表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
海の彼方  作者: 葉琉
3/11

とある権力者のお話

「巫女が逃げた?」

 目の前に立つ男が、あまりにも冷静な顔をして言うものだから、私はその言葉を繰り返してしまった。

「正確にいいますと『攫われた』ようですね。巫女になると告げられたその日の夜に、何者かが神殿に侵入し、巫女と共にいなくなりました。しかし、その後、巫女の行方はまったくわからず、巫女を使ってこちらに働きかける者もおりません。いなくなった状況から、一部の者は逃げたのではないかと言い出しています」

 表情ひとつ変えず、抑揚のない口調で、カイルは言った。

「どうして?」

 間抜けにも聞き返してしまったのは、まさか『逃げる』という選択肢を選ぶ人間がいるとは思わなかったからだ。

 神殿育ちで、巫女候補として育てられたのならば、巫女に選ばれて驚くことはあっても、逃げることはなかった。少なくとも今までは。

「巫女になるのがそんなに嫌だったとか?」

「いえ」

「恋人がいた?」

「いえ」

「なにかやましいことがあった、なんてことは?」

「犯罪歴もない、ごく普通の娘のようですが」

「だったら、やっぱり攫われたんじゃないの? イグルが後継人になることを快く思わない連中が強硬手段に出たとか」

 巫女に奇跡の力はないが、象徴としては意味がある。民は巫女を敬っているし、儀式を進行する重要な役目を担う存在だ。それに巫女は占いによって得られた『言葉』で国の動きを変えてしまうこともある。

 だが、それは建前上のことだ。

 巫女は神託で選ばれるということになっているが、実際は貴族やそれに連なる司祭たちの権力争いが絡んでいる。その時もっとも力の強いものが押す人間が巫女になることがほとんどで、今回の巫女選出に関しては、イグルがごり押しして周囲に認めさせたという経緯があった。

