事件前の日常 2
こんにちは、見ず知らずの方々。佐宮悠人です。この暖かい春の陽気は僕を眠りに誘い、風は優しく僕の頬を撫でて安心感を与えてくれます。開ききった窓から入る風によってカーテンがなびくたびに僕の顔にぶつかってはひっかかりますがこの心地よい中ではさほど気になりません。
こんないい天気に恵まれ、先輩達と楽しくおしゃべりをしていました。あぁ、今働いているであろうお父さん、お母さん。
俺は今、椅子に縛り付けられています。
「っは!俺は今まで何を!?」
佐宮は悟りを開いたような気持ち悪い微笑みから驚いた顔へと変わる。前を見ると坂下が佐宮に気が付いた様で近づいて来て、縄をほどく。
「おーようやく意識を取り戻したな。お前はどこの誰で、何をしていたか言えるかー?」
坂下は佐宮の頬をペシペシ叩いて、あえて言葉の端を伸ばす。佐宮は坂本に言われた言葉を理解するのに少し時間がかかったが、答える。
「僕が異世界の勇者でついさっきまで魔王の幹部の下っ端の中でも上位に入るほどの強敵と世界の命運をかけてじゃんけんをしていたのは覚えています。その先はどうなりました?」
「いいか、お前が勇者だったとしよう。なんで魔王の幹部の下っ端の中でも上位にはいるほどの強敵と世界の命運をかけてじゃんけんをしているんだ?」
「ぶっちゃけ、僕が勇者だとして強くなってもそこら辺のスライムの方が強いと自信を持って言えますね。そりゃもう魔王の軍勢に入れる奴なんか僕よりはるかに強いでしょう。そしたら一番手っ取り早く済むじゃんけんがいいじゃないですか」
「お前のじゃんけんにかけられたその世界がかわいそうだろ」
「まぁ、そんなことはどうでもいいんですよ。なんで今こいつに笑顔で僕は抱かれているんですか?」
佐宮は今椅子に座っている。正確には先ほどから立とうと全力で足に力を入れているのだが、それを上回る力で椅子に座らされている。佐宮の座る椅子の後ろから手を回していて胸のあたりでがっちりと抱いている少女。
そう、今日入学してきたばかりの妹、佐宮玲によって。長い黒髪にハキハキとしたしゃべり方。身長は女子にしては高く、百六十七センチメートルで、佐宮を軽く越している。顔はパッチリと開いた目に桜色の唇。小ぶりな鼻が絶妙な配置で並んだ、スラッとしたスタイルの笑顔がよく似合う少女だ。
兄の佐宮悠人はちょこちょこはねている黒い髪に百六十センチメートルと背は低く、顔は死んだ目以外は可もなく不可もなくの細身の少年。妹よりも身長が低いのをひどく気にしている。この間妹と買い物にいった八百屋のおばちゃんが「あら、玲ちゃん。今日は弟君と一緒に買い物?仲が良くて羨ましいわね~。弟君もいいお姉ちゃんを持ててよかったわね」と言われて三日ほど引きずっていた。
そんな悠人の後頭部には柔らかい何かが当たっており、玲はとても嬉しそうにしている反面、悠人の方はものすごく不満な顔をしている。悠人は中学校を卒業してからは特に運動もしていないので、普段自主的に運動している妹には力で負ける。
「いい妹さんを持ってよかったじゃないか。佐宮、いいや佐宮兄だな。妹といえど女子にそうやって抱き着かれて悪い気はしないだろう」
「そうですね。クッションだと思って頭を預けたいところですが、先輩や同学年の人や後輩の前で妹に抱かれているのは明らかに罰ゲームですよね」
「いいじゃないですか兄さん。この間は一緒に手を繋いで帰ったではありませんか」
不満を垂れ流す悠人を無視してとんでもない爆弾を投下する玲。佐宮の目がより一層光を失い、先輩達や笹田は軽く引いていた。
「佐宮兄、一応聞いてやろう。何かあるか?」
「もう一度飛び降りるチャンスをください」
「すまん、無理だ。諦めろ」
「あのーお取込み中申し訳ないのだけれどこの子がいつまでも話せないでいるから話を、というか自己紹介を進めさせてもいいかしら?」
