皇奈瑞菜は覚悟を決める
おまた♪
私は今、時雨様と共にキッチンにいる。
初めて篝様の部屋へ来た筈なのに、酷く懐かしい感覚があった。やはり、何時見ても彼の部屋は変わらない。けれども、変わることはある。例えば時雨様とその他の二人の先輩方。部屋は綺麗にされているが、洗濯機とベランダに干されているものは篝様だけではなく彼女等三人のものだろう服が干されている。下着に関しては先程篝様が寝ている寝室に散らかっていた。
「……キッチンは、こっち」
時雨様は私と篝様と同じ祖国出身で、大貴族の令嬢だ。けれどもその実力は凄まじく、現雨宮当主を倒してしまう程の実力者。何れ成人を迎えれば彼女は当主になるのは間違いない。けれども、大貴族の令嬢にしては何故篝様の家に居たのかはわからない。一応、貴族専用の寮にいる筈なのだけど……。
「……奈瑞菜」
「わかっています時雨様」
「……なら、いい」
こんな事を雨宮家が知れば祖国へ連れ戻されるだろう。けれど、彼女の事だ。力を持って対抗するに決まっている。だから私にそれを言うな、と目で訴えたのだろう。
「では、朝食を───」
「……私も、手伝う」
この発言に私は驚いた。何せ時雨様は料理など一切作った事がない筈。それに全く興味がなく、刀だけで生きていた女性だ。それは周囲の事実であり、今から料理をしようとする彼女を見れば家族は驚くだろう。
「料理を、ですか?」
「……篝に怒られた。料理の基礎基本は覚えとけって」
「篝様に教えてもらったんですか」
「……ん」
彼ならそう言いそうだ。
篝様は前から面倒見が良い人。かつて、私も篝様の妻だった時に一緒に料理を作ったことがある。あの時の私も、料理など一切作った事がなかった。最初に篝様から教えられた時は、女は妻は料理をして当たり前だという偏見なのかと思っていたけど、篝様は単に何も出来ない私に見ていられなかったらしい。恐らく時雨様についてもそうなんだろう。
「……卵焼き、作る。御味噌汁お願い」
「承知しました」
時雨様は卵焼きを、私は味噌汁を作ることとなった。
互いが別々に調理していく中で、私は時雨様に問いたくなった。もし、時雨様が篝様と結ばれるのならば私は全力で応援し、そして二人を支えたい。身体の関係だけ、とは割り切っているつもりだろうが、それは本心ではない。そんな事は直ぐにわかるものだ。
「時雨、様」
「……なに?」
「時雨様は……篝様と、一緒になりたい、とか───」
「ない」
「───え」
時雨様は、言い切った。
何の躊躇もなく、ハッキリと。
私は思わず腑抜けた声で呆けてしまう。
「……篝、そんな事望んでないから」
「でも」
「……それに、私は」
少し悲しそうな表情を一瞬見せてしまう時雨様。
……わかっている。時雨様は、何時の日か祖国へ帰る時が来る。それは卒業後なのだろう。もしかすると更に早くなる可能性もある。そして、婚約相手も決められるのだ。
どう話せばいいいか、と考えていると時雨様は驚くべき発言をしてしまう。
「……何時か、"雨宮"の名を捨てる」
「なっ!」
雨宮の名を捨てる、ということは貴族の名を捨て平民になることだ。そんなこと、貴族ならそんなこと自らする筈がない。貴族の名を捨てるのは勘当された時等。それ以外は滅多にないのだ。
「……けど、それはまだ。……今だけ、篝の側にいたい」
貴族の名を捨てるのは、この学園を去る事も意味する。祖国からこの国の学園に来ているのは貴族だからこそ、だ。無謀な事を、と誰もが言うだろう。何も知らない世間知らずな子供が、とでも思うのは無理もないのかもしれない。
けれども、時雨様の目は本気だった。
決意に満ちた目だ。
……強い、なぁ。
素直にそう思えた。
かつて、私は篝様と結婚した事があった。
それはとても幸せで、かけがえのないもので……。
しかし、私は結婚前からあの男の所有物。何れだけ抵抗しようとしても、拒絶することも出来なかった。まるで従順な奴隷の様に、私の意思に関係無く身体を許したのだ。
そして、私は身籠った。
出産した時、私によく似た犬の獣人の男の子。けれども、不思議とわかったんだ。この子は、篝様との子ではないと。私は何度も何度も心の中で篝様に懺悔した。ごめんなさい、ごめんなさい。けれども、意思とは関係無く私は何事も無かったかの様に篝様と共にいた。
『いつか、ちちうえのようなきしになります!』
あの男との子を、篝様は『烈火』と名付け随分と可愛がっていた。烈火は篝様の事が大好きで、毎日篝様と共に剣の修行をしていたのを私は窓から眺めていた。
すくすくと育ち、烈火は大きくなったのだけども……あの子は本当に愛らしく育っていった。その愛らしさは、篝様も大概だが女顔。共に歩いていれば、三姉妹に間違われたこともあったっけ……。
『そんな……父上が……』
けれども、そんな幸せも長くは続かなかった。
あの男の命令で、篝様を陥れる計画をしたのだ。その計画は、篝様を祖国の反逆者にすること。偽りの証拠を、あたかも本当の証拠の様に念入りに作ったのだ。何処も抜け目の無い証拠だったけど、その時は篝様の母上、撫子様と祖国の王『大和王』達も反対したのだ。けれどもその情報は国内に広がり、篝様を庇える者が一人、一人と居なくなったのだ。
