第4話
そのカイの予想は、ズバリ当たっていた。ミハエルは、厳しい軍人である。過去、何度も戦場へと赴いたし、数多くの部下を厳しく指導してきた。無論、軍隊なので、多少の厳しい指導というのはあって当たり前だとも思っている。一方で、上官の命令は絶対。ミハエルは、今、ここにいる四人の隊員の中でこそ一番階級は高いが、部隊長であるサルヴァトーレよりの指揮下にいることも事実だ。
では、それの何が問題か。それは、今朝、サルヴァトーレが言った、仲良くという命令だった。その命令は、間違いなくミハエルに対しても下されたものである。その真意は、サルヴァトーレが言っていたように、この部隊が前代未聞、数年前まで戦争をしていた国同士の者で構成されていることから、友好関係をより重視するという狙いもあるだろう。けれども、ミハエルが、今朝、カイを思いっきり殴り倒したという点から、言わせた言葉なのかもしれなかった。
これまでの上官は、どの人間も、そのほとんどが、ミハエルの強さを買い、また、上官自身も厳しく部下を指導する人間たちだった。ゆえに、方針の不一致ということはほぼなく、常に己にも周りにも厳しく軍人生活を送ってくることができた。だが、今は違う。だから、悩んでいたのだ。
カイが何も返信してこないので、どうしたものか、何かカイのことを質問することにする。互いのことを知れば、少しはフレンドリーに接することができると思ったからだ。
「ところで──カイ、曹長は、何歳だ」
カイは、そのシンプルな質問に、そのまま返す。
「十八です」
会話が途切れる。しかし、ミハエルはまだ諦めない。なんとか、カイの強い警戒心を解きたかった。そこで、
「カイ曹長、私に何か聞きたいことはないかね?」
という質問をしろという言葉を繰りだす。流石のカイも、これで悟る。この人は、今、自分とコミュニケーションを取ろうとしているんだ、ということを。カイとしても気になっていることがない訳もない。たくさんあった。とりあえず、思いついたところを聞いてみる。
「ミハエルさんって、民族解放戦争で、戦場にいたんですよね……?」
「うむ」
「やっぱ、戦場って、きついんですか? 俺も、戦場に行きたい──とまでは言いませんけど、武功を立てて、早く上にのぼりつめたいんです」
カイは、少し生意気な発言をしてしまっただろうか、とミハエルの表情を伺うが、何のことはない。というより、無表情過ぎて読み取れない。
「そうか。……俺も、この部隊に来たいと思って来た訳じゃないからな。厄介者払い、だろうな……」
自虐気味に言う。
「厄介者……?」
カイは、ピンと来なかったのか、ミハエルに尋ねる。
「ああ、厄介者、さ。自分で言うのもなんだが、俺は根っからの戦争屋。常に最前線の部隊を指揮してきたし、俺自身も、剣を持ち、槍を持ち戦ったよ。だけど、ここには、馬といってもいるのは──馬車の馬、だけだ」
どこか懐かしむような表情で馬車の馬へと視線をやるミハエル。終戦してから三年。居場所なく、落ち着かない生活を送ってきたということが窺い知れる。その果てが、この、市民から「お飾り部隊」と噂されるようなトリニタスという訳だ。
「……あれ?」
そして、ようやく、ここに来て、カイはあることに気がつく。これまで緊張状態で気づかなかったが、ミハエルといえば──ミハエル・ホールマンといえば、
「ホールマン少佐!?」
いきなり素っ頓狂な声であげるカイに、ミハエルは無表情な面を少しびくっとさせた。
「な、なんだ、いきなり」
「ホールマン大佐……っていえば、名前、俺でも知ってますよ。いや、王国民なら皆知ってるんじゃないですか!? さっきの馬の話で今更ながら気づきました。いや、というか、そんな英雄がこんなとこで、こんな部隊に配属されるだなんて……馬上の鉄人、ミハエル・ホールマン少佐ですよね……!?」
英雄──そう、ミハエル・ホールマンはかつて英雄と呼ばれた男だった。常に第一線にその身を置き、連戦連勝。ミラル王国が、今いる、この半島中部──中部地区を、開戦早々に制圧することができたのも、圧倒的な機動力に破壊力を誇る王国騎馬隊の強さあってのものだ。その王国騎馬隊の中でも、ミハエル・ホールマンは有名な人物の一人だった。
