エルティティスとミハイルの場合 1
初投稿で、実験的に投稿しているため、消したり増えたりと迷走すると思います。ご迷惑をおかけします。
世界観も矛盾を直す努力も遠いところへ投げ捨てましたが書いてて楽しいです。
エルティティスがはじめて自分と同じ年代の子たちと会ったのは、五歳のときだった。
今まで自分以外はみんな大人だったから、意思の疎通に苦労したことはなかった。だから言葉が通じるけれど通じない生き物と接したのはあの時がはじめてで、どうしたらいいのかわからず途方に暮れていたのを覚えている。
しばらくして、遊びまわる子供たちの輪に入れずぽつんとしていた彼女と同じように、輪を外から眺めている子がいることに気が付いた。その子を一目見て彼女はとても驚いた。
率直に言えば、とてもかわいらしかった。
肩より少し長いつやつやの黒髪は毛先が少しくるんと巻いていて、真っ白な透けるような肌なのに頬と唇だけがふんわりとしたピンク色だった。
その子はふわふわの生地で作られたくまの大きなぬいぐるみを抱え、輪に入りたいが入れないといった様子で、元気に走り回る子たちをうつむきがちに見つめていた。
もちろん当時の彼女も、なんてかわいい女の子だろうと思った。
だから、どうにかその子と仲良くなりたいと、おそるおそるその子に近づいた。
あいさつが大事だと母から教わっていたから、できるだけ丁寧に、必死に自己紹介をした。恥ずかしいからって断っていたけれど、母の言葉どおり事前にあいさつの練習しておけばよかったと後悔してみたりもした。
彼女はしどろもどろに名前を告げたあと、勇気を振り絞って言ったのだ。遊ぼうって。
そうしたら、その子はそれはそれは嬉しそうに顔を綻ばせてうなずいた。
(今でも思い出すたびに思うわ。天使かって。)
それから二人はすっかり仲良くなった。十五歳になる今でも、二人は仲良くやっている。いわゆる幼なじみというものである。
――けど、そんな日々も考え直さなければいけない時期が来てしまった。
エルティティスは誰も見ていない部屋のすみで、そっと息を吐いた。
□■□■
よく晴れた昼下がり。
エルティティスは自室のバルコニーからティーポットと籠を抱えて庭へ出た。
庭の隅には先に準備しておいたマグカップや勉強道具が並んだ木製のテーブルとベンチがある。ツタの生えた植物が屋根になってちょっとした四阿になっているそこへ彼女はいそいそと足を運ぶ。
彼女が城下で購入したポットとカップのセットを並べて満足そうに微笑んだ。白い陶器に深い青の染料で幾何学模様が描かれた中に、赤の染料で小さな模様が泳ぐようにちりばめられている。年頃の娘が好みそうなデザインだが、高価なものではない。だがこの模様の細かさと可愛らしさを彼女はすっかり気に入ってしまった。
ベンチに腰掛けて、お茶が蒸れるのを待つ間に籠のフタを開ける。体のためにと砂糖を控えるべきと主張する天使のごとき幼なじみの言葉に従って、エルティティスも最近ちょっと食生活には気を使い始めた。
(とはいえ女の子は甘い物が大好きなものだからね。)
いそいそと木の実と木の蜜で作られた焼き菓子をひとつまみ口に運び、彼女はひとつうなずいた。我ながらよくできている。
こぽこぽとお茶をマグカップへ注ぎ、まだお茶の残ったポットの中に大きめの干し果実をひとつ落としてカバーをかける。
カップを傾けてひとくち。そして深呼吸。
よし、やるか、とつぶやいてペンを動かしはじめた。紙の上に描かれた回路の流れをおさらいする。
「ティティー! エルティティスー!! 来たぞー!!」
「わぁっ!?」
ばぁん! と派手な音を立てて部屋の窓を開かれた。
その衝撃にエルティティスは飛び上がり、そのまま膝と手を床についた。要するに、驚きすぎてベンチから崩れおちた。
彼女が顔を上げると、まっすぐな黒髪を髪留めでまとめた美しい顔があった。エルティティスが胸中で天使と呼ぶ幼なじみである。やってきた直後は満面の笑みだったが、ずり落ちたエルティティスを見て目を丸くした。エルティティスは決まり悪さに小さくむくれた。
「びっくりしたのよ……」
「おお、驚かせてすまん。大丈夫か? けがはないか?」
