第1話 「俺をそう呼ぶな!」
俺の名前は、鶏谷ケンタ。
職業、高校二年生。特徴、頭が鶏。
いや、ギャグじゃなくて本当に鶏だ。
正確には「外れなくなった鶏マスク」なんだけど、見た目は完全にニワトリである。
鏡を見るたびに自分でもビビる。
校門をくぐると、一年生が「あ、鶏の先輩だ」と小声でささやいた。
もう慣れた。傷つかない。たぶん。
「おはよー、ケンタ」
クラスメイトの山下が手を振る。
「今日も立派なトサカだな」
「うるせぇよ。寝ぐせよりマシだろ」
鶏頭になったのは一年前、文化祭でのこと。
出し物が「ファームカフェ」だのなんだので、俺は鶏役を押しつけられた。
渋々かぶった鶏マスクが、なぜかその日から物理的に外れなくなった。
病院に行っても「うーん、最新医療の範囲外」とか言われ、結局そのまま今に至る。
そんな事情もあって、入学早々から「チキン」「ケンタッキー」「目覚まし時計」など、愛あるあだ名をたくさんもらった。
泣いてない。泣いてないからな。
教室のドアを開けると、いつものようにざわっと視線が集まって、そのあとすぐに散った。
新鮮さはもうないらしい。良いんだか悪いんだか。
「ホームルーム始めるぞー、席につけー」
担任が入ってきて、出席を取り終えたところで、ふと思い出したように言った。
「そうだ。今日は転校生が来る。お前ら、ちゃんと優しくしてやれよ。鶏谷、お前もな」
「なんで俺だけ名指しなんですか先生」
教室の前のドアが、コンコン、とノックされた。
「じゃあ、入りなさい」
ゆっくりドアが開いて、小柄な女の子が入ってきた。
明るい茶色の髪を肩のあたりで結び、ぱっちりした目がきょろきょろと教室を見回す。
セーラー服のリボンをぎゅっと握りしめたその手が、少しだけ震えている。
「えっと……今日からお世話になります、**二人口小羽**です。よろしくお願いします!」
ぱっと咲いたような笑顔。
クラスの何人かが小さく「かわいい」とつぶやくのが聞こえた。
たしかに、守ってあげたくなるような雰囲気の子だ。
先生が「空いてる席は……」と辺りを見回し――俺のほうを指さした。
「鶏谷の隣だな。二人口、あそこに座りなさい」
「はいっ!」
こはねはにこにこと笑いながら、俺の席に向かって歩いてくる。
その視線が、まっすぐに俺の鶏頭をとらえた。
そして、彼女は立ち止まり、満面の笑みで言った。
「ママじゃん!!」
教室が一瞬で静まり返る。
チョークを持っていた先生の手が止まり、山下がペンを落とした。
「…………今なんて?」
「ママじゃん、ママじゃん! ほんとにいたんだ〜、よかったぁ〜!」
こはねはキラキラした目で俺の頭を見上げている。
「いや、待て。落ち着け。俺はお前の母親じゃないし、性別も男だし、頭は鶏だし」
「うん、ママじゃん!」
「会話する気あるか!?」
ざわざわ、と教室が息を吹き返す。
「おい、鶏谷、隠し子か?」
「早くね? 高校二年で?」
「しかも母親側じゃね?」
好き勝手言うな。
先生が額を押さえながら咳払いをした。
「二人口、えーと、鶏谷はお前のママではない。とりあえず今は席についてくれ」
「でも、見れば見るほどママ……」
「つけ。話はそれからだ」
しぶしぶ、と言いつつも、こはねは素直に俺の隣の席に座った。
近くで見ると、目の中まで笑っているみたいな子だ。
……しかし、なんで俺を見ていきなり「ママ」なんだ?
