資料9:ロバート・アトキンズ:『ラジオがもたらしたもの・放送の光と影』;2010
ラジオが人類の歴史に姿を表してから、110年が経過しました。
現代においてはテレビ、そしてインターネットによってその機能の多くを代替された感のあるラジオですが、構造が簡単なこと(110年前からその基本的な構造は変わっていません)、送受信のためのインフラがコンパクトにまとめられることから、マスメディアとしての特性と機能が完全に失われたとは言えません。
ラジオはかつて、マスメディアの花型でした。1920年にリレイア共和国で初めて放送されたラジオ番組は、瞬く間に社会現象と言えるレベルでの人気を誇るようになります。文字が読めない人でも最新のニュースを知ることができるというのは、画期的なことだったのです。新しいことを知るという喜びは、ラジオの人気を不動のものとしました。これは現代におけるインターネットの普及にも、似たような側面が見られます。
もちろんラジオは、音楽の放送も可能としました。新聞は絵を広めることができましたが、ラジオは音楽を広めることを可能としたのです。ラジオから流れる音楽は多くのダンスホールで受信され、人々はその音楽にあわせて踊ったり、あるいはいっときの気分転換として楽しみました。
これに加えて、ラジオは従来の常識を覆す距離での通信を可能としました。1900年当時のイラーシアは世界に植民地を広げていましたが、本国で発信されたラジオ番組は、地球の裏にある植民地で受信することができました。母国から遠く離れた土地で暮らす人々は、そういった番組を聞いて、大いに心を慰めたといいます。
受信機さえあれば誰でも番組を楽しめるラジオは、貧しい人々にとっての最高の娯楽となりました。
ラジオ誕生からしばらく、受信機は高価なものでしたが、ラジオは1台あれば複数人が楽しむことができます。また、ラジオが普及するにつれて低価格化も進み、本邦においても1930年頃には現代の価格で言えば5万円程度で販売されています。ラジオさえあれば好きなだけ音楽を聞けるわけですから、これは決して高い買い物ではありませんでした。
ラジオの普及により、海外のニュースが素早く流通するようになり、人々と世界の間の距離はぐっと近づきました。ラジオ登場以前であれば一生聞くことのない音楽や言葉も、ラジオからは聞こえてきます。多くの人に、ラジオは世界の広さを直感させることになりました。
また音楽も、変化しました。それまで大きなコンサートホールでお金持ちが鑑賞するものだった音楽すら、ラジオ放送の電波に乗るようになりました。酒場を巡ってギターをかき鳴らしてきた音楽家たちの音楽もまた、ラジオによって世界中に広まります。
もちろん、その黎明期においては、音楽家の演奏が無断で放送されてしまい、音楽家にはまったくお金が支払われないという時代もありました。ですが制度が整備されるにつれて、ラジオは音楽の市場を大きく広げる原動力となっていきます。
けれども、ラジオは必ずしも、良い影響だけを残してきたわけではありません。
第二次世界大戦は、ラジオの影響抜きには語れない戦争であったと言えます。ヘッセン帝国がトリエル政権下で暴走していった背景には、ラジオ(および無線)の存在が不可欠であったと、当時の軍需大臣サフィアスは回想録に示しています。その一節を引用してみましょう。
「(前略)工業国最初の独裁者であり、国民を支配するのに、ラジオやスピーカーをフルに利用した。そして、八千万の人間が、ただ一人の人間の意志に服従した。電話、テレックス、無線によって、命令を直ちに下部組織に伝達することを可能にした。そこでは、命令が絶対のものであるがゆえに、何ら批判されることなく遂行された。(中略)昔の独裁者は、自主的に行動できる程度の高い部下を必要とした。技術時代における権威体制はそれを必要とせず、通信手段ただそれだけで仕事を組織化できるのだ。その結果として、無批判に命令を受け取るというタイプの人間ができ上がるのだ(後略)」[1]
サフィアスのこの言葉は、トリエル政権が行った非人道的な戦争犯罪の責任を、技術に対して押し付けようとしているようにも感じられます。あたかも、「テレビが国民を白痴化する」と語っていた人たちが、今では「インターネットが国民を白痴化する」と語っているように。
ですがラジオに代表されるブロードキャスト技術が意図的に悪用されたとき、想像を絶する悲劇が起こり得ることを、認めないわけには行きません。
もうひとつ、ラジオが大きく関与した悲劇を紹介しておきましょう。
1994年にブール共和国で発生したジェノサイドは、民族紛争を背景としたものですが、約100日間で最大100万人前後、全国民の10~20%が虐殺される、史上空前の大虐殺でした。
この虐殺は大変用意周到に仕組まれたものでしたが、ここにおいてもラジオは重要な役割を果たしています。虐殺の標的とされた民族に対する悪意をむき出しにした番組が、虐殺が始まる数年前から連日のように放送されていたのです。そして一度虐殺が始まると、今度は自分たちが行う虐殺はあくまで自衛のための戦いであるという主張が、繰り返し放送されました。
当時のブール共和国はまだ識字率が低く、50%程度であったと言われています。このためラジオが持つ影響力は、圧倒的なものでした。
陳腐な言葉ですが、ラジオは道具に過ぎません。
ラジオは人に楽しみや慰め、ときには生きる希望を与える力を持っていますが、その力を逆方向に使えば、人から判断力と責任意識、非人道的な行為に対する抵抗感を奪うのです。
現在、ラジオはもう、第二次世界大戦のトリエル政権や、ブール共和国でジェノサイドを指導したブール統一戦線が悪用したような、そんな影響力は持っていないかもしれません。
ですがかつてラジオが担っていたブロードキャスト能力は、今も他のメディアにおいて脈々と生きています。だからこそ今、かつてラジオが何をもたらし、そして何を奪ったのかを、改めて検証すべきではないでしょうか。
[1]Albert Speer (原著), 品田 豊治 (翻訳) (2001). 第三帝国の神殿にて〈下〉―ナチス軍需相の証言 中央公論新社 446-447