しかし、その偽りの反逆者を倒す事は容易ではない。誰もが篝様の実力に畏怖し、自ら名を挙げようとする者はいなかった。
けれども───。
『……オレが、やる』
烈火だ。
烈火自らが、篝様を討つ事を決めたのだ。
篝様が遠くに遠征に向かっている間、祖国では篝様を討つ為の準備が行われた。
そして当日───。
烈火は、篝様を討ったのだ。
あの時の烈火の顔は涙でグショグショに濡れていた。目を閉じて絶命した篝様を抱き締めながら、子供の様に泣いたのだ。その泣き叫ぶ声に、私は己の無力さに絶望していた。
何故、私はあの男に逆らえないのか。
何故、私は篝様を守れなかったのか。
何故、私は烈火にこんな酷いことをさせたのか。
何故───。
何故……。
────私が、弱いからだ
そう、全ては私が弱いから。
何もかも、弱い。だからこそ、こんな結果になってしまったんだ。最愛の夫を殺し、あの男の子を───。
全ては、私が原因だったんだ。
もう、何もかも手遅れだった。
篝様は死に、私はあの男と結婚することを決めたのだ。本心ではなく、ただ都合のよい道具の様に使われているだけ。あの男の目的など、わからない。何を考えているのかもわからない。
『どういうことだよ、母上』
私とあの男の行為を目撃した烈火は、愕然とした様子で立ち尽くしていた。そして私とあの男の顔を見て、すぐに察したのだ。
『ま、さか……父上は……』
そして私は言ったのだ。
あなたの本当の父親はこの男だと。
そして、結婚し新たな生活を共に過ごそうと。
『ふざっ、けんなよ母上……オレは、オレは……オレの、父上は、コイツなんかじゃねぇ!!!ふざけんなッ、ふざけんなよ!!!オレは、オレは……この手で、父上を……ッ!』
もう、何を信じればいいかわからない烈火は私とあの男を睨み付けて叫ぶ。そして無実の篝様の殺めた事に気が狂いそうになりつつあった。
けれども、そんな状況にあの男はニヤリと笑うと烈火に近付いていく。その瞬間、私は叫んでここから烈火を逃がそうとした。私の様に、この男の道具にされる。それだけはどうしても許せなかった。篝様の子ではないとはいえ、篝様は烈火に愛情を注げたんだ。そんな烈火を、私が守ろうと。
しかし、私は何も出来ない。
ただ頬に涙が流れるだけ。
何も、私は、守れない。
そう思った時。
『お前かァァァアッ!!!』
烈火があの男の首を跳ねたのだ。
激情に刈られた烈火は首を跳ねた後、両腕・両膝を斬ってしまう。そして最後に宙に浮かぶ顔と胴体を真っ二つに切り落としたのだ。
その瞬間、私は全身が解放されたかの様な感覚になったかと思うと自由に身体を動かす事ができる様になった。そして直ぐに烈火へ駆け寄ろうとするが……。
『母上』
『れっ、か……』
『オレ、は……父上の、九十九篝の、息子じゃ……ねぇのか……?』
『……』
嘘でも、そんなことはないと言い切れば良かった。けれども、この時の私は篝様と烈火に対する罪悪感で何も言えない。漸く解放されても、頭の中は真っ白だったのだ。
『もう、いい……』
烈火は何も言えぬ私に背を向けて何処かへ行ってしまった。私は何も言えず、何も考えられずに魂が抜けた脱け殻の様に過ごすしかなかった。後から一人の騎士から烈火は攻めてきた隣国の戦士達と交戦し、見事退けたが敵から受けた剣で致命傷になったと。そして最後に篝様と見た泉の辺まで連れていって欲しいと頼まれたらしい。そこへ辿り着き、暫くその景色を眺めて、そのまま涙を流して安らかに眠ったそうだ。
私は、烈火までも死んだことに心はボロボロに砕け散った。もう、夫も子も失ってしまったんだ。もう、限界だった。いや、限界はとうに通り越していた。
己の無力さに嘆き、そして大切な人を失った私は、軟禁されていた部屋の窓から飛び降りてこの世を去ったんだ……。
もし、時雨様の様な強い人だったら……と何時でも思うことがある。けれど、既に終わった出来事。そして決して許されぬ私の罪。この罪を背負って私は篝様に償うんだ。もし、篝様が誰かと結ばれるのならば全力で支えよう。全力で守ろう。この命を失ってでも。
「……奈瑞菜」
「!は、はい!」
「……どうしたの?」
「あ、いえ、何でもございません」
「……そぅ。ならいい」
だからこそ、私は応援しよう。
時雨様とあの二人と幸せになってくれればそれでいい。
私のやるべきことは、篝様を幸せにする。それ一つ。
その為ならどんな事でも致しましょう。
これは、私の償いでもある。
狂ってはいけない。
涙を流してはいけない。
撫子様に無理を言って、私は篝様の使用人となったのだから。
だから。
だから───。
篝様、どうか、今度こそ幸せになれるよう。
この私、皇奈瑞菜の全てをかけて、誠心誠意貴方様に尽くしましょう。
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