鰻と梅干し
麗らかな午後。
部屋でシードルを飲みながらひと息。無花果のガレットを頬張り、先程のやり取りで疲れた精神を労った。
うむ、美味しい。思わず頬が緩む。これはまさに止められない止まらないというやつだ。あっという間に、全て平らげてしまった。ガレットと無花果を合わせるとか、考えた奴は天才ではなかろうか。誉めてつかわす。そんなことを思いながら、乾いた喉をシードルで潤す。
「ふふっ……」
笑い声が聞こえた。
音をたてないようにそっとカップを置いて、目の前に座っている少女を睨む。
「……アン、何笑ってんだよ」
「そこにシェロが居るからだ」
ふふっ、とアンはまた笑った。どこぞの登山家みたいなことを言わないで欲しい。というか答えになってなくない?
「何、深く考える必要はない。そのままの意味だからな」
「そうか」
頷く。
これ以上突っ込まないが安全牌な気がしたからである。こういうときは直感がものを言う。大体、1/5の確率で俺の直感は当たるのだ。……あれ、これってよく考えたら当たらない方が多いのでは? 俺は考えることを止めた。
アンの絹糸のようなプラチナブロンドが風でさらりと揺れた。訓練で邪魔にならぬようきっちり編み込んでいたからだろう。髪に癖がつき腰まで緩くウェーブしていた。いつもストレートな髪型なので、すこしばかり新鮮だ。より柔らかい印象を受ける。
改めてアンを眺めてみる。
コタルディと言われる形式の身体にフィットしたワンピースを着て、椅子に座るその姿はまさに深窓の令嬢と言った具合である。見事な彩飾が施された腰締めがアンの細い腰をより強調させていた。
アンは騎士団の団長を任される程の女傑である。それ故、常日頃からサーコートを着込み、剣を携え男装をしている。
……そんなイメージを持たれがちだが、城内ではこのように女性らしい装いをしている。というか、好んでしている。
随分昔に「騎士なのだから日常的にドレスではなく、動きやすいズボンを履いた方が良いんじゃないか?」と聞いたことがあった。
その時アンは「騎士になることと、女を捨てることは全く別の問題だ。女だから侮られるのであれば、そう言わせないよう努力し強くなれば良い。私は女であり、同時に騎士でもある。意中の殿方の前で美しく着飾りたいと思うし、その殿方を守るためなら迷わず剣を振るう騎士でありたいと思うのだ」と爽やかに微笑んだ。
つまるところ、彼女は何処までも愚直で、何よりも高潔だった。そして、発言がイチイチ男前である。おっぱいがついたイケメンとは正にこいつのことではあるまいか。
まあ、そんなこと一々気にしていたら身が持たない。俺はすぐに気持ちを切り替えることにした。
(……それにしてもこのガレット美味しかった。すぐに食べちまったな。ちょっと足りないかな)
アンは目を細めると、軽く手を叩く。
「ふむ……ジャネット」
「はい、アンフィーサ様」
「シェロにもうひとつガレットを用意してあげてくれ」
「かしこまりました」
側に控えていたジャネットに、アンは指示を飛ばした。ジャネットは深々と礼をして、部屋を後にする。
……何で分かったんだ。
「何故分かったんだという顔をしているな、シェロ」
「むっ、本当に何で分かるんだよ」
俺の言葉に、アンはどや顔を向けてきた。
腹が立ちました。思わず、仏頂面になる。
「貴公のことなら何でも分かるよ。……ふふっ、冗談だ。だから、そのような目で見ないでくれ。単純に、シェロは顔に出やすいんだ。先程も空になった皿を見て、悲しそうにしていただろう?」
「……なん、だと!?」
盲点だった。
いつだってクールでロックな俺にまさかそんな欠点があるとは。くっ、屈辱。
……まぁ、いっか、別に死ぬわけじゃないからな。
俺は再び気持ちを切り替えた。
切り替えの早さなら誰にも負けない。これで、些細な欠点など帳消しである。
「ふふっ、シェロは本当に面白い殿方だ」
「馬鹿言え、お前が真面目すぎるだけだ」
「ならば、ふたり合わせると良い塩梅だな」
「……むしろ、鰻と梅干しだろ。食べ合わせが良くない」
「ウナギとウメボシとやらがどういうものなのか知らぬが、実際に食べてみないと分からないこともあろう。そう思い込んでいるだけで、本当は案外悪くないかもしれないぞ」
「……お前って無駄に前向きだな」
わりと酷い言いぐさだったが、アンは気にした様子もなくコップに口を付けた。
「貴公が無駄に後ろ向きだからこれぐらいが丁度良いさ」
前向きと後ろ向き、それならお互いの背中を預けられるだろう? こともなさげにアンはそう呟いた。
「俺なんかに背中を預けると、ろくなことになんねぇぞ」
「そうか。ならば、一生退屈せずに済みそうだ」
「いつか後悔することになるぞ」
「何ももしないで後悔するよりずっと良い」
「この突き抜けたポジティブさんめっ!」
「誉め言葉として受け取っておこう」
そんな言葉の応酬は、ジャネットが無花果のガレットを持って戻るまで続いた。




