ジョン・クレイドル
「絶対に来てくれるんだ」
金髪碧眼の美少年アドニスはキャンバスを絵具で汚しながら言った。
冷たい鉛色の壁と特殊防弾仕様の窓ガラス。最低限の家具と、申し訳程度に机の上に置かれたサボテン。
黄色い花をつけた遺伝子改造サボテンは、付近の端末から流れるコミカルな音楽に合わせて踊っている。
「ヒーローが僕を助けてくれるんだ。僕をママの所まで連れて行ってくれるんだ」
画用紙に叩き付けられる筆。子供が描いたとは思えない精巧さだ。
描かれているのは不細工な妖精。愛嬌のある、とでも言えば良いか。何にせよ別に描きたくて描いた訳じゃない。
アドニスはやるせない気持ちをどうにか解消するために、不毛な行いに興じていた。
ここに閉じ込められて二年になる。母から引き離されて二年、アドニスは体中を散々弄繰り回されながらもそれに耐えてきた。
でももう限界だ。本当は、ずっと前から無理だった。
ママに会いたい。
「出来た」
アドニスの描いた妖精が踊り始めた。比喩表現じゃない。
愛嬌のある不細工顔の妖精が画用紙から飛び立ち、ミニサボテンと一緒になって踊っている。
科学技術は発展し、多くの病は駆逐され、車は空を飛び、数多の産業廃棄物で空と海は汚染されつくしたが……
それでも未だ、ただの画用紙に描かれた絵を現実の物にするような画期的な発明は無い。
アドニスのベッドの上に放り出された大昔のヒーローコミック。
その開かれたページに、乱暴なメッセージが書き加えられている。
『今夜迎えに行く。よふかしの準備をしな!』
――
クラックリース特殊技術研究所に勤める研究員、ボル・ブロワーは女傑である。
研究員として勤める位だから当然脳味噌はイケてるのだが、彼女の場合はボディもイケている。
バストとヒップはベリーグー。その上頭のてっぺんから爪先まで鍛え抜かれていて、右ストレートで鉄板を曲げる。
つまり、複数の意味でイケてる。そんな彼女が腰まである赤毛を靡かせ背筋をピンと伸ばして歩く姿は研究員達の憧れだった。
「ファァァァーック!」
そして皆の憧れボル・ブロワーはFU○Kと叫んで机を蹴っ飛ばした。
貯まりに貯まったメールの数々(しかも八割は頭の可笑しくなるような内容)に彼女は激怒寸前だ。
同僚のシンクー・ロップが冷たい目を向けてくる。
この目に痛い緑色の肌をしたカメレオンの亜人は、口の中で舌をしゅるしゅると鳴らしボルを窘めた。
「ファックしてやろうか」
すまん、嘘だった。ボルは頭を掻きむしっている。
「爬虫類なんて御免だわ。ナチュラルヒューマンに生まれ変わってから出直して」
「亜人差別かい? 最早今の時代、自分達の方が圧倒的マイノリティだと自覚してくれ」
「じゃぁせめてジェントルマンになってから出直して。……クソの山だわ。嫌になるわね」
「そりゃそうさ。クラックリースに居るのは頭の可笑しい奴ばっかりだからね」
ボルは棒付きキャンディーを銜えながら空間投影型のウィンドウに向き直った。メールの山を切り崩しに掛かる。
このクラックリース特殊技術研究所は政府と軍肝煎りで造られた訳アリアリの後ろ暗い研究所だ。
時々発見される、現行科学で説明出来ない所謂“超能力者”を片っ端からとっ捕まえて、放り込んで、色々公に出来ない事をする。ボルも“被験者”の脳みそに電極を差した事がある。
ぶち込まれてる奴も、勤めてる奴も、シンクーの言う通り頭の可笑しい奴ばかり。
今の世の中“まともな奴”の方が少なそうだが、少なくともボルの精神に良くない連中がここには集まっている。
「『犬のしっぽが欲しい?』 出来れば死んでから五時間以内の物?」
