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苦手な方はご注意ください。

HUCK & SLASH FANTASY

皇子の花嫁

作者: 阿僧祇


「名前はルクセリオン、見ての通り、旅の剣士です」

 おれが名乗ると黒髪の若い騎士は、値踏みするような目でおれを見た。歳の頃はおれより少し上、二十二、三といったところか。騎士はやがて視線を落とすと頭を引っかきながら言った。

「あまり聞かん名前だな」

「腕はたしかですよ」

 本当に腕には自信がある。まだ実戦で人を殺したことはないけれど。

「交渉のときに腕に自信がないなんて言ってくる奴はいないよ。ま、都のクラナール神殿の紹介状ならたぶん間違いないだろうがね」

 この紹介状は本物だった。手に入れるのにちょっとあこぎな真似はしたが、副神官長の直筆には間違いない。

 おれは身振りで、座ってもいいかと尋いてみた。黒髪の騎士はにこりともせずに右掌を出した。おれはそれを了解の合図と取って、騎士の正面に座った。

 騎士は壁を背にして座っていた。だから俺の背中は広い空間に向けられた。隙だらけだ。念のためおれは、後ろで聞こえる物音に神経を配ることにした。今のところは、酒場の喧噪しか聞こえない。

「ちょっと前にここにきたばかりなんですよ、リヴノンあたりで少々ならしたんですが」

 これは大嘘だ。でもバレやしないだろう。

「なにしにこの街へ?」

「噂に聞いた、ミルン侯爵様の御令嬢を一目なりと見たくてね」

 …一応、これは本当だった。

「どんな噂か知らんが、別に変わってるとか、絶世の美人とかいうわけでもないぞ、…えーと、名前はなんていったっけ?」

「ルクセリオン、です」

「ルクー…セリオン…か。なんだかエルフみたいな名前だな」

「結構気に入ってるんですけどね」

 後ろで誰かがこっちを見ている。おれは、こういうのと毒殺のふたつにだけはいつも気を付けるよう、小さい頃からしつけられてきた。だからすぐ感づいた。

「口は固いか?」

 黒髪の騎士は探るような目付きになる。

「もちろん…報酬によってはね」

 後ろの奴が近づいてくる。極力殺気をかくしている。ちょっと気を抜いたら、酔っぱらいの足音と間違えそうだ。今度は俺が質問した。

「仕事の話をする前に、あなたを何て呼んだらいいか教えてくれませんか、サー…」

 おれは、気付かれないように右腰に付けた棒短剣をつかんだ。

「はたしてその必要が…あるかな?」

 黒髪の騎士は、錫の杯に入った安酒をすすった。その瞬間、おれは棒短剣を抜いて後ろへ突き出した。そこには、酒瓶を振り上げた中年の男が硬直していた。俺の棒短剣は、ちょうどその男の胸先で止まっていた。あと三センチも近かったら心臓をズブリだ。

 黒髪の騎士が笑った。笑い声は酒場の喧噪のなかではたいして目立たなかった。

「はっはっは、もういいぞ、デレック。俺の名はザイル卿だ、サー・アルガート・フィム・ザイル。よろしくな、ルクセラ…ルクセル…」

「ルクセリオン、です、ザイル卿」

 ザイル卿と名乗ったその騎士は握手を求めてきたが、おれは棒短剣をしまうと、その手を無視して頬杖を付いた。

「じゃあ、仕事の話を聞きましょう」

「本当は、美形は雇いたくなかったんだが…」

「…そいつは、どうも」

      ×       ×

 仕事の内容はこうだった。

 ある身分の高い女性がお忍びで旅行する。極秘の旅なので、いつも身の回りにいる者もたくさんは連れていけない。しかし、わずかな護衛では心配が残る。そこで個人的に剣士を雇って戦力の足しにしようという訳だ。

 予定期間はおよそ四日。もちろん、延びるかも知れないが。報酬も悪くない額だ。おれは引き受けることにした。

      ×       ×

 領主…ミルン侯の屋敷から、一台の馬車が出てきた。野菜や穀物を運んできた馬車で、空の木箱や樽を積んでいるだけだ…いつもなら。

 おれはかなり離れた森の木陰からそれを確かめると、愛馬フィルナルを下りた。

「ブルルルル…」

「静かに、フィルナル…」

 おれは、この黒馬の首を軽くなでてやった。「ここからは、おれは騎士でも貴族でもない、ただの剣士になるんだ。フィルナルは、あのいつもの裏街道で待っててくれればいいんだ。道はわかるだろう?わかるね?」

 フィルナルには、おれの言うことが理解できたようだ。心配そうにおれのほうを見ながらも、ゆっくりと離れて立ち去って行った。

 おれが身に付けているものはボロの革のマントと、青いチェニック。腰の片手半剣は結構値のはる業物だが、そのくらいの贅沢は許されると思う。なにしろおれは、剣ひとつに命をかける、「旅の剣士」なんだから。それからもうひとつ、ザイル卿って奴も言ってたように、ちょっとばかり顔がよすぎるかも知れないが、ま、そんな剣士がいてもいいだろう。

 おれは木陰を出て、森の中をのんびり歩いた。空は曇り気味だったが、たぶん雨の心配はないだろう。朝方よりはだいぶ明るくなっていた。

 空の箱の中に侯爵令嬢エリフィーナ様を隠して、野菜馬車は街道を進んでいた。落ち合わせる場所は、もう決めてある。

 森のはずれにある無人の狩人小屋には、俺のほうが馬車より先に付いた。わずか二、三分の差ではあったけれど。

「よーう」

 おれは気安く声をかけたが、ザイル卿はむっつりしていた。馬車を止めるとザイル卿は、空箱をひとつひっくり返した。

 なかから、ちょっと品のいい女性が現れた。この人がエリフィーナ様だ。前にザイル卿が何か言ってたけれど、これなら美人の部類にはいる、と思えた。歳はおれと同じくらいのはずだが、少し大人びてみえた。侯爵令嬢にしては少々地味な服装なのは、変装したつもりなんだろう。それでも、とても平民には見えなかった。

 「彼女を一目見たくてやって来た」というおれは、早くもここで目的を果たしてしまったわけだ。

 しかし、ビジネスはこれからだ。おれは狩人小屋にかくしてあった小型の屋根付き馬車を引き出してきた。荷馬が二頭繋がれている。

 エリフィーナ様は

「ザイル卿、ご苦労です」

とか言って、馬車から下りてきた。

 ザイル卿はエリフィーナ様が馬車を乗り換える間、ずっと側についていた。騎士の鏡みたいな人物だ。しかし、とりあえずこの二人の間に、恋愛的な感情は見られない。まぁ、言ってみればおれにもチャンスがあるかも知れないってことだ。だけどそういうことを意識する奴に限って何も起こらなかったりするから、おれは考えないようにした。

 エリフィーナ様は小型の馬車に移った。野菜馬車は静かに街道へ戻って行った。ザイル卿とおれは小型馬車の御者席によじ登った。

 ザイル卿が手綱を持った。おれは片手半剣を抱えてとなりに座を占めた。

 馬車は走り出し、道を進んで行った。

      ×       ×

 夜になってしまった。しかし、お忍びの旅ということなので、すくなくとも侯爵様の領内ではエリフィーナ様を宿屋にお泊めするわけにいかないそうだ。

 仕方がないので、森のなかで野宿することになった。エリフィーナ様は、なれない旅で少々疲れているようだ。おれやザイル卿も疲れているが、ふたりとも一応騎士…おっと、おれは「旅の剣士」。鍛え方が違う。

 とりあえず火を焚いた。まだそれほど冷えこむ季節でもないので、エリフィーナ様も毛布にくるまって馬車の中にいれば大丈夫だろう。

 ザイル卿が先に見張りに立ち、夜中で交替することにした。おれは、毛布をひっかぶって焚き火のそばに転がった。すると…

「おきろ」

 安らかな眠りの時は、あっという間に過ぎ去っていた。おれはザイル卿に揺すぶり起こされ、眠い目をこすりながら起き上がった。

「交替の時間だ」

「今、寝たばかりですよ?」

「たっぷり六時間は寝たはずだ…それじゃ、しっかりやれよ」

 ザイル卿はそう言って横になった。

 焚き火のなかで、木がはぜて音を立てた。草の影から、かすかに虫の声がしていた。いつの間にか雲は切れて、空には星が顔を出した。

 まったく静かなものだった。おれは、焚き火に三本ばかり新しい枯れ木を入れた。

 交替してから、一時間もたった頃。ふいに物音が静寂を破った。音は馬車の方から聞こえた。 おれはとっさに片手半剣に手を掛け、ゆっくりと立ち上がった。炎のあかりで、馬車の扉が開くのが見えた。おれは剣から手を放した。エリフィーナ様が起きて、馬車から出て来ただけだ。まあ、予想はしていたけれど。

