猫をやめた猫(の小話)前
1
少し古い本に仲間が登場してて、彼は自分のことを「吾輩」って呼んでた。時代背景なんて言われたらそれまでだけど、なんとなく気取ってるというか、正直ダサいと思った。
ああ、でもこれは一人称の話だからね。その「吾輩」の彼に悪意があるわけじゃないよ。ていうかむしろ、もし彼と同じ時代に生まれてたとしたら、女として、じゃなくて、メスとして惚れてた自信があるかな。
まあとりあえず、私は普通に自分のこと「私」って言うよ。「私は猫だもん」なんてね。いや違う、正確には「猫だった」だね。そう、今は人間なんだよね。
猫をやめてもうすぐ一年になるかな。人間の世界では何をするにもバタバタで落ち着かないけど、でも、後悔はしてないよ。
なんと言ってもご飯がうまい。猫の時は、無味か、ほんのりしょっぱいか、少ししょっぱいか、けっこうしょっぱい、くらいしか知らなかったからね。甘いとか、苦いとか、辛いとか、一番感動したのは「甘辛い」かな。なにこれって思った。
ママが作ってくれるデミグラスハンバーグは超逸品。初めて食べた時、あまりのヤバさに泣いちゃったもんね。んで、私が急に泣きだすもんだからパパもママもも大慌てしちゃってさ。
まあハンバーグの美味しさに感動したってのもあるけど、でも、泣いちゃった本当の理由はそれだけじゃなかったんだよね、実は。
2
私が人間になる前の話なんだけどね、私は今住んでる町から県を三つまたいだくらいの場所で、普通に野良猫してたんだ。他の町じゃ食べ物が少なくて、すぐに死んじゃう猫も多かったけど、私がいた場所には運よく大きめの漁港があって、捨てられる小魚がけっこうあったんだよね。だからご飯には困ってなかった。
縄張り争いもそれなりにあったけど、中にはいろんな猫が共有でいれるフリーな場所もあるんだよね。私はうまーくその共有ゾーンに潜り込んでお気楽にやってた。
あと、それなりにモテた。私が可愛かったってのもあるけど、やっぱり猫って「お盛ん」なんだよね。子どもも何回か育てたよ。
まあ、基本は毎日ダラダラだけど、それなりに幸せな猫ライフしてたのね。ところがだよ。
ある日、漁協の建物の近くでご飯を選んでたら、見覚えのある漁師のおじさんが近づいてきたんだよね。いつも余った魚をいっぱい捨ててくおじさん。
仲間の猫たちと「おかわり!おかわり!」とか言ってはしゃいでたんだけど、そうじゃなかった。
私たちのすぐ傍まで来て、おじさんはジロジロ、猫を一匹一匹観察してさ。私らも慣れに慣れまくってて警戒もしなかった。それがいけなかったんだよね。 首根っこを掴まれて、私。捕まっちゃったんだよね。たしか「お前でいいや」って言われた気がする。
もちろん私は暴れたよ。だけど、首根っこ掴まれたらどうしても思いっきり力が入んなくて。いつもは魚を入れてる青いカゴに入れられて、蓋されて、アウト。
軽トラの荷台から助けを叫んでも、他の仲間はもちろん猫だからどうしようもないし。カゴの中でめちゃくちゃに暴れて、泣いて、叫んで。疲れてフラフラになって、気を失って、起きたらカゴに入れられたままおじさん家の車庫にいた。それが私の第二の猫生(人生)の始まり。
その頃は、今と違ってまだ人間の言葉や行動を理解できなかったら、状況が掴めなかった。あとになって、おじさん家の飼い猫にされたことを知るんだけどね。
おじさんとその奥さんと、小学校低学年くらいの男の子がいて、どうもその男の子が猫を飼いたいって言い出したのがきっかけみたい。
連れてこられた日から一ヶ月近く、私は車庫の中に閉じ込められてた。飼い猫として慣らすためだったんだろうけど、今思えば、そこまでするならペットショップで子猫を買ってくればいいじゃんって話。用意されたトイレは一個しかなくて、しかも砂をなかなか交換してくれない。それの外で漏らすとご飯抜きにされるから、我慢してするしかなかったんだよね。
そのご飯もめちゃマズかった。漁港と違って魚はあんまり出てこなくて、いつもお味噌汁に白ご飯を入れた「猫まんま」ってやつ。味はともかく、私ら猫はあんまりしょっぱいものばかり食べてるとお腹を壊すし、おしっこが臭くなってさらに最悪。野良でいる時はそうならないように、小鳥やネズミなんかを捕まえてバランス取るようにしてたんだけどね。
仲間の間で「夢の食べ物」って噂されてたキャットフードは一度も出てこなかったよ。 私の全然知らない場所だったから、夜になると私の匂いを嗅ぎつけた縄張りのヌシが来て、車庫の外からめっちゃキレまくり。
「荒らすつもりはない」「連れてこられた」って説明しても聞いてくれなくて、「出てかないと噛み殺す」とか危ないこと言うし。
さらに、そこにおじさんの奥さんが来て「うるさい!」って大声で叫ぶ。言葉の意味がわからなくても、怒ってるのがわかった。耳にキーンって響くのが痛いし、そもそもなんで怒られなきゃいけないんだろうって、その度に悲しくなった。
一番の苦痛は、車二台が入るだけのせっまーい車庫から出れなくて、一日中そこで過ごさなきゃいけなかったこと。