「六号棟の検体からの要望だ。市民権持ちの亜人の物なら尚良いそうだ」
「『僕の腕から声がするんです。声がするんです。声が』以下略」
「そっちは三号棟の検体だね。監視カメラのデータに……壁に頭を打ち付けてる姿が記録されてる。見る?」
ボルは通常の職責の他、被験者のメンタルケアにも関わっている。
メンタルケア。全くお笑い草だ。まともに相手をしていたらボルにこそメンタルケアが必要になるだろう。
「…………『コミックが欲しい』」
「オールド・エイジのコミックだね。……君のお気に入りの子だよ、ほら」
アドニス・ポートマンとか言ったかな、あの子。
白目の無い瞳をぎょろぎょろさせながらシンクー。ボルは暫くウィンドウを見詰めた後、席を立った。
「カウンセリングに行ってくるわ」
「あー君は本当に子供に甘いねぇ」
「クソ爬虫類。マスかいてて良いわよ」
――
三つの生体認証をクリアしてボルはアドニス・ポートマンの部屋を訪れた。
殺風景な場所だ。鉛色の壁と黒い本棚。勉強机とベッド。唯一目を引くのは画具一式だろうか。
それも子供だましのような物だが。
ボルはここの居住者であるアドニスの事を気にかけている。時折観葉植物など届けるのだが、アドニスは余り気に入ってくれない。
例外は卓上サボテンぐらいな物だ。音楽に合わせてファンキーなダンスをキメる品種改良の賜物である。
「アドー? 調子はどうー?」
キャンバスに一心不乱に向かうアドニス。ボルは防弾ガラスに凭れながら声を掛けた。
「ボル!」
アドニスはぱっと弾けるような笑顔を浮かべた。この薄暗い研究所で心を許せるのはボルだけだ。
「ごめんね、メールくれたのに。今の今まで確認出来なかったの。コミックはまた今度で良い? “ジョン・クレイドル”よね」
赤毛を弄びながらボル。アドニスの大好きなヒーローの事は良く把握している。
数百年前のコミック。当時すでに電子媒体が主流だったろうに、何故か紙媒体で現存しているレアリティの高い本だ。
ヒーローの名はジョン・クレイドル。黒いテンガロンハットに黒いコートを来た長身の優男。
外見だけならイカしたコスプレだが、設定の方も中々イケている。
ジョン・クレイドルは世界の空を股にかける運び屋で、拳銃の名手。
あらゆるマシンに精通するエンジニアであり、また、愛車“オータム・ハンター”で空を駆ければ何者も追いつけない稀代のドライバーだ。
“カン・フー”なるいにしえのマーシャルアーツの使い手でボクシングのワールドチャンピオンもブッ飛ばす。多才なキャラクターだった。
「アドのおかげであたしもすっかり詳しくなっちゃったわ。……以前言ってたヤツが手に入りそうなの。もう少し待ってて頂戴」
きっと喜ぶだろう。そう考えていたボルの提案だったが、思ったような反応は得られなかった。
「もう良いんだ」
「あら……? そうなの?」
「僕はもう読んだから、ボルにも貸してあげるよ」
読んだって、どうやって?
ボルがベッドの上に視線を遣ると、そこにはプレゼントした覚えのないコミックが広げられていた。
間違いない、“ジョン・クレイドル”。
ボルは眉を顰めた。大問題だ。誰がこれを持ってきた?
この研究所は厳しく監視されている。物品の持ち込みも持ち出しも至難だ。
ボル以外に、誰がこれを?
「これは、どうやって?」
「プレゼントだって!」
「その……誰が?」
「ジョン・クレイドルだよ!」
興奮したように言うアド。ボルは困惑した。ジョンはコミックの中のヒーローだ。実在しない。
それとも印刷された紙の中から、登場人物が意思を持って動き出したのか?
