あなたの特別になりたい
侑さんとの3回目の約束で、カフェテラスのある本屋へ来ていた。
ご飯ではなく本屋に行こうと決めたのだ。あれから毎日連絡もとっていた。
彼は私の生活の一部になっている。初夏の少し汗ばむ温度に涼しい風が心地いい。侑さんの白い肌に白い半袖のワイシャツ姿が眩しい。
この日のために買ったワンピースの裾が風でひらひらと舞った。テラス席に座り、今日の戦果を置く。
「桃ちゃんは何買ったん?」
侑さんとは別で会計したので、私が買った本が気になったらしかった。
「『モモ』です。私の名前の元になった童話なんですけど、読んだことなくて……。これを機に読んでみようかなと思って。侑さんは?」
「内緒や。」
左の口角を上げて笑う侑さんは少し意地悪だ。
「聞いてきたのに答えてくれないんですか?」
「僕、秘密主義やねん。」
確かに彼は必要以上のことは私に言わない。
そんなところも彼の魅力のような気さえした。
「わかった!今ドラマになってる少女漫画ですね?」
「残念。ハズレや。」
「本当は何買ったんです?」
「絶対言えへん!」
そう言った侑さんの髪を風が揺らす。木漏れ日の中、少し下を向いて笑う彼の姿はとても穏やかだ。
「『モモ』か………。ええ本やね。僕も好きや。あの子は特別じゃないから特別やねん。あまり話すとネタバレになるから言われへんけど。」
自分の名前をそのまま呼ばれたような気がして胸が高鳴る。
なんでこんなにもこの人は人の懐に入るのが上手なんだろうか。
それだけで心を動かされてしまう自分も少し嫌だった。私はこんなに誰かに弱かっただろうか?
私も特別な人間じゃないけど、モモのようにこの人の特別になりたい。
「本当は人に言えない本を買ったとか?」
「……そこまで聞くなら言うたろか?」
「いや、やっぱりいいです。秘密のままで。」
「聞けへんのかい!……しばいたろか。」
こんな軽口、最初は話せると思ってなかったのに、彼といると自然と出てしまう。
友達でいるほうがいい。それなのに、こんなにも私の心は期待してしまう。
「あの、侑さんは今、彼女とかいらっしゃるんですか……?」
「……おらへんよ。でないと桃ちゃんとご飯なんかいけへんし、遊びにも行かれへんやん。」
その言葉に体フワリと浮くような感覚になる。木々に乗っていた鳥たちの声が響く。まるで一足早い祝福のようだった。
「それは……期待してもいいですか?」
あぁ、友達ではいられない。この人が、好きだ。
侑さんはふーっと息を吐き出すと、口元に手を当てて何かを考えるように黙り込んだ。先ほどまで聞こえなかった町の喧騒が、やけに大きく聞こえた。
彼の目にさきほどの光は感じられない。嫌な風が吹いていた。頼んでいたアイスコーヒーの水滴がテーブルに染み込む。
「桃ちゃんは、今何歳?」
「に、27です。」
「僕と同じ歳やね。じゃあさ、女の子やから結婚とか考えるんちゃうん?」
確かに考えないわけじゃない。友達だって結婚した子はいる。けれども、侑さんが何を言いたいのか私は分からずにいた。太陽に雲がかかってきた。風が少し冷たい。
「………それが何か、関係あるんですか?結婚はまだ、少し遠いことのように考えてはいます。」
侑さんは、なるほどなぁ。とだけ言い、2、3秒また黙ると口を開いた。
「……僕な、知ってると思うけど病気あるねん。一個ちゃうで?ずっとこれから身体が悪くなる一方やねん。それなのに、桃ちゃんがこれから結婚したいとか、子供が産みたいとか、大事な時期に僕は相応しくないと自分で思う。」
知っている。さっき飲んだ薬は前回よりも少し多かった。
この3ヶ月ほど、ずっとあなたを見てきた。毎日連絡もとっていた。
貴方は私を拒否する。
それなのにどうして苦しそうにいうのだろうか。私も胸が締め付けられるように苦しい。
私は拒絶されているのに、なぜ彼からこんなにも愛情を感じてしまうんだろう。
「桃ちゃんは魅力的な子や。僕から見てもそう思う。僕ができるなら幸せにしてあげたいけど、きっとできへん。
やから、ごめんな。」
病気を理由に断るのは、きっと彼にとって自分のプライドもかなぐり捨ててそれでも私に誠実でいようとしてくれているのだろう。
それがどれだけ辛いものか、私には想像しかできない。
その覚悟が、誠実性が、私には何よりも愛おしい。
その優しさを受け取って、貴方を諦めることができない私をどうか許してほしい。
町の音が消えた。
「それでも私は……貴方がいいです。貴方以外の人ならいりません。」
私はいらない子だった。いらない命だった。いつだって、誰かに幸せにしてもらいたい気持ちでいっぱいだった。
でも、貴方には、貴方は、私が幸せにしたいのだ。
こんな気持ち、きっと人生で何度もあることじゃない。シンデレラは王子様が迎えにきてくれた。
彼は王子様じゃない。私もシンデレラじゃない。
陰りを見せていた空から陽の光がさした。
私は今のこの気持ちを大切にしたい。私の気持ちとは裏腹に、侑さんはまた黙ってしまった。
「……一過性のものじゃなく?ホンマに僕がええの?」
「はい。じゃないと、薬飲んでるのも、病気があるのも知ってるのに。生半可で侑さんとデートしてません。」
侑さんの目が潤んでいく。侑さんは下を向く。アイスコーヒーのカップから、テーブルに落ちた水滴がキラキラと光っている。
「そうか……じゃあ桃ちゃん。約束してくれへん?」
「はい?」
「最高、3年までにして。付き合うの。期限付き。桃ちゃんの誕生日の30歳まで。僕は君の人生の重荷になりたくないねん。」
「……分かりました。」
私は一口、コーヒーを氷と一緒に口に含むと、氷を砕いた。喉を通る氷がやけに冷たい。
分かりたくなんてなかった。
私の誕生日が別れる日なんてすごく残酷なことを言う。シンデレラのように、私にかかった魔法も解けてしまうようだ。
でも貴方がそう言うのなら、それでも貴方と付き合えるのなら、私はその3年を決して無駄な時間にはさせないと強く誓った。
「でも!3年じゃなくて一生にしときたかったって!いつでも更新手続き受け付けますから……!」
侑さんはキョトンとした顔をした。自分の声がやけに大きくなった気がして、人に聞かれたのではと辺りを見回し、コーヒーを一気に飲む。
侑さんは声を出して大笑い始めた。
「……期待しとくわ。」
途端に寂しそうな顔をする彼。だけど、その一言を聞けるだけで今の私には十分だった。




