第3話
部隊長であるアルマディオ大佐の簡単な挨拶を聞き終わり、それぞれは自己紹介をすることとなった。サルヴァトーレ曰く、
「小さな部隊で、二つの国と一つの地域からそれぞれの人が来ているんだから、フレンドリーに行きましょう」
らしい。カイは、ミハエルに殴られた頬の痛みを噛みしめながら、心の中で、是非ともフレンドリーな軍隊生活を送りたいものだと強く願っていたため、図らずも、サルヴァトーレの主張と一致する主張を持っているということになる。
「では、最初に僕から──」
サルヴァトーレは、全員の前で、話を始める。漆黒の綺麗な髪の毛に、漆黒の瞳、白い肌、整った顔立ち、極めつけはその低い身長。そのどれもが、彼を知らない人から見たら、とてもとても彼を大佐という高い階級の人物とは思えない特色だらけである。
つい数分前、このサルヴァトーレの肩をポンポンと叩いたカイはもちろんのこと、先ほど入室してきたばかりの少女キアラも、未だにこの人が部隊長とは信じがたい気持ちだった。リカは、サルヴァトーレのことをよく知っているのか、真剣な顔ではあるが驚いているような素振りはない。ミハエルも、また、落ち着いてはいるようだったが、そのこわもてな顔の奥にはわずかに動揺があるようだった。
「先ほども言いましたが、僕は、サルヴァトーレ・アルマディオ。階級は大佐。歳は……どうだろう、想像に任せるとろくなことにならないでしょうから、一応なんとなく伝えておきますが、皆が想像してる三倍はいってると考えていただいて結構です」
にこっとしてカイの方を見てくるので、思わず、はいっと返事をしてしまう。自分が過去にした発言を振り返ってみると、色々と今後の人間関係に支障が出そうなものが含まれていたような含まれていないような気がするのが気がかりであり、今の最大の不安だった。
「さて、この部隊──トリニタス。意味は分かりますか? じゃあ、キアラ君」
突然指名されたキアラは、あたふたと驚き、ふぇ、とか、ふぁ、とか意味をなさない声をあげているが、答えにたどり着けないようだった。
「ご、ごめんなさいぃい……」
もじもじとして、上目遣いに答える。その辺の男にとっては、低い位置から繰りだされるその謝罪は効果抜群だろうが、上目遣いをしたところで、サルヴァトーレの身長はキアラと大差なく、あまり効果がないように見えた。だが、サルヴァトーレは特に咎めることなく、
「では、ここにいる人全員に覚えてもらいましょう。トリニタス──古い言葉、かつて、このロー半島に神ローが居た時、使われた言語で、三位一体を意味します。これが、この部隊の名前。ああ、これは僕がつけた名前なんです。少し、考古学や神学をかじっていましてね」
ふふと誇らしげに言うサルヴァトーレに、キアラとリカは尊敬のまなざしで見ている。ミハエルは、相変わらずの無表情。変な人ばかりだが、ミハエルの正体が飛びぬけてわからないし、殴られたし、痛いし、と若干もやもやとするカイ。
「という訳で、皆さん、仲良く、楽しく、頑張っていきましょう!」
仲良くのところをやけに強く言うのは、それなりの意味があるのだろうか。カイもなんとなくは、分かる。何せ、かつて敵対していた国同士の、それも軍人たちが一つの組織で活動を共にするのである。強く意識しないと、さっきのような喧嘩に発展しかねない。
「それじゃ、次は、階級が低い順に……キアラ君から」
自己紹介をし合うということ自体が、普通軍隊ではありえないことなのだが、これもまた、仲良くという目標達成のために必要なことなのだろうか。それにしても、この部隊長、カイから見ると、なんとなく緩そうに見えた。それでも、こういう人が良さそうな人に限って──それも、外見からして意味不明。ザ、意味不明。今なら、実はミハエルの子供ですとか言われても驚かないくらいだ。カイがそんなことを思っていると、可愛いふんわり系少女が自己紹介を始める。
「えっと、えっと、キアラ、ですっ! 階級は伍長で、所属は中部地区自治軍ですっ! えーっと、エルフの人が大好きで……あ、ちが、その、そういう意味じゃなくて……あわわ」
