資料4:アーネスト・ホッパー:『戦争において人はいかにして死ぬか』;2001
戦争状態において、死はほぼ不可避である。
高貴なる捕虜を獲得することが戦争による収益となっていた時代においては必要以上に殺さないことは重要であったし、戦争が特定専門業者によるビジネスであった時代には両者による談合もあり得た。また古代においては、攻城戦において攻撃側が用意した梯子の高さが城壁に対して不十分であることが自明であったため、攻撃側が戦わずして撤退するといった、技術的問題による無血解決も発生している。
だが戦争と総力戦が不可分となってからこのかた、死者が出ない戦争はあり得ない。戦術的に言えば敵兵士は殺すのではなく負傷させたほうが効率的であるが、極限状態においてはその2つの差は消え失せる。そして総力戦において敵兵士は文字通り敵国家のピースの1つであり、敵兵士を1人殺せば、勝利に1歩近づく。総力戦下において、敵兵士を殺害するという選択は、常に合理的なのだ。
一方で、ここまでを見ても分かるように、戦争はそのありかた自体が、時代や地域によって異なっている。あらゆる戦争を「戦争」という言葉で一括して論じるのは、「クジラもマグロも昆布も、すべて海の中にいるのだから、同じ生物」と論じるようなもので、理性的な態度とは言い難い。
ゆえに本書の論点、「戦争において人はいかに死ぬか」という問いは、極論を言えば、「その戦争のあり方によって異なる」と答えざるを得ない。戦争は外交の一手段という言葉は非常にしばしば語られるが、実際の戦争実務の視点に立てば、一旦戦争が始まってしまえば戦争は日常の一部である。日常が一義的に定義できないように、戦争において何が起こるかもまた、一義的な定義など不可能だ。
だがそれでもなお、比較的共通する部分はある。
それは、戦争における死者の多くは、戦場以外の場所で死ぬということだ。
このことは総力戦以後であれば、直感的に理解が可能だ。戦略爆撃や占領政策による民間人の死者はもちろん、無理な戦時体制の遂行、戦争指導者による自国民に対する搾取や粛清などなど、戦場以外の場所における「戦死」は容易に列挙できる。
だが総力戦以前においても、死はしばしば戦場以外で発生してきた。それも、大量に。
例えばリレイア共和国を二分した内戦、通称南北戦争の死者を振り返ってみると、南北とも戦死者の約3倍近くが戦病死していることが分かる。戦闘による負傷を原因とした死はもちろん、感染症や流行病も、あまたの兵士の命を奪ってきた。
このことは、医療技術が大幅に進歩した第一次世界大戦においても変わらない。イラーシアにかつてない災禍をもたらしたこの戦争では史上空前の戦死者が出たが、そのうち3人に1人は病死である。世界的な伝染病が爆発的流行をした時期が重なったという事情はあったにせよ、機関銃や重砲といった機械的な殺戮装置が戦場の中心に置かれてなお、兵士の1/3は戦闘外で死んだ。
病気だけが、戦争において人を殺す理由ではない。飢えもまた、幾多の人間を「戦死」させてきた。
第二次世界大戦においては、東部戦線初期において発生した大量の捕虜の多くが、餓死することになった。カザン連邦軍の捕虜がそれほどにも多かったというだけでなく、トリエル政権下のヘッセル帝国はカザン人を劣等民族とみなしており、兵站負荷となる捕虜を人間として扱わなかったためだ。
同様に、フソウ帝国の兵士のうち、戦死者の6割は餓死だった。こちらは帝国が兵站能力を越えた無謀な戦線拡張を行った結果(これだけでも餓死者が出る原因である)、リレイア共和国による兵站に対する攻撃が致命傷となった。
またフソウ帝国における第二次世界大戦は、どのように勝つかという現実的な指針もなければ、どのように負けるかという指針もない、いわばグランドデザインなき大事業であった。このため敗戦が近づけば近づくほど、実現性を無視した作戦による一撃逆転を目指さざるを得ず、こういった作戦の多くはフソウ帝国軍において最も発達が遅れていた兵站部門において最初に破綻をきたすこととなった。
さて、現代は核兵器が総力戦の帰趨を決定する世界と言える。そして実際に核兵器が交錯する戦争が始まれば、人類は良くて大幅な衰退、常識的に言えば滅亡を余儀なくされるだろう。
だがそれでもなお、人類を殺すのは核兵器そのものではない可能性が高い。核戦争によって発生する食料生産力の低下、医療体制の崩壊と伝染病の流行――これらこそが、昔ながらの「戦争において人を殺す」ファクターとして猛威を振るう可能性のほうが、ずっと高い。
人類が最後に体験した世界大戦ですら、そこにおける死の多くは、病気と飢えが支配した。そして次の世界大戦においても、そのことは変わらないだろう。
戦場を知らない市民や政治家たちは、戦場は人間が最高の勇気と能力を見せる場所であると理解していることが多い。
その理解が、完全に誤りであるとは言わない。私自身、最高の勇気と能力を発揮する戦友たちに背中を預け、また彼ら最高の戦友のために己の持ちうる最高の勇気と能力を振り絞ってきた自負がある。
だが、だからこそ私はその幸運に、深く感謝している。そしてそれが幸運でしかなかったことを、明言すべきであると考えている。
私が、前線のはるか後方でインフルエンザに苦しみながらひっそりと死んだり、洞窟の片隅でコーラとハンバーガーの夢を見ながら誰にも知られることなく人生を終えなかったのは、たまたま現代の、リレイア共和国軍に所属できたからに過ぎない。たとえリレイア共和国軍に所属していたとしても、それが南北戦争の時期であったなら、私が病死した幾多の将兵の一人ではなかった可能性は、25%程度に留まる。
歴史を振り返れば、戦争において多くの人々は、栄光とも勇気とも無縁なところで、病気や飢えによって命を失ってきた。その死が祖国のためになったかどうかは分からないが、もっとマシな形で祖国に奉仕する方法がいくらでもあったことは間違いない。
そういった無数の「なんでもない死」が、戦争という状況には刻まれ続けていることを、より多くの人に知ってほしいと思い、私は慣れないペンを手に取ることにした。
私は、人類には知恵があると信じる。その知恵を最高に機能させれば、戦争を避けることも可能だろう。
だがそれでもなお、戦争状態に突入するしかないことは、あり得る。そのときになって再び「なんでもない死」が世界を支配しないようにするために、知恵を働かせる余地はあるはずだ。
願わくば本書がその一助とならんことを、神と我が栄光ある共和国軍に祈るものである。