エルティティスとミハイルの場合 3
※長すぎたので分けました。ご迷惑おかけします。
「エル、どうしましたの!?」
翌日は休日だった。部屋に茶菓子を持って遊びにきたサリホがエルティティスの顔を見てぎょっとした。周囲の目が届かないよう部屋の扉を急いで閉めてから、悲鳴のような声をあげた。
鏡をみる余裕もなかったエルティティスは、彼女の言葉にドレッサーへふらふらと歩いて行った。
「ああ……」
まぶたと目の下が腫れ上がってすごい顔になっている。
エルティティスは息を吐きながら目元に手をやった。回路を動かし、次の瞬間にはどんよりと暗い表情ながらもいつもの自分の顔になった。
「ごめんね、びっくりさせて。昨日ちょっといろいろあって」
「その……お姫様方?」
「ううん、そちらはまったく関係ないよ。家のことで、ちょっと」
「そう……」
サリホもそれなりに上流階級に属しているから、いろいろあることは理解してくれているのだろう。詳細を聞かないでくれる思慮深さに、エルティティスは申し訳ない気持ちになりつつも感謝した。
エルティティスがハーブティを差し出すと、サリホは礼とともに一口飲んだ。そしておずおずと控えめに訪ねた。
「ねえエル……あなた、なにか変なものを飲んだり食べたりしまして?」
「え?」
「その……体からあふれてる魔力が……昨日までと全然違うわ」
サリホの言葉にエルティティスは自分の手を見た。傍目にわかるほど、魔力が周囲にあふれ出しているらしい。
これは早く封印具を作って身につけないと危ないかもな、と息を吐いた。
「ううん、違うの。昨日『弓幹と弦』の繋がりを切ったから。それでだと思う」
「『弓幹と弦』!? じゃあ、あの有名な……?」
サリホの言葉にエルティティスは控えめにうなずいた。
エルティティスが――膨大な魔力をもって生まれたものがいることは国中に広く知れ渡っている。その者の名こそ広まっていないが、制御しきれないほどの魔力に対処するため『弓幹と弦』で魔力を分散させていたことは有名なのだ。
生まれたときから膨大な魔力を有していたエルティティスだが、魔法の制御能力は人並みだった。そのせいで幼少期に一度、その力を押さえ込めずに周囲へ爆散させてしまったことがある。地面に大穴が空き、空中の雲という雲は吹き飛ばされたが、同時に結界を張ることはできたため人的被害は出なかった。だがその瞬間を見た人間は、まるで台風だったとか、あるいは巨大竜巻のようだったとか、とにかく恐ろしい災害だったと言ったものだ。
通常、魔力は回路を組まずに発散しただけであれば、少し強めの衝撃波、あるいは強風程度にしかならない。だがエルティティスの場合はそれどころではない被害を出してしまった。
彼女の魔力量が判明したときからずっと懸念されていたことが現実になり、彼女が国家機関から目をつけられてしまった瞬間だった。本来ならば、エルティティスは国に拘束され、研究対象になるか、あるいは監視対象になっていただろう。それができる言い訳を、あの瞬間彼女は国に与えてしまったのだ。
だが幸いというべきか、予想外だったというべきか、そのとき彼女と一緒にいたミハイルが、その暴走をすぐさま、そして見事に沈静化させたのだ。エルティティスが群を抜いた魔力の量を誇っているというのなら、彼は群を抜いて魔力の扱いに長けていた。
ミハイルの存在があったこと、人的被害を出さなかったこと、そしてエルティティスの実家が魔力持ちが力の制御を学ぶには最良の場所だったために、国が手を出す口実を作れなかっただけで、エルティティスは今でも国からその一挙一動を監視されていると言っても過言ではない状況なのだ。
だから周囲の勧めにより、エルティティスとミハイルは『弓幹と弦』と呼ばれる契約を結んだ。
技師たちが普段行っている、本来の契約の使い方とは用途が異なるが――この契約によりエルティティスとミハイルの魔力は繋がり、平準化され、エルティティスの魔力はミハイルの魔力と混ざり合った。同時に、エルティティスはミハイルの魔力を自在に使うことができることになった。もちろん、その逆も然り、である。
エルティティスの魔力をミハイルが使えるようにすること、つまり彼が常にエルティティスの魔力を制御できる状況にすることで暴走を防ごうとしたのである。
