第10話「ひざパサッ!? 急性ちび翼症候群あらわる」
翌朝。
教室の後ろの掲示板は、今日も安定のカオスだった。
『鶏谷ケンタ
専属ママじゃん:二人口こはね
応援会長:背園タクト(背中からこんにちはおじさん同伴)』
朝イチでこれが目に入る生活にも、だんだん慣れてきてしまった自分が怖い。
「おはよう、ケンタくん」
こはねが、机に鞄を置きながら笑う。
「おはよ。今日もポスター健在だな」
「うん。先生が“学級の特色だから残しておこう”って言ってたよ」
「学級の特色って言葉、そんなふうに使ってほしくなかったな」
そんな話をしていたら、チャイムが鳴って腹村先生が入ってきた。
「はい席つけー。
……お前らの大好きな“特殊体質枠”、またひとり増えたぞ」
この先生、隠す気ゼロだ。
教室がざわっとする。
こはねが、そっと俺の袖をつまんだ。
「また仲間だね」
「仲間の意味、年々重くなってきてるけどな」
「じゃ、新入り入ってこーい」
◆ ◆ ◆
■ 膝から“ちび翼”女子
ガラッとドアが開いた。
入ってきたのは、小柄でショートカットの女子だった。
ぱっと見は、すごく普通。
ただ、スカートの裾のあたりを、ちょっと落ち着きなく指でつまんでいる。
「今日からこのクラスに入ります。
雨宮ヒヨリです。よろしくお願いします」
ぺこりと頭を下げる。
腹村先生が、いつものテンションで補足した。
「雨宮は、“急性ひざ翼症候群”持ちだ」
「ひざ……翼?」
教室がざわつく。
先生はチョークで黒板にデカデカと書いた。
『急性ひざ翼症候群』
「くしゃみとか、強い感情で、膝のあたりから“ちっちゃい翼”が出る。
安全性は確認済みだ。ケガはしない。ただ、ちょっとうるさい」
「先生、“うるさい”って何ですか……」
雨宮が、小声で抗議する。
生徒の中から質問が飛んだ。
「え、羽生えるって、バサーッて感じ?」
「昔はもうちょっと派手だったらしいが、
今は“パサッ”くらいだな。本人いわく“ちび翼”」
「“ちび翼”って言った覚えないんですけど!?」
教室の笑いが一段階上がる。
腹村先生は、黒板をポンと叩いた。
「体育のときとか、ホコリっぽい場所ではくしゃみに注意な。
だが基本、見世物扱いするなよ。
特殊体質も、本人の体の一部だ。大事にしろ」
たまには真面目なことも言う。
「雨宮、席は……そうだな。鶏谷の前が空いてたな。
そこ座れ」
「えっ」
とっさに声が漏れた。
俺の前の席に、雨宮が椅子を引いて座る。
鶏頭の俺の前に、“ひざ翼女子”。
鳥要素が縦に並んだ。
「鳥ラインできたね」
こはねが、小声で笑う。
「笑いごとにされてる気がするんだけど」
雨宮が、くるっと振り返った。
「鶏谷くん、ですよね? その……よろしくお願いします」
「よ、よろしく」
「なんか、同じ“鳥側”が近くにいてくれて、ちょっと安心しました」
「鳥側っていうジャンル初めて聞いたな」
◆ ◆ ◆
■ くしゃみトリガー、初“パサッ”
一時間目の現代文。
空気がちょっとぬるくて、眠気が襲ってくる時間帯。
先生の声が、ほどよい子守歌になりかけた頃だった。
前の席から、かすかな気配がした。
「……くしゅ」
小さな、控えめなくしゃみ。
同時に。
パサッ。
雨宮のスカートの裾のあたりから、
手のひらサイズくらいの白い“翼”が、左右それぞれひとつずつ飛び出した。
「おお……」
思わず声が漏れそうになって、あわてて口を押さえる。
翼はほんとに小さい。
鳥のおもちゃか何かを、膝の横にくっつけたみたいなサイズ感。
それが、ちょこん、と膝の横から生えて、
パタ…パタ…
と、小さく震えている。
(……反則級にかわいいな)
先生にバレないように、目線だけでガン見してしまう。
雨宮は、顔を真っ赤にして、そっと翼の根本あたりを押さえた。
数秒すると、
しゅ……
と、霧みたいに薄くなって、消えていった。
うしろから、こはねの小声。
「今の見た……?」
「あれ、ずるいくらい“パサッ”だったな」
「なんか、“楽しいときにだけパサッて出てくる羽根マーク”みたいでいいね」
「今のくしゃみだったけどな」
「“くしゃみ+ちょっと楽しい”かもしれないよ?」
そう言って笑うこはねの目が、妙に楽しそうだった。
◆ ◆ ◆
■ 昼休み、ひざ翼インタビュー
昼休み。
弁当を広げていると、雨宮が遠慮がちに近づいてきた。
「あの……鶏谷くん、二人口さん」
「ん?」