「だいじょうぶ」
天使はすばやくエルティティスのもとへやってくると、彼女の手を取って立たせてくれる。そのまま二人でベンチに座る。
「……それにしても、今日も急に来たわね、ミーシェンカ」
「ああ、試験の結果が出たころだろう? 結果を聞きたくて」
なるほど、と思いながらエルティティスが部屋の方へちらりと目をやると、彼女の乳母が大きく重そうな包みを部屋の隅に置き、こちらへ一礼をしたところだった。
エルティティスは天使に一言物申すかと考えて、思い至って口を閉じる。エルティティスが乳母に向かって無言でひとつうなずくと、彼女はもう一度頭を下げて部屋を出て行った。おそらく茶の準備をして戻ってきてくれるだろう。
と、ミーシェンカがいたずらっぽく言う。
「怒らないのか?」
「……かんじわるい」
エルティティスはむくれた。
――ばあやは腰が悪いんだから、あまり重いものを持たせないで。
おそらくミーシェンカは彼女がこう言おうとしたことを知っているのだ。
「どうせ、この部屋に入る直前までは自分で運んでくれたんでしょ」
天使は肩をすくめた。図星だったのだろう。
エルティティスが苦言を口に出したら、乳母はおそらくミーシェンカがここまで荷物を運んでくれたことを正直に白状するだろう。もちろん、そうなればエルティティスは立場上、客人をもてなさなければいけない立場の使用人を咎めなくてはいけなくなる。だが天使は乳母の腰があまりよくないことを知っている。だからここまで自分で荷物を運んでくれたのだ。その好意にエルティティスは素直に甘えたのだが、こう言われてしまったらエルティティスはどうしたらいいかわからなくなる。
ふくれた彼女を見て天使はこらえきれずにふき出したが、こぶしを握った彼女を見て両手を上げた。降参のポーズだ。
「すまん、いじわるを言った。
――で、茶の途中だったのか? 普通と違うにおいがするな」
言ってエルティティスの飲みかけのマグカップを見て不思議そうな顔をする。
エルティティスも根に持つ方ではないので、あっさりとうなずいて答える。
「うん。リラックスにいいってハーブを使ったお茶のこと、このあいだ話したのを覚えてる? さっきまでばあやに教えてもらってたんだけど……」
「ああ、前に言ってたな。なんだっけ、ひとつひとつはけっこうクセのあるものが多いから、組み合わせたり、飲みやすいようにいろいろ混ぜたり香りをつけたりってやつか?」
「そうそう、それ。最近はばあやだけじゃなくて、母さんや使用人のみんなも興味津々で。みんなで組み合わせのアイデアを出し合ったりしてるの。
そのせいでついつい勉強時間が短くなっちゃって、今日ついに父さんに『ちょっとは勉強しなさい』って部屋に戻されちゃった」
「……ああ、だから今日はばあや以外みんないなかったのか。いつもはもうちょっと出迎えてくれるのに」
(それは急に押しかけてきたからだと思うけど。)
こうして天使が前触れなく押しかけてくるのはいつものことで、ついでに言うと使用人たちが天使を家人扱いし始めてしまっているだけなのだが、エルティティスはとりあえずなにも言わずにそうかとうなずいた。
「ばあやが入れてくれたから来たけど、忙しいようなら今日は遠慮しようかと思ってたんだが」
「違う違う。みんな私たちそっちのけで自分たちが楽しんでるだけだから、全然問題ないわよ。
母さんたちはまだみんなと話こんでる。楽しそうでなによりですね。ずるいわ」
彼女の言葉にミーシェンカが笑った。
「てことは、本日一番美味しかった配合のお茶がこれってことだな?」
「ご名答。奪ってきてやったわ」
「このあと、これより美味い配合が作られてるかもしれないけどな」
「うーん。ありそうだからいやだ! 参加したかったのに!」
言ってる間に乳母が戻ってきた。ティーセットとは別に、余分なマグカップをひとつ持ってきてくれているところがさすがだなあとエルティティスは苦笑した。なんだかんだで、家族も使用人も皆ミーシェンカの突然の来訪に慣れているし、それなりに歓迎しているのだ。
ポットからカバーを外し、乳母が持ってきてくれたマグカップにお茶を注ぐ。