ボルは鼻で笑いそうになるが思いとどまった。
与太話も有り得なくはない。“この子の力ならば”。
アドニス・ポートマン。この少年が親元から引き離されてこんな所に閉じ込められているのには訳がある。
彼が強く思いながら描いた空想は、現実の物となるのだ。
炎を描けば熱と光を放ち、小人を描けば踊り出す。
クラックリース研究所の中でも特に重要度の高い検体がアドニスだった。
「ジョン・クレイドルが届けてくれたの?」
「届けてくれたのは警備員さん」
「そんな話は聞いてないけどなぁ……」
ボルはこれでも上位の権限を与えられている。自分の頭越しに物品が(それがただのコミックとは言え)届けられるのは考え難かった。
この子がその特殊能力を使用した記録は無い。
だとすればジョン・クレイドルを名乗る人物……何者だ?
その時、ボルの腕のリングが震えた。品の良いアクセサリに見えるが通信端末である。
ワンタッチで空間投影型ウィンドウが現れる。映し出されたのは人間大のカメレオン。
『ボル、客が……来ている』
「客? こんな陰気な“地下墓地”に?」
研究施設の大半は地下に施設されている。ボルの毒舌が光る。
「で、どこのどなたが墓参りにいらっしゃったの?」
『あー、それが良く分からないんだ。上司殿の遣いらしいがそんな予定は聞いていない。それでも発行されたコードは正式な物だ』
「胡散臭い奴って事ね。分かった直ぐ行く」
一応、悪の秘密研究所だ。客なんてそうほいほい訪れる物じゃない。
ボルはアドニスの頬っぺたを擽って、微笑んだ。
「ごめんなさい、来たばっかりだけどもう行くわ。お休みアド」
「うん、おやすみボル」
ボルはアドニスの部屋から出て再び生体認証をクリアし、地下通路を進む。
そしてその時大きな衝撃が研究所を襲った。唐突な振動にボルはたたらを踏む。
ハイヒールが通路の隅に引っかかってつんのめる。ボルは壁に手をやって身体を支えながらリングを起動した。
「シンクー?! 何今の! 私地震なんて生まれて初めてよ!」
ウィンドウは不通。呼べども呼べども子憎たらしいカメレオン面は現れない。
「シンクー! シンクー?!」
そうこうする内に爆発音が聞こえた。かなり近い。
ボルは猛烈に嫌な物を感じた。通路の先、ドアを越えた向こうから何かが近付いてくる。
「やべ、なんか来る」
そしてソイツは現れた。四十ミリの合金製の扉をブチ破り、ブーツの踵から青いプラズマの尾を引いて。
ドカンと言う炸裂音が後から付いてくる。後方で爆炎が上がっている。
ソイツは壁を走っていた。いや、滑っていた。
被ったテンガロンハットを落とさないよう手で押さえ、黒いコートをたなびかせる男。
その雄叫び。
「オォォォウ・マァァァイ・ゴォォォォッド!」
ソイツがブチ破った扉の向こう側からのしのし歩いてくる大きな影が見える。
軽量装甲材で出来た四本足の蜘蛛。12.7ミリ機銃とレーザー誘導ミサイルを装備したクラックリース研究所のガードメカだ。
高さ2.3、縦6.8、横5.5メートルのカワイ子ちゃんである。
この研究所は抱え込んだ秘密を守るに相応しい防衛機構を備えているが、それが性能を発揮した筝は一度も無かった。“これまでは”。
「やべ、あたし」
ひょっとして死ぬ?
