資料6:『現代の鍛冶師が解明した、失われた黄金時代の謎:和田部元孝インタビュー』;2018
――本日は素晴らしい実演を見せて頂き、大変ありがとうございました。プレゼンテーションのスライドも分かりやすく、感服しました。
和田部:ありがとうございます。一応自分は鍛冶屋のつもりなんで、後者より前者についてお褒め頂けると、とても嬉しいですね(笑)
――そうかなと思いまして、この順番で言わせて頂きました。時間もありませんのでいきなり本題なのですが、和田部さんはなぜ鍛冶師を目指されたのでしょうか?
和田部:そうですねえ……もともと大学で工学部にいて、金属を研究してたってのは、影響として大きいです。
ただ正直言って、学生時代は将来鍛冶屋になって食っていこうなんて考えてませんでした。そもそも鍛冶屋って職業が現代に残ってると思ってませんでしたね(苦笑)。職業として刀鍛冶があるというのは知ってましたが、あれはまた別、というイメージがありましたし。
実のところ、僕は院に進んで、研究畑に入ることを漠然と考えてたんです。でも3回生の頃にゼミで一緒になった友人が、「この10年で最高の天才」みたいなヤツでして、それで自分が無謀な夢を見てるってのを思い知りましたね。「あっ、こんなのと張り合うとか無理だ」って(笑)。
とはいえ、せっかく勉強してきたことを活かさないのももったいないので、就活は金属を扱ってる商社に絞りました。大学じゃサッカー部のキャプテンとかやってたんで、コミュ力にも自信ありましたし。
――え、静山大学サッカー部でキャプテンと言いますと、プロ選手への道もあったのでは……?
和田部:あー、それは微妙にトラウマ案件でして(苦笑)
実はプロからの誘いもあったんですが、4回生に上がった直後の試合で派手に膝を故障しまして、半年ほど杖なしには歩けなかったんですよ。今は補助がなくても大丈夫ですが、走ったり跳んだりはしんどいですね。
あ、いえ、記者さんはお気になさらず。もう昔の話ですし、自分の中では整理がついてます。
――勉強不足で、大変失礼なことを申し上げました。ですがその、商社から鍛冶師というのも、ずいぶんユニークな転職のように思えます。
和田部:ですねえ、自分でもそう思います(笑)。
商社からは転職っていうか、ぶっちゃければ僕、燃え尽きてたんですよ。
商社に入って3年目でしたね。多少は仕事にも慣れてきたかな、という頃になって、ちょっと金額を口に出せない規模の仕事を任されまして。「君に一任するよ」と言われたんですが、いやこれしくじったら会社傾きますよね? みたいな、そんな数字だと思ってください(笑)。
――それはまた凄いですね。
和田部:2年、無我夢中で世界中を駆けまわりました。都合6日で地球を2周したときは、さすがにこれは死ぬかもと思いましたね(苦笑)。でもなんとか、契約にこぎつけたんです。
でも、それで完全に燃え尽きました。1ヶ月ほど有給取ってリフレッシュと思ったんですが、南の島に行っても朝6時には飛び起きるんですよ(笑) もうね、仕事がしたくて仕方ない。
それなのに、1か月後に復帰して最初の小さな仕事で、いきなりとんでもないポカをやりまして。大事な会議のある日だったのに、起きたら夜だったんですよ。
おかしいなと思ってカウンセラーの予約を取ったら、通院治療が必要な状態だから、業務は任せられない、と。もうね、ポーカンって感じですよ。
――それで会社を辞めることに?
和田部:うーん、その頃はまだ、早く現場に戻りたいと思ってました。ただ、やっぱりそういう気持ちだけが空回りしていたみたいで、どんどん泥沼に落ち込んだんですよね。
要は、若かったってことだと思います。研究者の夢を諦めて、サッカー選手を諦めて、妥協に妥協を重ねて選んだ仕事で大成功したのに、また諦めるのか、って。僕、諦めは悪いんですよ、こう見えても(笑)。
でもそんなこんなで足掻いてたら、社長から呼び出されまして。そこでいろいろ説明を受けて、それでいろいろ納得して、結局会社は辞めることにしました。社長賞やら新人賞やら山ほどもらってた上に、退職金も普通じゃない金額を貰えたんで、当座の生活には、っていうか、普通に生活してれば死ぬまでボケーっと暮らせる金額が通帳に貯まってたんですよね。
――そこから、なぜ鍛冶師になろうと思われたのですか?