ちなみに昨日ミハイルがエルティティスのかけた窓の封印を難なく解けたのも、彼女が途中まで組んだ回路や魔力を一瞬で霧散させることができたのも『弓幹と弦』があったためだ。
そもそも、魔力を能力として動かすためには、目的に合わせた回路構築と魔力量の制御が必要不可欠なのだが、エルティティスは回路構築と制御の能力が常人程度の能力しかない。ミハイルは一般の人間に比べればそれなりに大きな魔力量を有してはいるのだが、人外レベルのエルティティスとは比べるべくもない。だがミハイルはエルティティスより――いや、常人よりも圧倒的に魔力制御が上手く、また回路構築が圧倒的に早かった。
エルティティスも人並みか、それ以上には制御能力は有しているので、ミハイルと魔力を平準化することで一度に制御しておかなければならない魔力の絶対量が減れば問題がなかった。処理能力を超える魔力制御をずっと続けなくていい分、日常的にかかる彼女への負荷が減ったのだ。
「その……大丈夫なの? その契りを切ってしまって」
彼女の魔力の暴走が災害レベルの暴走を生み出したことは、国はもちろんのこと、周囲にも知れ渡っている。サリホの懸念はもっともだろう。
「うん。もともと高校に入学してからは寮暮らしになって契約の相手とかなり物理的距離が離れてしまってたから、あまり意味のないものになっていたし。子供の頃よりはだいぶ制御能力も向上したから暴走もそうそう起こらないだろうし。
それに……そろそろ解消していなければならないものだったし、それが早まっただけ。うん」
「まあ……契りは物理的な距離があると弱くなってしまうものなの?」
「一定以上の距離があると、魔力の受け渡しに時間がかかるから効率が落ちるというか……切れるわけではないんだけど、時間がかかるようになるのよ」
「でも、入学前もお互いの家は離れていたのではなくて?」
「ええ、ただその頃は三日に一度くらい、互いの家を行き来してたから……」
ある程度お互いの物理的距離が遠い場合は、一定期間ごとに近い距離で繋がりの補強をする必要があるとか――注意するべき点はまだいくつかあり、同時にそれらの対処方法もあるにはあるが、すでに契約は解消したのだから、説明する必要はないだろう。
「なるほど、まめに会っていれば、ある程度距離が離れていても心配はなかったのね」
そう、今まではお互いの家を訪れあったり、しばらく会えない場合でも道具を使ったり、回路を構築したりといろいろ工夫して契約を続けていたが、それももう終わりだ。
「でも、今後お互いに婚約者ができたら、そういうわけにはいかないから。だから遅かれ早かれ契約は解消することにはなってたの」
婚約者ではない年頃の男女が互いの家を行き来するのは問題があるだろう。一般家庭なら多少は目をつぶれるかもしれないが、エルティティスもミハイルもそれなりに上流階級の家庭である。事情があるとはいえ、婚約者となる側としては気持ちの良いことではないだろう。エルティティスの婚約話が出はじめた時点で、すでに両親とミハイルの家にも、そして国にも契約の解消については話を進めていた。
そしてエルティティスは昨日、繋がりを自ら切った。家にも、国にも契りを切ったことをすぐに報告しなければ。
暗い表情のエルティティスを見て、サリホは控えめに訪ねた。
「エル、後悔しているのではなくて?」
「……ううん、これでよかったの。
私の魔力を制御するのは並大抵の労力じゃないから、これ以上は迷惑をかけられないもん」
「あちらもエルの膨大な魔力を自由に使用できていたのだから、メリットはあったはずですわ。そこまで遠慮しなくても」
「ううん、もう頼れない……あのね、」
エルティティスはサリホに昨日のことを話した。
サリホは黙ってその話を聞いていた。
□■□■
「あんたがエルティティス・エルヴィエントさん?」
「え」
ミハイルを部屋から追い出して数日後、寮へ帰るために門を出たところで知らない少年から声をかけられた。
入学前の集まりでも会ったことはない……とエルティティスは首をかしげる。さらさらでまっすぐな黒髪を短く切りそろえ、技師専攻の制服を着崩している。かなりの細身だが長身で、ついでに言うと目つきが悪い。
(これは……からまれてるのかな)