「姫様、差し出がましいようですが、中におられたほうがよろしいかと」

 おれは一応の礼儀は心得ているので、それに則ってそう言った。しかしエリフィーナ様は笑顔で答えてきた。

「わたくし、少し夜風に当たりたいのです…いけませんか?」

「いえ、それならば‥‥‥」

 おれは自分が腰を下ろしていた背負い袋を椅子の代わりにとエリフィーナ様に勧めた。



「これは、あなたのバッグではないですか?」

「構いませんよ、それほど大事なものが入っているわけでもないし」

「そうですか、では、折角ですから‥‥‥」

 エリフィーナ様は遠慮がちにそこへ腰を下ろした。おれは自分の革のマントを敷物代わりにして、地べたに座った。

 おれは枯れ木をもう二本ばかり火の中に入れた。木がはぜる音がして、火の粉が舞った。木が少々湿っていたのか、煙が出て少し目にしみた。エリフィーナ様のほうには煙は行ってないようだ。

「一日一緒だったのに、あなたとは何もお話ししませんでしたわね」

 エリフィーナ様は微笑みながらそう言った。「そうでしたね」

 我ながら間抜けな受け答えだ。

「あなたはどういう方なのですか?」

「旅の剣士です」

 おれは、きっぱりと答えた。

「すると、各地に旅していらっしゃる?」

「まあ、そんなところです」

 ボロが出そうな気がしたので、ちょっと言い訳がましく付け加えた。

「…それほどあっちこっちは歩っていませんけれども。」

「御出身はどちらですの?」

「…レバルタの都です」

「まあ…」

 エリフィーナ様は目を大きく開けて驚いた表情になった。このお姫様は、表情が豊かなようだ。結構好感が持てる気がした。

「すると、帝都でお育ちになったのですね」

「一応、そういうことになります」

 姫様はそこで黙ってしまった。寂しそうな、何か諦めたような微笑を見せながら、焚き火の炎を見つめている。

 今度はおれから話すことにした。

「姫様、なぜお忍びで旅行などなさるのですか?叔母様のメルレン伯夫人を訪ねる旅と聞いてますが、別に隠す必要もないでしょうに」

 みるみるエリフィーナ様の顔がこわばっていった。姫様は、炎を見つめたまま言った。

「実はわたくし、お父様の命令で、無理やり結婚させられるんです…一度も会ったことがない人と」

 おれは、手持ち無沙汰なので枯れ枝を手にして、炎をいじり始めた。

「なるほど、お気持ちはわかります、わたしにも似たようなことがありましたから」

「あなたにも?」

 エリフィーナ様はびっくりされたようだ。

「わたしも父に、会ったこともない女性と結婚しろと言われました。そのあと家を出てきたんです」

「まあ‥‥‥それじゃまるで、わたくしと一緒ですね」

「そうですね」

 打ち解けた笑いが交わされた。ザイル卿が寝返りを打ったが、起こしはしなかったようだ。

 おれは、手にしていた枯れ枝をふたつに折って火の中に投げこんだ。

「でも姫様、噂に聞けば姫様は皇帝家の第一皇子様と御縁談があったのでしょう?将来は、もしかすると皇后様になれるかも…そういうのを我々は『玉の輿』と呼んでいるのですが‥‥‥おっと、これは下世話な言葉を‥‥‥」

「いえ、そのくらいは知っています」

 エリフィーナ様は口もとを押さえて伏し目がちに答えた。

「理屈ではわかっているんです…おそらく、わたくしもそれが幸せなのでしょうし、父にとってもそれがいいということは…でも‥‥‥」

 エリフィーナ様は涙目になってしまった。

「お気持ちお察しします」

 これ以上こんな話を続けるのは、ちょっとまずい気がする。俺はゆっくりと立ち上がった。

「姫様、夜風も当たりすぎると体に毒です、馬車へ戻って休まれたほうがよろしいでしょう」

 おれは、手を取って、エリフィーナ様に立ってもらおうとした。姫様は涙をためた目のままでおれの方を見た。おれと姫様の視線がもろに交差してしまった。

 かわいい。

 思わずそう想ってしまった。

 とにかく、おれが出した右手にエリフィーナ様の左手が軽く置かれた。触れ合った瞬間、体中の血がどっと逆流するような感覚に捕らわれた。おれとしたことが、なんてザマだ。

 涙をぬぐったエリフィーナ様を馬車へ戻し、俺は焚き火へ戻った。荷物の上に座ると、そこにはまだ姫様の体温が残っていた。

 姫様を…いや、彼女を救ってやりたい。

 俺は、炎を見つめながらそう思った。この気持ちはきっと、同情だけじゃない…かもしれない…はずだ。

      ×       ×

 朝になった。昨日までの雲は消え去り、太陽が出ている。まだ寒い季節でもないから、今日は暑くなるかもしれない。日の出前から弱い南風も出ていた。

 ザイル卿は起こしもしないのにさっと起きると、おれが呆れて見ている間にさっさと朝食の支度をしてしまった。騎士の癖にずいぶんいろいろなことができる奴だ。あるいは貴族ではなくて、この頃流行っている「成り上がり騎士」なのかも知れない。

 朝食の間、エリフィーナ様は一言も口を聞かなかった。あれから、余りよく眠れなかったように見えた。

 ザイル卿はビジネスライクにすべての支度を終え、さっさと一行を出発させてしまった。南風は相変わらずそよいでいたけれど、馬車が走り出すと、御者席では感じなかった。

 馬車が進む道は森を抜ける裏街道だ。主街道とは違って、左右に十メートルも切り開かれたりはしていない。雑草が生い茂り、所々大きな石が落ちている。おそらくあまり使われない道なのだろう。馬車は障害物を踏まないように気を付けながらゆっくりと進んだ。

「ザイル卿…」

「ん?」

 おれは、なんとはなしに切り出した。

「姫様が抜け出して、屋敷では大さわぎになってないでしょうかね?」

「…なってるだろうな」

 ザイル卿は正面を見たまま答えた。

「追っ手が出てる?」

「たぶん、出ているだろう」

「この道をとったって事は…」

「われわれが目立つ表街道を行くわけはない…それに、行き先もだいたい限られてる…とる道は、そういくつもない」

 おれは、ちょっとため息が出そうな気分になって、手のひらを額に当てた。

「もし、追っ手が来たらおれは戦ってもいいんですか?」

「戦ってもいいが、殺してはならん」

「…やれやれ」

 今度は本当にため息が出た。

 ザイル卿は無表情のまま続けた。

「昼すぎにはガストーク峠を越える…そうしたらエメレン伯爵領だ」

「ガストーク峠…か」

 おれも、何度か通ったところだ。そういえば半年くらい前、あそこの集落で仲間と一緒に、無頼の集団をとっちめてやったことがあったっけ…そうそうその時、人質だった宿屋の娘を助けにアジトに乗りこんで、危機一髪のところを…。

「ガストーク峠は…」

 止まらず一気に走り抜けよう。おれはそう言おうとした。けれど、ザイル卿がそれをさえぎった。

「ガストーク峠で馬車を捨てて、乗用馬を買おう」

「あの‥‥‥」

 ザイル卿は無表情のまま馬に鞭を当てた。馬が加速して、馬車は登りの道をかけ登って行った。

        ×       ×

「ルクセリオン!久しぶりじゃなーい」

 おれが馬小屋の前を通ろうとすると、いきなりサーラに見つかって、かん高い声とともに勢いよく抱きつかれた。

「サーラ、あの…」

「もう、生きてたんなら手紙くらいくれたっていいじゃないの、三ヶ月も!いじわる!」

 小柄なサーラは長い赤毛を振り乱して、涙目になっていた。おれのことを本気で心配してくれてたんだろうか。思わず髪をなでてやってしまった。



 サーラは峠の宿屋のひとり娘で、以前に無頼の集団にとっ捕まって「貞操の危機」だったところを助けてやってから、どうやらおれに特別な感情を持ってしまったらしい。サーラはかわいいし、悪い気はしないが、おれはこんなところで宿屋の婿養子になる気はない‥‥‥。

「なんだ、知り合いか」

 ザイル卿が後ろから間抜けな声をかけてきた。見ればわかるだろうが、と思った。その後がいけなかった。ザイル卿がエスコートしてきた姫様の声が続いたのだ。

「ザイル卿、野暮な真似をするものではありません…恋人同士の再会でしょう、ゆっくりさせてあげなさい」

「は…」

 サーラは真っ赤になって顔を隠す。おれのむなもとへだ。完全に誤解された。おれの笑いはひきつった。

「サーラ、今は急いでいるんだ」

 おれは心を鬼にしてサーラを引き離した。

「さる高貴なお姫様が、追われている…おれはその護衛をしてる…馬が欲しいんだ、丈夫で足の早い馬が」

「まってて」

 サーラは目を輝かせて走り出した。

「お父さんを呼んでくる!」

 …また、おれの苦手な人物がくる。おれは覚悟を決めた。おれは振り返って、エリフィーナ様とザイル卿を見た。二人とも無表情のまま黙ってこっちを見ている。おれは歩み寄って口を開いた。

