Sayoko Miyajima to Matthew Levinson / title:ありがとうございました
――あるいは、エピローグとして――
宮嶋小夜子です
先日は、大変ありがとうございました。
おかげで、最終発表も無事にやり遂げることができました。
本日メールしたのは、他でもありません。
先生には、私がなぜ松方栄一郎研究を選んだのか、本当のことをお伝えしたいのです。
加えて、最終発表ではとても口にできなかった、「ファンタジックな」仮説についても、この場で開陳しておきたく思います。
もしかしたらお気づきかもしれませんが、松方栄一郎は、私の大叔父にあたります。
私の祖父は、私が生まれた頃には亡くなっておりましたので、大叔父は長らく私にとっての「おじいちゃん」でした。
有名な学者先生だとは聞いておりましたので、こともあろうに小学校の図工の宿題を手伝ってもらったこともあります。幼い私は、偉い先生なんだから、当然、絵だって上手なはずだと思ったのです。
大叔父は夏季休業のほとんどをデッサンの練習に費やし、夏の終わりには、それは立派な下絵を仕上げてくれました。あの絵は今も、私のとっておきの宝物です。
長谷震災で大叔父が被災して、行方不明者のリストに入ったとき、私は高校3年生でした。
さすがにこの頃には私も、大叔父が歴史学の世界的な権威であり、かつ大学を退官後は、言葉は悪いですが、トンデモ系の学者として名を馳せていたことも知っていました。
ただ私には、世間で言われるほど、大叔父がおかしくなったとは、思えませんでした。
マシュー先生はお怒りになるかもしれませんが、大叔父は昔から、あんな感じだったのです。
大叔父は、とても変わった人でした。
そのことを明確に意識したのは、高校に入学して、最初の中間テストの勉強をしていた頃のことです。
東都での研究会の帰り、私の家に宿を借りに来た大叔父は、缶ビールを片手に、世界史の講義をしてくれました。ちょうど世界史の勉強をしていた私は、渡りに船だと思ったものです。
ですがその講義は、とても変わっていました。大叔父は教科書に書かれている通説だけでなく、異説や俗説、果てはいわゆる陰謀史観までもを、並行して解説したのです。
最初の頃は、歴史のプロとはそういうものなのか、と思っていました。でも荒唐無稽な陰謀史観が教科書の通説と同じ価値を持っているかのように解説されると、さすがにこれは何かおかしい、と思うようにもなります。
そのうちに、大叔父は矛盾の塊のような人なのだと、悟りました。
大叔父は、間違いなく、一流の研究者でした。ですから、歴史学のセオリーに従い、丁寧に、慎重に、論を進めていくことの意義と価値を、十分に理解していましたし、それを実践もしていました。
ですがそれとは別に、奇抜な俗説や歴史小説、SFやファンタジー、果てはライトノベルやアニメに至るまで、自分が興味を持って見聞きした様々な物語に一瞬で染まる――そんな人物もまた、大叔父の中には居たのです。そして自分が十分にコントロールできなくなったとき、その普段は抑圧している自分が表に出てきて、学者である自分と戦い始めるのです。
これは内密にお願いしたいのですが、今回の発表で用意した資料2は、ただ単に大叔父の研究ファイルに残っていたというだけのものではありません。
Wikipediaの編集履歴をたぐって、当該の差分を直接確認したところ、「歴史」の部分に陰謀論を書き込んだIDは、後に書き込み禁止処分を受けていました。そのIDをさらに精査したところ、大叔父のIDであることが確認できました。
大叔父は実家に泊まりに来た折、何度か私のPCを使って、急ぎの原稿を書いたことがあります。先月、もはや骨董品と化していたそのPCを起動してみたら、Cookieに、書き込み禁止処分を受けた、かのIDが残っていたのです。
私が松方栄一郎研究を選んだのは、これが理由です。
世に流布している松方栄一郎像は、私が知る大叔父とは、あまりにも隔絶しています。
大叔父は、最後まで独身でした。私の家族も、高名な学者である大叔父とは、たいして親しい付き合いをしていませんでした。だから大叔父が東都で講演をしたり、研究会に出たりするたびに我が家に泊まりに来て、そのたびに夜遅くまで一緒に話をした私が、この世で一番、松方栄一郎のことを知っている。そんな、自惚れもありました。
