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仲直りの仕方





 俺はアンの勢いが有りすぎる詰めを何とか躱し、息を整えてから空を、次に城下に視線を向けた。


 まだ、太陽は地平線から顔をだしていないが、この時間から世界は動き始める。


 薄明の青、その下に軒を連なるように建てられた家屋が何とも騒がしいことか。塔の上から空と町の狭間をぼんやりと眺める。


「騒がしいな」


「そうだろうか。まだ、騒がしくないと思うのだが……」


 そう言って、アンは町並みを見回した。暫く耳をそばたて、首を小さく傾げる。


 やはり、とアンは呟いた。


「静だよ。シェロは……」


 どうしてそう思うのだ、とアンは俺に聞かなかった。いや、おそらく聞こうとしたが、俺の表情を見て口を噤んだんだろう。


「やっぱり、騒がしいよ」


「そうか」


「それに、結構眩しい」

 

 まだ、白い月がひっそり息を殺している。

 朝日がささない空が眩しい訳がないと、アンは言わなかった。


「ラリッサは綺麗な町だ」


「うん」


「とても……綺麗な町だよ」


「うん、私もそう思う」


「だから、重いよ。俺には、重くて支えきれない」


「――――そう、か」

 

 ギリっと、アンが唇を噛みしめる。震える手を押さえつけるように抱きしめ、彼女は俯いた。


 ぽとぽと、水が落ちて石床を濡らす。

 空は晴れている。


 雨など降っていない。


(んん、あれ、もしかして、泣いているのか)


 何か告白を断られた女子みたいな、陰気すぎる雰囲気醸し出して泣いてるんですけど。


 大丈夫そ? 


 話聞こか?


 ――――あっ。


 こいつ、もしかしなくても振られたと勘違いしてるのでは?


 自身の言動を振り返ってみる。


 ……確かに振ってるともとれる感じだわ。

 いや、違うんですけど、振った感じになってるわ。


 いや、俺だけじゃ背負いきれないから、アンも一緒に背負ってくれって、俺的にはエレガントな告白の表現なんですけど!?


「シェロ」


「……アン。ちょっと待て。何かとてつもない誤解がある気がする」


「ははっ。シェロ、私は自分が我慢強い人間であると思っていたよ。ああ、なるほど、なるほど。うん、そうか。……どうやら、貴公に対してそのかぎりではないらしい。フッ!」


「――――かはっ!!」


 アンに足払いされ、石床に身体を押さえつけられたと理解するのに数秒をようした。


 ドンっ!!

 

 両手で壁ドンならぬ床ドンをされ、逃げ場を失くした。違う意味でトキメキざるをえない。

 アンは笑っていた。でも、目は笑っていなかった。こわぁ。


「あ、アン、アンさん? 話せば分かる」


「言い逃れはよせ」


「ちょ、待てよ」


「待った結果がこれだが?」


「――――スゥ」


 何言っても聞き入れない気がする。

 これは、詰んだわ。


 何かスマートな策はないか。

 誰か俺に教えてくれ。


 俺は現実逃避も兼ねて、記憶を辿ることにした。


 


 ***



 とある日の午後。


 じいちゃんとばあちゃんが、俺と親父の様子を見に来てくれた。


 短い黒髪をオールバックに流し、長身で洗練されたスタイルを持つじいちゃん。

 じいちゃんと言っても、まだ60代だ。東洋系の顔立から、更に10歳は若く見える。年下からめちゃモテそうなイケオジである。

 そんなじいちゃんに、ヤバいくらいベタ惚れなのが……ばあちゃんである。


 腰まである白銀の髪、鮮紅の瞳が印象的な超絶美女。初めて会った時、冗談抜きで女神様だと思った。


 ……今はクレイジーサイコマダムだと思っています。


『じいちゃんってさ、ばあちゃんと喧嘩したことあんの?』


 脈絡のない俺の問いに戸惑うじいちゃんと、「旦那様との時間を邪魔するな」オーラ前開のばあちゃん。そんなばあちゃんの頭を慣れた手付きで撫で、機嫌を取りながらじいちゃんは言葉を続けた。


『まぁ、普通にあるぞ』


『へぇ、意外。いつも新婚みたいにラブラブだから、喧嘩しないと思ってた。どんな風に仲直りすんの? 後学のために教えてくれよ』


『……ええと、その、あー』


『ふふっ、旦那様。ん、旦那様。えへへ』


 じいちゃんが気まずそうに視線をあちらこちらに飛ばし、次の言葉を探している様だった。

 その横でばあちゃんが、じいちゃんの腕をぎゅっと抱きしめ、でれでれと表情を緩ませている。顔を擦り付けて、マーキングするまでがセットだ。

 俺の前で、じいちゃんすきすき大好き光線を放つのは止めていただきたい。


 ーーこの温度差なんなの?


