロイエンタールは一時の感情で大事を見失うような男ではないということである。
ちょっといいな、と思ったからとヴィオレーヌとの婚約を破棄してまで他の女性に目が行くような軽薄な性格ではないし、仮に婚約破棄となればどのような影響が出るのか、そもそも婚約破棄をするのがどれほど困難なのかを考えられない程の阿呆でもない。
が、それは正常な思考ができればこそだ。
仮にフランセルクが未知の神聖魔法で正常な思考を奪われていたとするならば安易に婚約解消などと言い出す可能性がある。
それを疑わない程ヴィオレーヌは抜けていないし、フランセルクも自分自身を全く疑わないというのはあり得ない。
「言うまでもないと思うが、俺は常日頃から魔法装飾でその手の魔法を防ぐようにしているし、行動も複数人で行うよう心掛けている。
先日王宮に呼び出された際にあわせて宮廷医師の診断も受けて特に体に異変がないことも確認している」
「最低限はやっていると。フラン。ちょっと手を出して。ついでにリラックスもして。私も確かめてみる」
「あぁ。構わんやってくれ」
両手をヴィオに差し出すフラン。ヴィオはフランの差し出された両手を自身の左右それぞれの手で握るとゆっくりと魔力を通していく。
ヴィオレーヌは魔法に対して特異な体質を持っていた。(高級・高品質の触媒さえあれば)『誰しも高度な魔法を使うことが出来る』という触れ込みの錬金魔法が殆ど使えない代わりに、万理魔法については伝説に謳われる大魔法使いレベルの素質を持つと言われている。
現に万理魔法の使い手としては若干16歳にして国内でも一、二番手を争うレベルと言われ、本来魔法効果に劣るはずの万理魔法で精霊魔法や錬金魔法以上の効果を出している。
そんな彼女が今から試そうとしているのが、解呪魔法である。
彼女はこれまでに打つ手なしとされた呪いをいくつも解除してきた。これならあるいは……
「……解呪以前にフランの身体におかしな魔力の流れはないわね。これはつまりフランには洗脳の類の魔法は施されていない、あるいは――」
「相手の力量が高すぎてヴィオでは感知すら出来ない、の2択か……」
その後2人は婚約解消話を捨て置き、考えられる洗脳・魅了方法を議論することになる。
そして残念ながらソフィー・フォルスターが一切洗脳や思考を奪ったり操ったりしていないという確証は得られなかった。
一方でソフィー・フォルスターと似たような――かの令嬢は本当に規格外なので正確には似たようなではなく幾分マイルドになった――待てよ学園の学友はそんな規格外ばかりじゃないかという悲しい現実を改めて見せつけられて――学友たちに対して嫌悪感どころか好意を持っていることから彼女に好意を持つというのはあり得なくないという結論を出した。出したのだが……
「嫌なものだな。学友に好意を持ったことを素直に受け取れず、疑ってかからねばならんというのは……」
フランセルクがそう漏らしてしまったのに対し、ヴィオレーヌは何も言い返すことができなかった……