目覚めるは太陽、眠り続けるは月光
「――――――――む」
その繭は砕け散った。
巨大な繭―――――真紅の結晶から解き放たれたのは、一体の獣だ。
獣は人の形をしており、その姿は正しく“可憐”の一言に尽きるだろう。稲穂の如く金色に靡く髪、そこから生えるはピンッと立った狐の耳。その裸体を纏うは赤と白の着物。巫女のようなものではなく、神々が纏う神聖な衣だ。その容姿と纏う衣から“お淑やか”・“物静か”・“愛らしい”というイメージは付くだろう。
しかし、その勇ましい眼力はそれらを否定する。
容赦ないその眼光は、生きとし生けるものを見下し己こそが君臨すべきという傲慢さ。だが、同時に“何か”に飢えてるようにも見える。
その獣は優雅に着地すると、ここは何処だと周りを見渡す。
「みゃぁ」
「――――――――何故貴様が」
右肩には黒猫が。
獣には見覚えがあった。
己が飼っていた飼い猫。しかも身籠っていた筈なのだが、その様子はない。
しかし、今ならわかる。
その黒猫が、単なる猫ではないことを。
「よもや、このオレが見誤るとはな。何者だ、貴様」
「―――――――あぁ、バレてもうたか」
黒猫は隠すことなく、普通の猫ではないと自ら語り出す。だが、その言葉と声は何処かで聞き覚えがあったのだ。いや、聞き忘れる訳が無い。
「まさか………………【ツバキ】か」
「覚えてくれてたんや。嬉しいわぁ」
その言葉を後に黒猫は彼の肩から飛び降りたかと思うと、真の姿を顕現させた。
黒髪おかっぱの、古風感じる着物を纏った少女。黒い猫耳と三又の尻尾を生やす人の形をした存在である。そして危なげな雰囲気と何処かミステリアスな雰囲気と、その色気は艶めかしい。これは同じ獣であるからこそ、その魅力に惹かれているのだろう。
「ツバキ…………お前は」
「わっちの本当の名は【セクメト】や。これでも女神なんやけど」
「せく、めと………!」
「嫌やわぁ、そんな獲物を見つけた好戦的な眼。わっちは戦わへんでぇ。だってぇ……………………あんたとわっちは、夫婦みたいなもんやし」
「………………なぬ?」
何か怪しげな単語に思わず思考を停止してしまう――――――篝。あの黒猫は【セクメト】であれば、黒猫姿の時に身籠っていたのは、と。確かに妊娠していた――――で、あればその子供は誰との子供か。
そして最後にあの世界で会い、致した記憶はある。それも鮮明に。
翌日に引退した、という流れだったが――――――――。
「つ、ツバキ。いやセクメト。お前、確か―――――――」
「漸く気付いたか。わっちは篝はんと目合い、そして子供をもうけたんよ」
「――――――マジか」
「マジもんのマジやでぇ。その証拠に、横見てみぃ」
ツバキに促され、右を顔を向けると―――――――――。
「余だよ?」
「誰だ貴様は」
「ガーンッ!!!」
無駄に自慢気な、金髪に黒い猫耳に尻尾を生やした少女。愛くるしいその容姿は、万人受け間違いなし。整った顔立ちに、パッチリしたお目々。その瞳は嵐渦巻く荒々しい翡翠の瞳。 まだ未発達な小ぶりな局部に、際どい水着の様な布切れを纏う―――――――酷く言うと痴女だ。幼いのに痴女であった。
容姿もいい、スタイルも将来期待出来るほどにパーフェクト。しかし、服装が―――――――痴女。
そしてその見知らぬ痴女に篝はただただ、己の敵ではないと見下す。まさしくその眼は、たまたま風に吹かれて身体に触れた塵芥を見るそれだ。
「は、母よ!父上がゴミを見るような目で見てくるのだが…………だがッ!」
「なんでやろうなぁ」
険しい表情で自称娘な痴女を睨む篝に溜息をつくツバキ。おおよそ彼は信じていないのだろう。眼の前の少女が、自分の娘ということを。
