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エルティティスとミハイルの場合 2

前回から半年経っています。いきなりで申し訳ないです。

「エル。課題は終わりましたの?」

「サリー」

 声をかけられてエルティティスが振り向くと、学友のサリホが教材を抱えてこちらへ歩いてきていた。

「お疲れさま、これから授業?」

「いいえ、終わったところですわ。教材を研究室へ戻さなくちゃいけないの……」

「重そうだね、手伝うわ」

「ありがとう……」

 エルティティスはサリホから教材の一部を受け取る。思っていたより重くはないが、持ち運びづらい大きな荷物を引き受けるとサリホの顔が和らいだ。

 サリホはエルティティスよりもずっと淑やかだ。実は家格としてはエルティティスの実家の方がはるかに上なのだが、その立ち振る舞いからか、彼女の方がよほどやんごとなき家のご令嬢に見える。その美しい所作や自分にない女性らしさに、妬ましいという気持ちが生まれないと言えば嘘になるが、サリホは公平で好感を持てる人物だとエルティティス感じている。側にいる特権とばかりに立ち振る舞いや言葉遣いを学ばせてもらっているのは内緒だ。タダでは転ばないぞ。

 今までは技師になるつもりだったから、というのは自分が淑女らしくないことへの単なる言い訳だ。男性を惹きつける女性の所作というものを学んでこなかったことをエルティティスは反省している。これから彼女は自分の家柄にふさわしい男性をなんとしてでも見つけて、そして結婚に同意してもらう必要があるのだから。

「課題の話だけど、さっき提出してきたところよ」

「もう? 早いのですわね」

「早いって言っても、もう提出期限は三日後よ。ギリギリまで粘るつもりなの?」

「今回の課題、魔力の消費が結構激しいから一気にはできませんの……」

「ああ……」

 魔力持ちの人間にとって、魔力は血液のようなものだ。

 本当の血液のように大量消費でショック症状を起こしたり死に至るといったことはないが、大量消費すれば本調子は出なくなるし、尽きれば失神することもある。

 納得しているとサリホがあきれた顔をした。

「わたしも魔力はある方だと自負していたのですけれど、エルはそれより断然強いみたい。

 ……お姫様方を相手にするのは疲れるのではなくて?」

「ええ、まあ。

 でもそこまでではないわよ」

 サリホの言葉にエルティティスは苦笑して答える。

 学園に入学して半年が経った。最初は戸惑った寮生活も慣れれば楽しくなってくる。寮生活を強制されるのは魔力持ちの者だけで、それ以外のものは地方から進学する者でない限りは実家通いが認められている。そのため寮を使う生徒があまり多くないせいか、はたまた上流階級の人間が入学することが多い学園だからか、それなりの広さの一人部屋をもらえているので人間関係に苦しみすぎるということもない。あくまで苦しみすぎないだけで、全く苦しまないわけではないが。

 彼女が言う「お姫様方」というのは、一般階級の家を出た中にいる問題児たちのことである。一般家庭が負担を理由に進学を妨げないよう、一定以上の魔力を持つ人間の学費を免除する制度を定めている。

 彼女たちはいわゆるお嬢様学校と呼ばれるこの学舎に、学費免除――特待生枠で入学できたことに舞い上がっているのか、なかなか自由奔放な振る舞いをする。

 そしてエルティティスはなぜか彼女たちに目の敵にされており、大なり小なり嫌がらせを受けていた。エルティティスが彼女たちよりも強い魔力を持っているからだろうが、誰もが名前を知っている由緒ある家柄の生まれであることも、彼女が反撃しないことも、それに拍車をかけているかもしれない。

 家柄を考えれば、エルティティスを敵に回せばまずいと理解しているだろうから、これ以上彼女らの振る舞いがエスカレートすることもないと考えているのだが……正直断言できない。だから彼女たちの暴走を止めるのもエルティティスがやらなければいけないことだろう。

「正直放っておきたいけど……」

「それが許されないわね。あなたのお家柄は」

「うん……」

 エルティティスを攻撃するのは、本当に危険なことなのだ。だからそれを早い段階で止めるのはエルティティスの義務だ。

 人によっては、相手を陥れるためにあえて攻撃させ、決定的な破滅へご招待――といったことを考える悪辣な人間もいるだろうが、エルティティスに限っては断固としてそれを避けなければならない。やむを得ずそうなってしまうというのも言い訳にならない。絶対に避けなければならない。