和田部:退職して3年くらいかな、本当にやることもなくて、ボーッと暮らしてたんですよ。それが良かったのか、カウンセラーからは2年目くらいに「もう復帰して問題ありません」と言われたんですが、お金の心配がないってのは、ほんと、人をダメにしますね(笑)。
そんなこんなしてるうちに、近所の小学校のサッカークラブの監督を頼まれたり、いろいろしてたんですが、ちょうどその頃、大学時代の友人からSNS経由で連絡をもらったんですよ。簡単に言うと、俺も仕事やめて暇になったから、退職祝いで飲もう、と(笑)。サッカー部の同輩だったんで、懐かしさもあったし、それに他にやることもなかったんで、二つ返事でOKしました。
友人は自衛隊に入ってたんですが、なんかすごく有名な精鋭部隊でガンガンやってたらしくて、まぁでも怪我で除隊って話だったんですよね。彼も学生時代からずっとストイックな生活してきたから、貯蓄は山ほどある、と。
それで飲みながら「お互いこのトシで楽隠居ってのも、意外と辛いもんだなあ」って愚痴ったら、ヤツが目を光らせまして。「お前、やることがないなら、俺につきあえ」ときたもんですよ。
翌日、ヤツが通ってた道場に連れて行かれまして。そこで初めて、アーマーファイティングって競技に出会ったんですよ。
――アーマーファイティング、ですか。
和田部:簡単に言えば、実際の甲冑を着て、練習用の武器でぶん殴りあう、スポーツ……というか、まあ、そんな感じの趣味です。
僕、これに、一発でハマりました。僕らの世代って、コンピューターゲームをテレビの画面で遊んでた、最後の世代じゃないですか。あの頃に僕らがドハマリしたゲームに、甲冑を着た戦士がいろんな武器を使って無理難題をクリアしてく、みたいなのがあって。アレがリアルにできるわけですよ。そりゃあもう、年甲斐もなくハマりました。
ただねえ、僕は膝を壊してるから、やればやるほど、自分にできないことが分かってくるんですよ。それはそれでいいんだけど、やっぱその、趣味だからこそ、「僕にしかできないこと」に拘りたくなるんです。これが仕事だったら、「僕にしかできないこと」なんてプロジェクト全体における脆弱性でしかないけれど、趣味はまた別ですからね(笑)。
それで、友人に連れられて海外遠征とかしてるうちに、アーマーファイティングの世界には、武器や防具を自分で作るっていう領域があることを知りました。まさに、ピンときましたね。これだ! これしかない! と(笑)。
――それで鍛冶師を目指されたんですね。
和田部:もともと金属は専門ですからね。海外の有名な鍛冶師に弟子入りして、修行してるうちに、そろそろお前も好きにやれと放り出されました(笑)。自分が打った籠手を初めて買ってもらえたときは、久々に「仕事した!」って気持ちになりましたね。
――伺いにくい話なのですが、鍛冶師で生計は立つものなのでしょうか?
和田部:そうですねえ、現状では自営業として成り立っています。僕はもともと趣味で始めたので、「僕にしかできないこと」に拘ったんですよね。だからそこに価値を見出してくれる人は、僕の仕事を欲しがってくれます。
とはいえ、ここに来るまでに相当貯金を溶かした、とは言っておきます(笑)。
――今回の研究発表も、和田部さんにしかできないことに拘った成果なのでしょうか?
和田部:そこ、実はちょっと違うんですよね。
2年くらい前に、大学時代の恩師が突然工房に訪ねてきましてね。どこで知ったのか、僕が鍛冶屋なんかやってると聞きつけたらしいんですよ。で、僕の仕事をいろいろと見て、是非紹介したい人がいる、と。
恩師の言うことなんで、半分仕方なく、半分興味津々で会ってみたら、その人が松方先生だったんですよ。
――松方先生は、当時から33年戦争研究で世界的な注目を集めていらっしゃいましたね?
和田部:そうですね。と言っても、当時はそんなこと、全然知らなかったんですが。というか正直に告白すれば、33年戦争が何年に始まったのかすら、18歳の頃には覚えてましたが、19歳の頃には忘れてましたもん(笑)。
ともあれ、松方先生は僕の工房に不格好なマスケット銃を持ってきたんですよね。ギリギリの実用性はあるけど、作りは粗いし、工学的にも美術的にも無価値としか言いようがない粗悪品だな、というのが初見での感想でした。
でも松方先生は、これと同じものを、17世紀初頭の技術で作ってみてほしい、と仰られましてね。そのときは気軽に「ご注文であれば、お引き受けします」くらいの返事をしました。まあ1ヶ月もあれば、片手間でもできるな、と。
――ところが完成には2年がかかりました。
和田部:そうなんですよねえ。いや実際、最初の1丁は1ヶ月どころか、2週間ほどで仕上げたんですよ。その程度のブツだったんで。
でも完成品を見た松方先生は、これじゃダメだと仰られまして。思わずムッとして、何がダメなんですかと食って掛かったら、見本のマスケット銃で使われている鉄の、組成表を見せられましてね。
いやまあ、驚きました。絶句というか、うん、絶句、でしたね。
それから先生は改めて、「これと同じものを、17世紀初頭の技術で作ってみてほしい。ただし研究費はもう今以上には払えない」と仰られまして。
まあね、ハメられた、と思いましたよ(笑)。