「いえね、以前、助けてあげた女の子なんですよ、別に、恋人とかそういう訳では‥‥‥」

 言い方がかなり弁解っぽくなってしまった。その途端、

「ルクセリオン!」

 野太い声が聞こえた。おれは振り返って、ひきつったまま愛想笑いをした。

「やあ、宿屋の親父さん」

「オレのことはウォルターと呼べと言っただろうが!いや、よく来た」

 身長は二メートルを少し越え、赤茶けた髪と顎髭を伸ばして澄んだ瞳を持つ精悍な男だ。話によると、四分の一ほどドワーフの血が混ざっているらしい。すると、サーラは八分の一ドワーフという訳か。今、気がついた。

「どうしたい、困ってるらしいな」

「はあ、実はちょっと追われてて、馬が欲しいんだ」

 おれは、姫様とザイル卿を指し、軽く付け加えた。

「わけありでね」

「そうか、待ってな!極上の馬を三頭、馬具付きで用意してやる…なに、代金?オレとおめぇの仲じゃねぇか」

「困るよ、ウォルターさん!」

 親父さんは手を軽く振ると、豪快に笑いながら馬小屋へ入って行った。

 この親父さんも若い頃にはだいぶ慣らしたらしく、あの無頼漢どもを退治したときには一緒になっておおいに暴れてくれたものだ。サーラがおれに傾き出したときには無茶苦茶に不機嫌だったが、見事おれが無頼の頭目を生け捕ってからは逆に、気味が悪いほど気に入られてしまった。まさか、おれをサーラと結婚させようなんて考えてるわけじゃ…ないと信じたいが…そんなことされたら、いずれは年代紀か英雄伝説に残す予定のおれの名前が、ここの宿帳にしか残らなくなってしまう。

 ザイル卿がやってきて軽く言った。

「なるほど、将来はここに住むのか」

「この辺りならいつでも訪ねてこれますわね」「ち、違うんですってばぁ‥‥‥」

 もう、おれの言うことなど聞いてもらえなかった。

 親父さんは信じられないほど早く三頭の馬を用意して馬小屋から出てきた。三頭とも無駄のない筋肉を持ち、なるほど、見るからに早そうな馬だ。

「どうだ、このあたりじゃ一番いい馬だぞ…おそらくな」

「ああ、ありがとう、ウォルターさん」

「…ウォルターと呼べ」

 おれは無視して、エリフィーナ様が乗馬するのを手伝った。

「ありがとう、ウォルターさん…いずれ礼はするよ」

「礼なんぞいらんから、また来い!しばらく来ないと娘がお前のことばっかり話してて、仕事の邪魔になるんだ」

 おれは思わず苦笑いした。そういえば、サーラはどこに行ったんだろう?

「それじゃ‥‥‥」

「待って!」

 とつぜん、サーラが走ってきた。息を弾ませておれの横へ止まる。

「どうした?」

「これ!」

 何か小さな物を差し出した。おれはそれを手に取ってみた。

 金属の首飾りだ。剣の形をしている。剣神ユカァパのシンボルのようだ。俗に、ユカァパ神のシンボルは剣難のとき身を守ってくれると言われている。それにしても、ちょっと不格好だが‥‥‥。

「これは…」

「私が…作ったの!」

 おれはサーラを見つめた。

「ルクセリオンて、いつも危ない仕事をしてるでしょ。だから、御守り」

 おれは先祖の代からの、神帝クラナール信仰を受け継いでいる。ユカァパ神の信仰とはちょっと系統が異なる。クラナール神はアルファ神族の王、つまり天帝だし、ユカァパ神は民族神の多いエルシスの神群に属する。

 しかし伝承によれば、神帝クラナールも邪竜軍団との戦いでユカァパ神の力を借りたと言うし、別に問題もないだろう。おれはこれをもらっておくことにした。こう考えたときまではおれも冷静だった。

「…ありがとう」

 おれがそう言うと、サーラは頬を赤らめて微笑んだ。おれは、無意識のうちに引き寄せられたようにその頬に顔を近づけ、思わず…いや、本当に、何も意識はしてなかったんだ、まったく、自分でも予想外の行動で…いや、本当に思わず…思わず唇を重ねてしまった。



 サーラも驚いたろうけど、おれはもっと驚いた。ザイル卿も姫様もたぶん驚いたに違いない。親父さんだけが知った風な顔つきで二、三度うんうんとうなずいていた。

 おれはあわてて鞍に飛び乗り、馬腹を蹴った。馬が早足で歩き出した。あまりの気まずさに後ろを振り向くことができない。ついてくる馬の足音はするから、姫様もザイル卿も来てはいるのだろう。

 そういえばこの仕事を受ける前、おれはあるところで必要があって「女ったらしの色男」を演じていたっけ。きっとその時の影響が残っていたのだ。あの時は芝居のつもりだったから気にも止めなかったが、今は状況が違う。

 いかん、これはかなりいかん。非常にやばい、やばすぎる。芸術的にやばい、超々弩級やばい、ウルトラ・スーパー・グランド・ゴージャス・デリシャス・デラックス・ファーストクラス・スペシャル・ワンダフル・ミラクル・クリティカル・トゥーマッチ・パーフェクトに‥‥‥言葉では表現しきれそうにないくらいヤバい。

 おれは凄まじく混乱した。

 とりあえず、ここを離れなければ‥‥‥。

       ×       ×

 そうやって夕方まで混乱しっ放しだったため、おれは何度も遅れそうになってしまった。恥ずかしながら落馬も一回やってしまった。

 だから、夕方までには集落のあるガラリアスの泉に着くはずだったのに、大幅に遅れてしまった。

 こんな状態だったからうかつにも、ザイル卿の叫び声とエリフィーナ様の悲鳴が森の木々を貫いて聞こえてくるまで、変事にまったく気がつかなかった。

 すでに辺りはうす暗く、声はかなり離れていた。おれは仰天し、馬腹を蹴って、あわてて駆けつけた。

 護衛としてはまったく失格だ。

 ザイル卿は落馬して、なにやら茶色い塊と格闘していた。

「肉食猿っ!」



 おれは片手半剣を引き抜いた。この剣はまだ血を浴びたことがない新品だ。しかしやたらと攻撃しては危ない。取っ組み合いしているところへ突撃をかましたら、ザイル卿まで傷つけてしまう。

 おれは馬を飛び降りながら周りをすばやく確かめた。エリフィーナ様は馬から下りて…いや、たぶん落ちたのだろう。腰の辺りがだいぶ汚れているのがわかった。それでも必死に手綱を持って、二頭の馬を押さえている。周囲には、肉食猿の仲間の姿は見えない。たいていは三、四匹くらいで動いているものだが…。

 ザイル卿はふいにやられたらしく、剣を抜かずに拳で応戦していた。おれはそこへ駆けつけ、片手で肉食猿の背中に斬りつけた。はずすはずもない。手ごたえとともに肉食猿は激しく血を噴き出して悶絶した。ザイル卿は必死に肉食猿をはねのけ、二、三歩離れたところでようやく長剣を抜いた。ザイル卿は頭から流れた血を左手で拭った。

 肉食猿は向き直り、新たな敵、つまりおれに絶叫をあげて飛びかかってきた。肉食猿は向かって左に傾いておれに飛び付き、鋭いかぎ爪がおれの肩を切り裂いた。左の肩にしびれるような感覚が走った。

 肉食猿が飛びかかってくるのと同時に、おれは剣を両手で持ち、腹の底から叫んで、悶絶する肉食猿に突きかかっていた。なまあたたかい返り血がおれの顔面にかかった。おれが肩を裂かれたときには、剣が肉食猿の腹に深々と突き刺さり、背中まで抜けていた。おれは肩の痛みをこらえ、突き刺した剣を猿の腹をかき回すように回転させた。さらに血が噴き出してきた。肉食猿のかぎ爪がさらにおれの左腕に食いこんだ。けれど、もう時間の問題だ。おれの叫び声と肉食猿の絶叫が不協和音となって響き渡った。

 おれの血と肉食猿の血が一対二十くらいの割合で混ざって地面に染みこんで行く。肉食猿は激しく痙攣した後、動かなくなった。

 体にはりついた血が乾きはじめて、ぱりぱりと音を立てる。おれは、右足で肉食猿を激しく蹴り飛ばして剣から外すと、弾んだ息を自然に整えていた。

 その向こうにザイル卿がいた。破れた服と、頭から流れる血が、怪我の重さを語っている。「も…申し訳ないっ!」

 息が荒れていたので、おれはそれだけしか言えなかった。

 おれのせいだ。まったく、油断していた。けれどザイル卿は、目をつぶって首を振った。

「ゆ、油断はおたがい様だ、騎士として、ふ、不覚、だった」

 それだけ言うと、剣を手にしたまま崩折れてしまった。

「ザイル卿!」

 おれは駆け寄って、抱き起こそうとした。すると左腕に激痛が走った。思わず、うめき声を立ててしまった。

 とつぜん、エリフィーナ様が走ってきた。

「ルクセリオン!ザイル卿!」

「わたしは大丈夫です、はやくザイル卿に手当てを…」

 ザイル卿を姫様にまかせ、おれは自分の馬のほうへ歩いて言った。

 まったく、ザイル卿の言う通りだ。騎士として、不覚だった。いかに熟練の剣士でも、不意に襲われたら何もできない。常に危険を察知できるように、あるいは常に危険の中にいるように準備していなければならない。おれの師匠はそう教えてくれたはずだ。