カイは思った。あ、この子、なんか残念な子かも、かわいいけど、と。なんで軍隊になんて入ろうと思ったのかは謎が深まるばかりだ。しかし、この部隊で唯一カイよりも低い階級の持ち主であり、話しかけやすい位置にいるのは事実。後で何かの機会に仲良くなってみようかなぁなどと企むのであった。
「い、いちおう、訓練は受けてきましたけど、実戦経験はありません! 中部地区自治軍で、軍内の補佐的役割をしていましたっ! あのぉ、その、よろしくお願いしますっ、部隊長!」
言い終えるともじもじとして、目線を下げる。どうやら、キアラは、この場にいる全員に自己紹介したというよりは、サルヴァトーレに向けて自己紹介をしているような風だった。キアラの自己紹介が終わり、カイは気づく。次は自分の番だということに。何を言うのか全く考えていなかったが、キアラがあんな調子だったので、カイの心のハードルは自然と低くなる。もう変に口を滑らせて、上官に殴り飛ばされるようなことがないよう、気を付けながら自己紹介をすることにした。
「カイ・ナッサウ曹長です。先ほどは、お騒がせしました。申し訳ありません。今後、あんなことはもう二度とないように──」
カイが謝罪をしようとしたところを、サルヴァトーレが止める。
「いや、あれは、僕にも責任がありますから……僕が面白がって、階級を名乗らずに、カイ君と話していたことにも。リカは、カイ君が私に馴れ馴れしく接していたことに腹を立てたのでしょう?」
サルヴァトーレの問いに、リカは、小さくうなずく。そこで、カイは初めて気づく。リカは、自身がどうこうというより、サルヴァトーレという大佐階級の人間に向かって、カイが肩をぽんぽん叩いたりしていたことに対して怒っていたということに。そう思うと、カイも、自身の非を少しは認めざるを得ないような気がしたが、それにしたって、やっぱり、あそこまでされる筋合いはないと思ってもいた。ともあれ、カイの自己紹介は続く。
「えっと……俺は、ついこの間、士官学校を卒業したばかりなので、実戦経験はないんですけど……えー、学校でそれなりの訓練は受けてきましたし、それなりの成績ではありました。足手まといにはならないと思います。頑張ります」
無難に頑張る決意を表明する。続いて、リカが口を開く。
「リカ・ケトラ大尉。種族はエルフ。元の所属は、ロー連邦魔装遊撃部隊」
その言葉に、ピクリと反応するのは、ミハエルだが、リカの視界に入っていないため、リカは言葉を続ける。
「あまり細かい事は、言うつもりはないけど……心の底から、この地域一帯に平和をもたらすことを願っているわ。以上」
引き締まった挨拶。大尉ということは、それなりに功績をあげているだろうし、外見カイと同じくらいの年齢だと思われるものの、エルフということとその階級を考えるに、それなりの年齢ではありそうだった。事実、このリカ、カイは知らないが、その年は三十を超えている。といっても、見た目の若々しさは決して偽物ではなく、エルフという長寿種族から見れば、まだまだ若い。人で言えば、外見通りの年齢であるといって差し支えない程だった。
続いて口を開いたのは、最後となるミハエル。
「ミハエル・ホールマン少佐。よろしく頼む」
そのこわもて通りの重みのある声で短い短い一文を言い終える。てっきりまだ続くと思っている一同は反応することもできず、数秒の間が空く。ミハエルは別に怒っている訳ではなかった。ただ、言うことがない、それだけのこと。実は、彼、望んでこの部隊に来た訳ではない。それを知っているのは、今は、ミハエルただ一人……。
ようやく、サルヴァトーレが、ミハエルの自己紹介はすでに終了しているということに気づくと、その場をまとめようと試みる。
「皆、ありがとうございます。各々、思うところはあるでしょうが、所属関係なしに、今日から皆さんはトリニタスの一員です。頑張っていきましょう!」
サルヴァトーレは、その鋭い目は微笑ませて、パンと手を叩く。そして──
「では、早速任務です!」
楽しそうに言うと、うもすも言わせず、各隊員に向けて、初任務の内容を説明し始めるのだった。