この個人的な経験を今回の研究に加味しなかったのは、研究を進めるにつれて、世界には私の知らない松方栄一郎が無数に存在することを思い知らされたからです。
当たり前のことですが、大叔父は大叔父であり、私は私です。私の知る大叔父は、大叔父という偉人の、断片の、そのまた断片でしかありませんでした。それは松方栄一郎という巨大すぎる人物を分析するにあたって、誤差の範囲に含めるしかなかったのです。
でも、それで良かったのだと思います。
私はきっと、大叔父に恋していました。
大叔父は、私に向かって初めて、学問の世界を見せてくれた人でした。
そして私は、生まれたてのアヒルが最初に見た人間を親だと認識するように、新しい世界を見せてくれた大叔父に、恋をしたのです。精神的な面において、松方栄一郎は、私のすべてでした。
でも松方栄一郎にとって、私は出張の折にときどき会っては、ビール片手に「お話」をしてあげる、ませたハトコに過ぎませんでした。
それを知るために、私は松方栄一郎を研究したのだと、思います。
文学的な表現をすれば、大叔父を――そして大叔父への幼い初恋を――称えるためではなく、葬るために。
さて、要件はもう1つあります。発表の場では口にできなかった、ファンタジックな仮説について、です。
長谷震災が、長谷に東都大学とフソウ政府が共同で作ったマギトロンが暴走したことによる、大規模な時空振動であったことは、ご存知かと思います(時空振動が地震として具現化したのか、それとも地震がマギトロンの暴走を招いたのかはまだ調査中ですが)。
字面だけですと奇抜な陰謀論に見えますが、これは今も東都大学魔法学部と応用物理学科を中心に研究が続いているテーマです。
大叔父は、あのときに発生した時空振動に巻き込まれて、過去の世界に飛ばされてしまったのではないか。
そしてソフィア・ケスラー伯爵夫人の手記に登場する〈彼〉は、大叔父なのではないか。
これが、私の仮説です。
最新の魔術学によれば、過去へのタイムトラベルは、本人がそのまま過去に転移するのではなく、「過去に存在した人物の内側に入り込む」、いわば転生体としての転移となる、そうです。それが時間の整合性に対して、最も収束しやすい、と。
だとすれば、大叔父がプレ33年戦争時代に転移したとしても、大きな違和感なく周囲に馴染んだはずです。いきなり東洋人の老人が虚空から転げ落ちてきたのではなく、その時代における何者かとして覚醒するわけですから。
魔術学部の友人曰く、その時代に新たに生まれた幼子として転生することもあり得る(というか、その可能性が高い)、とか。この仮説に従えば、大叔父はプレ33年戦争時代の新生児として、生まれ直した可能性があるということです。
〈彼〉が大叔父ではないかとする理由は、簡単な消去法です。
長谷震災が起きた段階で、大叔父が執筆していた「戦争はなぜ起こるか」の論文は、マシュー先生と大叔父以外、誰も読んでいませんでした。
つまり、〈彼〉がやったように、農業技術を進歩させることで社会不安を誘発させるという策略は、あの段階では大叔父かマシュー先生以外に知りません。
そしてマシュー先生が現代にいる以上、〈彼〉は大叔父だと考えるしかありません。
大叔父がなぜ33年戦争を引き起こすような選択をしたのか、それは分かりません。それにこの説に従うと、大叔父は、グルック市における焼き討ちは虐殺に発展せずに収束することを知っていたはずですから、一度、わざと失敗したということになります。
歴史を変動させないために、故意に失敗を選んだのか。それともグルック市での焼き討ちには、まったく別の目的があったのか。こればかりは、推測することもできません。
もちろん、別の可能性はいくつか考えられます。
最も簡単にこの仮説を覆す対案としては、私たちから見てもっと未来の誰かが、プレ33年戦争時代に転生したという可能性が挙げられます。これでしたら、〈彼〉が大叔父でなくとも(それこそ未来のマシュー先生であったとしても)、すべての要件を満たせます。
また言うまでもなく、転生やタイムトラベルといった、未踏科学の領域にあるタームを使わずに、状況を説明することも可能です。
ですがそれでも私は、〈彼〉が大叔父であることを、望んでいます。
そうです、これは私の願望です。
資料1に添付したソフィア・ケスラー伯爵夫人の手記は、後世の創作であることが分かっています。