 おれは水筒の水で剣と傷口を洗った。ぬるい水が傷に滲みて、腕がわずかに痙攣した。思わず顔をしかめてしまった。どうやら、傷はそれほど深くないようだ。怪我をした左腕も、何とか動かせた。おれは顔や首も洗って、肉食猿の返り血を流した。服にも水をかけたが、これはもう水筒の水くらいではどうしようもない。

 荷物の中に布が入っている。これで傷口をしばろうとした。けれど左腕がうまく使えないので、なかなかしばることができない。何度やっても滑ってしまって、布だけが血で赤く染まっていくのだ。

 おれが悪戦苦闘していると、エリフィーナ様が駆け寄ってきた。

「ルクセリオン、わたくしがやります」

 おれは何故か赤くなってあわててしまった。「いえ、大丈夫…」

「大丈夫じゃないでしょう!とても見ていられないわ」

 エリフィーナ様はおれの手から布を引ったくり、手が血で汚れるのも構わずおれの左腕を止血してくれた。ザイル卿のほうを見ると、すでに一応の応急手当てがしてある。驚くべき手際のよさだ。

「姫様、ずいぶんお上手ですね‥‥‥」

「…戦などのとき、傷ついた騎士たちを手当てするのはわたくしたちの役目です…そうお母様から聞いて、医術を勉強しました…少しだけですが‥‥‥」

「…そうでしたか」

 止血が終わると、おれは姫様に礼を言ってザイル卿の様子を見に行った。エリフィーナ様は疲れたのか、木に寄りかかって座り込んでいる。すでに辺りはだいぶ暗くなってきていた。

 ザイル卿はかなりの重傷のようで、意識は失っていたが、呼吸は正常だった。どうやら出血も思ったほどではなさそうだ。

「姫様、エリフィーナ様」

 おれはエリフィーナ様に呼びかけた。

「このままでは、今日も野宿になってしまいます」

「こんなところでですか?」

 夜の森は昼より危険だ。しかも、護衛は二人とも怪我を追っている。姫様が不安に思うのも無理はない。

「ガラリアスの泉まで、まだもう少しかかるでしょう…行くのなら、日没後の暗い中を歩かねばなりません」

 エリフィーナ様は、迷っていた。

「どうしたらいいのでしょう?」

「決めるのは姫様です」

 おれはそう言ってから、ちょっといじわるだったか、と反省した。エリフィーナ様は、本当に決めかねているのだ。ザイル卿の怪我の具合から見て、動かさないほうがよさそうなのはわかる。けれどここに留まっていては、さっきの肉食猿のような危険な奴がまた来ないとも限らないのだ。

 おれは荷物からランプを取り出して火を着けた。うす明るい光が周囲を照らした。

「エリフィーナ様、ガラリアスの泉まで行きましょう、今の我々ではエリフィーナ様を充分にお守りすることができそうにありません」

「しかし…ザイル卿は、動かしても大丈夫でしょうか?」

 おれは、わざと無表情を装った。

「この方も、普段から鍛えている騎士です!それに今は何よりも、姫様の御無事が優先されます」

 最後の一言を言うと、エリフィーナ様は動揺の色を見せた。

「わ…わたくしが我儘を言わなければ、二人とも、こんな目には‥‥‥」

 エリフィーナ様はとつぜん、激しく泣き出してしまった。

「ごめんなさい、もう、帰りましょう…わたくしがすべて悪かったのです」

「姫様…」

 おれは軽く咳払いをして、エリフィーナ様の肩に手をかけた。

「今はとにかく、ガラリアスの泉まで行くことが先決です、集落に行けば医者か神官がいるかも知れません」

 エリフィーナ様は、一生懸命涙を止めようとしていたが、一度泣き出したものがそう簡単に止まるわけはない。

 そういえば、いつかサーラが、若い女性は生理的に泣くだけだから、ショックを与えれば泣きやむなんて言ってた。けれど一体どんなショックを与えればいいのかわからないし、第一今はそんなことができる状況でもなさそうだ。

 おれは肩を抱いて支えながら姫様を立たせ、馬に乗せた。次に意識不明のザイル卿を馬の鞍にうつ伏せに乗せ、自分は手綱を引いて歩いて行くことにした。

 すでに夜を迎えた暗い森の中に、ランプの明かりだけがぼんやりと浮かんだ。

        ×       ×

 三人がガラリアスの泉を通って集落に入ったときの騒ぎと言ったらひどかった。

 まあそうだろう。血だらけの男が二人と、一見して身分が高いとわかる女性が一人。それが、医者を求めてやってきたのだから、住人たちの耳目を集めない訳がない。

 村役人は、エリフィーナ様が隣領の姫様だということだけ確かめると、すぐ早馬で報告に行ってしまった。

 運のいいことにこの村にはちょうど医者が来ていて、おれたちは夜のうちに正規の治療を受けることができた。ただし二人ともかなりの重傷であり、特にザイル卿は当分の間寝たきりでないといけないということだった。

 ザイル卿と姫様はとりあえず、村役人のところに落ち着くことになった。早馬が着けばエレメン伯の家人が姫様を迎えに来るだろう。そうしたら、おれの仕事は終わりだ。

 朝になると、ザイル卿も意識を取り戻した。「面目ありません、エリフィーナ様」

「気にすることないわ、あなたは充分、わたくしのために尽くしてくれました…今は傷を治すことを考えてください」

「エリフィーナ様っ!」

 ザイル卿は感激して涙を流していた。単純な男だ。騎士は姫君の微笑みのために死ねるというが、この男ならやりかねないな、とおれは思った。

 おれはその間ずっと姫様の後ろに立っていたのだが、なんとなく間が持たなくなったので、片手半剣を杖代わりにして部屋を出た。

 おれはザイル卿ほど重傷ではなく、とりあえず左腕を吊るだけですむ程度だった。

 おれは外の風に当たりに行った。朝の風は傷にも心地よくそよいでいた。

 おれの革マントも青いチェニックも、肉食猿の返り血だらけでもう使い物にならなくなってしまった。おれはザイル卿と違って替えの服なんか持っていなかったから、しかたなくこの集落の人に古着をゆずってもらった。山で使う仕事着だが、旅装と言えなくもない。マントとチェニックは燃やしてしまった。青いチェニックは結構気に入っていたんだが‥‥‥。

 村人たちはとっくに起きて、それぞれの仕事に出ている。山で薪木を取る者、家の修理をする者、収穫の近い畑で草取りをする者など、みんな忙しそうだ。おれたちだけのんびりしているのが、何だか悪いみたいな気がする。と言っても別段おれにできるようなことはない。なんと言っても怪我人だし‥‥‥。

 おれは村役人の家の入口で腰を下ろした。ところがいきなり扉が開いて、おれはそれに腰を打ちつけてしまった。姫様が出てきたのだ。

 ここのところ、おれは油断が多い。少し気を付けなければ、とおおいに反省した。

「だ、大丈夫ですか?」

 姫様が心配そうに言った。昨日からこればっかりだ。

「ええ、すみませんでした」

「いえ、今のはわたくしが悪いんです。ごめんなさい」

「ちがいます!剣士たるもの、人の気配に気が付かないようでは、三流と言われても仕方無いのです」

 おれはやせ我慢して格好つけた。笑わせるつもりだったのだが、姫様は全然笑ってくれなかった。姫様はおれが座っていたあたりに腰を下ろし、柱に寄りかかった。

「姫様、服が汚れます」

「いえ、いいんです」

「‥‥‥」

 なにか、視線に力がない。何とか慰めてあげたいけれど、言葉が見つからなかった。

 気まずい沈黙が続いた。おれは落ち着かないので、柱に手をかけて周りを見渡した。森の中を小鳥が飛んで行くのが見えた。枝に群れをなしている。あの鳥はなんと言ったっけ‥‥‥たしか、絵図を見せられて教わった覚えがあるのだけれど‥‥‥思い出せない。

