第7話「背中から未来予報、ママじゃん10年後!?」
次の日の朝。
教室に入ると、まず視界に飛び込んでくるのは、いつものあれだった。
『鶏谷ケンタ
専属ママじゃん:二人口こはね
※追加ママじゃん募集中(審査員:風間リンタ)』
そして、その下に新しく紙が増えていた。
『応援会長:背園タクト(背中からこんにちはおじさん同伴)』
「増殖してる……」
つい声が漏れた。
「お、おはよう、ケンタくん」
隣の席から、こはねが手を振る。
「あのね、下の紙は、わたしじゃないからね。
風間くんとタクトくんが、休み時間にこそこそ貼ってたからね」
「共犯者ふたりもいるの、なかなか重い状況だな」
背後から、おそるおそる声がした。
「ご、ごめんなさい……ぼくは、風間くんに乗せられただけで……」
背園タクトが、申し訳なさそうに縮こまっている。
その背中が、ほんの少しモコッと動いた。
「今の揺れ、すごくイヤな予告だな?」
「落ち着いて落ち着いて落ち着いて……!」
タクトが自分の背中を必死で押さえたところで、チャイムが鳴った。
◆ ◆ ◆
■ 「十年後の自分」を描け?
腹村先生が教室に入ってくる。
「はい席つけー。今日は連絡多いぞ。
まず、お前らの嫌いそうなやつからいく」
「嫌いそうって先に言う先生、正直だな」
「今週の美術で、“十年後の自分”をテーマにした共同作品をつくってもらう。
一クラス一枚の大きい模造紙に、ペアで“将来像”描くやつだ」
「十年後……」
教室がちょっとざわついた。
こはねが、そっとこっちを見る。
「十年後のケンタくん……」
「そんなにじっと見られると、今の俺が落ち着かないんだけど」
「鶏頭はそのままだよね?」
「そこは揺るがない自信あるな」
先生は黒板にペアの組み合わせを書いていく。
「じゃー、鶏谷は二人口と組め。
背園は……そうだな、風間と組んどけ」
当然のようにそう決められた。
「はいきた、既定路線」
「……先生、そういうの好きだよね」
こはねが小声で笑う。
タクトは、風間のほうを見て、緊張した顔で言った。
「よ、よろしくお願いします……」
「こちらこそ。背中の方とも、ぜひ仲良くさせていただきたいね」
「その言い方やめてください……!」
◆ ◆ ◆
■ 美術室、カオスの予感
美術の時間。
俺とこはねは、大きな模造紙の前に並んで立っていた。
手には鉛筆と下書き用の消しゴム。
「十年後か……」
「ケンタくん、どんな大人になってると思う?」
こはねが、無邪気に聞いてくる。
「うーん……とりあえず、今よりマシになっててほしいな。
もうちょい頼られる側とか」
「今でも、頼ってるよ?」
「筋肉でフォローされてる感じ強いけどな」
こはねは、少し照れたように笑った。
「じゃあ、十年後のケンタくんは、
“守られながらも、ちゃんと守れる人”ってことで」
「ハードルの設定が上手いな」
「でしょ?」
模造紙の端に、「十年後のわたしたち」とタイトルを書く。
「“わたしたち”って書いたな、今」
「だって、ペアだもん」
こはねは、さらっと言った。
◆ ◆ ◆
■ 十年後のママじゃん?
「こはねは、どうするんだ?」
「え?」
「十年後、自分をどう描きたいかって話」
こはねは、しばらく考え込んでから、ペン先を紙にそっとあてた。
「……たぶん、エプロンは着てると思う」
「ママじゃん継続コースか」
「料理してたいな。
“守るごはん”作るの、ずっと続けたい」
こはねの線が、模造紙の上で形になっていく。
エプロンをつけた女の人。
その隣には、何かを食べてる人のシルエット。
「隣、誰だ?」
「そこは……あとで決める」
「もったいぶるなぁ」
そう言いつつ、俺も自分の十年後を描き始めた。
鶏頭。
スーツ。
ネクタイ。
少しだけ胸を張って立っている自分。
「……おとなのケンタくんだ」
「大人になっても頭はこれだろうな」
「そのスーツのポケットに、エプロンの端っこ差し込んでいい?」
「どういう意味だそれ」
「“ママじゃん持ち”って意味」
「持ち物扱いか」
そんなふうにふざけながら、線を重ねていく。
となりのペアを見ると、タクトと風間が難しい顔をしていた。
「タクトくん、十年後どうなってたい?」
「ぼくは……目立たない会社員とかでいいです……」
「背中の方が、このままのテンションなら難しそうだけどね」
「い、言わないでください……」
◆ ◆ ◆
■ 赤い絵の具、またもや“大事件”
ある程度下書きができたところで、先生の号令が飛んだ。
「じゃー、色塗り入れ。絵の具な。
赤使うやつは、こないだのケチャップ事件を思い出して慎重にな」
「ここでも赤はフラグ扱いなのか……」
パレットに色を出しながら、こはねが言う。
「ケンタくん、ネクタイ何色にする?」
「うーん……普通に紺とかでいいんじゃないか?」
「じゃあ、ポイントで赤入れていい?」
「赤入れたいだけだろそれ」
「赤、好きだから」
こはねは、迷わず赤い絵の具のフタを開けた。
「こはね、フタと戦わないでくれよ?
