最高で最低な重さ
しんみり想いを馳せていると、玄関から乾いたドアチャイムの音が聞こえた。少ししてリビングにひとりの女性が入ってきた。
長い銀髪に印象的な鮮紅の瞳。冷涼とした貌はいつ見てもその美しさを損ねることはない。どこか人間離れした容姿は、女神と言っても差しつかえないだろう。少なくてもこの古くさい家には似つかわしくない人物には間違いなかった。
「……ただいま戻りました」
「げ、お袋かよ」
苦渋にまみれた親父に、女性……ばあちゃんは冷たい視線を送った。それも一瞬のことで、直ぐにじいちゃんへ瞳を向け、春の日溜まりのような笑みを浮かべた。そして駆け足でじいちゃんに近づき、勢い良く抱きつく。
「おっと、おかえり。悪いな、買い物頼んじゃって」
「いいえ、問題ありせん。んっ」
じいちゃんと軽くキスを交わして、ぐりぐりとマーキングするが如く胸板に頬ずりを繰り返すばあちゃん。年齢はもう40過ぎなのに、20歳半ばと言われても信じてしまう見た目をしている。
それにしても相変わらず、新婚ばりに熱々だな。ここまで来るといっそ清々しい。
「おい、良い年していちゃつくな。少しは息子のことを考えろ。色々気まずいだろうが」
「……旦那様、言い付け通りに牛肉と玉葱を買って参りました」
「堂々と無視するなよ!」
あの親父をここまで振り回すことができるのは、ばあちゃんだけだと思う。良いぞ、もっとやれ。
じいちゃんはばあちゃんをいなしながら、頭をかき俺たちに向かって軽く頭を下げた。
「あー、すまん。あんまり構ってやらんと、かあさん拗ねちまうから多めに見てやってくれ」
「父さんがそうやってお袋を甘やかすからこうなるんだぞ」
「黙れ」
親父の主張をばあちゃんは、にべもなく切り捨てた。おう、辛辣ぅ。随分酷い言い種だが、良いぞもっとやれ。
「旦那様に対して、無礼な物言いは決して許さぬぞ。今すぐ悔い改め、膝をつき、旦那様に謝罪せよ」
「話が極端すぎるだろ!」
「まあまあ、かあさん落ち着いて。嗣郎も見てることだし、これ以上は止めとこう、な?」
「……はい。旦那様がそうおっしゃるのであればそのように」
こくん、と素直に頷くばあちゃん。変なところで頑固なばあちゃんもじいちゃんの言うことには必ず従う。……というか、じいちゃんにしか従わない。それぐらいじいちゃんにベタ惚れなのだ。
「じゃあ、足りない材料が揃ったことだし料理を再開しよう」
「私も手伝います」
「いや、大丈夫だ。嗣郎がいるから、お前はゆっくり座って待っていてくれ。じゃあ、やろうか」
じいちゃんは優しくばあちゃんにそう言い聞かせ、俺に笑いかけた。俺は軽く敬礼して、胸を張る。
「ガッテン承知の助」
台所に戻り、包丁を握る。
玉葱をスライスしていると、後ろから強い視線を感じた。振り向くと、ばあちゃんがこちらを静かに見詰めている。えっ、何普通に怖いんですけど。
「あの、ばあちゃん、何かおありで?」
「……別に、何もない」
絶対何もなくはなさそうなんだが。そう思いつつも、火傷したくないので曖昧に笑っておく。今までの経験上、こういう時は何も言わず黙っておくのが一番良い。俺は学習する男だ。
そして、相変わらずじいちゃん以外には、尊大な口調をしている。そのプライドの高さと圧倒的な美貌。ばあちゃんが元々貴族かそれに類する家系出身なのではないか、と俺は睨んでいる。じいちゃんは良い意味で普通の人だから、駆け落ちでもしたんじゃなかろうか。
「おい、お袋。孫に嫉妬するな見苦しい。そんなんじゃ、父さんに愛想つかされるぞ」
――――親父は馬鹿なのだろうか。
場が一瞬にして静寂に包まれた。
ばあちゃんは、無表情で親父を睨み付ける。その視線に親父は肩を微かに震わせた。
「シズカ、今すぐ床に座るがよい。無論、ただ座るのではなく、正座せよ」
「絶対にするか!」
「……そう、シズカは母に逆らうというのだな」
「うぐっ」
「愚息。本当に、それで良いのか?」
「……分かった。す、すれば良いんだろ、すれば!」
親父は情けない声を出して、床に正座をした。
やっぱり、親父はばあちゃんに勝てないようだ。いつもの飄々とした態度が嘘みたい。何か特別トラウマでもあるのだろうか。後で絶対教えてもらおうっ!
「シズカ、貴様はいつもくだらないことを言って、本当に親不孝者だな。母と旦那様の邪魔ばかりして何が楽しい? そもそも、旦那様が私に愛想をつかすなどあり得ぬ。ええ、あり得ぬとも。……そうですよね、旦那様?」
ばあちゃんはじいちゃんに捨て犬のような眼差しを向けた。うん、ばあちゃん重いわ。体重とかではなく、想いがとてつもなく重いわ。その事実を口に出しそうになったが、薮蛇になるのが分かっているので自重した。
「も、勿論だよ。お前に愛想つかすなんてあり得ない。むしろ、ずっと側に居て欲しい」
「ああ、嬉しいです。旦那様、お慕いしております。言葉で言い表せない程、私は貴方様を愛しています」
「ああ、うん。ありがとうな」
困惑しながらも、即座に最適解を繰り出すじいちゃんに尊敬しかない。こういうやり取りを今まで何度も繰り返してきたのだろう。同じ男として、ドンマイと言うしかない。
そして、俺は重い女にひっかからないぞ、と決意を新たにした。若干、手遅れ感あるような気がしなくはないが、それはそれである。
「見よ。母と旦那様は愛し合っている」
「あのな、どう見ても父さんに無理やり言わせてんだろうが」
「シズカ、貴様は本当に学習しない愚息だな。これ以上、減らず口を叩かないよう食事ができるまで、このまま反省しておくが良い」
「なあ、かあさん。さすがにそれは可哀想じゃないか?」
「いいえ、旦那様。これは教育的指導です。何も問題ありません」
その言葉に、ばあちゃんと親父の血の繋がりを垣間見た。そして、同時に親父がこんなにもひねくれ捻曲がった性格になったのも理解した。
――今日も今日とて、我が家は平和である。
俺は、取り敢えずそう思うことにした。
誤字脱字のご指摘いつもありがとうございます。




