それは澄んだ空のように
アンフィーサ視点
この恋と称される感情を初めて抱いたのは、私ことアンフィーサがシエロ・ラッセルに出会ったその日のことだった。
彼曰く、私は単純な……チョロい女というものらしい。
出会ってすぐ恋に落ちた私を彼はいつもそう言って揶揄する。悪童ぶりそんなことを言うシェロは、本当に可愛らしいと思う。しかし、私は決してチョロくはない。そう断言できるほど、過去の私は金剛石のように頑なだったのだ。
……それは私の産まれにこそ原因がある。
私は母上を知らない。
母上は父上の乳母の娘であり、父上とは幼馴染の関係だった。
辺境伯の跡取りである父上と乳母の娘である母上、どう考えても決して結ばれるはずがないふたりだ。しかし、父上は母上と以外の女人とは決して婚姻をむずばないと誓約を立て、家族や家臣の猛反対を押し切り母上との身分違いの恋を貫き通した。
シェロからアイアンゴーレムより重いと称された私の一途さは、きっとそんな父上から受け継いだのだろう。
父上が私とただの平民であるシェロの婚姻に積極的だった下地は、間違いなく身分の差を超えて愛した母上の存在があったからなのだろう。
母上と父上は大層仲睦まじい夫婦だったそうだ。
ふたりは何をするのも一緒で、母上は父上が執務をする際は必ず給仕をかってでて、父上が騎士団の訓練を行う時は常に側で見守り、休みの日は父上膝枕をして幸せそうに微笑んでいたと聞く。
ーーーだが、その幸せはそう長く続かない。
母上は元来、身体が弱い人だった。出産に耐えられる体力もなく、子を産むことはできないと医師から言われていたのだ。それでも母上は父上との子どもを欲した。
それは跡継ぎを産まなければならないという義務感、女としての矜持、何より愛する人へ自身の生きた証を残したいという願い。その強い願いを父上はどんな思いで受け止めたのだろうか。私にはそれを理解し得ない。ただ、と思う。
ただ、そこには、多くの葛藤があったことだろう。
苦しみ、悩み、嘆き……そして、最後は母上の願いを叶える道を父上は選んだ。
その結果、私はこの世に生を受け、母上は産褥熱で亡くなった。ああ、そうだ。私が産まれたばかりに、母上は亡くなったのだ。
お前に何の罪はない、と父上は言う。大切なのは結果ではなく、選択なのだ。自分たちの選択の延長線上にお前は立っているのだから、と。
ああ、何とも不器用な慰めの言葉だ。いや、慰めというより、懺悔の言葉であった。
それ故、幼い頃の私はその言葉を受け入れることができなかった。私も父上に似て相当不器用だったのだ。
父上は領主として多忙であり、使用人は母親を失った私を腫れ物のように扱った。それが悪いというわけではない。むしろ当然だと思う。幼いながらそれを理解していたからこそ、私は何も言えなかった。言ってはならないとさえ思っていた。
そう私は感情に蓋をすることで、孤独から逃げていたのだ。表面上、淡々と何でもないように振る舞い頑なに心を閉ざし、そのくせ心の奥底でそんな私に気づいて欲しいと願っていた。笑ってしまうくらい、どうしようもなく私の心は矛盾していた。
当時の私はさぞ酷い顔していたのだろう。
灰色の分厚い雲を見上げ、雨の気配を探るように、度々父上は私を見ていた。……どこか悲しげな眼差しで。
その視線に気がつくごとに、父上に大層ご心労をおかけしていることを自覚した。だからこそ、父上が私に突然婚約話をした時も素直に受け入れたのだ。これ以上、迷惑をお抱えしたくないその一心だった。
「……アンフィーサ、嫌なら断っても良いのだぞ。所詮、酒の席で交わした婚約話だ。相手は高名な魔術師の息子とはいえ平民だ。違えてもどうとでもできよう」
「誓約を結び、それを破れば災いが降りかかります。私ではなく父上に、です。それは決してあってはならぬことです。……ご安心ください、父上。ええ、私は納得はしておりますとも」
「そう、か。相分かった。ならば、顔合わせの日程を調整しよう」
無言で頷く。そこに、なんの感傷などない。ひとつ。……ただひとつ、私は知りたいと思った。
「父上は何故、誓約を結ぼうと?」
数秒間の沈黙の後、父上は狼狽えるように視線をあちこちに飛ばしながら、気まずげにボソボソと呟く。
「……何と言うか、似ていたのだよ。写し絵で見た少年の眼差しが、我が妻にどこか似ていたんだ。いや、容姿が似ていたという訳ではないのだぞ。どこか斜に構えた不遜な面持ちだとか。悪戯好きそうな雰囲気だとか。そして何より、優しげな光を湛えた瞳が細まり笑うその微笑み、そういうところが似ていたのだ。だから、その、うん、まぁ、衝動的に、な」
バツの悪い顔をして、ぐむむと唸る父上。
この時ばかりは、唖然としたものだった。私はため息を吐いて、片手で額を押さえた。つまり、後先考えずにという訳だ。
父上は出会ったこともない少年に、母上の面影を見出だした。勿論、そこには酒の勢いがあったのだろう。深層心理の想い、というものだろう。だからこそ、父上の心の奥底に根付いたものがどれほど大きいものだったのか、私にも理解できた。
つまるところ、父上は今でも母上に恋い焦がれていたのである。
はぁ、何とも想いが重い。
全く、どうしようもないことだ。愛というのは、止めどなく湧き出す想いを抱き続けるということかもしれない。
***
ラリッサが一望できる搭の上で、私はシェロとふたりで空を見上げていた。透けるような青が視界に広がっている。
「想いが重いとか、それ、ほんと、おまいう」
私の昔語りを聞いたシェロは、げんなりとした表情で私を見詰めた。
「………………ぐむむ」
返す言葉もなく、思わず唸ってしまった。分かっている。分かっているとも。私にもその自覚がある。
やはり、この親をしてこの子である。
シェロは、私の顔を見てくすりと笑った。優しげな光を湛えた瞳が、柔らかく細まる。
「まぁ、そんなチョロいところ俺は嫌いじゃないけどな」
ーーーああ、この笑み。
きっと母上もこの微笑みを父上に浮かべていたのだ。
何より優しいこの笑みを。
「すまないが、もう一度言ってくれないか。ほら、言ってくれ。というか、言え」
「詰めの勢いがエグいな、おいっ!!」
私はチョロくない。だって、私の愛はこんなにも重いのだから。
……決して、チョロくはないのだ。
ほぼ、一年半ぶりの更新でございます。更新したから許して欲しい。