 そんなことを考えていると、不意に姫様が口を開いた。



「わたくし、エメレン伯と叔母様にご挨拶したら…やっぱり屋敷へ帰ります…そして…お父様の言うとうり第一皇子さまと結婚します」

 力のない声だった。

「…そうですか」

 おれには、そう言うしかなかった。姫様は、力のない言葉を続けた。

「あなたは、ええと…サーラさん…と言ったかしら?あの方と御結婚するのですね」

 おれは思わず咳き込んでしまった。姫様はきょとんとしておれを見た。

「いえ、姫様…そうは、ならないと思います」 おれは極力笑顔でそう答えた。

「どうして?あの方は、あなたを…」

「そうかも知れません…でも…」

 今度は、おれが視線をずらす番だった。

「でも、わたしはまだこれから、危険な道を行くのです…うまく行けば素晴らしいことになりますけれど、まず五分以上の確率で、わたしは伴侶を不幸にしてしまうでしょう」

「ま…」

 姫様がなにか言おうとしたけれど、おれはそれをさえぎった。

「サーラには、この重荷は耐えられないでしょう…わたしと一緒になったりしたら、かえって彼女がかわいそうです」

 姫様はため息をついた。

「でも、たとえどんな結果になったとしても、自分で心に決めた方と一緒に行けた方が幸せだと思いますわ」

「…あなたは強いひとだ」

「え…?」

 おれは顔を上げた。姫様と思わず顔を見合わせてしまった。

「そうでしょうか‥‥‥」

「ええ‥‥‥」

 時間が止まった。

 もし昨日のことがなければ、次におれはどんな行動を取っただろうか?実際、おれは無意識のうちに姫様の手を取って握りしめていたのだ。しかし、たがいの顔が近づいたとき、二人とも我に返った。おれはあわてて姫様の手を放し、山のほうに向き直った。姫様がどんな表情をしていたかはわからない。

「姫様、一両日もしたらエメレン伯の方からお迎えがくるはずです…お帰りはわたしのような流れ者でなく、正規の護衛とともに行くことができますよ」

「ルクセリオン…」

 姫様の声は、まるで蚊が鳴くようにか細かった。おれはその声を振り切って歩き出した。

 これ以上なにか言っても、彼女を傷つけるだけだ。おれはそう思って会話を打ち切ることにしたのだ。

 庭の木に、鞍を外された三頭の馬がつながれている。三頭は、それぞれのんびりしたり草を食べたりしている。

「この三頭はウォルター親父に返して来なきゃな」

        ×       ×

 姫様をエメレン伯の騎士たちに預け、ザイル卿から報酬を受け取ると、おれは三頭の馬を連れてもと来た道を引き返して行った。なんだか後ろ髪を引かれる思いがしたけれど、おれはその気持ちを振り切って歩いて行った。

 姫様が結婚する相手は第一皇子だという。それならば、今後もレバルタの宮廷で会う機会があるはずだ。もっともその時にはおたがいの立場は変わってしまっているだろうけれども。

 第一皇子は、腹違いの弟君たちとは全然違って度量の大きい人物だ。彼の唯一の欠点は少々…いや、かなりのナルシストだということだけだ。それ以外ではまったく素晴らしい人物だ。実に。もしもあの人が皇帝位を継いだなら、今の優柔不断すぎる父君の御代よりずっといい政治をすると思う。ただ、母親が権勢のない家の出なのでいまだ皇太子の位に着けないでいる。これがもとで弟君たちと争いが始まらなければいいんだけど‥‥‥。

        ×       ×

 五日後、不本意ながらおれはまだガストーク峠の宿屋にいた。

 一日がかりでここまで来たのはよかったのけれど、傷が原因なのか、その夜、おれは熱を出してしまったのだ。

 別段急ぐ旅でもないし、特にあてがあるわけでもない。家でも…宮廷でも、おれはそれほど必要とされてないから、しばらく帰らなくても問題ないなはずだ。もっとも、出てくるときは誰にも知らせないで来たのだけれど。

 おれはウォルターの親父さんの勧めにしたがって、しばらくこの宿屋で養生させてもらうことにしたのだった。その間、サーラには思いっ切り世話になってしまった。サーラは仕事そっちのけで消化のいい食事を作ってくれたり、着替えを用意してくれたりと、おれのために色々よくしてくれた。あんな事があった後だからおれは顔を合わせづらかったのだけど、この際どうしようもない。

 三日ほどゆっくりと寝ていたらいたら、熱は下がった。もう一日だけ休ませてもらって、次の朝から起き出してきた。

 おれは階下の食堂兼居酒屋に出て、壁ぎわの席に座った。

「よう、ルクセリオン」

「おはよう、親父さん…面倒かけちゃってすまなかった」

「ウォルターと呼べ」

「…ウォルターさん」

 親父さんが朝食の野菜スープをもってきてくれた。今日は他に客がいないようだ。

「悪いが、今日は山へ材木を取りに行って来る!起きてられるんなら留守番しててくれ」

「ああ、わかった」

 おれはスープをすすり出した。とつぜん、このまま宿屋の従業員にされてしまうのでは、などというこわい考えがおれの脳裏にひらめいた。しかしこの親父さん、そこまで悪どくはないだろう。おれはその考えを忘れようとした。

「お父さーん、外の薪木が少なくなってきてるわよー」

 いきなり元気な声がした。

「ルクセリオン!」

「おはよう、サーラ」

 サーラは桶いっぱいの水を汲んできたのだけれど、それを入口に放置しておれのところへ来てしまった。

「もう体はいいの?」

「ああ、すっかり元気になったよ。悪かったな、いろいろと‥‥‥」

 おれが少々の痛みは顔に出さず左腕を振り上げて見せると、サーラはうれしいのか寂しいのかわからない笑顔を見せた。

「悪かったなんてそんな…ルクセリオン、おねがいだからそんなこと言わないで…」

 この言葉の持つ深い意味に気が付いて、おれは視線をスープに落とした。

「薪木が足りないんだって?」

「ええ、乾いた丸太はあるんだけど…」

「じゃ、割ればいいんだな」

「うん」

「おれがやるよ」

「だめよ!」

 サーラは強く否定した。

「まだ、病み上がりじゃない!それに、肩の傷も‥‥‥」

「早く体力を取りもどさなきゃね」

 おれは片目をつぶって見せた。

 その途端、桶がひっくり返って派手に水がこぼれる音がした。続いて親父さんが怒鳴り声がした。

「だれだ!入口に水桶なんか置いた奴は!!」

       ×       ×

 薪割りは剣術と同じで、刃が真っ直ぐ目標に当たらないといけない。

 おれの剣の師匠が昔、無造作に二度、割れない程度に丸太を薪割り斧の刃でたたいてから、その丸太をおれに見せてくれたことがある。傷は一本しか入っていなかった。数ミリのずれさえなく、まったく同じところを叩いたのだ。もしこれが斧でなく剣で、目標も丸太でなく人間だったのなら、実に正確な一撃だったというわけだ。

 おれにはそこまでの剣技はない。薪割りなんて事じたい、普段めったにやらないから、どっちかと言えば下手くそだ。とにかく、薪割り斧が滑っても怪我だけはしないよう足を左右に開いて、刃の遠心力を使った勢いで軽く振り上げ、重さに任せて振り下ろすだけだ。力は、刃が真っ直ぐに落ちるようにだけ入れておく。落とすのは楽だけれども、振り上げるのが疲れる。左肩や腕の傷はまだ完治してないので、しばらくやっていると痛みが増してきた。

 血まみれの騎士が峠道を通ったのは、一休みしようと汗を拭いていたときだった。平服のまま馬に乗っていたのだが、背に矢が刺さっていて、苦しそうだった。

 おれは斧を投げ捨てて走り寄った。

「おい、しっかりしろ、どうした?」

 騎士は落馬した。おれは、落ちてくる騎士を支えてやった。騎士は意識が朦朧としているようだったが、おれの呼びかけに答えた。

「む…ほんだ…」

「え?」

「エメレン伯は…殺された…」

「謀叛か!」

 おれは愕然となった。エメレン伯の城には、エリフィーナ姫がいたはずだ!

「伯爵の御家族はどうなった!エリフィーナ様はっ?」

「捕まって…閉じ込められ…北の塔‥‥‥」

「わかった、気をしっかり持て!」

「え…援軍を…」

「わかった、すぐ使者を出すから‥‥‥」

 おれは騎士に肩を貸して、宿屋へ入って行った。サーラが食堂を掃除していた。

「あら、ルク…きゃあっ!どうしたのっ!」

「怪我人だ!サーラ、すまないが湯をわかしてくれ、それと清潔な布を」

 おれは騎士を長椅子にうつ伏せに寝かせた。「え…援軍を…」

「わかっている、任せておけ」

 おれはサーラから布を受け取り、充分注意しながら矢を引き抜いた。固まっていた傷口が再び開いて血が出てきた。おれは傷の深さを考えながら止血した。

 一通りの処置が終わると、おれは手を洗って自分の部屋へ行き、片手半剣を腰に下げて戻ってきた。柄に巻いた皮紐がだいぶ弛んでいたが、後で直すことにした。

「ルクセリオン!」

「サーラ、ちょっと行ってくる、彼の代わりに援軍を呼んでこなければ‥‥‥詳しく話している時間はない」

「まって!」

 サーラはおれにしがみついてきた。途端に、片手半剣の柄に巻いた皮紐がほどけてしまった。

 おれはあわてて柄を隠そうとしたが、遅かった。黄金で飾られた柄と、特大の真珠を刻んで作られた浮き彫りの紋章が露出してしまった。

「ルク‥‥‥あなた‥‥‥」

 サーラは目を大きく見開いて後じさった。おれはあわてて解けた皮紐を巻き直した。

 もはや何を言っても仕方がない。

「ま、ただの流浪剣士じゃなかったってだけのことさ…親父さんには黙っててくれ」

 サーラはこくりとうなづいた。

 おれはテーブルに金貨二枚を置くと、馬小屋に走り込み、六日前に乗っていた馬を選んで馬具をつけた。そして、裏街道の方へ疾走して行った。

      ×       ×

 おれの愛馬、黒のフィルナルは、間違いなくそこにいた。

 裏街道近くの森の中、外からはわかりにくい窪地の中だ。フィルナルの足もとに、頭を踏みつぶされた狼の死骸があった。よく見れば、周囲に相当激しく戦った後がある。しかしこの逞しい黒馬はまったく無傷のままで、鞍とあぶみにわずかに狼の牙の跡が残されているだけだった。