 もし誰かがそういった行動を取ったとしても、その行動によって良識のある人間に距離を置かれる可能性が高くなるだろうが、学校生活というせまい社会の中で生きていくだけならば気にするような障害にはならないのかもしれない。

 だが、エルティティスは技師の家系である。技師を家族に持つ人間としては致命的な醜聞になる。彼女だけでなく、家の汚点になるのだ。

 犯罪者に立ち向かう職業であるだけに、犯罪行為はもちろん、犯罪を陥れるような行為も世間に対して重大な裏切り行為になる。彼女が技師ではないということも世間に対する言い訳にはならない。技師の官僚である父――家長の監督責任に問題があるということになり、一族に対して風当たりが強くなるのだ。

 犯罪行為や人道にもとる行為は絶対にしない、させない。エルティティスに課せられているものは、公私関係なく、日常生活あらゆる場面での清廉潔白さだ。

「なにかあったら言ってちょうだいね。お姫様方に対してなら、わたしの方がエルよりもうまく相手にできると思うの」

「ありがとう。でも私も自分でなんとかできるわよ?」

「そうかしら。エルの場合、説得すればするほど相手を挑発することになりそうだわ」

「うっ……」

 図星だったのでエルティティスは身を縮める。

「気をつけます……」

「そうよ、ちゃんと頼ってちょうだいね」

 サリホはにっこりと微笑んだ。




 教材運びを終えサリホと別れたエルティティスは、そのまま寮へ帰宅する。寮内の一階すみにある食材置き場で、いくつかの野菜と果物を選び取った。

 この寮は自室で自炊が可能で、食材についてもこのスペースに置かれたものに関しては自由に使っていいことになっている。ここが家政学科という名の淑女教育目的の学科で、調理や被服の習熟を重視しているためだろう。

 近所の農家や酪農家が商品にできない、いわゆる規格外を寮に安く売ってくれているのだ。買い取っている量は多くないので早い者勝ちだが、新鮮だし、普段スーパー等ではあまり見かけない野菜も置かれることがあるので、楽しくなってきたエルティティスは毎日のぞいている。

 もともとこの食材たちは、学園に通うものの経済的に余裕のない生徒たちの自炊用に準備されているものらしいのだが、エルティティスがここ半年見る限り、『お姫様方』が使っているところは見たことがない。たまに見かけるのは一般家庭出でしっかり者の同級生だったり、会うのは初めてだが名前は聞いたことがある上流階級の娘だったりといった具合だ。経済的に余裕があるエルティティスは最初は遠慮していたのだが、余らせるのももったいないからと最近は好きなものを好きなだけもらうことにしている。

「こんにちは」

「こんにちは、フローラ先輩」

 見たことのない巨大な花のつぼみのような野菜を手にして考え込んでいたエルティティスは、声をかけられた方に一礼して場所を空けた。

「エルちゃん、今日はなににしたの? あ、アーティチョークね」

 よくこの場所で一緒になる上級生のフローラ――フロレンシアが、長く豊かな髪をおさえてエルティティスの手元をのぞきこみ微笑んだ。長身でほっそりとしたそのスタイルに、エルティティスは内心でため息をつく。小柄で肉付きがいい自分と正反対で、エルティティス理想のスタイルである。うらやましい。

 フロレンシアとはここで何度か顔を合わせているうちに仲良くなった。見たことのない食材を手に考え込んでいたエルティティスに彼女が調理法を伝授してくれたのがきっかけだ。フロレンシアの母の故郷の料理はこの国にはないもので、エルティティスが普段食べている野菜とは同じ名前でも見た目や大きさが違ったり、調理法が異なっていたりする。聞くだけでも面白いし参考になるのでしばしば話を聞かせてもらっていた。ちなみに、二人が話し込んでいる際に通りかかった幾人かも興味を惹かれたのか話に加わり、この場所でエルティティスの交友関係は学年問わずかなり広がった。食は偉大だ。

 フロレンシアは女性にしてはかなりの長身なので、初対面の時はやや圧倒されたエルティティスだが、話してみれば年下であるこちらが心配になるほどおっとりしていて心優しい。彼女を見上げながら、エルティティスは手に持っていた野菜を見せて話を始める。

 寮のロビーでフロレンシアと別れ、持参した布袋に譲り受けた食材を入れて部屋へ向かう。疲れ切っている日は食堂を使うこともあるが、そうでなければ基本的に自炊することにしている。食堂の料理は量も十分でおいしいと評判ではあるが、エルティティスは自身のふっくら体型が気になるお年頃であるため、毎日の利用は控えたい。それにサリホが魔力の使いすぎによる疲労で、部屋で休むと言っていたので、あとで食事を持っていってあげたい。今日は体にやさしいものを多めに作ろう。

