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第8話「採血禁止!? ママじゃんと背中おじさんの血まつりデイ」



 その日、学校に着いた途端、廊下がいつもと違う空気だった。


 みんなそわそわして落ち着きがない。

 教室の前には、白衣のおじさんと保健室の先生が出入りしている。


「はいはい、今日のホームルーム前に連絡な」


 腹村先生が入ってきて、出席簿をバンと置いた。


「本日、全校健康診断。

 午前中はクラスごとに、身長・体重・視力・聴力・心電図・採血まで全部やる」


「採血まで!?」


 教室のあちこちから悲鳴が上がった。


 こはねが、俺のほうを振り向く。


「ケンタくん、注射だよ。血、抜かれるよ」


「明るい声で言う内容じゃないな」


「大丈夫かな……痛くないかな……」


「それ、俺より自分の心配したほうがよくないか?」


 こはねは、握りしめた自分の腕を見下ろす。


「わたしね、小さいころから採血のとき、ちょっと……

 筋肉、危ないこと多いんだよ」


「健康診断でマッチョ暴走は、わりと一大事だな」


「ケンタくんの血も、変なふうに抜かれたら嫌だし……」


「変なふうって何」


 そんな会話をしていると、背後からおそるおそる声がした。


「け、健康診断って、採血ありますよね……?」


 背園タクトだ。顔色がいつも以上に白い。


「あるらしいぞ」


「ぼく、注射苦手なんです……。

 背中からも変なの出るし、怖さ二倍なんです……」


「出るものの方向が逆なんだよな、お前」


「うしろで待機してる人が、いちばん落ち着いてないからね」


 風間が楽しそうな顔で見ている。


「今日、観察しがいしかない一日だな」


◆ ◆ ◆


■ 身長体重ゾーン、地味にカオス


 最初の項目は、身長・体重測定だった。


 体育館の一角に、測定器がずらっと並んでいる。

 女子列と男子列で分かれつつ、適当にしゃべりながら進んでいく。


「鶏谷くーん、鶏頭は測定に含めていいのかな?」


 保健の先生が、真顔でそんなことを聞いてきた。


「そこ、毎年あいまいにされるとこなんで……

 いちおう“身体の一部”扱いでお願いします」


「じゃ、去年と同じ条件でいこっか」


 先生はそう言って、すっとメモした。


 測定台の上で、鶏頭をできるだけまっすぐにして立つ。


(こうしてると、自分がほんとに鳥人間コンテストに出てる気分になるな)


「はい、鶏谷くん、〇〇センチ。

 去年からちょっとだけ伸びたね」


「おお、まだ伸びるのか俺」


 列の向こうでは、こはねが身長を測っていた。


「二人口さん、〇〇センチ。

 筋肉モードのときと比べたら、だいぶコンパクトね」


「比べないでください……」


 こはねは、苦笑いしながら戻ってきた。


「ケンタくん、ちょっと伸びたね」


「お前もな」


「そのうち、見上げないで話せるくらいになりたいな」


「今の目線、けっこう好きだけどな」


「え?」


「いや、その、えっと……

 つい、ぽろっと出た」


 こはねが、じわっと耳まで赤くなった。


「き、今日、いろいろ測られる日なのに、心臓のドキドキも測られてる気がするね」


「そこは健康診断の範囲外だろ」


 後ろで並んでいたタクトが、両手を胸にあててぶつぶつ言っていた。


「はぁ……はぁ……身長は耐えられる……体重もまあいい……

 問題は、注射……注射……」


 その背中が、じわっと盛り上がり始める。


「今そのワード連呼するのやめとけ」


「落ち着いてください、タクトくん……!」


◆ ◆ ◆


■ 注射会場前、地獄の待機列


 いよいよ、採血の時間がやってきた。


 理科室に臨時の採血スペースができていて、みんな順番待ちの列に座っている。

 カーテンの向こうで、看護師さんがてきぱきと血を採っているらしい。


「鶏谷くんは、右腕出してね~。

 血管探しにくかったら、少しぎゅーって握って」


「はい」


 看護師さんは慣れた手つきで準備をしていく。

 正直、注射自体はそこまで怖くない。

 怖いのは――


「ケンタくん……」


 斜め前の席で、こはねがガチガチになっている。


「顔、真っ青だぞ」


「い、今、筋肉、がんばっておとなしくしてる……」


 こはねは両手を膝の上で握りしめ、ひたすら深呼吸している。


「前にね、注射のときに力入りすぎて、

 中の人、ベッドごと動いたことあるんだよ」


「それ、看護師さん側のトラウマになってない?」


「だから、今日は絶対おとなしくする……。

 ケンタくんも、痛いのやだったら、手握っていいよ?」


「俺より自分のほうがやばそうだぞ」


 そのとき。


「す、すみません、看護師さん……

 ぼくも、かなり注射苦手で……」


 タクトの番が近づいていた。

 列の一番前で、半泣き状態だ。


「大丈夫だよ~。みんなやってるからね~」


「そ、そういう励ましがいちばん心にこたえるんです……!」


 タクトの背中が、震え始める。


(あ、あれは出るな)