「少し冷めちゃったかも。今ばあやがちゃんとしたお茶を準備してくれてるけど……」
「気にするな。いただきます……
にがっ!」
「あー、ハーブが出すぎちゃったかあ。私が飲んでたときがちょうど良いくらいの出だったしね。しょうがないね。
さっき追加で入れた干し果実から出た甘みで、えぐみを中和してくれるといいなあって思ってたんだけど」
「実験台、ダメ絶対!」
エルティティスが苦笑しながら籠を差し出すと、涙目になりながら木の実の菓子を取って頬張った。
口をきゅっとしているミーシェンカに目で訴えられ、しょうがないのでエルティティスも責任を取って一口飲んだ。
以前使用人の一人が生み出した殺人的な配合に比べれば可愛いものだな、と思ったが言わなかった。
「――で、どうだった?」
「試験の結果?
うん、大丈夫だった。及第点もらったよ」
今年から二人は高等学校へ入学することとなる。エルティティスたちは理由があって特待生枠として入学試験を免除されているため、入学試験は受ける必要がない。だが入学前に適正や学力等を確認するために試験が行われる。結果はもちろん受験者に開示されるため、その成績をエルティティスは問われたわけである。
ちなみに、この試験で及第点が出ない場合は入学までの間に追加課題が出されるらしい、とは天使の言である。学園側も生徒のレベルに応じて準備があるだろうし、生徒側も入学してから授業についてこられなくなることのないよう準備しておきなさい、ということなのだろう。
二人が通う予定になっているのは表向きはごく普通の学園なのだが、表沙汰にされていない秘密がある。
――この世界には魔力も持った人間が産まれることがある。
一定以上の魔力を保持している者は、国の方針として専門の高等学校へ入ることが義務づけられている。学園生活の中で魔力制御などを学ぶことで社会の中で生活していくことを覚えろということだ。
世界規模で見ても魔力持ちの人間はまだまだそんなに数が多くないため、彼らを差別の対象や驚異の対象にする地域もある。それに魔力持ちの人間の特殊能力を利用しようと近づく者も少なくないのだ。魔力持ちの人間を国が把握・教育することで、魔力を持つ者と持たない者、双方の安心と安全を図っているのだ。
もちろん魔力持ちの人間のための授業を行うが、それ以外は普通の学園なので、通常の高等学校卒業資格は同じように得られるし、卒業後は一般的な学科のある大学へ行くなり、一般企業へ就職するなり、そこから先はどういった進路を選んでも問題ない。
「ミーシェンカは頭もいいし大丈夫だと思ってるけど、どうだった?」
「もちろん上位だ! この完璧なる頭脳を持ったオレが落第など、するわけない!」
「……だよねえ。おめでとう」
普段はわりとバカっぽい言動をしているが、跡取りとしての自覚と誇りをしっかり持って努力している人間であることは、エルティティスもよく知っている。
「だが、オレより優秀な人間も多くいた。彼らに負けぬようよう、さらなる努力をせねば」
「成長したねえ……」
「はっはっは! なに母親のようなことを言ってるんだティティ、お前もオレと同い年だろう」
「うん、そうだね……」
ポットとお菓子の籠を抱えて部屋へ戻るエルティティスの後ろを彼がついてくる。辞書などの重いものは当然のようにすべて引き受けてくれていた。
部屋へ戻ると乳母がえぐみの出ているハーブティではなく、きちんとしたティーセットを準備してくれていた。準備の様子を眺めながら二人でソファに向かい合って腰を下ろす。
そしてエルティティスは彼を見つめ、内心で頭を抱えた。
そう、『彼』である。
ミハイル――あんなにかわいらしかった天使は、正真正銘の男の子でした。
エルティティスは息を吐く。もちろん今のミハイルも多少うっとうしいところがあるものの、内面、外面ともに優れた人間だと思っている。けれど夢を砕かれたという気持ちも、少し、かなり、いや大分、ある。
「ところでティティ、さすがにオレらも子供じゃなくなるんだし、そろそろ『ミーシェンカ』はやめないか?」
「かわいいのに、ミーシェンカ」
「可愛くないだろ、オレは!」
「……うーん」
(昔は! あんなに! 可愛かったのに!!)