 自身の部屋の扉の前へ向かいながら回路を組んで、魔力で鍵をかけていた扉を開く。両手で袋を持ったままそのまま自然に開いた戸をくぐり――

 ひっと声をあげてどさっと袋を取り落とした。


「ティティ、来たぞ!」


「いや、来ちゃダメでしょう! ミハイル……ここ女子寮だから……」

 にこにこと自分の部屋のソファに腰かけ手を振る天使――が今は悪魔に見える。なにはともあれ、ミハイルの姿が人に見られたらどうなるかわからない。あわてて部屋へ入り扉を閉めたものの、ひどい脱力感にしゃがみこんで頭を抱えた。

「どうやって部屋に入ったの……って聞かなくてもわかる。窓からよね」

「その通り」

 エルティティスはとりあえず自分が落とした袋を拾ってくれたミハイルにもといたソファを指し示し、お茶の準備をする。


(寮生活になれば、顔を会わせる機会は減ると思ってたんだけど……これじゃ実家と変わらないことになりそう)


 思わず遠い目になりながら、エルティティスは幼なじみにお茶を出すと、その横を抜けて部屋の窓に触れる。

 脳裏に情報が浮かんだ。


 ――宙に浮くミハイルが窓枠に手を触れた。

 ――解錠。


「……見事に私の封印を破ってくれるわね。もう」

 エルティティスは触れた部分の記憶――残留思念と呼ぶべきか――を読みとることができる。ミハイルもエルティティスが『読む』ことは知っているので、彼女の言葉の意味は的確に理解した。

「破ってない。正常動作だ」

「そうだけど!」

 エルティティスは大きく息をついた。

 わかっている。ミハイルが封印を無理矢理破ったわけではない、エルティティスが窓に施した封印が悪いのだ。封印が勝手に、彼の魔力をエルティティスのものと認識して自動解錠してしまっただけなのだから。

 そう、エルティティスとミハイルの魔力の波動は非常によく似ている――いや、同質といっていい。もちろんそれには理由があるが、今のエルティティスはそれどころじゃない。

「入学のときに説明したけど、ここは女子寮だって言ってるじゃない、男子禁制なんですけど……!」

「だって、最近全然会ってないだろう? 会おうと誘っても課題だ試験だのと言って」

「いや、だって、私たち学生だから。学業が本分だから」

「知ってるぞオレは。お前が課題を締め切り前にあっさり終わらせて、空き時間で魔法の回路構築の訓練をしてることを。回路のことならオレが一緒の方がはかどるのに!」

「うっ」

 ミハイルにあっさりと指摘されて、エルティティスは首をすくめる。

 言葉をつまらせていると、ミハイルが手招きをした。言われるがままにエルティティスはミハイルの隣に腰かけると、うつむく顔をのぞきこまれる。

「……オレと会わないように避けてるか? オレが嫌いになったか?」

「避けていないし、嫌いにもなってない。でも……」

 この男には思春期というものは来ないのだろうかと内心思いながら、エルティティスは即答した。母や乳母いわく、今の自分たちくらいの年頃の少年は、女子を避けたり邪険にするものだそうだが、ミハイルがエルティティスに邪険な態度をとったことなど一度もないように感じる。むしろ逆だ。

「でも、なんだ?」

「……私、そろそろ婚約者を決めないといけないから、今までみたいにミハイルと遊んだり会ったりはできない。ミハイルは男の子だから、頻繁に会ってたら婚約者の人に失礼になるから。

 婚約者ができたら、ちゃんと礼節を守らなくちゃいけないもの。家に入ってもらうんだから、私がきちんとしてないと」

 婿をとるにあたって、エルティティスは母からさまざまな話を聞いた。結婚するということ――育った環境も違う、血のつながりもない人間と一緒に暮らすということは、互いに譲り合いの気持ちや思いやりが大切で、それがあったとしても大変なことなのだという。細かいところで言えば食事の好み、生活習慣の違いなどだろうか。

 そういった部分をすりあわせることはもちろん大切なことだ。最低限のこととして、互いが誠実でなければ共同生活は上手くいかないというのが彼女の母の結論であった。エルティティスもその言葉に納得したし、従おうと考えている。

「そういうわけだから……ミハイルのことが嫌いになったわけじゃないけど、これからはあまり会えない。

 だから今後ミハイルはこの部屋に来るのはだめ。一緒に出かけるのも、二人きりじゃなくてお互いの友達とかと一緒じゃないと……」

「断わる!」

「え? こ、ことわ……?