 そう思った瞬間。


「はい、こんにちは~~~~!」


 おじさん、カーテンの向こう側にまで登場した。


 タクトの背中からぬっと出て、採血台のところに上半身だけひょこっと顔を出す。


 看護師さんが、手を止めた。


「……誰?」


「背中からこんにちはおじさんでぇ~~す!」


 理科室の空気が凍る。


「いやぁねぇ~、タクトくん、今、

 “ここから逃げたい”って全力で思ってますからね~!」


「言わなくていいからぁぁぁぁ!!」


 おじさんは、ぐるっと首を回してこっちを見た。


「おやおやぁ? こっちの列には、

 “採血でマッチョ暴走フラグ立ってる女子”と、

 “鶏頭でも血は赤いのかちょっと気になってる男子”がいますねぇ~?」


「うるさいな背中の人!」


「うるさ……いっすね、これ……」


 看護師さんも、だいぶ困惑している。


「注射より心臓に悪いわ」


「すみませんほんとすみません……!」


 タクトが頭を抱える。


 それでも、おじさんは止まらない。


「はいはい~タクトくん、

 『ケンタくんたちの前で情けない姿見せたくない~』って思ってますよね~?」


「心読まないでください!!」


「でもねぇ~、情けないとこ見せたってさぁ~」


 おじさんは、ちょっとだけ真面目な顔になった。


「友だちってのはそれ込みで隣にいるもんですよ~?」


 タクトも、看護師さんも、なんか一瞬黙ってしまった。


「……今のだけ、ちょっといいこと言うな」


 俺がそうつぶやくと、こはねが笑った。


「背中のおじさん、たまに“おじさん力”高いよね」


◆ ◆ ◆


■ ゴアっぽいけど、ちゃんと健診


 空気を切り替えるように、看護師さんが言った。


「じゃあ、背園くん。

 おじさん付きでもいいから、座ってくれる?」


「“付きでもいいから”って何ですかその表現!」


「大丈夫、背中の人は刺さないから。

 刺すのは君の腕だけ」


「言い方!」


 それでも、タクトはなんとか椅子に座った。


 腕を出して、ぎゅっと目をつぶる。


「はい、チクッとするよ~」


「ひぃぃぃ……!」


 タクトの口から、情けない声が漏れる。

 その後ろで、おじさんが余計な実況を始めた。


「はい今ねぇ~、“注射のチクッ”と“メンタルのズキッ”が同時にきてま~す!」


「静かにしててって言ったよね!?」


 けれど、その数秒後には終わっていた。


「はい、おしまい。背園くん、よく頑張ったね」


「……あれ? おわり?」


「終わった。顔色戻ってきたぞ」


 タクトは、ほっとした顔で俺たちのほうを見た。


「す、すごく、怖かったですけど……

 思ったより、短かったです」


「ほらな。案外そんなもんだろ」


 おじさんも、なぜか満足そうだ。


「いやぁ~青春の一滴、いただきましたねぇ~」


「血を青春って言うな」


 次は、俺の番だった。


「はい、鶏谷くん、こっち来て~。

 頭のことは気にしなくていいからね」


「頭のことは、いつも気になるけどな」


 腕を出して、拳を握る。


「ケンタくん……」


 こはねが、椅子の横までやってきた。


「隣にいてもいい?」


「……頼む」


 こはねが、そっと俺の袖を握る。


 注射針が、腕の中に入っていく。


(あー、やっぱりちょっと怖いな、これ)