リードに繋がれてて、そのリードはビヨーンって伸びるけど、頑張っても十メートルくらい。中途半端に外に出たって縄張りのヌシに怒られるだけだから、結局いつも車庫の奥の臭いクッションの上で寝てた。
しかも、なんとか気持ちよく寝れそうかなあって時に限って男の子が来て、私を宙にぐいんぐいん振り回してた。
人間で言う「一ヶ月近く」が経ったくらい。私はストレスと栄養の偏りで体がおかしくなっちゃってた。右の後ろ足がうまく動かせなくて、歩くとカクンってなってた。てかそもそも、歩く気力も意味もなかったし、ほとんどの時間をクッションの上で過ごしてた。そしたらおじさんが来て、「ずいぶんと大人しくなった」「これなら家に上げてもいいだろう」って、私を家の中に入れた。
冬が近かったから暖かい場所に入れてラッキー、なんて最初は思ったんだけど、現実はそう甘くなかったんだよね。
3
家の中で暮らすってことは、すぐ怒る怖い奥さんと私を玩具にする男の子がいつもそばにいるってことだった。
奥さんははじめから私を飼うのに乗り気じゃなかったってこともあって、とにかく優しくなかった。「毛が」「においが」ばっかり言って、いつも私を怒ってた。
男の子は、やっと気持ちいい抱き方を覚えてくれたかと思えば、友達を連れてきて、やっぱり振り回すんだよね。おじさんはそれを黙って見てるし。
結局、私は車庫にいる時よりもへこんで、動けなくなった。右の後ろ足はまったく動かせなくなって、あと、人間で言う「頭痛」がひどくなった。
車庫よりも動ける範囲は広くなったのに、奥さんと男の子に見つからないように、いつも二階の物置部屋に隠れて過ごしてた。
その頃からかな、人間の言葉の意味がなんとなく理解できるようになったのは。不思議なことだけど、きっと、ストレスで頭もおかしくなったんだと思う。
「ご飯」はご飯。「トイレ」はトイレ。「寝る」は寝る。
そんな感じで人間の言葉を猫のそれに当てはめるところから始まって、猫のしないことは人間特有の行動なんだ、とか理解しながら、観察しながら覚えてった。
一番の勉強になったのは、テレビ。
ニュースやドラマやバラエティ、いろんな番組におじさん家族が使わない言葉が溢れてた。三人のいない昼間は天国みたいな時間帯で、チャンネルいじってテレビ見てた。〈科捜研の女〉っていうドラマが面白かったよ。
ただしそれでも、私から発声する分には「にゃあ」としか話せなかったんだけどね。
人間の言葉を覚え始めてからは、当然、色々と便利になった。まず私が「キララ」っていう名前で呼ばれてることがわかった。ネーミングセンスないよね。
男の子が「キララ、遊ぼう」って言うとそれは逃げろって合図。「おいで」は行くなって合図。「友達が来る」は物置部屋に隠れろって合図。
奥さんの場合は、機嫌の良い悪いを感じ取って、悪い時は視界に入らないようにする。良い時ってのもあんまりなかったけど。
私はとにかく二人の言葉を聞いて、行動を見て、先回りするようになった。逃げて逃げて、隠れまくった。ざまあみろ、誰がなついてやるもんか、なんて得意になってた。そしたらね、予想もしてなかった最悪の展開になっちゃったんだよね。
男の子が泣きじゃくりながらおじさんと奥さんに言う。
「キララ、遊ぼうって言ってもすぐにいなくなる!」って。
私は「乱暴にするからじゃん!」って反論したかったけど、「にゃあ」としか言えないし。
そこに奥さんが加わって、「ただ毛をまき散らすだけよ」ときた。奥さんだって髪の毛別の毛もろもろ落っことすくせに。
おじさんは「うーん、そうねえ」ってあやふやに答えながら、携帯電話をいじってた。猫目線で見ても、この人は親として失格だと思った。自分が連れてきた猫のせいで、息子がぼろ泣きしてんのに。
おじさんへのそういう抗議が何回か続いたある日、男の子が「キララ、うちにいる意味ないじゃん!」って言い出した。おじさんは相変わらず「うーん」ってふわふわしたまんま新聞を読んでる。そこまではいつもと一緒。
だけど奥さんの一言で流れが変った。
「あたし、アレルギーになった。猫アレルギー」
おじさんが新聞から顔を上げた。「まじかよ」って。
「ほら、最近あたし夜中に全身が痒くなるじゃない。知り合いの先生に聞いたらアレルギーの可能性あるって」
私も「まじかよ」って思った。めっちゃ嘘くさい。それって乾燥肌じゃないの。
だけどおじさんは腕組みをして、首をかしげた。「うーん」って考え込んで、そしてついに、出た。
「じゃあ、野良にかえそっか」って。
じゃあって何よじゃあって! そんなの勝手過ぎるじゃん!
私が「にゃあ!」って抗議すると、奥さんが「ほら、キララもそれがいいって言ってるみたい」って。
んなわけないじゃん! 今さら過ぎるよ!
そして、男の子がトドメの一言。「キララ、バイバイ」って。
その後さっそくだよね。三十分もたたないうちに軽トラに乗せられて、私は捨てられた。
まだまだ寒い、二月のはじめぐらいだった。