ガードメカが壁を滑走する男に誘導レーザーを照射し、背部にある灰色の筒を持ち上げる。
間抜けな音を立ててミサイルが発射され、それは男を追いかけた。ボルはぎぇぇ、と呻いた。
マイクロミサイルの殺傷範囲には当然ボルも巻き込まれている。
「ぎゃぁぁお母さん御免なさぁぁーい!!」
ボルは故郷の母に謝罪した。先立つ不孝をお許しください。パンチ一発で鉄板を凹ますタフガールもミサイルには敵わないのだ。
あたしはこんな陰気で、殺風景で、狂人どもの悲鳴しか聞こえないような場所で死ぬのか。訳も分からぬまま死ぬのか。
頭を抱えて伏せようとしたところに男が滑り込んでくる。彼は腰のポーチに手を遣って端末を操作した。
「ディフェンダー、オンライン」
ビニールを燃やしたような異臭と共にボルと不審人物の目の前に青い壁が現れる。
個人用防御フィールドだ。ミリタリースペックの凄い奴で、意外と何でも防ぐ優れモノだ。
そしてディフェンダーはその役目を果たした。ボルと男の目の前に着弾したミサイルの爆風を防ぎ切り、二人の命を救ったのである。
サイコー、ディフェンダーちゃん。シンクーの十倍ステキ。あたしの事ファックしていいわ。
ボルは不審人物の持つ防御フィールド発生装置に感謝しそうになって、慌てて正気に戻った。
そもそもこの不審人物さえいなければこんな事にはなっていない。
「誰テメェ!」
「乱暴な口調だなレディ!」
「不法侵入者! あん、ちょっと、触るんじゃないわよ!」
ボルが何か言う前に男はボルを抱き上げた。全世界の淑女が憧れるお姫様抱っこだが当然喜んでいる余裕はない。
ガードメカがこちらに機銃を向けている。ボルはひぇぇと泣いた。
「レディ、あんたここの職員なんじゃないのか?!」
「うっせばーか! 機密保持の為にあたし毎アンタをぶっ殺すつもりなの!」
「あーあー、ご安心を。死にゃしないさ」
クラックリース研究所は断じてスパイを許しません。社員規則にもそう書いてあるのだ。
言い合う内に猛烈な弾丸の雨が降り注ぐ。ディフェンダーのフィールドはそれを防ぐが、火力に圧されて急激に減衰していく。五秒と持つまい。
「ごめんよレディ」
「ん?!」
男はボルの後頭部を鷲掴みにして近くの端末に近付けた。何を隠そう、アドニスの部屋に通じる生体認証装置である。
機械がボルの網膜情報を読み取ってロックを解除する。開かれた扉の内側に滑り込み、二人は大きな息を吐いた。
「死ぬかと思ったぜ!」
そりゃこっちのセリフだ。ボルが怒鳴りつけようとすると、男は再び彼女を抱き上げた。
第二の扉は指紋認証。第三の扉は音声認証だ。男はボルの手を無理やり押し付け、脇を擽り、その二つを突破してしまった。
「こ、この変態! 止めろォ!」
ボルは喚くが男はどこ吹く風。とうとうアドニスの部屋まで来てしまう。
後は特殊合金製ドアが残るばかりだ。畜生、とボルは覚悟を決めた。
「(こいつを此処でぶちのめす!)」
こいつの狙いはアドニスだ。冗談ではない。
アドニスに指一本でも触れさせる訳には行かない。もしかしたらぶちのめす前に、ガードメカがドアをブチ破ってこの男毎ボルを挽肉に変えるかも知れないが。
最悪でもアドニスの安全は守られる!
ボルは古ぼけたコミックをいつも大事そうに抱えていた少年を思い、そこでん? と唸った。
「あんたひょっとして、ジョン・クレイドル?」
黒いテンガロンハットに黒いコート。今時誰もしない格好だ。
男は指でハットのつばをくい、と持ち上げ、悪そうな笑みを浮かべた。
「ご名答、俺こそジョン・クレイドルだ」
なら結構。もう聞く事は無い。
ボルは全身を撓らせて腰を起点に回転した。白衣をぶわりと宙に舞わせ、男改めジョン・クレイドルの拘束から抜け出す。
ハイヒールを脱ぎ散らかしてストン、ストンとステップ。ファイティングポーズは堂に入ったもの。
「この勘違いコスプレ野郎、アドニスには指一本触れさせないわ」
「おいおい勘弁してくれよレディ」
ボルはジョン・クレイドルに襲い掛かった。神速のジャブ。
ひらめくボルの白衣。回避するジョン・クレイドル。
ボルは左右に上体を振って幻惑し、密着距離に持ち込んでボディブローの乱打を狙う。
「うげ、ちょ、やめ」
クリティカルが入ったー! ジョン・クレイドル思わず前のめりー!
ボル・ブロワー離れなーい! 更なる連打を狙います!