「いっしょにお昼、食べていいですか」
「もちろん」
こはねが、椅子をぎゅっとくっつける。
「ヒヨリちゃんも、ここ座ろ」
「ヒヨリでいいよ。さん付けしなくて大丈夫」
こはねは、雨宮の弁当を見て目を輝かせる。
「わ、卵焼きハート型だ」
「こういうの、落ち着くんだよね……」
ふと、雨宮の膝のあたりをちらっと見る。
「さっきのさ」
「……現代文のときの?」
「ちっちゃい翼、出てたよな」
「見えてましたか……!」
雨宮は、机の下で自分の膝を押さえた。
「あれでも、だいぶマシになったほうなんだよ。
昔は、もうちょっと“ボンッ”って出てたから」
「練習でちっちゃくできるようになったってこと?」
「うん。
くしゃみするとき、“できるだけ静かに”って意識すると、
翼も“できるだけちっちゃく”出てくれるんだ」
「連動してるの、おもしろいな」
こはねが、興味津々って顔で聞いている。
「痛くないの?」
「痛みはないよ。ちょっと“むずむず”ってするだけ。
あとは、くすぐったいくらい」
「翼って、どんなときに出やすいの?」
俺が聞くと、雨宮は指を折りながら数えた。
「くしゃみのときと、びっくりしたときと、
あとは――」
少し言いにくそうに、続ける。
「“うれしい”とか“楽しい”が急にきたとき……かな」
「感情表示器ついてるみたいだな」
「そう。
だから、バレたくないときに出ると、けっこう困る」
「バレたくない“うれしい”って、どんなとき?」
こはねが、無邪気に聞く。
雨宮の膝が、ちょっとだけ震えた。
パサッ。
スカートの下から、翼の先っちょが、ちょろんと顔を出す。
「今みたいなとき……」
耳まで赤い。
「え、今なにがうれしかったの?」
「その……“一緒に食べていい?”って言ったのに、
ふつうに“もちろん”って返してもらえるとか……」
翼が、またパタパタと震える。
「そういうの、慣れてないから」
「……かわいいな」
つい本音が漏れる。
雨宮は、ますます真っ赤になった。
「そう思うなら、あんまり見ないでください……膝……」
「好きな子の“照れてるマーク”見ちゃうのは、
人間の性だからね」
「今、“好きな子”ってサラッと言ったよね?」
「そこ拾わなくていいから!」
こはねが、にやにやしながら弁当の卵焼きをつついている。
背中のほうから、タクトの声も聞こえた。
「なんか楽しそうで、こっちまでひざムズムズしてきました……」
その背中が、もこっと動く。
「はい、こんにちは~~~!」
おじさん、出た。
「いやぁ~“ひざパサッ”と“背中からこんにちは”がそろうと、
教室の空気がいっきにバラエティになりますねぇ~!」
「おじさん、いったん黙ろうか」
「背中の人に言われる筋合いないです……!」
◆ ◆ ◆
■ 体育、ホコリと“パサッ”と守りたがり
午後の体育は、体育館でバスケの基礎練習だった。
床はワックスがけしたばかりでツルツルだが、
倉庫あけた瞬間だけはホコリが舞う。
「ヒヨリ、大丈夫か?」
準備運動をしながら聞くと、
雨宮はマスクを軽く押さえた。
「この季節は、ちょっと危険かも。
でも、前みたいにドカンとは出ないから平気だよ。
“パサッ”くらいなら、なんとか」
「パサッでも、見られたくない?」
「今日は……まぁ、もう見られちゃってるし」
そう言って、こっちを見て笑った。
そのとき。
鬼塚先生が、体育館の倉庫のシャッターをガラガラ開けた。
ふわっと、うすいホコリの膜が空気に混ざる。
「やば」
雨宮の肩が、ぴくっと動いた。
「くしゅっ」
小さなくしゃみ。
同時に――
パサッ。
膝の横から、さっきよりちょっとだけ大きい、
白い“ちび翼”が飛び出した。
右にも、左にも。
「おー……」
「今日の“パサッ”、さっきより元気だね」
こはねが、思わず拍手しそうなテンションになっている。
雨宮は顔を真っ赤にして、翼を押さえた。
「やっぱり体育館、ホコリ多い……」
走り出すと、翼が
パタパタッ
と、膝の横で小さく揺れた。
足さばきに合わせて、ちょっとだけバランスを補助してるようにも見える。
「なんか、ちょっとだけ走りやすそうじゃない?」
「だよな。微妙にバランス取ってくれてる感ある」
「“ちび翼アシスト”だね」
こはねのネーミングは、今日も遠慮がない。
そんなふうに見ていた瞬間だった。
俺の反応が、ちょっと遅れた。
床の汗の跡を踏んだらしく、足がツルッと滑る。
「うおっ」
「ケンタくん!」