「「あ、すみません。どうぞ」」
笑顔のまま威圧してくる高梨になすすべなく委縮し、同い年である坂下までもが敬語を使うのだった。高梨栞を怒らせるな、とはこの部活の暗黙の了解である。
笑顔の威圧をやめ、優し気な笑顔をもう一人の少女に向ける。その少女は一歩前に出て言う。
「新井田藍です。えっと、その、よろしくお願いします。玲ちゃんとは幼馴染です」
「佐宮玲です。兄がいつもお世話になっています。これからよろしくお願いします」
新井田が言い終わると玲が続けて自己紹介をする。新井田藍は身長百五十五センチメートルで茶髪の小さいツインテールをちょこんと下げている、少しおどおどとした顔の可愛らしい女の子だった。
そして、新入生の自己紹介が終わったので、次は先輩達の番になった。
「俺は三年生の坂下桃也、好きなことは運動することだな。特技はマジックだ。ほら」
坂下がそう言うと手首をクルンと回し、手のひらを見せると白い花が乗っていた。おぉ、と小さく拍手と歓声が沸く。花を二つほど出して、玲と新井田に渡して次に移る。
ちなみに去年みたくポンポン出さなかったのは片づけるのが面倒だと高梨に怒られてしまったからだそうだ。親戚の叔父さんがマジシャンをやっていて、小さいころに少しかじった程度で叔父さんと同じくらいの技術を得たとか。時々アシスタントとして行くこともあるらしい。
「えっと、三年の木嶋陽太です。好きなことは運動で、特技は・・・その、バク宙とかできるんだけどここは狭いので危ないし、やめておきます」
木嶋陽太、身長百八十センチメートルで髪は短髪で切りそろえられている。引き締まった体に肌は少々焼けている活発なイケメン男子だ。運動が得意で、各運動部活のエースよりも強いため、度々助っ人として呼び出されることもある。「外だったらなぁ・・・」と呟く木嶋を尻目に自己紹介は進んでいく。
「三年生、三谷奈々子です。好きなことは寝ることとゲームをすること。得意なことは絵を描くこと・・・ですが、めんどくさいので省略させていただきます」
三谷奈々子、身長百五十七センチメートルの腰まで伸びている茶髪に、眠たげな瞳の可愛らしい少女。面倒くさがりだが、描く絵は一流でコンクールでは毎回優勝するほど絵が上手い。
「えっと、三年の神田琴音です。好きなことはお茶を飲むこと、得意なことは・・・そうね、ある程度のことなら何でもできるけど最近はお菓子作りに熱中しているわ。どうぞ」
神田琴音、身長百五十九センチメートルのセミロングの黒髪。実はお嬢様で、高校に入ってから今まで興味もなかったことにチャレンジするようになったとか。お菓子作りもその内の一つである。
「ほら、佐宮・・・って二人いるのね。佐宮兄っていうのも呼びにくいし悠人でいいわね。悠人、あなたにもあげるわ」
「あ、どうもっす」
悠人がクッキー入りの包みを受け取ると、すたすたと席に座ってパタパタと顔を仰ぐ。悠人は包みを開けるとハート形のクッキーが目に入る。どうやらチョコクッキーのようだ。
「あら、ハート形だったのね。勘違いしてほしくないのだけれど、それはたまたまハート形だっただけよ。気にしないでちょうだい」
パタパタと顔を仰ぎながら言う神田を見て、悠人はクッキーをパキリと噛み砕いて食べてから言う。
「あー、大丈夫ですよ。いろんな型があると試したくなりますし、女子だったらハート形を作っててもおかしくないですよ。それに、クッキーがハートだからって勘違いする人はいないと思いますよ。あ、クッキーおいしいです」
悠人は持ち前の自己評価の低さと自分自身への信用が常人よりも低すぎるため、下手な勘違いをしない。いくら美少女からもらったクッキーがハート形で典型的なツンデレの発言をしようとも悠人には神田の思いは届かない。皆が憐みの目を神田に向ける中、悠人は一人もぐもぐとクッキーを食べていた。
