二日酔い
場末の居酒屋。
そう表現するのがぴったりの場所。それが踊る狂う子馬亭だ。
人目を避けひっそりと佇む酒場。ここの良いところは、大衆酒場と違い静寂で、喧騒から程遠いということだ。一人でゆっくり飲みたいときに重宝している。あえてひとつ言うなら、酒は旨いが料理は壊滅的。無難に酒だけを頼むことをオススメする。
「次期領主様がこんなところで酒を飲んでいていいのかぁ~」
そう言って、いきなり肩に腕を回される。聞き覚えのある声音げんなりとした気分になった。
「男が引っ付くなよ。気持ち悪い」
「おいおい、そりゃないぜ。俺たちの仲だろ」
「ただの知り合い……いや、顔見知り、むしろ他人……?」
「……愛のグレードが急激に降下しているじゃないか」
「愛など最初からない」
「つれないねぇ」
「つれてたまるか」
へいへい、と芯のない返事をして男は俺の隣に陣取った。勝手に座るな。絡み酒かよ、めんどくさい。
「往年の友人、ジャックさんをお忘れとは悲しいぞ。若くしてもうボケたか?」
「勝手に言ってろ、アホが」
「お前、どんどん口悪くなってない?」
「もとからこんなんだ」
「……そう言えばそうだな」
納得したように頷かれた。それはそれで腹が立つ。舌打ちをひとつしてから、ジャックを見やった。
赤みがかった金髪に、明るい碧眼。彫りが深く渋めの顔立ちに、顎からこめかみにかけての無精髭。ふけ顔で30代に見えるが、俺よりも年下の19歳。所謂、腐れ縁というやつだ。ついでに、こいつ自身も腐れ落ちてくれないか、と願掛けしておく。
「シロー、お前今録でもないないこと考えてただろ」
「失礼な。そんな事実無根な言いがかりは止めろ。腐れ落ちてしまえこのクソ野郎、としか考えてない」
「それがもう録でもないことなんだが」
困ったように眉を下げるジャックを尻目に、酒のお代わりをマスターに頼む。マスターは無言で頷いて、その厳つい身体からは想像できないくらい、繊細で丁寧な手付きで酒を差し出した。礼を言って受けとる。
「で、姫様をほっぽりぱなして良いのか? 怒られるぞ、どうせ他の女を引っ掻けてきた帰りだろ」
「良いんだよ。それに引っ掻けるとは人聞きが悪い。真剣に女の胸に溺れて来ただけだ」
「そのまま溺死しちまえ。全く、姫様もこんな男のどこが良いのやら」
「そんなの俺が聞きたいわ。というか、これも全部親父のせいだ。勝手に誓約を結んできやがって。俺はもっと好き勝手遊んでいたいんだ」
「あー、ほんとお前ってやつはどうしようもねぇな」
呆れているのか、感心しているのか分かりづらい顔をされた。本当に失礼なやつだ。顔を背けて、酒をあおる。
「おおい、拗ねるな拗ねるな。分かった。俺も酒に付き合ってやるよ」
「別に拗ねてないし、付き合ってもいらん」
「そういうな。さぁ、飲みあかそうぜ!」
「ったく、お前はただ飲みたいだけだろ」
「そうとも言うなっ!」
ふんぞりかえるジャック。否定しろよ。ジャックが言う愛のグレードとやらを降下どころか墜落させておこう。俺は深くため息をついた。
***
ジャックと飲み明かした次の日。
俺は自宅でダウンしていた。二日酔いで、気分が悪い。くそ、全部ジャックのせいだ。腐れ落ちろ。心の中で恨み言を散々言って、俺はベットで横になっていた。今に立ち上がると、死ぬ。物理的に死ぬ。
「うっぷ、ああ、くそ」
目を瞑って、吐き気を押さえる。いや、いっそ吐いてしまった方が楽か。そんなことを考えているときだった、額にひんやりとした手が当てられた。気持ちいい。心なしか気分も落ち着く。
「シェロ、大丈夫か?」
ソプラノの透き通った声に瞳を開けると、アンが俺の顔色を伺っていた。家まで来ていたのか。気配を消して入るなよ。びっくりするだろ。
「っ、ふ、二日酔いなだけだ。……寝てたら良くなる」
「また飲んでいたのか。飲み過ぎは身体に毒だぞ」
「……説教なら聞きたくない」
「そうだな、すまない。良し、酔い止めを買ってこよう。それまで我慢できるか? すぐ戻るから」
優しく声をかけられ、額に置かれていた手が離れる。思わずその手首を掴んで止める。アンは驚いて目を白黒させた。
「いいから、側にいろ。手を当てといてくれ」
思わず出た言葉だった。言ってからしまったと思った。ほとんど条件反射だ。悔しくて、目を背ける。
「うん、嬉しいよ。側にいる。ずっといる」
「ずっとは別にいい……」
「私が貴公の側にいたいのだ。だから、貴公の抗弁は却下する」
反抗しようとして、止めた。ここで無駄な体力を使いたくない。頭がくらくらする。
ぎしりと、ベットが軋む。アンはベットに腰かけ、片手で俺の手を繋いで、もう片方で額に手を当てた。別に手を繋がなくても良いんだが。でも、いいか。
「どうだ、少しは楽になりそうか?」
「ん、まぁまぁ」
「……そうか、良かった」
何故か安心して、再び目を閉じる。先ほど感じていた気分の悪さも、不思議と和らいでいた。