ケチャップみたいに爆発したら笑えないからな」
「だいじょうぶだよ。絵の具は優しく開けるね」
カチッ。
今度はおとなしく開いた。
胸をなでおろす。
「ね、ケンタくん。十年後のわたしたち、どんな色がいいかな」
「そうだな……」
答えようとして、言葉が詰まった。
十年後。
本気で想像しようとすると、急に足元がふわふわする。
鶏頭で、変な体質だらけのまわりにいて。
それでも、この教室から続く未来を、どこまで信じていいのか。
「ケンタくん?」
こはねが、不安そうに覗き込んでくる。
「あー、いや……その……」
うまく言葉が出ない。
胸のあたりに、妙なもやもやがたまっていく。
そこで――背後から、嫌な声がした。
「はい、こんにちは~~~~!」
「今じゃないーーー!!」
タクトの背中から、おじさんがぬっと現れていた。
距離、近い。
「いやぁ~若いねぇ、“十年後の自分”なんてテーマで、
ちょっと将来不安になっちゃったりしちゃって~?」
「タクトくん、止めて……!」
「止まらないんです……“将来”と“恋”って単語がセットになると特に……!」
タクトが半泣きで背中を押さえるが、おじさんの上半身は完全に飛び出していた。
おじさんは、にやっと笑って、こっちを指さした。
「さてさて~、鶏谷くん?
今、“十年後も二人口さんと並んでたらいいな~”って、
ちょっと思いましたね~~~?」
「お前、心の中で使ってた丁寧語、外で読み上げるな!」
こはねの顔が、一瞬で真っ赤になる。
「ケ、ケンタくん……そう思ってたの……?」
「いや、その、まあ、その……
十年後もクラスメイトみたいな距離だったら、それはそれで安心というか……」
必死に言葉を探しているうちに、こはねが手をぎゅっと握ってきた。
「……わたしも、そう思ってたよ」
「え?」
「十年後の絵、ひとりで描くより、
“わたしたち”で描きたいなって」
指先が、少し震えている。
でも、握る力はしっかりしていた。
「ちょっと待った~!」
おじさんが、全力でツッコミを入れてきた。
「“クラスメイトみたいな距離”って、ごまかしましたね~~?