 でも、ミハイルもそろそろ考えないといけない時期でしょう、跡取りなんだから」

 この回答は予想外だった。エルティティスは目を見開く。

 ミハイルも将来は実家を継ぐ嫡男だ。彼も婚約者を決める時期に差し掛かっているはずなのに、エルティティスと会うことは問題ないのだろうか。

「なあ……ティティの婚約者、オレはどうだ?」

「だめ!」

 即答したエルティティスにミハイルがむっとした。

「なんで!」

「ミハイルは自分の家を継ぐでしょう。私は家に残ってお婿さんもらわなくちゃいけないからお嫁にいけないのよ!」

「それならトバルカ――」

「兄さんは家を出たの。だから私はお嫁に行けない。

 言っておくけど、ミハイルが家をお姉さんに任せてうちに来るとかはなしよ!」

 エルティティスの言葉にミハイルは口をぱかりと開けて呆けている。

 彼女が危惧していたのはそこだ。正直に言えば、エルティティスはミハイルのことが好きだ。ミハイルの実家は古い家ではないが国からの信頼は厚いし、もちろんエルティティスの家とも関係は良好だ。職種が同じだから家同士の問題が出るもない。彼の性格も能力も問題ない。けれど、だめだ。

「そんなこと言ったら、私はミハイルのこと大嫌いになるわよ!」

 だから精一杯眉間に力をこめてそう言うと、ミハイルはしばし考え込んだ。

「……つまり、今は嫌いじゃないってことだな!」

「え」

「オレが家を継がないと言ったら嫌いになるってのはわかった。

 とりあえず、家のことは忘れて考えてくれ。オレと結婚するのは嫌か?」

「家のことは忘れてって、どういうこと……?」

「たとえ話をする。

 たとえばオレより姉ちゃんのが優れてるからって、オレが跡取り候補から外されたとする。さらにティティの方もトバルカが家を継ぐとする。つまりふたりとも家のことを考える必要はない状況だ。

 ――この前提でオレが求婚したら、お前は受けてた?」

 エルティティスはしばし逡巡した。

 このたとえ話に意味があるのか、とか。

 ありえないことだから、答える必要ない、とか。

 いくつかの答えがぐるぐると頭の中をかけめぐったが――結局、正直に答えることにする。

「……はい」

 ミハイルの顔は見れなかった。

「わかった。

 そこまで言うなら、ティティの言うとおりにする」

「……ありがとう」

 エルティティスはもはや泣きそうだった。

 仕方がないことだと思っているが、自分の要求を彼に押しつけたことの申し訳のなさ、本音を言わされたことへの羞恥、そして自分の隣からミハイルがいなくなる淋しさ。でもそれを招いたのは自分であって、これはどうにもできないことで――

 さまざまな気持ちがぐちゃぐちゃになって、処理ができなくなってきていた。

 顔を上げないままのエルティティスの頭をミハイルがそっと撫でた。そのまま頬に手が流れて、ひとつこぼれた涙をさりげなくぬぐわれた。優しい手つきにびくりと震える。

「正直に言ってくれたと視てわかるから、仕方ない。

 ここで嘘でも吐かれてたら、オレは将来の技師としてどれだけの尋問能力を持っているのかをお前相手に試していただろうな! あと腹いせにお前の婚約話片っ端からつぶしてただろう。

 命拾いしたな、ティティ!」

「……え?」

 清廉潔白を地で行くミハイルの口から発せられた不穏な言葉に、エルティティスは驚いて顔を上げた。

 ミハイルはそれには答えず彼女の前髪をかき分けて額に口づけたので、思わず飛び上がった。

「みみみみミハイルっ!? だから、私はッ!」

「婚約者がまだ決まってないからセーフ」

「アウトだよ!」

 慌てて飛び退こうとしたエルティティスの腰をミハイルががっちりと捕らえる。


 (や、やばい。おなかの肉が!)


 そんな場合ではないのだが、エルティティスは内心で叫んだ。ふっくら体型を気にする微妙なお年頃の娘なので、ミハイルの手の位置は彼女にとってアウトな場所だ。

「大丈夫だって、別に気にならない」

「やめてっ! 耳元で話さないでっ! ……おなか撫でるのもやめてっ、ばかっ!