ですがソフィア・ケスラー伯爵夫人は実在の人物であり、肖像画も残っています。また、33年戦争勃発の年に没していることも、確認されています。かの手記は、一定レベルで史実を反映しているというのが、現時点における定説と言えます。
これを踏まえて、文学部の友人に「ソフィア・ケスラー伯爵夫人の手記」をいろいろと調べてもらったところ、「最後の手記」には複数のパターンがあることが分かりました。
資料1に示した、“もう1つは、もしあのとき私が、〈”で終わるバージョンは、いわば最もドラマチックな演出を施したバージョンだったのです。より古い時代には「もう1つは、もしあのとき私が、〈彼〉を殺していなかったら」と結ばれているものが、メジャーだったようです。
これはただのカンですが、大叔父には女性経験がなかったように思います。かといって同性愛者でもなかったのは、先生もご存知のとおりです。
そんな大叔父が、被差別階級にありながら最後には伯爵夫人に上り詰めるような女性と、深い関係にあった。最後にはその女性に殺されるというのは、些か行き過ぎというか、残念だとは思いますが、それほどの関係が二人の間にはあったのでしょう。
もしそれが真実であれば、大叔父の人生にも、研究以外に大切なものができたのかなと思います。たとえそれが、イレギュラーな、2度めの人生であったとしても。
そしてその相手が、大叔父がマシュー先生以外に唯一尊敬していた、故ウィンセル女史の面影に似た女性であったことを、私はとても微笑ましく感じます。
そう、考えることは、あの大量の瓦礫の中に、今も誰にも知られることなく大叔父が埋もれていると考えるより、私にとってはずっと、ずっと、望ましいのです。
あまり内容のないメールを、長々と書いてしまい、大変に失礼しました。
改めて、本当にお世話になりました。
天国の松方ともども、深く感謝いたします。
P.S.
書こうかどうか迷いましたが、やはり書いておくべきだと思いましたので、追伸をひとつ。
6月に、梶原先生と結婚することになりました。本当はもう少し先、博士課程を終えてからとも考えていたのですが、子供を授かったのを機会に、式を挙げることにしました。正式な日程が決まりましたら招待状をお送りいたしますので、ご都合がよろしければご臨席頂けますと幸いです。
今後は梶原小夜子として、先生の研究を支えるとともに、生まれてくる子供に愛情を注ぎたいと思います。
頑張って、幸せな家庭を築きます。
P.S.2
子供が男の子なら、栄一郎と名づけたいと思っています。
子供が生まれたらマシュー先生にもお見せしたいと思いますので、どうかお体にお気をつけて、タバコの本数を減らし、塩分控えめの食事をお心がけください。
【帝国の滅ぼし方(あるいは、大学院生・宮嶋小夜子の研究発表)・了】
【参考文献】
C.ヴェロニカ ウェッジウッド (著), 瀬原 義生 (翻訳) (2003). ドイツ三十年戦争 刀水書房
Drew Gilpin Faust (原著), 黒沢 眞里子 (翻訳) (2010). 戦死とアメリカ―南北戦争62万人の死の意味 彩流社
Wikipedia. 輪栽式農業 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BC%AA%E6%A0%BD%E5%BC%8F%E8%BE%B2%E6%A5%AD (2015/03/31最終閲覧)
フィリップ・ゴーレイヴィッチ (著), 柳下毅一郎 (翻訳) (2011). ジェノサイドの丘〈新装版〉―ルワンダ虐殺の隠された真実 WAVE出版
ジャン ハッツフェルド (著), 服部 欧右 (翻訳), ルワンダの学校を支援する会 (翻訳) (2013). 隣人が殺人者に変わる時―ルワンダ・ジェノサイド生存者たちの証言 かもがわ出版
ジャン・ハッツフェルド (著), 西京高校インターアクトクラブ (翻訳) (2014). 隣人が殺人者に変わる時 加害者編 かもがわ出版
Albert Speer (原著), 品田 豊治 (翻訳) (2001). 第三帝国の神殿にて〈上〉〈下〉―ナチス軍需相の証言 中央公論新社
Gunnar Heinsohn (原著), 猪股 和夫 (翻訳) (2008). 自爆する若者たち―人口学が警告する驚愕の未来 新潮社
ほか