「佐宮、あんたそれ本気で言ってるの?」
小声で言う笹田が「佐宮」と呼ぶので玲も反応したが、先ほど発言をしていたのは悠人なため、自分ではないと理解し兄の髪の跳ねている部分を直すのに戻る。悠人は小声で返す
「当たり前だろ。俺が見るにこの部活っていうのは確かだな。いきなり本命に渡すのは緊張するからまずは俺で毒見と見た。どうだ?女子的にはこの推理当たっていると思うか?」
当たり前のように勘違いをドヤ顔で語るのでイラッときた笹田は何とか持ちこたえて「完璧に間違えてるから、その推理はその辺に捨てておきなさい」と言った。
「ところで、あなた達は本当に兄妹なのよね?あまりにもベタベタしてるから恋人と見間違えちゃうわ」
若干引き攣った笑顔で聞いてくる神田。
「はい、そうです!恋人です!」
「嘘!?」
「嘘ですよ、神田先輩。玲、いつもそうやって誤解をまき散らすのはやめてね。僕、本当に困るからね」
堂々と嘘をつく玲にショックを受けていた神田だったが、悠人の言葉を聞くなりすぐに笑顔が戻った。すると急にパンパンと注目を促すように手拍子が聞こえたのでそちらの方へ向く。
「あ、自己紹介を止めちゃってたわね。ごめんなさい、栞」
「大丈夫ですよー。えーっと、私は部長の三年、高梨栞です。好きなことは人と話すことで、特技は最近、音楽室にお邪魔してピアノを弾かせてもらったいるのでピアノの演奏ですね」
高梨栞率いるこの部活の三年生は校内じゃかなり有名だ。噂では、成績がかなりの上位者か必ず他者を圧倒するほどの才能がなければ入部できないとかなんとか。
「えっと次は私ね。二年の笹田美緒です。好きなことは読書で特技は速読よ。よろしくね。」
練習通りの自己紹介をして、笑顔を玲と新井田の方へ向ける。同一線上にいる悠人はまるで太陽を直視したように目を抑えて唸っていた。どうやら死んだ目にまぶしい笑顔は天敵のようだ。
「それじゃあ次は僕だね。どうも、二年の天城輝です。好きなことは部長と同じで人と話すこと。得意なことは人に何かを教える事かな」
天城輝、身長一七九センチメートルでサラサラの髪に引き締まった体。二年でイケメンと言えばまず初めに天城の名が挙がるくらい有名である。他校からの女子の告白も一か月に二,三回あるとか。ちなみに神田と高梨と天城は幼馴染である。
「というか、いつからいたの?」
あえて誰が、と言わないのが悠人がどれほど天城を苦手としているかわかるだろう。クラス内カーストの頂点にいる人皆苦手だが、その中でも天城が一番苦手だった。先輩達はもちろんのこと悠人以外は皆クラス内カースト上位者だが、悠人が普通に接してられるのは悠人が頑張っていることと、他の人達が砕けた話し方をしてくれているからだろう。
「佐宮君が椅子に縛り付けられているあたりからずっとだよ。私は優月香、好きなことは料理、特技も料理かな。よろしくね」
優月香、身長百六十と悠人と同じで、髪は全体的にフワフワだ。毛先はクルンと巻いてあるように見えるが、実は地でこうなので何度やっても直らないから諦めている。部長と同じでほんわかとした雰囲気をまとっていて、周りを安心させるような可愛らしい少女である。ちなみに赤ちゃんや小さい動物の世話が大好き。
「んじゃ、最後は俺だな。俺の名前は佐宮悠人。好きなことはゲームをすることと寝ること、そして本を読むことだ。特技はゲームの対戦ですが、少しかじった程度の三谷先輩にいまだに勝てていません!よろしく!」
勢いよく、元気に、格好良く言ったつもりだった。椅子に座って妹に抱きつかれていなければ多少はましに見えたのだろう。しかし、力ではどうやっても勝てないので諦める。
「それじゃ、一通り自己紹介もしたことだし、今日は解散ね。皆、帰っていいわよ~」
「「「はーい」」」
皆が返事をして各々自分の荷物を持って帰る支度をする。新学期初の部活は、平和に終わったのだった。