「フィルナル、出番だ」

 おれが声をかけると、フィルナルはうれしそうにいなないた。まるで、ようやく退屈から開放されるとでも言わんばかりだ。

 おれはフィルナルの鞍に付けた荷物の中から、鎖鎧と手槍を取り出した。そして、二頭の馬の鞍を付け替えると、矢立てと紙を取り出し、一通の手紙をしたためた。

「この手紙をもって、ミルン侯のところへ行くんだ…わかったね」

 おれが手紙を差し出すと、フィルナルは大きくうなづいてその手紙を口にくわえた。

「間違っても、食べるなよ」

「ブルルルル!」

 おれが冗談を言うと、フィルナルは、疑うのかと抗議するようにいなないた。

「じゃあ、頼んだぞ」

 フィルナルは、張り切った様子で走り出した。

 おれはしばらくそれを見送ってから、鎖鎧を着こみ、ここまで乗って来た馬に乗馬した。

「はよゥ!」

 行く先は、エメレン伯の居城である。

       ×       ×

 エメレン伯の城は、河岸段丘の上にそびえていた。

 おれは対岸の岩場にある茂みに隠れるようにして、その様子を確かめた。

 おれがいつも出入りしていたレバルタの宮城に比べればたいした威容ともいえないけれど、あっちは平城、こっちは山城。いざ戦いになればこの城も難攻不落だろう。

 幅広い谷の北側の岩盤に建つ城は、河を南に控え、北は急な登り斜面となっている。北側はほとんど崖といっていい。そこ以外は三方が下り坂で、一本だけ馬車が通れるような道がついている。道は、下の方では向かって右に向いているが、坂の中腹で急激にカーブを描き、上のほうでは左を向いている。敵意のある者が道に添って登ってきた場合、楯を持たない右側を城から飛び道具などで攻撃できるようになっている訳だ。

 城壁の旗はすべて下ろされている。叛乱軍に占拠されている証拠だ。城壁で監視兵が歩いてるのが見える。

 城には塔が三つ見えた。東南の隅、南西の隅、そして奥の北側だ。エリフィーナ姫らが捕らえられ、閉じ込められているのは、この奥の塔なのだろう。エメレン伯がなぜ殺されたのかはわからないが、その家族らが生かされているのは、いざというとき人質にする算段なのだと思われる。あるいは、女性だけ生かしておいて、ちょっとここでは言えないようなことをするつもりなのかも知れない。もしそうだとしたら、一刻も早く助け出さなければならない。

 エメレン伯は、おれの顔を知っていた。伯爵がレバルタの都で第一皇子に挨拶に来たとき、おれと会っているからだ。問題なのは、その時一緒にいた騎士たちの誰かが叛乱側に加わっているかも知れないということだ。

 さて、どうしたものか。

 おれは、まず鎖鎧を脱いだ。その下にあるのは、村人の山歩きの服だ。おれは、鞍鞄の中から、騎士らしい服を取り出して着用した。次に、剣帯をずらして、付け方をだらしなくした。少々疲れているように見せるためだ。馬についていた馬具はもともとガストーク峠の宿屋にあった田舎風のものだったが、すでにフィルナルの騎士風の鞍と換えてある。

 それから、左肩を縛っている布をほどいて、頭の右半分にに巻きつけた。おれのハンサムな顔を半分隠すようにして、だ。次に棒短剣を抜き、治りかかっている左腕の傷のかさぶたをはがした。ずきん、と痛みがきて、思わずうめき声が出た。傷口から血が出てくる。それを、顔に巻きつけた布に染みこませた。これで、顔面に傷を負ったように見えるはずだ。服にも少し血をふりかけておく。やりすぎると貧血になるかも知れないので、適当なところで止め、脱いだ服の袖を破って止血した。

 片手半剣の柄の革紐はしっかり巻き直して置いた。あとは土を服や頭にこすりつける。

 それから、手槍に余った布を縛りつけて白旗を作った。どうだろう。急を知らせに走る負傷している軍使に見えるだろうか?

 おれは馬を引いて、城からは見えないようにそっとその場を離れた。まずは、浅瀬か吊橋でも見つけて、河を渡らなければならない。

       ×       ×

 門衛とひと悶着あったが、おれは何とか城に入ることができた。即席の白い旗を手に、俺が道々考えたでまかせを、ごく真面目な顔で口早にしゃべると、取り次ぎに出てきた初老の騎士は顔色を変えた。おれが、

「城主様に直接お話ししなければならないことがあります、案内しなければ敵対行動と見なされます!」

 と言うと、その騎士はおれを叛乱軍の頭目のところへつれて行ってくれた。この騎士は、おれと会ったことはないようだ。

 城の、かなり奥のほうだ。造りからして、城主…エメレン伯の寝室だったところに違いない。

 初老の騎士は、扉を三回たたいた。

「なんだぁ?」

 中から、眠そうな声が聞こえてきた。叛乱軍の頭目は、以外に若い奴のようだ。

「シディルス・ドス・ヴィリグリムです!報告があります!入ってよろしいでしょうか」

「ヴィリグリム卿か…はいれ!」

 中にいるらしい若い男が不機嫌そうに言うと、騎士は咳払いを一つして扉に手をかけた。

「ここでお待ちを」

 初老の騎士はそういうと、部屋の中に入っていった。おれは、部屋の中の声をできるかぎり聞き取れるように耳を済ました。

「どうした」

「一大事です!となりのミレン侯領に、レバルタの宮廷から第三皇子殿下が来られていたそうなのです」

「なにっ、バリアム殿下がっ?そんな話、聞いてないぞ!」

 当たり前だ、おれが考えたのだから。

「で、どうなったんだ?」

「は、バリアム殿下はこの城の騒ぎを聞きつけ、レバルタの都にいるクライセン侯ブルゴート殿ほかに、二千の兵を差し向けるよう使者を出したということです!」

「クライセン侯?二千だとぉ!」

 クライセン侯と言えば、ノートゥカの地に広い領地を持ち、第三皇子の外戚として権威をふりかざしまくっている、いまをときめく権臣の一人だ。

 この城がいかに難攻の城塞とは言え、今のところ中にいる兵士はせいぜい百五十といったところが関の山だろう。食料や武器の備蓄もそうはあるまい。二千もの軍勢に攻めてこられたら、まず長くはもたないだろう。

「そ、それでっ?」

「は、しかしバリアム殿下はこの騒ぎのことを詳しく聞いてからどうするか判断しようと、聴聞の御使者を送ってきたのです。今、外に控えていますが」

「すぐ会おう」

 頭目らしい若い男は、不用意にも寝ていたそのまま、ほとんど肌着のみの姿で部屋を出て来た。おれは、部屋の外でひざを付き、頭を垂れてそれを迎えた。

「第三皇子殿下の御使者とは貴殿か?」

 その頭目は、動揺した声でいった。

「はい」

「面を上げられよ」

 おれは、気付かれないように右腰の棒短剣に手をやりながら顔を上げた。

 頭目は、見覚えのある男だった。やはり宮廷で会ったことがある人物だ。短くまとめた巻き毛に、浅黒い肌の色。目は冷たい色をたたえ、背がひょろりと高い。お世辞にも美形とはいえない。おれとは大違いだ。メルレン伯の庶子、カシリックという男だった。むこうも俺の整った顔を覚えていたのだろう。しばらく何か考えているような表情をしていたが、とつぜん叫び声を上げた。