 そんなことを考えていると、力が入りすぎた。


 と、そのとき。


「ケンタくん、力抜いて。

 血、びっくりしちゃうよ」


「血に感情あるみたいに言うな」


「“ケンタくんの血”は、わたしの中でわりと重要なんだよ?」


「重要ってなに」


「ちゃんと巡っててくれないと、困るから」


 その一言で、胸のほうに別のドキドキが走った。


 気づいたら、注射は終わっていた。


「はい、おしまい。上手だったよ」


「あ、ほんとだ」


 拍子抜けするくらいあっさりしている。


 こはねが、ほっとした顔で俺を見る。


「ね? 大丈夫だったでしょ」


「お前のおかげだな。

 袖、しわしわになったけど」


「しわしわなら、いくらでも伸ばすよ」


 その笑顔が、妙にまぶしく見えた。


◆ ◆ ◆


■ ママじゃん、注射台へ


 問題は、こはねの番だった。


「じゃあ次、二人口さん」


「……はい」


 こはねは、椅子に座るだけで限界みたいな顔をしていた。

 腕を出すと、微妙に震えている。


「二人口さん、力抜いてね~」


「は、はい……」


 注射針が、近づいてくる。


「ケンタくん」


「ここにいるぞ」


「逃げないでね?」


「逃げないって」


 看護師さんが、針をあてる。


 その瞬間――


「マァァァァァァァマじゃぁぁぁぁぁん!!!!」


 こはねの肩が、一気に膨らんだ。


 エプロンは着てないのに、完全に“ママじゃんモード”の筋肉だ。


「ちょっ、今!? このタイミング!?」


 腕の筋肉が膨らんだせいで、注射針が押し出されそうになっている。


「二人口さん、動かないで! 危ないから!」


「が、がんばる……!

 ケンタくんの血も、みんなの血も、

 安全に管理してもらわないとだから……!」


「理由は真面目だけど、見た目が事件級だぞ!」


 タクトの背中からも、おじさんが顔を出した。


「おお~! これは“筋肉と注射の危ない綱引き”ですねぇ~!」


「実況するなーーー!!」


 そこから数秒間。


 筋肉 VS 看護師 VS 注射針、というカオスな構図が続いたのち――


「……はい、刺さりました。

 そのまま、深呼吸してね」


「は、はい……!」


 なんとか、採血は成功した。


 注射が終わった瞬間、こはねの筋肉は、すぅっとしぼんでいった。


「ふぅぅぅ……がんばった……」


「お疲れさん」


「ケンタくんの前で、暴走しないって決めてたのに……」


「暴走しかけてたけどな」


「でも、ケンタくんを守るためだからね。

 採血のときに暴れないのも、“守る”のうちなんだよ」


「守りの種類、多くなってきたな」


 そんな会話をしていると、背後から背中おじさんの声。


「はいはーい、“彼氏候補の血液データ”も無事確保されました~!」


「誰が候補って言った!」


 タクトが、慌てて背中を押さえる。


「おじさん! そういう表現、慎んでくださいって言いましたよね!?」


「いやぁ~、青春の採血は、つい口が滑っちゃうのよねぇ~」


 おじさんは、ひらひらと手を振って背中に戻っていった。


◆ ◆ ◆


■ 血のあとに残るもの


 午後の授業が終わるころ。

 腕の小さなばんそうこうを見ながら、ぼんやりしていた。


 採血のあとのだるさと、午前中の騒ぎで、頭が少しだけ重たい。


「ケンタくん」


 こはねが、そっと自分の腕を見せてきた。

 同じ場所に、同じばんそうこう。


「おそろいだね」


「健康診断限定のおそろいだな」


「今日さ、ちょっと思ったよ」


「なにを?」


「血ってさ、見た目はちょっと怖いけど……

 ちゃんと流れてるから、生きてるんだねって」


 こはねは、自分の胸に手をあてた。


「ケンタくんの血も、わたしの血も、

 タクトくんや風間くんの血も、

 みんな、今ここでぐるぐるしてるんだなって思ったら、

 なんか、守りたくなったんだよ」


「……それは、ママじゃんの仕事だな」


「うん」


 こはねは、満足そうに笑った。


「十年後も、きっと健康診断あるよね」


「高校の健康診断は無理だろ。もう卒業してるし」


「じゃあ、どこか別の場所で、

 “血、ちゃんと流れてるね”って笑い合えたらいいな」


 それが、どんな場所かはまだわからない。

 病院かもしれないし、職場の健診かもしれないし、

 もしかしたら、まったく別の形かもしれない。


 けど――


「そのときも、ママじゃん、隣にいる?」


「もちろん。

 採血のときは、また袖握ってあげる」


「十年後も?」


「十年後も」


 背後から、かすかに小さな声が聞こえた。


「……そのときも、ぼく、背中から出てるんでしょうか」


「タクトくん、それはそれで楽しみかもね」


「楽しみにしないでください……!」


 タクトの背中が、ちょっと震えたけど、

 おじさんは出てこなかった。


 たぶん今日はもう、言うこと全部言ったのかもしれない。


 腕のばんそうこうを指でなぞりながら、

 俺は、さっきの赤い絵の具やケチャップや、本物の血の色を思い出していた。


 どれも、ちょっと怖い。

 でも、その全部の向こう側に、

 こはねの「守りたい」がくっついている気がする。


 鶏頭とママじゃんと、背中からこんにちはおじさん。


 血まつりみたいな一日が終わるころ、

 いつもよりちょっとだけ、自分の心臓の音が頼もしく聞こえた。


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