しかし、篝はその娘に興味を失ったのか辺りを見渡す。まるで卵から羽化した小鳥の雛のような気持ちだ。周りに散らばるは己が眠っていた際に纏っていた結晶の欠片だらけ。そして空を見上げると太陽は頂点に昇っていた。実に気分が良い。
「…………ほう。そういうことか。面倒な」
己のことを理解したは心底面倒な表情を浮かべながら、この場所を後にしようと歩もうとする。が、その進行方向にとおせんぼする者が一人。
「余をスルーするとは酷いのだぞッ!」
「だから貴様は」
「余は【スサ】だッ!この名は母が授けてくれたのだ!」
「ほう。で?」
「で、って………よ、余は父、九十九篝の娘。つまり」
「つまり?」
「…………………」
言葉につまり、思わず泣き出しそうになるスサ。流石に怪しんでいるのか。或いは本当に興味はないのか篝はスサから目を離し、背を向けてしまう。
実際のトコロ、スサは間違い無く九十九篝とセクメトの娘である。だからこそ、娘であるスサは篝の冷たい態度に心を傷つけてしまうのは当然であった。
何せ、この数百年。
彼女は眠る篝を守護していたのだ。
何度も何度も、父親を狙う人間やモンスターを退けた。
そうして、漸く。
スサの念願であった父親の再会が――――――――これであった。
それ故にこのポロポロと涙を流すスサは当然の反応と言えるだろう。
一方の篝。
彼は――――――――――――。
「(何あの娘、クッソかわぇぇぇえ!?!?)」
悶絶していた。
それは恋愛や性的な意味ではない。
「(あの娘は、確かにボクの娘なんだろう。けど………………)」
拭いきれないトラウマ。
実の子に、実の子だと思っていた彼の子供達に裏切られた。いや、逃げてしまったことを引き摺っていたのだ。
実の子を守れなかった。実の子ではないとは言え、己を父と呼んでくれる子から逃げてしまった。それが、彼の罪。己が自覚し、償わなければならなかった罪だ。
『父上ッ!』
『パパさま』
『お父様〜』
『親父』
『ととー!』
あの子達には罪は無かった。
親として守れなかった。
本当はもっと上手くやれていたのではないかと。そしてあの子達を連れて何処か逃げればよかったのだと。
せめて。
せめて、どんなことがあってもお前達の父親だと。その一言でも言えていたなら…………………。
正気に戻ったのか、それとも考えないようにしていたのか。いや、どちらもなのだろう。
どうせ、助からない。救われないと身勝手に諦めていた愚か者だと己を呪う。そうしなければ正常に保てなかった。いや、そう騙してきた。
「(結局、悲しませた。あの子達を…………………)」
己は親として失格なのは理解している。
父親として泣いている子を救えず、ただ死んだのだ。それを父親と呼べるか―――――――――――いや、九十九篝にとって父親としてあるべきものではない。
理想が高過ぎるかもしれない。が、己自身に完璧は求めてはいないのだ。ただ、せめてこうあるべきだという父親として最低限の事が出来なかった。
だが、篝は背後から小さな声が聞こえたのだ。
それは本来、させてはならぬと誓った筈のこと。
結局は、御託を並べ己を正当化しまた逃げようとしていたのだ。
「ぅ、ぅぅっ」
「――――――――」
少女は――――――――スサは、泣いていた。
声を圧し殺して。
「(あ………………あぁ、ボクはまた――――――)」
我が子を傷付けた。
かつて、己がまだ純粋な人間に母親から受けた仕打ちと同じだ。母親から受けた仕打ちを、異なるとは言え同じ様に拒絶した。そしてその時も、目の前で圧し殺して泣いているスサの様に―――――――――。
「(………………もう、どうでもいい)」
篝は静かに泣くスサに背を向けていたが、面を向かい合う。そして何を言うか迷いながらも彼は娘に言ったのだ。
「………………何年だ」
「ぇ?」