『……いいか、嗣郎。おばあちゃんみたいなタイプはな。言葉を重ねるよりも行動で示す方が良いんだよ。何故なら、被害が圧倒的に少ないからだ』


 小さくため息を吐いて、じいちゃんは苦笑した。


『えぇ……何それどゆこと?』


『あー、その何と言うか……』


『つまり、こういうことだよ』


 親父はにやにやと笑いながら、右手の親指と人差し指で円を作り、その円に左手の人差し指を突っ込み抜き差し。

 

 ……ああ、なるほどそっち(エロ)方面ね。


 じいちゃんが慌てて何か言う前に、ばあちゃんがギロリと親父を睨み付けた。


『……夫婦が閨を共にすることの何が悪い?』


『時と場合を考えろって話だよ! そもそも、大概お袋の行き過ぎた嫉妬が喧嘩の原因だろが。5分以上、女と話したらアウトは無茶苦茶にも程がある!』


 ばあちゃんは、苛立たしさを隠さず眉をひそめた。ばあちゃんみたいな女神級の美人がこんな表情を浮かべると、とんでもなく恐い。何というか、全然悪くないのに罰当たりなことをした気持ちになる。


『毎回、父さんを困らせやがって。小さい頃から、その都度親のドッタンバッタン大騒ぎを聞かされ続ける子どもの気持ちを考えろや』


旦那様()に集まる下劣な虫けらどもが、この世には多すぎる。……虫けらごときが、身の程を知れ』


 虫けらって……口悪いな。

 

『……ふん、それにリュウコと契るための良い勉強になっただろう。むしろ、この母に感謝するのだな、シズカ』


『ぐ、ぎぎっ』


 親父は悔しげに歯軋りをした。いや、良い勉強にはなったのかよ。


 あ、ちなみにリュウコは親父の奥さん。

 つまり、俺の義母な。


 底抜けに優しく包容力があり、まさに良妻賢母を体現している女性である。


 じいちゃん以外の人間に興味がないばあちゃんだが、母さんのことは可愛がっている(当社比)。それは一重に、母さんの容姿と性格がじいちゃんに似ているからだ。ほんっと、マジでぶれないなこの人。


 じいちゃんは、何故か遠い目をして諦めたように笑っていた。ドンマイと言わざるを得ない。


『お袋は父さんのことになると、どんだけアーパーなんだいい加減にしろっ!』


『シズカ、母に向かってその無礼な口の聞き方はなんだ!』


『やるか、このヤンデレサイコマムがっ!』


『黙れ、この恥れ者がっ!』


 親父とばあちゃんのコントのような言い合いを尻目に、じいちゃんは俺を見て微笑む。


『静とおばあちゃんはいつも喧嘩してばっかりだけど、大丈夫だよ。本当にどうでも良い人間だと思っているなら、絶対に口を聞かない。存在を無視する。おばあちゃんはそんな女なんだ』


『えぇ……』


『まぁ、なんだ。おばあちゃんは、あれでも息子(シズカ)を愛している。ただ、愛し方がとんでもなく不器用……うん、不器用すぎるだけなんだ』


『本当に?』


『本当に』


『そっか』


『……嗣郎、人生は色々辛くて理不尽なこともあるだろう。それでも……それでも、一緒に居続けたいと、そう思える女性と出会ったならば、それを最後まで突き通せ』


 じいちゃんは、そう言ってわしゃわしゃと俺の頭を撫でた。そうして、陽だまりのように笑った。


 

 じいちゃんは、あのばあちゃんが惚れるくらい優しくて格好良い男だと思った。

 


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