戦場に消ゆ
正平3年/貞和4年 1月5日 (1348年) 河内国北條(現在の大阪府四条畷市)
南朝方の将、楠木正行率いる3,000は北朝方の高師直率いる80,000の軍勢と激突した。
正行軍は士気高く師直軍を数度にわたり打ち破るも次第に数を減らし、四条縄手の森まで軍勢を引いていた。
正行のもとへ兵の様子を見に行っていた弟・正時と従弟の和田賢秀が戻ってきた。
「兄上、われらの残りは500に届かずといったところです。」
「傷を負った者も多い。もうひと当てするにも動ける者は300といったところだ。敵の物見の部隊も先ほど姿をみせた、まもなく軍勢も寄せてこよう。」
報告を聞いた正行は2人を見返して告げた。
「やはり、兵力差はいかんともしがたいか。正時、賢秀もはやこれまでのようだ。残った者は千早へ帰す。千早にたどり着きさえすれば正儀が引き受けてくれよう。賢秀頼まれてくれぬか。」
正行の言葉を聞いて賢秀は答える。
「兵を帰すのはよかろう。だが、儂は正行と正時に供をする。我が父正季も叔父上正成公に供したのだ、息子の儂がおぬしらに付き合うのもよかろうて。」
「賢秀……わかった。正時、賢秀、兵を集めてくれ。」
「「承知。」」
軍勢を終結させ、呼びにきた正時と賢秀を伴い兵の前に出た正行は、兵たちに話しかけた。
「みな、これまで我らによくついてきてくれた。これまでのそなたらの働き大儀であった。儂の力及ばずこのような仕儀となり、すまぬ。我らはここにて自害いたす。その間に皆はここから落ちよ。千早まで行けば、弟正儀が必ず面倒をみてくれようぞ。」
正行はそれだけ述べると兵たちに向かって頭を下げた。
「正行様、我々も連れて行ってくだされ。」
「我らのみ落ちることはできませぬ。」
「我らも死出の道にご一緒いたす。」
兵たちは声をあげ、彼らの強い意思を聞いた正行は説得をあきらめ、笑顔で言った。
「この愚か者どもめが………お主らは儂には過ぎた宝じゃ。」
そんな正行をみて賢秀が言った。
「敵の軍勢が近づいておる。我らが時間を稼ごう。しからば御免。お先に参るぞ。動ける者はついてまいれ、河内の悪党の悪あがきを高の者どもに見せつけてれる。」
「「おう!」」
賢秀が兵たちをつれて敵の軍勢へ突っ込んでいく。その様を見ながら、正行と正時は静かに来ていた鎧を脱いで刀を構えた。
「我らは恵まれておるな、兄上。」
「そうじゃな、正時。では、さらばじゃ。」
2人の構えた刀が互いの身体に静かに押し込まれていき、重なるように倒れた。
深手をおい、賢秀に付いていけなかった者たちは、その様子を見届けると思い思いに自害して果てた。
賢秀率いる兵たちは敵の軍勢に討ち入り、数では圧倒的に劣るなかで最後の一兵まで戦い抜き、師直、軍に大きな被害と恐怖を与えた。
四半刻後、南朝の若き勇将、楠木正行が率いていた軍勢はすべて戦場の露と消えた。