ミハエルは、喜ぶでもなく、かといって、怒るでも、悲しむでもなく、微妙な表情を見せつつ返答する。
「ああ……その通り。戦争が終わって、もう英雄は必要ないんだろうよ」
ミハエルの物寂し気な受け答えは、かつて英雄と呼ばれた男には見えなかった。カイは今がチャンスとばかりに今朝の話を詫びておくことにした。
「今朝は、ご面倒をおかけして、本当に申し訳ありません」
話の初め、ミハエルがカイに謝ってきた時、カイはどうしたものかと思ったが、少し話をした今なら、と思った。
「いや、俺も悪かった。殴るまでする必要はなかったかもしれない──だけどな、これだけは言わせてくれ」
「はい、なんでしょうか……?」
「エルフの──」
ミハエルがそう言おうとした時、二人のすぐ近くで、轟音が聞こえた。ガシャーンという音は、金属が地面に叩きつけられた音──次に、液体が飛び散る音。慌てて二人が音のした方を見ると、炊き出しのための大きな鍋がひっくり返り、中身のほとんどがぶちまけられているのが目に入る。
それは、リカやキアラがこぼしたからではない。リカがキアラをその身の後ろに隠し、対峙している相手が行ったことだった。思わず動きを止めてリカの方を見るカイとミハエル。注目しているのは、二人だけではない。この場にいる市民含めたすべての人が、リカとそれに対峙する複数の鎧などで武装した男たちを見ていた。
そして──
「おうおう! 民族解放戦線にたてついて、どうにかなると思うなよ!? 配給!? そんな情けいらねぇ! なぁにが連邦だ。エルフだ。俺たちはな、連邦やら王国やらに自分たちの土地を蹂躙されたんだよ! もうてめぇらに関わられたくないって言ってんだ! この一帯は俺たち民族解放戦線が収めさせてもらう」
鎧をまとった男たちの数は、八人。ミハエルは、すぐにでも動けるように、姿勢を整えていた。カイはというと、呆然と見るだけで何もできないでいる。これが、経験のある者とない者との差であると言えよう。
リカは決して小柄ではない。それなりの体型ではある。しかし、それでも彼女の目の前に──彼女とキアラを囲うようにしてそびえ立つ男たちの巨体は、どれも彼女よりも大きい。話し方は柄の悪い賊のようではあったが、鎧をしっかり装備していることや、その鍛えられていそうな体格からして、今、思い付きで迷惑行為をけしかけているとは考えにくかった。けれども、リカは全く動じることなく、それこそ、熊をも倒すような目つきで男たちを睨み上げ、言う。
「貴様ら……今こぼした分の食料、どうしてくれる」
その声は、低く、強く、恐ろしいものだ。およそ、こんな美人から発せられるものとは考えられないようなドスの聞いた声。それに怖気づいたのか、男たちの一人が、ついに剣を抜く。戦おうとして抜いたというよりは、目の前の恐怖から逃れようとして抜いた剣、自らの身を守ろうとして抜いた剣。
だが、意図がどうであれ、剣が抜かれたことには違いない。剣が抜かれる──即ち、それは、誰が見ても、戦闘が起きる、流血沙汰になり得るという証。市民は、それぞれが悲鳴をあげ、一目散にその場を去ろうとし、その混乱はみるみるうちに伝播していく。一帯は大混乱となるが、リカやその他軍人にとっては都合がいい。市民が巻き添えになることは、最も避けたいことだったからだ。その混乱の中、けれども、リカは剣に一瞥し、続ける。
「その剣は真剣か?」
それは、確認。本当にいいのか、という確認だ。冷静な目。先ほどまでの低い声とは違い、淡々としたその声は、武装集団の怒りを煽るのに十分だった。
武装集団が襲い掛かろうとするその直前のタイミングで、リカは、自身の後ろに隠れていたキアラをさりげなく戦線離脱させるべく、後ろへと強く押しだす。倒れ込むようにして後ろに投げ出されたキアラが駆け寄ったミハエルの手によって倒れることなくキャッチされるのと、武装集団の一人、最初に剣を抜いた男がリカへと切りかかるのは、同じタイミングだった。
「ミハエルさん!」
その様子を見て、カイは思わず、ミハエルに応援をしなくていいのかという打診をする。だが、ミハエルの答えは、