本心は、“それ以上”ですよね~~~?」
「余計な実況すんなーーー!!」
そのときだ。
後ろで、「わっ」と誰かの声がして――
ドボン。
大量の赤い絵の具が、床にぶちまけられた。
「ぎゃあああああ!!」
「うわあああああ!!」
赤い液体が、床をつたって足元まで広がってくる。
「誰だ、バケツひっくり返したやつ!」
美術の先生が叫ぶ。
赤い絵の具は、まるでどこかの事件現場みたいだった。
「……また、このパターンか」
俺がそうつぶやいたとき、こはねが反射的に動いた。
「ケンタくん、足元!」
ぐいっと肩を引かれる。
さっきより強く、近く。
足元で、赤がじわっと広がっていく。
「これ、見てると、ちょっと心臓に悪いね……」
こはねの声が、小さく震えていた。
「大丈夫。絵の具だ、絵の具」
「でも、赤いの広がっていくの見てると、胸がぎゅってして……」
肩のラインが、少しだけ盛り上がる。
「おい、ここで筋肉出さなくていいからな?」
「が、がんばる……」
背中のほうで、おじさんの声。
「いやぁ~、“血みどろアート教室”って感じでいいねぇ~」
「黙ってろ」
「でもさでもさ~、二人口さん、
“十年後もケンタくんの足元、こうやって守ってたい”って思ってますよね~?」
「えっ」
今度は、こはねが固まった。
「え、えーと、その……」
耳まで真っ赤になる。
「わ、わたしは、その……ケンタくんが滑ったり、転んだり、
変なふうにケガするの、見たくないなって……」
声は小さいけど、はっきりしていた。
「十年後も、それはたぶん、変わらないと思う」
俺の口から出てきた言葉は、意外と静かだった。
「じゃあさ」
おじさんが、妙に真面目なトーンで言った。
「二人で描いちゃいなよ。
十年後の、
“それでも並んで立ってる自分たち”」
こはねと、目が合う。
息を吸って、吐いて。
「……描くか」
「うん」
◆ ◆ ◆
■ 十年後の絵に、ちょっとだけ本音を
床の絵の具騒ぎが落ち着いたあと。
俺たちは、模造紙の真ん中に、新しい線を引き始めた。
スーツ姿の鶏頭の男。
エプロン姿の女の子。
ふたりとも、少し大人っぽい顔をしている。
でも、距離は変わっていない。
横に小さく、「十年後」と書きこんだ。
「ケンタくんは、十年後も鶏頭だね」
「こはねは、十年後もエプロンだな」
「その間に、いろんなことあるかもしれないけど……」
「とりあえず、この絵にツッコミ入れられないくらいには、
ちゃんと生き残ってたいな」
「生き残るって表現、ちょっと物騒だよ?」
「ほら、うちのクラス、症候群密度高いし」
肩を並べて絵を見ていると、背中から、ぼそっと声がした。
「はい、未来予報入りました~。
“十年後、この絵を見て照れ笑いしてるふたり”が、
今のところ有力でーす」
「誰の予報だそれ」
「背中からこんにちはおじさんの、独自調査でーす」
タクトが、顔だけ出して申し訳なさそうに言う。
「ごめんなさい、止めきれなかったです……」
「タクトくんも、ありがとね」
こはねが、素直にそう言った。
「本音、ちょっとだけ早めに出してもらえた気がするから」
「えっ、えっと、その……どういたしまして……」
タクトの背中が、さっきより少し軽く見えた。
◆ ◆ ◆
■ 未来のことを考えるには、まだ早いけど
放課後。
教室の後ろの掲示板に、下書き中の模造紙が仮止めされていた。
鶏頭の男と、エプロンの女の子。
その周りに、クラスメイトたちの十年後も描かれている。
その前で、俺とこはねとタクトと風間が並んで立っていた。
「これが、十年後かぁ」
「まだ、線も塗りも雑だけどね」
こはねが、少し照れくさそうに笑う。
「でも、今の時点で“雑でも描いた”ってのが大事なんじゃない?」
風間が、腕を組みながら言った。
「描かなかったら、ずっと空欄だからね」
「たしかにな」
タクトが、小さく手を挙げた。
「あの……
ぼくも、その……鶏谷くんと二人口さんの十年後、
見れたらいいなって思ってます」
「タクトくんも、十年後、背中のおじさんといっしょ?」
「できれば、もう少し静かな関係性になっててほしいです……」
四人で笑う。
十年後のことなんて、本当はまだよくわからない。
症候群がどうなってるかも、俺たちの関係がどこまで進んでるかも。
それでも――
今、こうして一枚の紙に“未来の自分たち”を描いて、
バカみたいなポスターの下で笑ってる。
その感じが、ちょっとだけ心地いいと思ってしまった。
教室の時計は、いつもどおりの時間を指している。
背中からおじさんがひょっこり顔を出すかもしれないし、
急に筋肉が暴走するかもしれないし、
またどこかで赤い液体がぶちまけられるかもしれない。
それでも――
「……十年後の自分、
今日のこと思い出して笑えたらいいな」
ぼそっとつぶやいた俺の言葉に、こはねがうなずいた。
「うん。
そのときも、いっしょに笑ってたいね」
背中から、
「はいはい、その願望、ちゃんと記録しておきま~す」
という声が聞こえた気がしたけど、
「今日は、許してやる」
そう心の中で返事をしておいた。
こうして、
鶏頭とママじゃんと背中からおじさんのついた男たちの十年後は、
まだ下書きのまま、掲示板の上でゆらゆら揺れているのだった。
――つづく。




