二番目の兄
※彼は私を愛さない、の続編的なものですが雰囲気全然違いますのでご注意ください。
この小説は二番目の兄に焦点を当てて書いているので、前作の要素はおまけです。
周りから変わり者と言われていた二番目の兄は私によくこう言った。
『男っていう生き物は全般的に、繊細で面倒くさい生き物なんだよ。だから浅慮に傷つけるようなこと言ってはいけないからね』
だけれど、幼かった私の男のイメージはとても厳つい父やそれによく似た長兄だったので、傷ついやすい?そんな馬鹿な。とずっと思っていたし、言ったりもした。
「そんなのおかしいわ、女だって傷ついやすいもの。私は転んだら泣いてしまうのよ、とう様やにい様が転んで泣いてるなんて想像できない」
「それは違う。確かに父さんや兄さんは転んでも泣かないだろう。でもそれは体についた傷だからだ。心についた傷は治りにくいんだよ」
「女はちがうというの?」
「そうさ、メスという生き物はとてもタフに出来ているからね」
「どうして?オスだってハーレムを作ってとてもつよそうじゃない」
「いいや、ハーレムの頂点のオスは一見強そうに見えるけれども、彼らは侍らしたメスに餌をとってきてもらう謂わばヒモなのさ」
「ヒモ?」
「メスに養ってもらうってことだよ」
「じゃあ何のためのハーレムなの?」
「縄張りのためさ。縄張りを持って他のオスと戦うのがオスの役目なんだよ」
「ふーん」
「体を使って戦うのがオス。心を使って戦うのがメスなんだ、だからオスの心は傷つきやすい」
「なるほど。だからメスは体が傷つきやすいのね」
「そうともいうね」
今思えば小さい子どもにするような話ではないが、この二番目の兄は子どもを子ども扱いする人ではなかった。話が出来れば対等に扱う、それ故に顰蹙を買うこともあったけれど私にとってはこの兄の性質はとても有難く素晴らしいものだった。
何故、今こんなことを思い出しているかといえばそれはこの目の前にいる、夫になったこの人が私の発言で恐ろしく青褪めた顔になってしまったからに他ならない。
どういう訳か、私は夫──ロメリオ・ヴァイスの脆い部分に切れ目を入れてしまったようだ。
「あの、旦那様?大丈夫、ですか?」
「………………」
「酷い顔色ですが…私、何か失礼なことを申しましたでしょうか」
「………………」
ああ、更に酷いお顔に。私はただ、お慕いしておりませんと、わかりきったことを伝えただけなのに。
だって旦那様、あなただって私に言ったじゃありませんか、私を愛することはないって。
そんなことを言われて愛されるとでも思っていたのでしょうか?私の態度は当然のものだと認識していたのですが…。
結婚して早数年、私は二人の子どもに恵まれて穏やかな生活を送っていた。旦那様とは他人以上家族未満の同居人と言っていいくらいの関係しか築いていなかったけれど、それはお互いが望んだことで私はそこになんの不満もなかった。
不満なんてあるはずもない。生家と違って、本は読み放題だしメイドのきつい監視の視線はないし、庭をいじることも止められないし、子供たちは可愛いし、シェフのお料理は美味しい、家令や召使いの皆もとても親切で優しい。
嫁に出たのでもう派手に自分を着飾る必要もなく、質はいいけれどシンプルで簡素なドレスが着れる。私は独身時、家の習いでけばけばしいドレスを着なければならなかったのだが、どうにも性に合わず、大体そんな派手なドレスを私が着たところで似合わないのをわかっていて着なければいけないことを苦痛に思っていたのだ。でも、そんなことはもうしないくていい。場と家格にあった装いをしていてれば旦那様も服装に文句をつけることはなかったから。
実家以上にのびのびと幸せに暮らしていたのだ。……そこに夫婦の愛はなくとも。
しかし旦那様も不思議なことをおっしゃるもんだ、突然─
「君は僕を愛してるか」
なんて。
突然すぎて、なんの考えもなく素直に答えてしまった。二番目のお兄様にはくれぐれも男の心の機微には気をつけるようにと、今でも時折送られてくる手紙で注意されていたのに。
“君は鈍感で疎いところがあるから発言には気をつけるように”と。
私だって嫁いで早々愛さないなんて言われて、まあわかっていたことだと全然平気だったから旦那様も大丈夫だと思ってしまったけど、それでこんなにも青褪めるなんて。
やはりお兄様の言っていたことは間違ってなかったわ。この言葉のどこに傷ついたのかはさっぱりわからないけれど、様子からしてショックが大きかったというのは私でもわかる。オスの心は傷つきやすい、旦那様もそうだったのだ。
それにしても、青褪めたまま固まって動かなくなってしまった旦那様をどうしたらいいのだろう。つんつんと肩のあたりを突いてみても何の反応もない。抜け殻のようだ。虫や蛇じゃあるまいし、なんて思いながら、─そういえば二番目の兄はこんな話もしてくれた。
「虫の中にはね、交尾後子どもを身篭ったメスが用済みになったオスを食らう種類がいるんだ。生まれてくる子の栄養のために交尾したオスを食べてしまうんだよ」
「まあ…。そうぜつ、ですね」
「ああ、その虫のメスはとても合理的に生きているね」
「なぜそう思うのですか?」
「自分の子孫を残すためならどんな相手でも利用していくからさ」
「はぁ…。メスというのは強くできているのですね」
「そうだね。種の繁栄はメスのおかげだから、それも当然のことなのかもしれないね」
だけどね忘れちゃいけないよ、メスだけじゃ種の繁栄もないんだ。オスとメスがいるからこそ、繋がっていくんだよ。
そうか、メスはタフだけれどもメスだけではいけないのか。なんて幼心に思ったことを思い出した。
「…………ねえ旦那様。先ほどの言葉にひとつ訂正がありますわ」
その言葉を聞いてのっそりと上げた顔はまた蒼白かったが、瞳に少しだけ生気が戻っていた。
「男性としてお慕いはしていませんけれど、あの子達を授けていただいた方としては、とても感謝しております。ありがとうございます旦那様」
私一人では決して得られるものではない宝物を、旦那様が与えてくれた。私は虫のメスではないので、その恩を決して忘れはしない。
ちゃんと私の思いを伝えたのにも関わらず、微妙に優れない顔のまま旦那様は
「そう、か、…私こそ、感謝しているよ」
とだけ言い残し、ご自分の部屋に帰って行かれた。
────なんてことがあったとたまたま来た二番目の兄からの手紙の返信に書けば、兄はさらにその返信で、君は罪な子だね、と意味不明なことを言ってきた。
首を傾げた私に、いつもぴっちりつけられている兄のモノクルがガタッと下がる幻想を見た気がした。
お読みくださりありがとうございました。