 ――というか、さっきから全力で視てくるの、やめてくれないかなッ!?」

 もはやこらえることもできず、ぼろぼろと涙をこぼしながらエルティティスは抗議した。

 ミハイルには昔から隠し事ができない。それは尋問よろしく言葉巧みに本音を言わされることもさることながら、彼の能力もその一因だ。

 エルティティスが触れた部分の記憶や記録を『読む』ことができるならば、彼は一定距離の人の感情を『視る』ことができる。彼がいつから『視て』いるかは不明だが、先ほどからエルティティスの言葉に嘘がないか、そして感情や考えがすべてミハイルに筒抜けだったのはこのためだ。

 魔力以外の付加能力を持つ人間は多くはないが、希少というほどでもない。人によって能力差はまちまちだが、ミハイルはそれなりに強い能力を持っている部類であるし、さらに回路構築と組み合わせて距離や精度の底上げをすることができる。今回は距離はともかく思考を視る精度は限界まで引き上げられていたとみて間違いない。

 ミハイルにがっちりと腰を抱え込まれたエルティティスは、回路の範囲外に逃げることもできず、ぼろぼろと涙をこぼし続けた。泣き顔を見せられなくて、ミハイルの右肩に顔を押しつける。

「ねえ、回路切って。もうこれ以上視ないで……」

「ティティが正直な気持ちを言うなら切ろう」

「もう視てわかってるくせに……ずるい」

「オレはいつもティティには正直に自分の気持ちを言ってる。だからずるくない」

 言いながらも、ミハイルが回路を切ったのがわかった。

 エルティティスはしばし息を詰める。言葉にするには勇気が要った。

「ミハイルがいい……」

 背に手を回してぎゅっとしがみついたエルティティスの涙声に、ミハイルが身じろいだ。

「うざいけど、結婚するのも、一緒に暮らすのも、子供……産むのも。ミハイルとがいい……」

「う……うざい、か?」

「うざいよ。でも好き」

 エルティティスの声に嗚咽が混じる。

「でも、ミハイルは……自分の家を継がないといけないもん。

 ミハイルが跡継ぎとして、どれだけ頑張ってきたか知ってる。

 だからお婿に来てなんて、跡継ぎを他に任せろなんて言いたくないもん!」

 こうして言葉で本音を吐露するまで、エルティティスの頭の中はずっとぐちゃぐちゃだった。

 いかにミハイルが人の感情や思考を精度高く視ることができるとしても、複雑に入り乱れる感情の、その中のどれが彼女の本心なのかまでは知ることは難しかった。ミハイルは息を詰めてエルティティスの言葉の続きを待つ。

「好きだけど……でも、私だって家は大切だし。

 ミハイルがいい、けど、お婿さんもらわないと、ダメだもん――」

 感情の言葉と理性の言葉が交互に、ぐちゃぐちゃのままエルティティスはミハイルにすがりついて泣いた。

 ミハイルはその間、ずっと無言で彼女の背中をさすっていた。





(やっちゃった!)


 泣くだけ泣いて、少し意識を飛ばしていたらしい。目が覚めたエルティティスは困っていた。泣き疲れて眠っていたのだどれくらいかわからないが、いまだミハイルにすがりついたままだ。涙のせいでミハイルの制服の肩がびしょびしょになっていることにも気づいて途方に暮れる。


(全体重かけたままどれくらい経っただろう……重いだろうし、どうしよう。)


 ミハイルはまだエルティティスの背中をさすっている。回路がなくてもこれだけ至近距離にいれば、ある程度の思考が読める彼には彼女が目を覚ましていることも我に返って内心冷や汗をかいていることにも気づいているはずだ。

 それでもミハイルはなにも言わない。エルティティスは彼が自分に考える時間をくれているのだと思った。


 ――ならばすぐにでも彼から離れてなにかを言わなければならない。


 ――でも、なんと言おう。


 思考がぐるぐると周り、一瞬ミハイルの感情を『読んで』しまおうかとも考えた。普段は常人と同じく相手の考えや感情を目で見たところから推しはかることしかできないエルティティスだが、触れている状態ならばミハイルよりも正確に、また子細に知ることができる能力を持っている。

 が、知るのが怖くなり、やめる。

 それにこの先、ミハイルと離れてまだ見ぬ婚約者と生きていくことになるのだ。好かれているにしろ、愛想を尽かされたにしろ、ミハイルの本当の気持ちを知るのは怖かった。

「ティティ」

「はいっ……っん、首、やめて」

 怒ったような声にエルティティスは飛び上がった。が、首に息がかかって驚き身をよじる。

 顔を上げるとミハイルが複雑な表情をしていた。

「ぬぐぐ……」

「どうしたの?」

「いや、叱りたかったんだけど……」

「し、叱るの?

