08、カラスマ
○
音もなく迫るカラスマに、僕は思わず後退した。
「おいおいおい。店の中でトラブルはごめんだぜ?」
店主のおっさんが迷惑そうに言うが、
「トラブルなんか起きん」
カラスマは独特のなまりのある声で、それを一蹴する。
女性にしては高めの身長。まっ黒な髪に一部光っている青のメッシュ。
手にした鉄棒。
あれが伸縮自在の多節棍であることを知らないやつは、大抵ひどい目に合う。
……らしい。
僕だって、別に付き合いが長いわけじゃない。
同じパーティーにいた奴に聞いただけだが。
「おい。ちょいと待て」
と。
僕とカラスマの間に、サブが割って入ってきた。
その赤い眼には、ギラギラと手負いの獣みたいな殺気に満ちている。
カラスマはサブを一目見るなり、目を細めて、
「……獣臭い」
僕は一瞬どきりとした。
洞穴の中で見た、あの巨大なタヌキの姿を思い出したからだ。
しかし、サブのほうはひるみもせずに、
「鳥臭いな、おめえは」
と、牙をむくような笑顔で言い返した。
「ふん……」
しばしサブを睨んでいたカラスマだが、やがて背中を見せた。
それは、サブの勢いに負けたというのではなく、
「おーい、何やってんだぁ!」
「勝手な行動はしないでくださいまし」
後ろからやってきた、その声の主たちに反応したというべきか。
「あれっ!?」
そいつらは、僕のを顔を見て驚きの声をあげる。
「お前……生きてたのかよ」
そう。僕が少し前までいたパーティーの連中だ。
「てっきり洞窟でおっ死んだって思ったから……」
リーダー格の剣士はちょっとばつの悪そうな顔で頭をかいている。
名前は、ウィン。
やや無精ひげが気になるが、そこそこの――まあ、僕よりは確実にイケメン。
「そのまま、ほっといて街に戻ったわけや?」
カラスマは冷徹な声でそう言った。
「あれは、お前……」
「場所が悪かったし、下手をすれば木乃伊取りが木乃伊になる、からですわ」
ウィンを擁護するのは、魔法使いのチェスタ。
年齢は、ウィンよりも上らしいけど外見はほとんど少女みたいだ。
「まあ、過ぎたことですし……」
僕は内心でため息をつきながら、背中の鞄を抱え直す。
「そうそう。過ぎたことだよな。お前も最初の冒険だったし」
ウィンがうなずいて言うが、気軽に言ってくれるもんである。
下手すりゃ、マジで死んでたんだからな。
「それに、僕もう冒険者はやめるつもりですから」
と、言うと、ウィンの顔に焦りが浮かんだ。
「おい、そりゃないだろ。いくら最初失敗したからってなあ……」
焦っているのは、僕が抜けるとパーティーから治癒係がいなくなるからだろう。
治癒法術士というジョブは貴重だからな。低レベルでも応急手当できるし。
例え、それが僕みたいな雑魚でも。
特に僕を引き入れるような三流のチームには。
きっと、その欠損はなおさら痛いのだろ。
とはいえ、僕だって人のことを心配できるような身分でもない。
「すみませんけど。もう決めちゃったんで」
「お前なあ……!」
「およしなさいな」
未練がましいウィンを制したのは、チェスタだった。
「回復なら、すぐに私が治癒魔法を習得しますわ。それに、この子を連れまわしたところで、どうせ足手まといにしかなりません」
その言葉は、僕を慮って……ではなく思ったことをそのまま口にした感じ。
確かに、その通りではあるんだけど。
「言ったな、てめえ!」
僕の前にいたサブが明確な怒りをその瞳にこめ、チェスタを睨んだ。
「よせよ」
僕が止めると、不服そうな顔をしながらもサブは無言になる。
「な、何なの、この子……?」
チェスタはおびえた様子で、ウィンの後ろに隠れてしまう。
「おいらは、ナムジの旦那の子分だ。文句あっか?」
サブは腕まくりをしながら、ふふんと鼻で笑うように言った。
「こぶん、ですって。いつの間にこんなの……」
「こんなのとは、何だ!」
何とも言い難い顔でつぶやくチェスタの声に、サブは耳ざとく反応する。
「だから、よせって!」
僕はぐいっと羽交い絞めするようにサブを後ろから抱きかかえる。
それでも、サブは微動だにしない。
まるで足元から、根っこでもはえているみたいだった。
「お前がいてくれると、助かるんだがなあ」
ウィンがう~んとうなりながら、まだ未練がましい。
「せっかくいい儲け話……クエストが持ち上がってるわけだし」
儲け話?
その言葉に僕は一瞬反応してしまう。
しかし、ここは忍耐というか冷静にならねば。
「僕がいないほうが、いいんじゃないですか? なら余計に」
「いや、それが」
「お前がおったたほうがええ」
ウィンが何が言いかけるのを、カラスマが鋭い言葉で遮った。
「何で……? 知っての通り僕は法術士といっても」
レベル1でほぼ役立たずですよと、僕が言いかけると、
「うちにとっては、おったほうがええ」
鋭い目つきのまま、カラスマは断言。
どういう意味じゃいな、と僕が困惑していると――
「旦那、もういきやしょう」
不意に、サブが僕の腕を引っ張った。
抵抗する暇さえなく、僕は踊る子豚亭を連れ出される。
そのまま、僕らは東区へ向かって進んでいくのだった。
おいおい……。