左! 右! 左! 右! 早い早い早ーい! 青コーナージョン・クレイドル万事休すかー?!
「ボディボディボディアッパー!!!」
がつーん! 決まったァーッ! 顎に良いのが入りました!
ボルが勝利を確信した瞬間、アッパーで仰け反っていたジョン・クレイドルがぐるりと体を回転させた。
回し蹴り? ボルには判別出来なかった。ヤツが体を振り回したと思ったら、右の踵がボルの伸びきった足を刈り取っていた。
転倒するボル。マウントを取られる! と思ったら、ジョン・クレイドルはボルを優しく嗜めた。
「す、素敵なレディ、君に暴力は似合わないぜ」
背中に手を回し、あまつさえ手を握ってくる。ボルは鋭く息を吐き出しつつ間抜け面にヘッドバット。
「おぐぅ!」
転がって距離を取り、再びファイティングポーズ。
するとジョン・クレイドルも覚悟を決めたようで、雰囲気が変わった。
「仕方ねぇな」
腰を落とし、右手を腹に当て、左手は脱力したまま顔の前に。
半身になり、息を潜めている。ステップを踏んだりリズムを取るような事は無い。
見た事の無い構えだ。ボルは聞いた。
「“カン・フー”?」
「oh yes カン・フー」
そのまま二人が激突する、と言う時になって、ジョン・クレイドルは耳元の通信端末を手で押さえる。
「あぁすまん、少し待ってくれ。
よぅバディ、そっちはどうだ? こっちは今、白衣のお姉様とプロレス中だ。
…………ん? マジでイケたのか? そいつは凄い、こじ開ける手間が省けた。早速頼むぜ」
「もう良い?」
「あぁ、お開きだ」
ぶしゅー、と間抜けな音がしてボルの背後の扉が開く。
中からアドニスが顔を覗かせて、そしてパッと笑顔になった。
「あ……あ、うわー!」
「アドニス、出ちゃ駄目よ!」
開いた?! 何てことだ、何者かが、この男の共犯者が研究所のシステムを操っている!
ボルは制止する。このコスプレ野郎に近付くな、と言う事以外にも理由はある。
アドニスの首には脱走を防ぐ為のマイクロチップが埋め込まれている。権限者の許可無く部屋から出ると、それはアドニスに激痛を与える筈だった。
「うわー! スッゲー! 本物のジョン・クレイドルだ! ホントに来てくれたんだ!」
が、アドニスは平然と部屋を飛び出してジョンに飛び付く。ボルは目を白黒させた。
ジョンはハットのつばをくい、と持ち上げ、格好つけてニヤリ笑い。
「マイクロチップは無効化した。心配ご無用さ、レディ」
「僕を助けに来てくれたんだ! そうでしょ?!」
「あー坊主、少し静かにしてくれ」
「凄い! “ニキータ&アイリーン”だ! 触ってもいい?!」
「ダメだ坊主、危ないから」
ニキータ&アイリーン、ジョンの持つ二丁拳銃。ニキータは古めかしいリボルバー、アイリーンは装填数十九発のオート。
共に大口径。美しい装飾が施されている。
「アド! ソイツから離れて!」
「やだ!」
「ジョン・クレイドルなんている訳ないわ! ソイツはただのコスプレ野郎よ!」
ジョンとアドニスは顔を見合わせて、示し合わせたようにボルに向き直った。
「ここに居るよ!」
「居るんだなコレが」
「このマザーファッカー!」
ボルはステップを踏んで飛び込んだ。伸びる脚線美。ガーターストッキングに包まれた妖艶なそれがジョンの顔面を狙う。
ジョンは左手の甲でそれを受ける。ふ、と息を吐き出すと同時に小さく体を回転させ、気が付けばボルは床に引き摺り倒されていた。
「“カン・フー”!」
「oh yes カン・フー」
ジョンとアドニスはハイタッチしている。ボルはむきぃと唸った。
出会ったばかりでどうしてそんなに親しげなんだこの野郎。
軽やかに跳ね起き、再度ファイティングポーズ。
「もう止せよレディ。君じゃ無理だ」