 じゃなくて、具合悪くなってきたの? 待ってちゃんと――」

 エルティティスはミハイルの顔に触れて体調を『読もう』と回路を構築しかけて、その手をミハイルに捕まれる。同時に回路も霧散した。

「いやいやいや。体調は悪くないから読むのはストップ」

「え、でも……大丈夫なの?」

「それより」

 ミハイルはごほん、と咳払いをひとつ。エルティティスに向き直る。

「とりあえず、ティティの気持ちはわかった。オレは立派な跡継ぎとして周囲に認められるよう頑張る」

「あ……うん、頑張って。私も頑張る」

 急に話が先ほどのものに戻った。

 不意を突かれて動揺しながらも、エルティティスはうなずいた。

 複雑だが、ミハイルを応援する気持ちだけは心からのものだ。


(ミハイル、私と同い年だよねなのに、しっかりしてるな……ふつう、女の子の方が精神年齢高いって聞くんだけどな……)


 ということはつまり、自分が幼いのだろうとエルティティスは思う。

 家を守ろうという気持ちは本心だ。だが自分の感情の整理がうまくできないでいるエルティティスと違い、彼はすでに気持ちの整理ができているらしい。

「で、質問なんだが」

「う、うん? なに?」

「そっちは婿に家を継いでもらうってことで決定してるみたいだが……ティティが継ぐのはなしか?」

「……ええと、ありだとは思う。少なくとも両親は私が継ぐ方向で考えてる。

 ただ、それだとお婿さん来てくれないような気がするんだよね……」

 それなりにエルティティスの家は名門だが、自分が実権を握れないのがわかっていて結婚してくれる男がいるとは思えなかった。

「いや、心配するな。ティティが継ぐ方向で行ってくれ。それならオレも手伝えるし。取り急ぎ、協力してもらえそうなやつ紹介できるから」

「え……」

 エルティティスは頭が真っ白になった。

 つまり、これはミハイルがエルティティスの婚約者を紹介してくれる、と言っているのだろうか。


(好きな人に婚約者を紹介されるって、なんか、そういうの)


「お、お断りし――」

「お断りはナシだ。オレ、ちゃんとばあやとご両親にも話を通すから――」

「……やだ! いくらミハイルがばかでも、ここまでばかだと思わなかった! ばか! ばか!」

 語彙がないことに絶望しながらエルティティスは叫んだ。

 さすがに失恋した直後に、その失恋相手から婚約者の斡旋を受けるのはエルティティスの感情的に受け入れられない。

「ちょっと待て、なんでそうなる!? そうじゃなくて――」

 エルティティスの思考を『視た』のか、ミハイルが驚いて声をあげたが、エルティティスはこれ以上話を聞くつもりはなかった。

 魔力に任せて部屋からたたき出してやろう、とエルティティスがこぶしに力を込め――

 その力を霧散させられた。

 エルティティスは眉をしかめた。

「待て! 話は最後まで聞――」

「……きらい」

「えっ」

「ミハイルなんて、だいっきらい!」

 ぶつり、と感情にまかせてミハイルとの繋がりを切る。

 ミハイルが唖然とした表情になった。

「――ちょっ、待て、お前なんて無茶を――!」

「出てって!」

 叫ぶと同時に回路を構築する。怒りに任せて行動していても、腐ってもエルティティスは技師の娘だった。周囲に被害が被らないよう結界を張りつつ窓を再び開け放った。ミハイルは焦った顔をしているが、今度はその力をすぐには霧散させることはできない。接続を切ったからだ。

 いくら回路構築が早いミハイルでも、エルティティスが回路を無視して魔力だけをこぶしにこめる方がさすがに早い。感情のままそれをミハイルにぶつける。

「ばか!」

 彼をそのまま窓の外へ吹き飛ばし、窓を閉め、厳重に封印を施す。ついでにカーテンも閉める。

 ――これでもう、彼はここへ入って来られない。

「ばかばかばかばかばか!」

 エルティティスはそのまま泣いた。まだ泣けるのかと自分でも驚きながら、一晩中泣いた。

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