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異世界の許嫁が俺のことを好きすぎる件について



 じいちゃんとの記憶が途切れ、視界が戻る。


 石床の冷たさ。

 塔を抜ける朝前の風。

 そして、目の前にいるアン。


 彼女はまだ俺を見下ろしていた。姿勢は崩していない。だが、さっきまでの鋭さは、ほんのわずかに影を潜めている。


 ――ああ。


 ここで誤魔化したらもう終わりだな。男して、胸を張って生きれない。


 祖父の声が、まだ耳の奥に残っている。

 行動で示せ。

 逃げるな。

 突き通せ。


 俺はゆっくりと息を吸い、床に押さえつけられたまま、両手を軽く上げた。


「……アン」


 名を呼ぶだけで、喉が少し詰まる。自分がどれだけ言葉選びを間違えてきたか、ようやく分かった。


「さっきの言い方は、失敗だった」


 アンの眉が、ほんのわずかに動く。


「重いだの、支えきれないだの……まぁ、それについては全部、本音ではあるけど」


 一度、言葉を切る。


「それだけ言って、肝心なことを言ってなかった」


 アンの視線が、外れない。瞬きひとつせず、俺を見ている。俺も、視線を逸らさなかった。


「俺はひねくれてるし、正直、誠実でもない。今すぐ他の女を捨てて、綺麗な男になります、なんて言えない。言うつもりもない」


 自嘲気味に、口の端を歪める。


「でもな」


 声を、意識的に落ち着かせる。


「アンと、ここで終わる気は一切ない」


 彼女の指先が、わずかに強く床を押した。


「重いって言ったのは――全部ひっくるめて、背負うのが俺一人じゃ無理だ。だから、アンに俺の隣に立って手伝ってほしいってこと」


 一瞬、風の音だけが通り抜けた。俺は小さく息を吐く。


「分かりにくい言い方をした俺が悪い。でも、お前を振ったつもりはない」


 アンは、しばらく黙っていた。俺の顔を、じっと見ている。やがて、ふっと肩の力を抜いた。


「……まったく」


 呆れと、安堵が混じったような声。


「貴公は、本当に言葉が足りないな」


「自覚はある」


「もっと早く言え」


「今、言った」


 アンは一度、目を伏せ、次に顔を上げたときには、もうあの凛とした表情に戻っていた。


「いいだろう。その不器用さも含めて、私が引き受ける」


 その言葉は、即断だった。迷いも、試すような含みもない。アンは結論を口にすると同時に、ゆっくりと立ち上がった。


 石床に落ちていた影が伸び、俺の視界から彼女の輪郭が一瞬外れる。

 アンは俺に手を差し伸べ、身を引き上げた。アンは俺から距離を取らない。一歩も退かず、むしろ俺の正面に立ち、見下ろすでも見上げるでもない位置で視線を合わせてくる。


 逃げ場を塞ぐためではない。だが、逃げられないことを、静かに理解させる距離だった。


「ただし」


 凛と、よく通る声。その一言に、空気が引き締まる。

 アンは背筋を伸ばし、ほんのわずかに顎を上げた。その姿は、強かな女のものだった。


「貴公の一番は私だ」


 言葉は短い。だが、そこには譲歩は含まれていない。確かめるためでも、縋るためでもない。既に決まっていることを、確認するだけの仕草だった。


 俺は、思わず小さく息を吐いた。続いて、苦笑が浮かぶ。


「……分かってる」


 あえて、軽く言ったつもりだった。だが、声は誤魔化しきれていなかった。理解している。俺がどれだけひねくれた浮気男でいようと、この女が、俺から手を引くつもりなど最初からないと。


「なら、もう誤解するような言い方はするな」


「善処する」


「努力しろ」


「検討する」


 そう言って、俺は一度、アンから視線を外した。朝日に照らされ始めた町並みを、意味もなく眺めるふりをする。


 正直、こういう言葉は、柄じゃない。回りくどくして、誤魔化して、冗談にして逃げるのが、いつもの俺だ。


 それでも。


 ここで言わなければ、きっと一生言わない。

 俺は小さく息を吸い、今度は逃げずに、アンの方を向いた。


「……アン」


 呼びかけると、彼女は即座にこちらを見る。

条件を突きつけた直後の、揺るぎない眼差しのまま。俺は、観念したように肩を竦めた。


「ちゃんと、言ってなかった」


 喉の奥が、少しだけ熱くなる。


「俺は――」


 そこで一度、言葉を噛み締めてから、はっきりと告げた。


「アンフィーサ、お前が好きだ」


 余計な修飾は付けなかった。それだけを伝えた。

 その瞬間、アンは完全に固まった。瞬きが止まり、呼吸が一瞬遅れる。理解が追いつかないまま、思考だけが置き去りにされたような顔。


 ……あ、これ。


 本気で、俺の言葉を予想してなかったやつだ。


 数秒。いや、俺の感覚では、やけに長い沈黙。


「―――っ」


 アンの肩が、びくりと跳ねた。みるみるうちに、白い頬が赤く染まっていく。耳まで、首筋まで、隠しようもなく。


「……な、な……」


 声にならない音が漏れ、強張っていた表情が、くしゃりと崩れた。


 ぽろり、と。


 一粒、涙が零れる。


 それを合図にしたかのように、次々と溢れ出した。アンは慌てて口元を押さえたが、もう止まらない。嬉しさと、信じられない気持ちが一緒くたになった涙だった。


「……っ、ずるい……」


 震える声。


「そんな……そんな言葉を、言ってくれるなど、聞いていない……」


 俺は、困ったように笑う。


「当たり前だろう? 俺も、言うつもりはなかったからな」


「なお、悪い……」


 そう言いながら、アンは必死に涙を拭う。だが、赤くなった目は隠せない。震える息を整え、真っ赤な顔のまま、真正面から俺を見る。


「……私も」


 短く、けれど、迷いなく。


「私も、貴公を愛している」


 言い切った瞬間、また涙が落ちた。それでも、アンは笑っていた。誇らしげで、幸せそうで、どうしようもなく真っ直ぐな顔。


「だから」


 小さく息を吸う。


「――ずっと、一緒に生きて」


 俺は、降参の意味を込めて肩を竦めた。


「努力は、する」


「うん。死ぬまで、努力し続けて欲しい」


 アンは、泣き笑いのまま頷いた。そして、俺をぎゅっと抱き締める。離す気など、最初からない手つきで。


 俺が好きと言うと、アンは愛していると答えた。これから先、俺がいつものごとく愚かな選択をしても、アンは決して俺から離れないだろう。


 重い、と言えばとても重い。

 面倒だ、と言えばとても面倒だ。


 ……だが。


 アンを見ていると、今さら逃げる選択肢を探す方が、よほど骨が折れそうだ。


 朝日はすっかり昇り、ラリッサの町は柔らかな光に包まれていた。青空は温かな色を帯び、

 新しい一日が、これから何事もなかったかのように始まっていく。


 けれど、俺たちにとっては、確かに何かが決定的に変わった朝だった。



 



少し唐突感はいなめないですが、とりあえず物語に区切りをつけさせていただきます。


6年越しの完結!!!

長かった……今年こそ完結させる詐偽をしまくった作品でした。マジで、お付き合い頂きありがとうございました!

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