組成表は、あのマスケットが17世紀の技術では量産不可能なレベルの鉄で作られていることを示してます。まったく無理とは言わないけれど、このクラスの鉄を、あんなぞんざいな加工の量産品に使うとか、常識では考えられない。
だとすれば、何かしら未知の技術で、あの鉄は作られてるんです。それを再現できなきゃ、最初の注文である「これと同じものを17世紀初頭の技術で作ってほしい」は達成できない。
いやまったく、松方先生はすごい先生だと思います。それから2年間、僕はこの注文に完全にかかりきりでした。しかも、ご予算は最初の発注から据え置きです(苦笑)。こっちとしても、注文とは違う製品を納品してお金を頂くわけにはいきませんからね。
――職人の沽券に関わる、と。
和田部:その通りです。しかも僕は、僕にしかできないこと、を売りにしています。ここで「ご期待頂いたようですが、僕にはできませんでした」と引き下がったら、この仕事は続けられないと思いました。
僕は、諦めが悪いんです(笑)。
――そしてついに、謎を解かれたわけですね。
和田部:本当に、苦労させられました。作るだけなら、できる。でも量産となれば、話は完全に別です。
例のマスケットに使われている鉄は、現代の水準から見ればたいした質じゃありません。はっきり言って、あんなもの作ったらクライアントから見限られてしまうでしょう。
これがより一層、話を面倒にしました。
あの鉄は、技術のエアポケットにあったんです。17世紀の技術でという縛りがあったとしても、たっぷり手間をかければ手作業で作れてしまう。でも量産する方法は見当もつかない。現代にはあんな質の悪い鉄を大量生産する技術なんてどこにも残ってませんし、かといって19世紀頃の製鉄技術を使ってわざと質を下げるというのはレギュレーション違反です。
結果的に、謎解きは完全な暗中模索にならざるを得ませんでした。
――謎を解くきっかっけは、何だったのでしょう?
和田部:例の悪友と飲んだのがきっかけ、ですかね。あいつが言うように、発想を転換してみたんです。
アーマーファイティングの世界には、実のところ、「歴史的にこれが正しい」という証拠がほとんど残っていません。
流派として型が残っている場合でも、数百年単位でその型が僅かな変化もしなかったなど、あり得ません。教本は残っていますが、中世剣術の教本は、最初のポジションと最後のポジションだけが図示してあるのが普通で、その途中でどのような動きをするかは、推測するしかないんです。
僕らはそれを、実際に剣を振ってみて、このほうが合理的だね、という形で詰めていきます。でもそれって、現代の合理性をベースにして、古い剣術を再解釈する、とも言えます。
だったら例のマスケットの鉄も、それがどんな製鉄技術から生まれてきたかと考えるのではなく、現代の合理性から逆算して、当時でも可能だった技法があるかどうかを考えたらどうだろうか、と思ったんですよ。
まあ、悪友はもっと簡単に「お前がない知恵絞っても無駄だ。天才を相手にしてるんだから、ちょっとくらいチートしても文句言われねえよ」とか言い放ったんですがね(苦笑)。
――それで、現代の製鉄技術のうち、17世紀の技術でも再現可能なものがあるかどうかを検討したわけですね。
和田部:そういうことです。いろいろ検討した結果、17世紀においても質は悪いとはいえ鉄そのものはたくさん存在していたこと、また魔術を使えば一定規模の放電が得られることから、電気炉のようなものは作り得たんじゃないか、という仮説に到達しました。
我ながら馬鹿げた方法だなと思ったんですが、まずは自分でもできる範囲でやってみたら、意外といけたんです。それで母校の魔術学部の先生に連絡をとって、学生を10人ほど動員してやってみたら、それほど大きな消耗もなく電気炉的なことが再現できました。
言うまでもなく、現代の電気炉には到底及びません。それに、発電機があるなら、そっちを使ったほうが絶対にいいです(笑)。とはいえ、放電系魔術は現代においては完全に陳腐化した技術ですから、17世紀ならもうちょっと効率を上げるノウハウもあったかもしれません。それを加味すると、十分に現実的な手法だったと思いますね。
僕は歴史については素人なので、まったくの受け売りですが、33年戦争が始まるころには、例の水準のマスケットが、少なく見積もって5万丁ほどあったそうです。これはとんでもない数字だと思いますが、魔術式電気炉を国家規模で運用すれば、不可能な数字ではありません。くず鉄をかき集めてくれば、それがその時代にしてはあり得ない品質の鉄に化けるわけですから。
――今後、今回の研究を作品に活用することはあるでしょうか?
和田部:正直に言えば、ないです(苦笑)。
確かに17世紀において魔術的電気炉が実現できていたのであれば、それは天才的な発明だったと言えます。でも繰り返しになりますが、現代から見れば、その程度の技術で作れる鉄など、不良品です。僕は、クラシックな武器や防具を、最新の鉄を使って作ることを身上としていますので、今回の発見を自分の仕事に応用することはあり得ないですね。
ただ、海外、特にヘッセン連邦には、33年戦争マニアの方が相当数いらっしゃいます。もし「当時と同じ製法で、同じ形の武器を」というご注文が出てくるようなら、そのときは改めて、考えます(笑)
――本日はどうもありがとうございました。
和田部:ありがとうございました。