「貴殿、どこかで‥‥‥ああっ!」

 おれはとっさに棒短剣を抜き、カシリックに飛びついた。カシリックはあわてて逃れようとしたがすでに遅く、おれの棒短剣がのど元にはり付いていた。



 ヴィリグリム卿とかいう騎士も剣を抜いたが、主人を捕まえられては手出しができない。

「カシリック殿、エメレン伯就任、おめでとうございます」

 おれは皮肉たっぷりにそう言った。

「くそ、騙されたっ!すると、軍勢が来るという話も…」

「それは本当です…放っておけば、第一皇子とミルン侯の連合軍が攻めて来るでしょう!二千には、かなり足りないかも知れませんが」

「な、何が目的だっ!」

「エリフィーナ姫は御無事か?」

「なに?」

「無事かと尋いたんだ!」

 おれはとつぜん命令口調になった。棒短剣がぴくぴくと動いた。

「うわぁ、まだ何もしてないっ!大事な人質だからなっ!」

「なら、彼女をつれてこい」

 おれは落ち着いた口調で続けた。

「彼女と、前エメレン伯の家族を開放すれば、ミルン候がここを攻める理由はなくなる…悪くない話だろう?」

「しかし…」

「早くしろっ!」

 おれは棒短剣をわずかに動かした。カシリックの首筋からわずかに血が滲み出た。

「わ、わかった!」

 カシリックはヴィリグリム卿に命令し、北の塔へ向かわせた。

 おれはカシリックに棒短剣を突きつけ、後ろから羽交い締めにしたまま移動を始めた。

 城中の者たちが出てきてえらい騒ぎになった。

「下手な真似をすると、カシリック殿の喉に余分な穴が開くぞ!」

 おれがそう怒鳴ると、兵士も騎士も手出ししてこなくなった。

 この男の身を心配しているものは手出しできないだろうし、それ以外の者はどっちが勝つか様子を見ているのだ。

 おれは、できるだけ壁を背にして進んだ。やがておれたちは、絡み合ったまま…いや、一方的におれが絡んだまま、城の中庭が見えるところまで来た。

「城門を開き、馬車を用意しろ!」

 おれは叫んだ。少しとまどってから、何人かが城門と馬小屋ほうへ走って行った。その中にもしもカシリックにとって忠臣と言えるような奴がいたりしたなら、どんな仕掛けをされるかわからない。しかし今は確かめることもできない。

 おれは、警戒しながらゆっくりゆっくりと城門のほうへ歩いた。

 やがて、馬車の用意ができるのとほほ同時にヴィリグリム卿が、エリフィーナとザイル卿、エリフィーナの叔母に当たるエメレン伯夫人、そして、まだ年端もいかない子供たちをつれてきた。剣を持てる歳の子供たちは、おそらくみんな殺されてしまったのだろう。

 エリフィーナはおれを見るなり驚いて声をあげた。

「ルクセリオン!その怪我は…」

「ルクセリオン…?」

 カシリックはおれのほうを見ようとした。

「彼女たちを馬車に乗せるんだ」

 ヴィルグリム卿はやむを得ず手を貸して、エリフィーナやエメレン伯夫人たちを馬車に乗せた。まだ怪我が治り切っていないらしいザイル卿も馬車に乗せられた。

 カシリックは、おれに聞いてきた。

「ミルン侯が来るのならまだわかる、エリフィーナ姫の父親だからな!しかし、なんで、偽名まで使い、こんな危険まで侵して助けに…」

 おれは鼻で笑った。

「ふっ、ちょうどいい機会だ」

 おれは馬車の上のエリフィーナに声をかけた。

「エリフィーナ!」

「は、はい?」

 いきなりおれに高飛車に呼び捨てられ、姫様はどぎまぎした。

「ここから無事に帰れたら、おれと、結婚してください!」

「ええっ!?」



 エリフィーナだけでなく、周りの奴らが全部びっくりした。当たり前だ。まったく状況にそぐわない一言だった。

「だって、そ、そんな、いきなり‥‥‥!」

「駄目ですか?」

「そ…それは…」

 エリフィーナと話しながらおれが馬車に乗ろうとした瞬間、手がゆるんでしまった。

 カシリックはこのチャンスを逃さなかった。奴はおれの左腕に一撃を喰らわせた。左腕の傷がまた開き、激しい痛みが走った。おれはうめいて、一瞬我を忘れた。

 カシリックは走った。そして叫んだ。

がまた開き、激しい痛みが走った。おれはうめいて、一瞬我を忘れた。

 カシリックは走った。そして叫んだ。

「討て、討てー!殺しちまえ!」

 何人かが弓や弩弓を手に取った。

 おれは棒短剣を投げつけた。狙いあやまたず、棒短剣はカシリックの背中に付き刺さった。

 たぶん、急所ははずれたはずだ。死にはしないだろう。しかし確かめている暇はない。おれは馬車に飛び乗って御者席に仁王立ちになり、顔の布を引き裂いて美しい素顔をさらし、片手半剣を引き抜いて、声のかぎり怒鳴った。

「ベルボロネッスス帝国第一皇子フィスティーク、謀反人カシリックを討ち取ったぁっ!手向う奴は朝敵として成敗するぞっ!」

 全員が呆然自失となって動きを止めた。エリフィーナがいちばん唖然としていた。

 きまった。おれという美形にふさわしいシーンだ。おれは、胸を張って、次の一言をなんて言うべきか考えた。

 ところが、そんなことを言ってる暇はなかった。我に返った射手の一人が、矢を放ってきたのだ。御者台ででふんぞり返っていたおれは、絶好の標的になってしまった。矢は、激しい金属音を響かせて鎖帷子を貫き、おれの胸に刺さった。強い衝撃は受けたが、不思議と痛みは感じなかった。



 その直後、驚いたのか、馬車の馬が暴れた。途端に馬車のビスが何本かはずれ、激しい音と供に御者台が崩壊して、おれは転落した。やはり仕掛けがあったのだ。

 おれは、薄れてゆく意識のなかで、エリフィーナの声と、城門前に突進してきたミルン侯爵の軍勢がわずかに視界に入るのを感じた。

 残念ながら、最後はきまらなかった。

      ×       ×

 おれは、生きていた。

 おれが目を覚ましたのは、ミルン候の屋敷の一室でだった。窓の外で、黒馬フィルナルがいなないているのが聞こえた。久しぶりの、豪華な寝台だった。部屋には清潔で華美な敷物も敷いてある。

 後でわかったのだけれど、援軍を呼んできたのはやはりフィルナルだった。おれは、まる三日ほども眠っていたらしい。その間、フィルナルはこの部屋の窓の下にとどまって、一歩も動こうとしなかったという。あきれた忠馬だ。

 おれが目を覚ましたのがわかると、ミルン候が挨拶にきた。エリフィーナも来た。ザイル卿は部屋の外に控えて、そこから自分の無礼の数々を詫びてきた。おれは、気にしてないと返事した。

 こうなってしまうとおれも立場上、気安く応対してやる訳にいかない。おれが好き勝手にやると、おれの父親、つまり皇帝陛下の権威が落ちてしまうからだ。

 ひと通りの挨拶は終わり、みんなが退出する頃には夕方が近づいていた。おれは、エリフィーナだけ部屋に残るように言った。

 他のみんなは出て行き、二人だけが広い部屋に残された。

「エリフィーナ姫」

 おれは、寝台の上で半身を起こした状態で彼女を凝視した。

「はい?」

「まだ、御返事を聞いていませんでした」

 唐突に、窓から一陣の風が入ってきた。エリフィーナの長い髪が風に揺れた。おれは、彼女の眼をのぞき込んだ。エリフィーナもおれを見ている。

 長い、長い沈黙だった。

「わたしはもともと、貴女に会ってみたくて来たのです…この侯爵領へ」

 おれは、無意識に左手を動かした。肩と胸に痛みが走った。

「いつっ!」

「あっ!」

 エリフィーナは駆け寄って、おれを支えてくれた。

「ルク…フィスティーク殿下、まだ御無理をなさってはいけません。」

「そうだ、おれの胸には矢が‥‥‥でも、どうして‥‥‥?」

 おれは姿勢を変えて、少し体を楽にした。すると、枕もとに立てかけてあるおれの片手半剣と、その柄に引っかけてある金属の首飾りが目に飛び込んできた。


 首飾りは、ユカァパ神のシンボルだった。サーラがおれにくれたものだ。しかしその剣をかたどったシンボルの部分が、ひしゃげて無残な形になっている。おれは、その首飾りに目を奪われた。

 おれの視線に気がついて、エリフィーナが言った。

「矢は…そのシンボルに当たって、急所を外れたのです。」

「‥‥‥そうだったのか!」

 おれは顔をあげて、エリフィーナの表情を見た。剣神ユカァパの奇跡だ!おれはそう言おうとした。しかし、その言葉はおれの口から出なかった。代わりに、サーラの面影が頭にちらついた。遠く、かすんだ微笑みだった。

 ふたたび、沈黙が部屋を支配した。風はもうおさまっていた。

 おれは思い直し、何か引っかかるものを感じながらももう一度尋いた。

「まだ、御返事を聞いていません…エリフィーナ姫、貴女はお父上の言う相手…フィスティーク皇子と結婚してくれますか?」

 エリフィーナは、つ、とおれから離れた。そして、窓の方を向いてしまった。

「そのお話…わたくしは…お受けできません」



「姫…!」

 おれは思わずうめいた。胸の傷が激しく痛んだ。昔から、万が一にもそんなことはないだろうが、もし求婚を断わられたら、格好よく笑って身を引こう、などと考えていたけれど、現実にこうなると笑うこともできなかった。