 選ばれたのは、国境近くの町の神殿に住む少女。

 容姿だけならば、巫女としてふさわしいといえるが、平凡な娘だと聞いている。

 魑魅魍魎だらけの神殿で無事にやっていけるのか、それとも傀儡としてふさわしく愚かな娘なのか。見極めるのはこれからだと思っていた矢先だったのに。

「『攫われた』という可能性は低いと思われます」

 カイルが言うのならば、そうなのかもしれない。

 私の直属の部下でもあるカイルは優秀で、その情報収集能力は高い。

「でもねえ、幾らイグルだって、侵入者には警戒していたはずでしょう? 攫われるにしても、逃げられるにしても、監視くらい置いていなかったの?」

「もちろん、万が一のことがないよう、監視はしていたようです」

「それでも逃げられた、と。やっぱりイグルだけに任せたのは失敗だったかも」

 報告書では、ごく普通の少女だったとしかわからない。とても監視の目を盗んで一人逃げ出す子ではないようだし、侵入してきたという人間が何者なのかも不明だ。

 確かに、攫われたのか逃げたのか、悩むところだろう。

「彼女と親しかった相手は?」

「よく町の宿屋を訪れていたようですが、そこの者たちは、特に親しいものはいなかったと口を揃えて言っていますね」

「本当に?」

 わざわざ『口を揃えて』なんて含みのある言い方をするあたり、カイルはその証言を信じていないのだろう。

 案の定、『嘘をついているのでしょう』なんて、しれっと言う。

「ちょうど時期を同じくして、宿屋で用心棒をしていたという男が一人消えているようですし。……調べますか?」

「いえ、いいわ。逃げた者は追わない。それよりも、見たかったわ、巫女に逃げられた時のイグルの顔」

 見物だったろう。

 あの自信たっぷりで嫌味ったらしい顔が、怒りで真っ赤になるところなんて、おそらく一生見ることはできない。

 間近で観察できなかったことは、本当に残念だ。

 表面上は“協力者”の関係があるとはいえ、私はあの男のことは大嫌いなのだ。もちろん、あちらも同じだろう。

 当面の利害関係が一致しなければ、互いに口を聞くこともない関係だ。

「町や神殿に害が及ばないかと心配ですね」

 カイルの言葉に私は顔を顰めた。

 巫女に逃げられたということは、イグルにとっては外聞の悪い話だ。

 幸いまだ巫女については公になっていないから、なんとか誤魔化しようがあるだろうが、自身の失脚に繋がることくらいはわかるだろう。

 都合の悪いことには蓋をしてしまおうと、イグルが無茶をする可能性もある。

 全てを秘密裏に進めたい私も困る。何か神殿絡みで事件が起こると、王都にも伝わるだろうし、そこから巫女についての情報が漏れるかもしれない。

 今はまだ、巫女が逃げたということは私たちしか知らないが、何も手を打たなければ私自身にも累が及ぶ危険性があるのだ。

「神殿の司祭は、イグルと関わりがあるの?」

「特には」

「ではイグルが余計なことをしないように手配して。あの男、結構根に持つ性格だから、司祭や神殿に住む者に何もしないとは思えない」

「承知いたしました」

「本当にややこしいことになったわね」

 私は溜息をつくとそう言った。

「もしこちらに都合の悪い巫女ならば、いっそ――なんてことも考えていた時の方が単純で楽だったわ」

 イグルが選んだ少女については、報告書を読む限り問題がないように思っていた。

 けれども、もし彼女が他の貴族に取り込まれたり、イグル側に完全につくならば、排除する可能性も考えていたのだ。後味はよくないけれど。

 私とイグルは協力者ではあるが、互いを信じているわけではない。

 何かのきっかけで裏切るかもしれないと警戒しあっている。仮に、巫女が私の方へとつくならば、同じ選択肢――巫女の排除を彼も選ぶだろう。

 だが、正式に巫女が任に付くまでは、協力関係は続けるはずだった。

 その方が、都合がいいから。

 まさか、選んだ巫女自身に逃げられるとは想像していなかっただけで。

「ところで、イグルはどうしているの?」

「身代わりを探しているようですね。巫女の素性は隠されるものですから、似たような娘をその少女に仕立てる可能性はあります」

 妥当だろう。

 巫女を見つけることが出来ないならば、それしか方法がない。いまさら巫女が行方不明などと神殿に報告は出来ない。

「では、その前にこちらも手を打たなければ」

 何かおもしろいことはないかしらと問うと、カイルはやっぱり表情を変えないまま、頷いた。あいかわらず、見ていて面白くない顔だ。

「ちょうど、配下のものに少女と似た容姿の娘がいます。イグルの元へ潜り込ませてみますか?」

「かまわないけれど、大丈夫なの?」

「そういう訓練は積んでおりますから」

「そう。それなら任せるわ。それから、もしいなくなった巫女が名乗り出てくるようなことがあったら」

 残りの言葉は飲み込んだ。

 だが、察しのいいカイルは無言で頷く。

 殺してしまうなんて物騒なことはしたくないが、もし状況が状況なら、それも仕方ない。

「本当に、いつから私、こんなになっちゃったのかしら」

 昔は、もっと普通だったはずだ。

 世間のことなど何も知らなくて、ただ刺繍をしたり、お茶会をしたり、どうやって殿方に自分を優雅な淑女に見せるかなんてことばかり、考えていた。

 いつか夫になる相手のために、ちょっとした料理を習ったり、縫い物を教えてもらったりもしたし、成人すればどこかへ嫁がされるはずだったのだ。

 それなのに。

 問題ばかり起こす家族の尻ぬぐいをしているうちに、こんなふうになってしまった。

 人を陥れたり、騙したり、命を奪ったりということも日常茶飯事だ。

「これも全部、巫女様に骨抜きにされた父様や、好き勝手やっている兄上のせいよね。というか、そうとでも思わないとやってられないわ」

 自分の手は、白くはない。

 誰よりも血まみれで醜い。あの頃のように、ただ綺麗なものだけを知っていた自分ではないのだ。

 道を選んだのは自分だから、後悔はしていないけれど。

「殿下」

 今日初めて、カイルの顔の表情筋が動いた。

 珍しい。うん、たぶん4日ぶりくらい。

 普段とは違う、私を気づかうような目をしている。心配してくれているのだ。

「大丈夫よ。私は結構しぶといんだから」

「知っていますよ」

「そう、ありがとう」

 カイルは私を慰めない。優しい言葉も言わない。泣き言をいうと容赦なく叱る。

 そして、彼は私に綺麗なままでいろとも言わなかった。

 子供の頃から側近く仕えてくれている彼は、出会った時と同じように父のようでもあり兄のようでもある人だった。

 私を裏切らないと信じられる数少ない人間の一人。

 もし、彼が私を見捨てるとすれば、父や兄と同じ道を進んだ時だろう。

 そうはなりたくない。

 彼に捨てられたくない。

 まるで親に縋るような気持ちが、今の私を支えている。

 でも、こういうのは嫌いじゃない。

 こうやって生きていくのは、割と自分にはあっている。

 あの頃よりも、ずっと楽しい。

 自然と浮かぶ笑みをカイルに向けてから、私は立ち上がった。

「さて、きりきりと働かないとね。まずは何をするかな」

 やることはたくさんある。

 当面の問題は、巫女に関してのことだけれど、それだって解決できないものではない、はずだ。

 私は自分に気合いを入れるように頬を両手で叩くと、歩きだした。何も言わなくても、カイルは黙って後ろをついてくる。

「殿下。私は――我々は、どこまでも、お供しますよ」

 カイルのそんな言葉を、私は心地よく聞いている。

「行き先は地獄かもよ?」

 茶化して問うと、彼は「知っています」といつものように答えた。

 だから、私もいつものように笑う。

「そこは、“そういうことはありません”とか言うところじゃないの?」

「そのような嘘は言えません」

 真面目に答えるものだから、私はまた笑った。



 淑女でいるよりも、こっちの方が面白い。

 私は背筋をぴんと伸ばして、カイルを従えたまま、廊下を進む。

 ある意味、ここは私の戦場だ。

 そして、今日も戦うために歩いていく。

 その先に、思い描いた未来があるのだと信じて。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