「おだまり!」
「それにいつまでもぐずぐずしてられない。さっさとここから……おっとすまない、少し待ってくれ」
ジョンは耳の通信機に手を遣り、顔を顰める。
「なんだって? そりゃ不味いな」
ジョンはボルを無視して背後を振り返る。
その動作と、生体認証ドアが開くのはほぼ同時だった。
「ディフェンダー!」
険しい声と同時に防御フィールドが展開される。開いたドアの向こう側には先程のガードメカを小型化した物が犇めいていて、それがあめあられと小銃弾を撃ち掛けてくる。
「アド!」
ボルはアドに飛び付いて庇う。ジョンがフィールドを二人の盾にして、逃走を促した。
「部屋に入れ!」
「クソッタレ!」
この男はどうでも良いが、アドニスが危ない。ボルは仕方なくアドニスを担いで部屋に飛び込み、開閉スイッチを操作した。
ジョンを締め出そうとしたのだが、残念な事に彼はギリギリで滑り込んでくる。
開いた時同様、ブシューと音を立てて閉まるドア。コートの裾を挟まれたジョンは“やれやれ”のポーズを取ってから無理矢理に引っ張った。
「とんでもない研究所だな。君だけじゃなく子供まで殺そうってのか」
「このサイコ野郎、あんた見たいなのが居るからあたし達まで危ないんでしょうが」
「ボルぅー、大丈夫だよー。ジョンが酷い事する筈無いもん」
アドの頭を背後で押さえつけながらボル。
「……目的はこの子?」
「そうだ」
「どこの差し金?」
「いーや、どこの誰も関係ない。俺はこの坊主をお袋さんと会わせてやる為にここまで来たのさ」
アドニスは飛び上がった。
「やっぱり!」
「信用出来る訳無いでしょ!」
「切ないぜ、君みたいな素敵なレディに疑われるなんて」
「それにね、アンタは今袋のネズミなの。どうやって逃げようっての」
ボルは意地悪く笑った。
「どうやって、と言うとだな…………派手にやるのさ」
おどけた様子でジョンはコートの内側から小型の機械を取り出す。
円柱状のそれを地面に叩き付けると、足が生えて床に食い込みがっちりと固定した。
「なにそれ……え? ガイドビーコン?」
「天井をぶち抜く」
マジ? ここ地下四十メートルとかあるんだけど。
ジョンはボルとアドニスを隅に下がらせ、通信機で支持した。
「良いぞ、GOだ」
爆音が響いて砂煙が上がる。激しい衝撃にボルはアドニスを抱えたまま転倒する。
シッチメント・ブランドのドレスシャツが台無しだ。ボルのお気に入りだったのに。
本当にやりやがった。地上からここまで、本当にぶち抜きやがった。何もかもが最低最悪だ。
ボルは激しい耳鳴りに耐えながら立ち上がる。アドニスは目を回している。
サイレンがけたたましく鳴り響いている。飛び散った破片、粉末状になるまで破砕された構造物で全身真っ白になった三人は揃って上を向いた。
「行くぜ坊主。ママに会いに、な」
アドニスはふらつきながらもジョンに飛び付いた。それを小脇に抱えて、ジョンは右手を上に掲げる。
エネルギーアンカーガンが握られていた。ボルはふぁ、と変な息を漏らし、慌てて走る。
ビームフックを射出してジップラインを張ったり、或いはそのまま移動したりする銃だ。あんな物ゲームでしか見た事が無い。
「この腐れチ○ポ野郎!」
アンカーが発射されジョンとアドニスが宙を舞う。ギリギリの所でボルはジョンの足にしがみ付いた。
高速で景色が下に流れていく。五つ数えるよりも早く、三人は夜の空に飛び出していた。
アンカーガンのビームフックは空中で待機していた車に引っかかっていた。
黒を基調とし赤いラインでアクセント加えた流線形の車。研究所の照明でライトアップされ異様な雰囲気を醸し出している。
ボルには下品なカラーリングに思えたがアドニスは大変お気に召したらしい。