同じく学園からの帰途についている他の学生たちが遠巻きにこちらを見ている。いざとなったら人を呼びに行ってくれるだろうが、教諭たちを呼びに行って戻ってくるまで無抵抗のままで無事で済むとは、技師専攻の生徒が相手では思うことはできない。
エルティティスはさりげなく相手と距離をとりながら、鞄を胸に抱えて答える。
「はい。エルティティスは私ですが……」
「ふうん」
エルティティスがおそるおそる返事をすると、少年はじろじろと顔をながめてきた。負けじとエルティティスも彼の顔を見つめるが、やはり見覚えがない。
「あの、お知り合いでしたっけ?」
「いんや? 俺はあんたとは初対面」
「そうですか。それで、その、ご用件は……?」
「あァ、その前にちょっと場所移そうぜ。このへん女ばっかりで落ち着かねぇ」
「ええ……? はあ……ええと……」
魔力による力押しならおそらくこの少年に負けることはない、と確信しているエルティティスだが、それで勝ってしまって乱暴な女などと噂になったりするのは避けたい。お婿さんの来手がなくなる、という切実な問題による躊躇だ。
だがしかし、相手が行動しやすい場所へ移動するのもどうだろう。人目のある場所で力任せの抵抗はしづらいが、かといって人のいない場所へ移動して醜聞が立つのも先ほどと同様の理由で困るので自衛はしたい。
「エル!」
「サリー!」
どうしたものかと悩んでいると、背後からの友人の声がしてほっとした。断る口実ができたかもしれない。
「サリホじゃねぇか。お前もこの学園だったのか。へぇ」
「まあ、ちょっとアヴグスト! こんなところで急に女性に話しかけるなんて失礼ですのよ! きちんと学園の受付を通しなさい」
「あァ? そこまでするほどの用件じゃねえっての」
「そこまでの用件じゃないならなおさらですわ! ここはやんごとなきご令嬢が多く通う学園――エルもきちんとしたご令嬢なの! これでこの子に悪い噂がたってしまったらどうしてくれるというの!?」
「うっせぇなぁ……」
アヴグストと呼ばれた少年は、そう言いながらもエルティティスの方に向き直り「ごめんねェ」と小声で一応の謝罪をしてくれたので目を瞬かす。もしかしたら、目つきが悪いだけで、悪い人ではないのかもしれない。
「あの、ふたりはお知り合いなの?」
「あー……腐れ縁的な?」
「中学まで同級生だったのですわ。
ごめんなさいね、エル。この人は態度も人相も悪くて、常識も知らない人だけど、一応悪人ではないとわたしが保証するわ。あなたはご令嬢と面会するには受付を通す必要があることを知らなかったのね」
サリホがいらだち混じりに上げた声は、どちらかというと周囲に向けた言葉だとエルティティスは気づいた。アヴグストがうっかり受付を通し忘れただけで、悪気があったわけでないと周囲に聞かせるためにサリホは彼を大声で責め立てた。これでもアヴグストへの印象をこれ以上悪くしないための配慮だ。
「一応は余計だっての……」
アヴグストもわかっているようで、悪人のくだりにのみ小さく文句を言いつつも反論はしない。むしろ気まずそうな表情を見せた。
「……で、エルティティスさんとやら、ちょっと話があるんだよ。
顔貸してくんない?」
「えーと、はい」
エルティティスはうなずく。サリホがかばおうと考えるような相手ならば悪い人ではないはずだ。ついていっても問題ないだろう。
「わたしも行きますわよ。いいわね?」
「うっせーな、わかってるよ」
すかさずサリホが申し出てくれた。アヴグストもうなずいている。
頼む前に申し出てくれたことにエルティティスはほっとした。年齢的にまだ大きな問題にはならないが、男性と二人きりでの非公式な面会は、下手すると醜聞になりかねない。こちらを蹴落とすことに並々ならぬ情熱を燃やしている『お姫様方』なら喜んで脚色した噂話を流してくれる気がしていたのだ。エルティティスはサリホに心から感謝する。
「ありがとう」
「どういたしまして。
……明日、お姫様方が暴走しないように、火消しもちゃんとしなくちゃダメよ」
「……ソウデスネ」
「女の園はこえぇなァ」
「あなたのせいだってこと、忘れるんじゃありませんの!」
サリホに叱られたアヴグストは小さく舌打ちした。
悪いとわかっているが素直に謝れない小さな子供のようなしぐさだった。