こはねと雨宮が、同時に手を伸ばした。
がくんと重心が前に傾いた俺の視界の端で、
パサッッ
と、雨宮の翼が一段階大きく開くのが見えた。
膝横のちび翼が、ふわっと俺の脛のあたりを掠める。
ほんの一瞬、それに支えられた感覚があって――
次の瞬間、こはねの腕と、体育館のマットが俺を受け止めた。
「っぶな……!」
「ケンタくん、大丈夫!?」
「今の、完全に転ぶやつだったよね……」
鼓動が、バクバクとうるさい。
雨宮の膝横の翼が、ぱたぱた、と小刻みに震えていた。
「ご、ごめん、反射で翼が……」
「いや、たぶんそれ、助けてくれた側だと思うぞ」
こはねも、真剣な顔でうなずいた。
「そうだよ。
ヒヨリちゃんの“ちび翼アシスト”なかったら、
ケンタくん、もっと派手にすべってたと思う」
翼はまだ、小さく開いたままだった。
“守ってる”って言ってるみたいに。
「……そう、かな」
雨宮が、自分の膝を見下ろす。
「だったら、ちょっとうれしいかも」
その瞬間、また
パサッ
と、翼が少しだけふくらんだ。
「今の、“うれしいパサッ”だな」
「言わないでくださいそういうの!」
◆ ◆ ◆
■ 鳥ライン、じわじわ結束中
体育のあと。
教室に戻る廊下で、四人――俺、こはね、雨宮、タクト――が並んで歩いていた。
「鶏谷くんの頭と、
二人口さんの筋肉と、
タクトくんの背中と、
わたしの膝って、なんか、不思議な組み合わせだね」
「まとめると、だいぶカオスだな」
「風間くんも入れたら、“観察係”つきだよ」
「サービス悪くないな」
雨宮が、ふっと笑った。
「でも、ちょっと安心した。
変なところがあるの、自分だけじゃないんだって」
「それ、たぶんこのクラスの合言葉になるやつ」
こはねが、うれしそうに言う。
「わたしも、前は“筋肉どうしよう”って思ってたけど、
ケンタくんが“守ってくれて嬉しい”って言ってくれたから、
今はだいぶ好きになったもん」
「そのセリフ、何回も引用してくるよな」
「一生引用する」
「宣言されたな」
タクトが、背中をさすりながら苦笑した。
「ぼくも、その……
おじさん出てくるの、
前よりちょっとだけマシに思えるようになりました」
「背中の人、わりといいことも言うしな」
「そうそう」
こはねが、ニッと笑う。
「“背中からこんにちはおじさん”も、“ちび翼”も、
ケンタくんのこと守るのに、ちゃんと役に立ってるし」
「俺基準で判断されてるの、なんか申し訳なくなってきたな」
「じゃあ、ケンタくんも守る側に入ってね」
「入ってるつもりだぞ? 一応」
そう言ったとき。
雨宮の膝のあたりで、
パサッ
と、ちいさな翼が、ひときわ柔らかく開いた。
「今のってさ」
「言わないで……」
顔を赤くした雨宮が、翼をそっと押さえる。
でも、閉じようとする手つきは、
なんだか前より優しい気がした。
◆ ◆ ◆
■ 鳥側トリオの明日
放課後。
靴箱で靴を履き替えながら、雨宮が言った。
「今日一日で、“ちび翼”のこと、
前よりちょっと好きになれたかも」
「お、いいことじゃん」
「鶏谷くんの頭も、
二人口さんの筋肉も、
タクトくんの背中おじさんも、
ぜんぶまとめて“変だけど好き”って言ってくれる人がいるから」
「それは、こはねの仕事だな」
「うん。
“守りたいものは、全部好き”ってさっき言ってたもんね」
「ちょ、ヒヨリちゃん、それ覚えなくていいところだから!」
こはねの耳が赤い。
「……でも、ほんとだよ」
そう付け加えたこはねの声は、
いつもより、少しだけ静かだった。
「ケンタくんの鶏頭も、
ヒヨリちゃんのちび翼も、
タクトくんの背中おじさんも、
わたしの筋肉も」
ひとつひとつ、指を折って数える。
「全部まとめて、“うちのクラスの大事なとこ”って感じする」
「“大事なとこ”って言い方、ちょっと照れるな」
「でも、嫌じゃないでしょ?」
「……まぁな」
そう答えたら、
靴箱の前で、雨宮の膝からまた
パサッ
と、ちいさな翼が覗いた。
「……今のは?」
「ナイショ」
そう言って、照れ笑いしながら、翼をそっとたたむ。
そのちび翼が、
明日もまた、誰かの足元をふわっと支えるのかもしれない。
鶏頭。
ママじゃん。
背中からこんにちはおじさん。
そして、くしゃみと感情で“パサッ”と出る、膝のちいさな翼。
鳥側トリオ(+おじさん付き)のいる教室で、
俺の日常は、またちょっとだけ、騒がしくて優しくなっていった。