「スッゲー! “オータム・ハンター”だ!」
「冗談でしょ、マジ?」
ガルウィングドアが開いて二人は中に放り込まれる。助手席ではなぜか古式ゆかしいヴィクトリアンメイドが車の計器類を操作していた。
メイド? 何故? 意味不明だ。急展開に次ぐ急展開で完全に混乱しているボルを他所に、メイドは感情の無い冷たい声を出す。
「ジョン、予定に無いオプションがあるようですが」
「想定外だが対応する。一先ずは連れて行くさ」
「対空兵器のコントロールを取り返されました。タイムリミットです」
「メイア、防御を頼む」
「ヤー」
メイドは答えるや否や外に飛び出した。背中にウィングバインダーを展開し、光の尾を引きながら滞空する。
こいつ、ロボット。そうでなくてもサイボーグか。
メイドは長いエプロンスカートの裾を摘まんで優雅に一礼する。プラチナブロンドのミディアムショートがさらりと揺れる。
可憐な見た目だが彼女の手はごつごつとした装甲材で覆われていた。戦闘装備だ。
「お初にお目に掛かります、ミスタ・ポートマン。
私は人工精霊搭載型グレイメタルドール、総合ベビーシッタータイプ、メイア・シックスです。
私は最新型最高性能の傑作機です。ミスタ・ポートマンのおはようからおやすみまでを充分にサポートさせて頂きます」
「え、あ、うん」
「只今より“オータム・ハンター”のディフェンスに回ります。ここを切り抜けたら、そうですね、まずは算数のお勉強から始めましょう」
「えっと……勉強、好きだよ」
メイアは口端をにんまりと歪めた。
笑っているらしいのだが口だけしか動いていないので何処までも無機質だった。
「挨拶は終わったか? そろそろ行くぜ」
ガルウィングドアが閉まり、メイアはオータムハンターのトランク部に着地する。
「……対空兵器って、言ってたわよね」
「あぁそうだ」
ガウン、と犬の吠え声のような音が聞こえた。研究所に設置された二門の高射砲がオータムハンターを撃墜しようとしていた。
「エネルギーアーマー展開」
平然とそれに対応するメイア。彼女を起点として緑色をした球状のフィールドが展開される。
40ミリの砲弾はそれを突破出来ない。エネルギーアーマーに弾かれて、あらぬ方向へと飛んでいく。
「びゃぁぁ撃ってきたぁぁ!」
「大丈夫だレディ。何も問題ない」
悲鳴を上げるボルとは対照的に、アドニスは興奮しきりだ。
「凄い、凄いぞ、オータムハンターに乗ってる! しかもこれから空を飛ぶんだ!」
「もう飛んでるけどな。だが確かに、オータム・ハンターの本気はここからだ」
パチン、パチンと幾つかのスイッチを操作し、ジョンはハンドルを握る。
「い、いやだぁ! 降ろじでぇ!」
ジョンは聞いていなかった。目の色が変わっていた。
「行くぜベイビー!!!!」
超加速だった。滞空状態から時速五百キロに乗るまで十秒も無い。ひょっとしたら五秒も無いかも知れない。
オータムハンターは何もかも置き去りにして夜の空を飛ぶ。ネオンのライトで照らされた闇の無い夜を、汚染物質で満たされた空を切り裂くようにして。
眼下に広がる街。汚れて、雑多で、キラキラした街だ。
車は空を飛び、多くの病は駆逐され、数多の汚染物質で海と空は汚れきっている。
そこには猫の耳が生えていたり、象の鼻が生えていたり、手足が馬の蹄だったりする亜人達が住んでいて、彼等は酷く暴力的ながらもそこそこ上手く日常を過ごしている。
ここは犯罪初声率ワースト10常連国家メリピクド、その首都ロベルトマリンだ。
ボルはこの日の事を忘れまい。間違いなく、生まれてきた中で最低最悪な夜だった。
なんとなーく手慰みに書いた似非SFの冒頭部分。
何だか愛着が湧いてしまった。