城塞都市ローより北に数十キロ。辺り一帯の水源を賄う、ブラッチャー湖を中心とした、ブラッチャー地区。水資源の重要拠点、また、城塞都市ローの付近の地域ということもあり、終戦直後まで散発的に戦闘が続いた地区である。そこに、サルヴァトーレを除く、トリニタス隊員四名はいた。
何をしているか。
彼らは、炊き出しを行っていた。与えられた任務は、野盗狩りでもなければ、民族解放戦線との戦闘でもない。炊き出し。パンは剣より強し、市民が望んでいるのは、戦闘ではなく、生活。
「あー……」
カイも、この事はなんとなく予想はしていた。多くの人が集まる教会前にて、自らの手で展開した軍事用テントの下、カイは、ミハエルと共に、食材を調理していた。カイにとっての第一の不満は、この炊き出しという軍隊がやる必要がなさそうな行為。それはまだいい。その次に問題なのが、役割分担。共に作業する人間が、およそ、料理が全く似合わないミハエルという生粋の武人であるという点だ。
ただでさえ、つい数時間前に、初対面で思いっきりぶん殴られた相手。自国の上官ということで、さほど無茶苦茶に苛立ちを覚えている訳ではないのだが、とにかく居心地が悪かった。無言で、とんとんと食材を切っているミハエルの手際は意外にも良い。士官学校での多少の炊事経験以外に、ほとんどこういう経験のないカイより余程手慣れていると見えた。
「…………」
しかし、無言。カイとミハエルの間に言葉はない。他の人に助けを求めようにも、この炊き出しテント、運営してるのはトリニタスのメンバーだけであり、女隊員二人は出来上がった大鍋に入った料理を集まってきている多数の市民に分け与える役割で精いっぱいだ。教会前ということもあり、集う人の数は予想を遥かに上回っており、一日通して続ける予定だった配給は明日、新たな物資が来る前に、なくなってしまうものと思われた。
無言というのも、仕方のないことかもしれない。軍隊で任務中に、雑談をするなどということはあり得ないのだから。それにしたって、かれこれ一時間は、部下であるカイに何も声をかけることなく、黙々と作業をし続けるというのも、上官にしては珍しかった。ましてや、生粋の軍人だったミハエルである、愚痴の一つや二つ、飛んでくるものと予想していたカイは、どう受け応えればいいかや、先ほどの無礼を詫びなければなどと色々なことを考えていたりした。
「……──なかった」
そんな時、カイの耳に、ぼそりと声が聞こえる。どうやら、横のミハエルが何か言ったようだったが、彼の視線はカイに向けられているということもなく、コンコンという包丁の音のみが聞こえる。ただの独り言か、とカイが作業に戻ろうとしたとき、
「すまなかった」
と、はっきりとした渋いミハエルの声が聞こえた。カイが顔をあげ、ミハエルの方を見ると、ちらりと横目でこちらを見ているミハエルがいた。しかし、言葉の意味があまり理解できない。謝罪の言葉だろうか、一体何に対する謝罪の言葉なのだろうか。
「え、えっと、何が、でしょうか……?」
仕方がないので、尋ねる。怒られるよりはマシ、というもんだ。
「その、さっきは、殴ってしまってな……」
あまりにも意外な言葉が、ミハエルの口から飛び出たので、カイの手元の包丁の起動ががたつき、もう少しで自分の指を切り落としてしまうところだった。衝撃だった。びっくりした、驚いた、聞き間違いだと思った。ので、
「あのー、えっと……その」
どよどよと何を言っていいのか分からずに口ごもる。ミハエルは、ばつが悪そうに依然としてカイと視線を合わせることなく、
「どうしていいのか良く分からなかったんだ」
と、カイには良く分からないことを言う。カイは発言の意味をなんとか頭に入れようとする。ということは、つまり、自分はどうして良いのか良く分からない上官に思いっきり殴り飛ばされたとそういう訳だろうか。まだじんわりとした痛みの残る頬へ意識を向けつつ、思う。
そして、ミハエルに対してある一つの疑問を抱く。今回のこの謝罪と自己紹介の時の寡黙さという二つの事象が結びつく。このおじさん、もしかして、めちゃくちゃ強い軍人だったのかもしれないけど、めちゃくちゃコミュニケーションの取り方が分かっていない……?