 エリフィーナはゆっくりとおれの方を向いた。彼女は涙を浮かべていた。おれは驚いて、何も言えなくなった。

「…どうしてわたくしが…そんなこと…できますか‥‥‥?」

 そういうと、エリフィーナは棚の上にあった呼び鈴を取った。

 扉が開き、年とった侍女が顔を出した。

「お呼びでございますか、姫様」

「彼女をおつれしなさい。」

「はい、しかし、相当疲労してますが…」

「構いません…起こしてあげたほうがあの者も喜ぶでしょう。」

 またしばらく沈黙が流れた。

 少しして、廊下から聞き覚えのある女性の声が聞こえてきた。

「す、すみません、すみませんでした、いつの間にか眠ってて!御迷惑を‥‥‥」

 扉が開き、侍女に先導されたサーラが現れた。「!?」

「!!」

 おれは予想外のことに呆然として、サーラとおたがい驚いた顔を見合わせた。サーラは、やがて顔に喜びの色を浮かべた。

 エリフィーナが口を開いた。

「サーラさんは貴方の負傷を報せたら、すぐ薬草やら何やらをもって…泥だらけで泣きながら駆けつけてきたのです。そして…つい先ほど倒れてしまうまで、ずっと…ずっと寝ずに…看病していたのです」

「ルクセリオン!」

 サーラは、エリフィーナの言葉が終わらないうちに駆け寄ってきて、おれに抱きついた。おれは右腕をその背中に回してから、ふとエリフィーナのほうを見た。

「貴方の秘密は教えていません。貴方に、本当に必要な人は誰か、よく‥‥‥」

 エリフィーナの眼から、涙が落ちてきた。彼女は両手で眼を押さえ、部屋の出口へ向かった。

「さようなら…ルク…セリオン…貴方と会えて、よかった‥‥‥」

 エリフィーナは足早に部屋を出て行った。侍女がそれに続き、扉が音を立てて閉じられた。

 あとに、おれとサーラだけが残った。サーラは、おれから少し身を離した。

「ルクセリオン、お姫様が言っていた『貴方の秘密』って‥‥‥」

 おれは、枕許に置いてある片手半剣を見た。サーラもそっちへ視線をやった。

「剣の柄のあの紋章…まさかあなた…」

 サーラの身体から、かすかな震えが伝わってきた。サーラはおれから少し身を離した。

 おれは、軽くため息をついた。そして窓の外を見た。夕映えに、数羽の鳥が家路を急いでいる。あの鳥はなんと言ったっけ‥‥‥たしか、絵図を見せられて教わった覚えがあるのだが‥‥‥思い出した、たしか「オオルリ」とかいったっけ。

「サーラ…」

 おれは振り返った。さようなら。そして、ありがとう、エリフィーナ。

 おれは一息に言い放った。

「…皇子様のお嫁さんに、なる気はあるかい?」

 ふたたび、部屋の中に風が入ってきた。


       ×       ×


 スヴェラブリン朝第三十八代グレイラム・世皇帝の長子、フィスティーク皇子は、年代紀の記録によれば「三つ巴の乱」の初期において、ミルン候の位を継いだ女性侯爵エリフィーナとともに、戦乱の拡大を阻止しようと画策したがついに果たせず、何者かの手で暗殺されたとされている。

 しかしその行動が共感と同情を呼んだのか、民衆の間ではさまざまな伝説が、この皇太子となれなかった薄幸の第一皇子の名をもって語られた。

 荒唐無稽な諸伝承のはなはだしい例としてはフィスティーク皇子がいまだ生存し、何人かの昔の英雄がそうだったように、ファーリンデルのエルフにかくまわれているというものもある。

 民間伝承では、辺境の女領主だったミルン候と実は異父姉弟だったとも、あるいは恋仲だったなどとも言われている。事実は、戦乱で記録が失われたために明らかではない。

 今回の物語は、戦乱以前のフィスティーク皇子について吟遊詩人などがよく語る冗長な伝説(Romance )のひとつである。終演後、ある吟遊詩人にその真偽について訪ねてみたが、

「フィスティーク皇子にサーラという名前の妃がいた記録はありませんよ。あなた、学者のくせに知らないんですか?」

という返事が冷笑とともに返ってきた。


メルデブレン帝八年十月、帝国図書院賢者見習フミアス・ツェンゼクスフィーア しるす

 現代語訳:阿僧祇



                 -了




<補足>                 

(詳しくは、「HACK&SLASH FANTASY」の「Azuma Version」ワールドガイドを参照)

*スヴェラブリン朝ベルボロネッスス帝国成立時には戦士の殆んどがサムライだった。しかし時代とともにその内容は変化し「三つ巴の乱」の当時は貴族の大部分が騎士となっていた。

*クラナールはスヴェラブリン皇帝家の祖先神であり、アルファ神族系統の神話では天界を統べる天帝とされていた。そのシンボルはひと揃いの剣と楯である。神話のなかではかなり俗っぽい人格を持ち、トラブルメイカー的な一面もある。「三つ巴の乱」以降、皇帝家とともにその権威はかなり失墜したが、今でも神統譜の重要な位置を占めていることにはかわり無い。

*リヴノンはアルファゴォル半島の南西に位置する平野部の地方で、土地が肥沃なために人が集まり、またこの当時は知行権も錯綜していたので治安が悪かった。現在はウェレーゼルルランド王国、レバルド王国、スクラヴィア公国などが併立し、激しく覇権を争っている。

*アルファゴォルには今でもエルフ族が存在するが、ヒューマン族との接触はあまり無い。耳が尖って、美形の多い種族で、もともと森林地帯などにいくつかの自治区を作っていた。「三つ巴の乱」以降は殆んどが鎖国政策を取り、完全に独立勢力となっている。

*片手半剣…ハンド・ア・ハーフ・ソード、あるいはバスタード・ソードとも。片手でも両手でも使いやすいように、長めの柄と適度な長さの刃を持つ直剣。ルクセリオンの剣には、滑り止めとして柄に皮紐が巻いてある。

*ドワーフ族は今でもしばしば目にすることができる。身長は人間の1/2~2/3程度だが、ずんぐりした体形で力持ちの多い種族である。ドワーフと人間の混血は、どういうわけかたいてい体格が大きくなる。

*エルシス神郡とアルファ神族はその神話体系が大きく異なるが、エルファゴォルではその両方の信仰が共存している。他にも自然神の多いヴォルダム神系統などがある。それぞれの神話体系の発生・発展・融合する歴史は、研究に値する興味深いものであるが、資料の殆んどが戦乱で失われてしまった。「三つ巴の乱」以降に発生した新興宗教などもあり、アルファゴォルの宗教体系は複雑化の一途をたどっている。

*ユカーパはエルシス神郡の中の剣の神で、そのシンボルはひと振りの直剣である。しかし戦争神としての性格は薄く、むしろ個人的な剣術や剣鍛冶などに関係が深い。神話などを見てみると、人格的な神でなく、純粋な「エネルギー」という印象がある。

*肉食猿…人食い猿、人食いゴリラ、ジャイアント・エイプとも言う。類人猿の一種だが、強力な牙とかぎ爪で獲物を捕らえる肉食動物である。大抵は群れを成していて、自分より大きな動物でも恐れず飛びかかって行く。しばしば人間も襲われ、恐れられている。エルファゴオル全域に見られる猛獣である。

*第三十八代皇帝グレイラム7世には大勢の皇子がいたが、正式な皇太子を長く置かなかったために権臣たちの策謀が錯走するようになってしまった。その結果、第二皇子メルデブレン、第三皇子バリアム、第六皇女フィリーヌなどが逓立し、「三つ巴の乱」の直接原因となった。

*「三つ巴の乱」以前には、実際には武力による貴族内部のクーデターは殆んど無かったものと思われる。このことは、この物語が戦乱後に創作された可能性を示唆している。

*エメレン伯宰相ヴィルグリム卿の名は「三つ巴の乱」の記録に散見され、第二皇子擁立に一役買っていたことが想像される。実際には、戦術的能力にも秀でていたようである。

*クライセン侯ブルゴートはノートゥカの有力貴族で、第三皇子を立てた「大陸派」の首魁の一人である。いわゆる武闘派の陰謀家であり、「三つ巴の乱」の最初の火蓋を切った人物である。戦乱の後期に戦死した。

*ノートゥカは、狭義のアルファゴォル半島の北に接する地帯で、ムッテリウム大陸と半島をつなぐ部分を言う。古来より戦乱が多く、そのためノートゥカには精兵が育つという。当然ながら、そのぶん平均死亡年令も若い。ノートゥカのさらに北には、「果てしない大荒原」が広がっているという。

*エメレン伯の庶子であるというカシリックという人物については記録がない。あるいは空想上の人物か?

*現在のこっている記録の中に、フィスティーク皇子の女性関係に関するものは殆んど見られない。


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