「これが、さっき俺が言おうとしてたことだ。……俺が心配してたのは、この伍長の身だけだ」
という、余り結びつかない事。だが、ミハエルが応援に入らない意味は、すぐに理解できた。キアラは剣がリカに直撃することを恐れて、悲鳴をあげながら、その惨劇を目に入れたくないと思うあまり、両手で目を覆っていた。しかし、それは杞憂に終わる。
リカに向かって振り下ろされた剣は、当たるかと思いきや、風のような動きでするりとかわされ、そのままリカがその男の両手へと軽く手を添えたかと思うと、
「うわぁああ!」
悲鳴が男からあがる。カランカランと男の手から剣が落ち、両手を抱えて地面へと倒れこみ、再起不能となった。籠手をしているため、手への打突攻撃があった訳でもないようで、カイには一体何故そのようなことになったのか理解することができない。
とっくに戦闘は始まっていた。だが、残り男七人、それも完全武装した相手に、軍服というただの布と、腰元にある短刀だけでどうにか出来るとは思えなかった。相手が仮に十分な訓練を積んでいないにしても、せいぜい同時に相手できるのは、二、三人──。
キアラが我を取り戻したのか、馬車へとかけていく。何を取りに行くかは分からないが、彼女なりに考えての行動だ。ミハエルはというと、相変わらず見守っていた。
武装した男たちは、仲間が一人やられたのを見て、全員が全員武器を手にする。剣だけでなく斧を使うものもいることから、それなりに筋力があり、訓練されている連中と見えた。そのうちの何人かは、当然、カイやミハエルの存在に気づく。軍服を着ていることから、仲間じゃないというのは無理がある。
「……おい、曹長。お前も一人はやれ。……なるべく殺すなよ」
ミハエルは、そう言いつつ腰元の剣をすでに抜いている。なんとなく戦闘を予期していたカイは、士官学校で行った数々の訓練をなるべく多く思い出そうと頑張った。まさか、配給作業をしている時に戦闘が起こるなんて思ってもみなかったが、軍隊に入った時から、覚悟はできている──つもりだった。けれども、足は震える。
七人のうち、四人もの戦力はリカへと割かれた。恐らく、仲間一人を潰された恨みや、その時の俊敏な動作からそれだけの人数を割いたのだろう。ミハエルには二人。ミハエルの体格からして妥当。カイには一人。見くびられているような気がしたが、内心助かったと思っている。
しかし、それでも、完全武装した男を相手に、剣一本で立ち向かうというのは非常に厳しいことをカイは良く知っていた。鎧とは、纏う者の身を強固に守る装備だ。その有用性は、士官学校での座学でも良く知っていたが、こうして対峙すると、身をもって知ることが出来る。隙がない。たとえ、相手が素人であったとしても、鎧を身にまとっているというだけでうかつに切りかかることは出来なくなる。剣と言えども、なんでも切れるという訳ではない。ましてや鎧の上から人肉へダメージを与えることは非常に難しい。カイが狙えるのは、鎧と鎧の装甲の隙間のみ。ミハエルが、なるべく殺すなと言ったのはそのためだろう。鎧を纏う相手を、カイのようなそこまで熟達しない人間が戦闘不能状態にするには、本気で挑まねばならず、加減して傷を浅く済ませるということは困難を極める。
じり、じり、と相手とにらみ合う。幸いにも、相手の装備は斧。無論、頭にでも当たろうものなら即死、四肢に当たれば勢いよければ切断という事態になりかねない強力な威力を持つ武装ではあるが、斧は本来、鎧など強固な防具を身にまとう相手を、その装甲の上から貫通させるための武器。すなわち、装甲をほとんど身にまとっていないカイにとって、その威力は過剰であり、攻撃速度が遅いといったデメリットが目立つのである。
それでも、相手が攻撃を出すまではうかつに手を出せない。にらみ合いは続く。相手も相手で緊張しているのか、顔は非常にこわばっていた。カイはその点、多少冷静でいられた。こればかりは、学校での訓練が活きているといったところか……。
均衡が続く中、カイは向かい合う相手越しに凄まじいものを見ることになる。




