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資料7:松方栄一郎:『失われた黄金時代の舞台裏』;2019

 20世紀における歴史理解では、33年戦争前夜の神聖サウラ帝国は、かの悲惨な戦争が勃発する直前に相応しい、停滞と腐敗、空虚な矜持と狂信が支配する、いわば暗黒時代であったとされてきた。

 だがレーンの統計学的分析以降、プレ33年戦争期の神聖サウラ帝国は、独自の技術革命によって繁栄期を迎えていたことが明らかになってきた。2016年に発行された『失われた技術革命――33年戦争が焼きつくしたもの』(ウィンセル)において、この期間は「失われた黄金時代」と定義され、この言葉は人口に膾炙している。

 事実、ウィンセルの研究によって、プレ33年戦争期の研究はこの数年で飛躍的に前進した。そして様々な研究が、プレ33年戦争期の神聖サウラ帝国が、一種の理想郷として発展していたことを示している。


 だがこれらの研究の多くは、佐藤が2014年に編纂した『33年戦争はなぜ起こったか』の主題、つまり「33年戦争はなぜ起こったのか」を説明しない。

 無論、プレ33年戦争期の研究は基本的にその時期の再評価を行うものであり、その成果は大きい。とはいえプレ33年戦争期の繁栄がなぜ史上空前の戦火の中に潰えたのかを完全に無視する形で研究を進めることには、不健全さを感じざるを得ない。

 言葉は悪いが、多くの研究は従来の常識を覆す事実を明らかにすることへの興奮に偏るあまり、失われた黄金期はやがて失われるという現実から意図的に目を逸らしているのではないか。ウィンセルが最初の論文に示したように、「これらの偉大な技術革新が、なぜその後の世界を変えなかったのか」という視点を持って、そこで発生していた技術革命や社会変動を分析することこそが、夭逝したウィンセルに対する、研究者がなすべき最大の手向けではなかろうか。


 実際のところ、ウィンセル以降に急増した浅薄な「歴史解説本」が示すほど、プレ33年戦争期の神聖サウラ帝国は、理想郷ではなかった。むしろ実態はその真逆であり、33年戦争は必然として発生したと考えられる。


 神聖サウラ帝国を論じるにあたって避けられないのは、神聖サウラ帝国は意図的な人種差別政策をとっていた国家であったということだ。1002年の『大イラーシア史』にも明らかなように、帝国はその政策としてエルマ族を二等市民として扱っており、社会不安のはけ口として積極的に活用さえしていた。

 こういった人種差別政策は歴史的に見て珍しいことではないが、神聖サウラ帝国におけるエルマ族差別は、プレ33年戦争期において完全に一線を越える。


 神聖サウラ帝国におけるエルマ族差別が、はっきりとした社会政策として形になるのは、いわゆる魔女狩りがその契機となった。

 1428年に初めて史料の中に登場し、1480年頃には中央イラーシアで猖獗を極める魔女狩りにおいて、ターゲットとされたのはエルマ族であった。諸侯および所領を持つ騎士たちは、自領内で起きた重犯罪に関して、その犯人を捕らえられなかった場合は、エルマ族が悪魔と取引して行った犯罪であると断定し、公開処刑によって民心を慰撫していた。

 16世紀に入ると魔女狩りはさらに拡大し、エルマ族に対する弾圧も過激化していく。1545年には首都アラシアにエルマ族居留区が作られ、首都近郊に住むエルマ族はすべて居留区へと集められた。居留区の生活環境は劣悪で、多くのエルマ族が飢えと疫病に倒れていった。

 このようなエルマ族居留区は帝国全域に広がり、1560年にはすべての選帝侯領に居留区が設立された。その頃、斜陽を隠しきれなくなっていた帝国は、比較的教育レベルの高い都市市民に対し、「自分たちよりも下の存在」を見せることで、不満の矛先を逸らしていたのである。


 1580年頃から始まった技術革命においても、エルマ族がその恩恵に預かることはなかった。

 むしろ1581年、アンテーヌ選帝侯領の中心的都市であるグルック市において、エルマ族居留地に対しグルック市民による大規模な焼き討ちが発生している(これは現時点において、エルマ族居留地に対する最初の組織的襲撃と考えられている)。

 グルック市のエルマ族にとって幸運なことに、焼き討ちによる死者はその規模の大きさに比して小さく、数十名に留まった。また都市の一部に対する放火は重大な罪であるため、襲撃を行った市民のうち数名が後に絞首刑に処せられている。少なくともこの段階においては、居留区襲撃は反社会的な行為と理解されていたし、エルマ族の有事に対する備えも機能していた。


 だが1583年にシヴィール選帝侯領の都市カロル市で発生したエルマ族居留地への襲撃は、カロル市のエルマ族に甚大な被害を発生させた。カロル市では少なくとも1000人のエルマ族が生活していたと想定されるが、1583年以降、カロル市に残された公文書には「エルマ族」の文字が登場しなくなる。おそらくこの襲撃によって、カロル市のエルマ族は全滅したか、ほぼ全滅に近い状況に追い込まれたものと思われる。そしてこの虐殺に対し、なんらかの法的処分が発生した記録も、残っていない。

 1000人という数字は、簡単に数万人が殺される現代におけるジェノサイドの凄まじさと比較すると、いささか大人しい数字に思えるかもしれない。だが当時のカロル市の総人口は12000人であり、そのうちの1000人が虐殺されるという事態は、明らかに異常と言わざるを得ない。


 革命的な新農法によって食料供給が安定し、高度な金属加工技術が発達することで生活の利便性は格段に向上、ラジオなどの新しい娯楽がもてはやされ、文化的にも成熟を迎えていたとされるプレ33年戦争期だが、それは同時に、エルマ族に対するジェノサイドが横行する時代でもあった。綺羅びやかな黄金時代の裏には、腐臭を放つ汚濁が拡大しつつあったのだ。


 本書は、プレ33年戦争期(これを到底「失われた黄金時代」とは呼べまい)の神聖サウラ帝国におけるエルマ族虐殺の歴史を検討することで、プレ33年戦争期が本当はいかなる時代であったのかを分析することを目的としている。このため、いささか読者の気分を害するデータや描写、引用を挟まざるをえないことを、前もってご承知頂きたい。

 だがこれこそが、「失われた黄金時代」の、舞台裏なのである。


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