「何年、オレを守った」
「ひぐっ……………………え、えと、ひゃく…………五十年くらい?」
「150年、か」
人の体感も少しは残っているが故に、その長い年月守り抜いたスサはどれ程苦労したのか想像もつかない。150年も苦労を掛けさせたのだ。己の罪、役目、父親失格など言っている場合ではない。
彼はその長い年月の重みを感じさせながら、スサに近づき―――――そのまま抱き寄せた。
「――――――――大義である」
「!」
「よくぞ、150年もオレを守った。感謝する」
「ぇ、ぁぇ?」
涙を溜めて泣いていたスサだったが、篝の180度の態度に思わず固まってしまう。しかし、確かに父である篝からの感謝は理解できた。
すると篝の気配が薄れていく。厳密には、先程まで殺伐とした雰囲気が軟化したのだ。最初は紅色の瞳は、蒼色の瞳へ変化している。
「父、うえ?」
「…………………スサ、オレは――――――いいえ、ボクは父親として至らぬ事が多いでしょう。娘である君を今もこうして傷付けてしまった。それでも、ボクを父と呼んでくれますか?」
本音だ。
九十九篝の本音、そして吐露だ。
そして、彼なりにやり直そうとしている。守れなかったからこそ、次は守ろうと。それが贖罪になる訳ではないのは理解している。ただ、既に失ってしまった“親としての心”が蘇ったのだ。まるで正気に戻ったかのように。
「ち、父上は父上なのだ…………余は、父上に会いたかったのだぞ……………!頑張ったのだぞ…………ッ!!!」
「はい…………ごめんなさい。そしてありがとう、スサ」
「う゛ぅ〜〜〜ッ!!!ちち―――――お、お前は余に何もしていないではないかッ!父親として、余を甘えさせろぉっ!ばか―――――――ッ!!!父親をしろ―――――――ッ!!!」
「―――――――えぇ、勿論ですとも。可愛い可愛いボクの娘、スサ。長い年月守って、そして待っててくれた。ならばその分、父親として頑張ります」
「………………ん。ならば抱っこだ。拒否権は無いぞ」
「はい」
拗ねた子供のように駄々を捏ね、そして篝に飛び付いた。篝は驚きはしたものの彼女を抱え、よしよしと髪を撫でる。先程まで泣いていたスサだが、もうこの時はにへらっと笑みを浮かべている。
「なぁんや。わっちが出るまでもなかったみたいやなぁ」
「ツバキ……………さん」
「あははっ♪さんはいらんよぉ。それにしても、雰囲気変わったなぁ。それも篝はんやろ」
「まあ…………そうですね」
「どっちの篝はんも好みやわぁ。一度で二度も味わえるなんて……………妻になって正解やっ♪わっいも、ちゃぁんと愛してぇな篝はん」
「あははは……………ガンバリ、マス」
後ろからヌルっと現れたツバキは、篝の背中に抱きつきながらそう言う。篝はまさかツバキが妻になった事に驚きつつ、しかしそうなってしまった事は諦めるしかない。
父と母と娘で―――――――と思ってた矢先に、スサはある発言をしてしまう。
「父が目覚めたのだ!姉上に会いに往くぞッ!!!」
「……………………………………姉上?」
「あれぇー?父、姉上知らない…………?余が産まれる前から父とは共にいたと聞いているのだが……………」
「まあ無理ないわなぁ。だって、あの子のことやしぃ」
「因みに、名前は―――――――」
「可哀想に、あの娘もわっちらの家族やでぇ?けれど、驚くやろうなぁ。あぁんな小さくて舌が回らん娘が、立派に大きくなったんやから」
「まさか」
「そぉや♪その“まさか”や」
ツバキの言葉に、直ぐに思い付いたのは一人の幼女。右腕の無い隻腕の娘だ。
「【ネメア】姉様に会いに行くぞ、父よッ!」
かつて奴隷であり、ヒロインを狙った獣。そして九十九篝が暇潰しに購入し、自分を殺せる様にと鍛えさせた弟子の様な存在【ネメア】であった。