そう言いたい気持ちをぐっとこらえる。男の子に可愛いは禁句だと、乳母に口を酸っぱくして言われている。
しかし、ミハイルが男の子だと気づいたのが十歳の頃――つまり、出会ってから五年ほど勘違いをしたままだったことを、エルティティスはいまだ本人に打ち明けられずにいる。
小さい頃は引っ込み思案だった彼が嘘のように明るくなったこともそうだが、小さい頃は毛先がくるんとした柔らかな髪が、成長するにつれてまっすぐでクセひとつない黒髪になった。まっすぐすぎて前髪が邪魔になるからと、エルティティスが贈った髪留めで前髪を留めて額を出している。
ちなみにその髪留めを贈った当時、まだエルティティスはミハイルのことを女の子だと思っていたので、今でも愛用してくれているのを見ると複雑な気持ちになる。しかもきちんと手入れをしているのか、それなりに使い古されているはずのその髪留めは美しさを保ったままだ。これもまたエルティティスが頭を抱える一因だったりする。
成長した今でも細身で中性的な顔立ちだが、表情や所作は十分に男の子で、どう勘違いしようにも女の子には見えない。
ほっそりとした手足がうらやましいとエルティティスは思う。彼女はふっくらとした体型を気にしていた。
「うん、確かにそうだね。これから二人とも家を出て寮暮らしになるわけだし、成人――将来のことも先の話ってわけじゃなくなってきたし、そろそろ『小さな可愛い子』はやめるべきだよね。
――ミハイルも立派な跡継ぎになるべく頑張ってるわけだし」
「その通りだ、よくわかっているな!」
ミハイルはエルティティスの言葉に笑顔になる。満足そうにうなずいて、茶を飲み始める。
と、ふとミハイルが眉をよせた。
「……ところで、どうしたんだ? ティティなら試験が及第点ですむわけないだろ?」
「え、落第すると思ってたの?」
「違う、逆。もっと優秀な成績を修められるはずだ。
……もしかして、力の調節がうまくいかなかったのか?」
「あ、うん、そのことも伝えようと思ってた」
この国では、魔力を持った人間のみが就ける専門職がいくつかある。
魔力保持者が総じて善良であればいいのだが、当然だがそうはいかない。そして、そういった特殊な能力を持った者たちを取り締まるのは普通の官憲には荷が重い。そのため魔力保持者の中で高い能力を持つ者は『技師』と呼ばれる魔力保持者の犯罪を抑止、捜査等を行う組織――警察のようなものだ――へ勧誘を受けることが多い。
エルティティスは父が技師の官僚で、古くから代々一族が技師を輩出する名門に産まれた娘だ。ミハイルも家としての歴史は浅いが優秀な技師を父に持ち、本人も将来を期待されるだけの能力と資質がある。
当然、二人も技師にと打診を受けていた。
だが――
エルティティスはソファの上で居住まいを正した。その様子に何かを感じたのか、ミハイルもティーカップを置いて姿勢を正す。
「あのね、私は技師専攻の学科に行かないことになりました。
私がこの家を継ぐ――というか、継いでくれるお婿さんをもらわなくちゃいけないから、その花嫁……修行? というかなんというか、そっち系を学べる学科の方へ行くことになったの。ええと、家政学科の方に。
料理とかお茶とか、あとは礼儀作法とか……まあ、いろいろ。まだ勉強をはじめてばかりだから色々不安なところはあるんだけど、なんとか及第点はとれた……というのが実情です」
エルティティスの説明に、ミハイルは目を見開いた。