ホームルームが再開され、先生の声がBGMになりながらも、俺の頭の中は疑問符だらけだった。
◇ ◇ ◇
休み時間。
俺が鞄から教科書を出していると、横から視線を感じた。
ちらっと見ると、こはねが、じーーーっと俺の鶏頭を見つめている。
「……なんだよ」
「ママじゃん」
「まだ言うのかよ」
「だって、すごくママの匂いするんだもん」
「鶏の匂いだよそれは」
こはねはくんくんと、まるで子犬みたいに俺の肩あたりまで顔を近づけてきた。
「うわ、近い近い!」
「ふわふわしてて、あったかそうで……ああ〜、これはママの気配だ〜」
「気配を嗅ぐな!」
山下が振り向いてニヤニヤしている。
「おい鶏谷、お前いつの間に母性に目覚めたんだよ」
「目覚めてねぇよ!」
しかし、こはねはまったく悪びれない。
「わたしね、小さいころからずっと“ママじゃん”を探してたの」
「どんな探しものだよ」
「会った瞬間に分かるんだって。あ、この人だ、って」
そう言って、こはねは俺の鶏頭を見上げて、ふわっと笑った。
「で、今日やっと見つけたの。ママじゃん」
それは、冗談にしては真剣すぎる顔だった。
だけど、あまりに言葉の内容がぶっ飛んでいるので、俺はただ、
「はぁ?」
としか返せなかった。
◇ ◇ ◇
昼休み。
食堂は相変わらずの戦場だ。
トレーを持った生徒たちが列を作り、揚げ物の匂いが腹を刺激する。
「ケンタ、一緒に行こーぜ」
「おう」
山下と一緒に並んでいると、後ろから元気いっぱいの声がした。
「ママじゃーん! 待って〜!」
振り向くと、こはねが弁当箱を抱えて駆けてくる。
なぜかわざわざ弁当持ちで食堂に来ている。
「二人口、お前弁当だろ」
「うん! でもママじゃんの隣で食べたいから!」
「教室でよくない!?」
しかしこはねは聞かない。
そのまま俺の背中をちょん、と押した。
「ほらほら、進んで進んで〜」
その瞬間、俺の体が、すっと前に滑った。
「おわっ!?」
気づけば、前にいた山下を抜かして、列の二人分くらい前に出ていた。
「お、おい……今、お前、どれくらい力入れた?」
「え? ちょっとだけ」
「ちょっとで人を二人分押し出すなよ」
山下が苦笑しながら言う。
「お前さ、見た目ちっちゃいのに、押す力エグくね?」
「そうかな〜?」
こはねは首をかしげるが、その二の腕は、服の上から見た感じだと普通だ。
筋肉ムキムキってわけでもない。
……気のせい、だよな?
◇ ◇ ◇
昼食は、結局三人で食べることになった。
「いただきまーす!」
こはねが弁当箱のふたを開ける。
中には可愛らしいキャラ弁……かと思いきや、やたら肉率が高い。
唐揚げ、ハンバーグ、牛肉のしぐれ煮。肉の三連星だ。
「肉しかないじゃん」
「えへへ、タンパク質は正義だからね!」
「なんの戦いに備えてんだよ……」
こはねは嬉しそうに唐揚げをぱくぱくと食べ始めた。
その横で、山下がパンの袋を開けようとして、手を滑らせる。
「あ、しまっ――」
ころん、とパンの袋が床に転がった。
「あっ!」
こはねがさっと立ち上がり、しゃがんで拾い上げる。
その動きは妙に素早かった。
「はい、どうぞ〜」
「サンキュ……って、おい」
パンの袋が、破れていた。
しかも縦にビリッと大胆に。
「お前、拾っただけでどうやったらここまで破けるんだよ」
「えっ? あれ? 力入りすぎちゃったかな〜?」
こはねは舌をぺろっと出して笑う。
……いやいや、ちょっとどころじゃないだろ。
なんだろう、さっきから妙に引っかかる。
小柄なわりに動きがキビキビしてて、ちょっとした動作に妙なパワーが乗っている感じ。
――まあ、運動神経いいだけかもしれないけど。
◇ ◇ ◇
放課後。
部活組がグラウンドで走り回る中、俺は鞄を肩にかけて昇降口へ向かっていた。
「ママじゃーん! 一緒に帰ろう!」
当然のように、こはねがついてくる。
「お前、家こっち方面なのか?」
「ううん、逆だけど」
「解散!」
即答したのに即拒否された。
「えー、いいじゃん。ママじゃんとおしゃべりしたいの」
「俺は未成年男子であって母親では――」
「ママじゃんはママじゃんだからいいの!」
話が通じない。
それでも、彼女は俺の横をぴょこぴょこと歩く。
歩幅が違うから、時々小走りになって、そのたびに髪が揺れる。
「ねえママじゃん」
「だからその呼び方やめ――」
「ママじゃんって、誰かに言われたことない?」
ふいに真面目な声だった。
「……ない」
「そっかぁ……」
こはねは空を見上げる。
「小さいころ、具合悪くなったときにね、夢の中で“ママじゃん”に抱っこしてもらった気がするの」
「……」
「顔はよく覚えてないんだけど、すごくあったかくて、安心して、ぐっすり眠れたの。それからずっと探してたんだよ。“あのときのママじゃん”」
そう言って、彼女は俺のほうを見た。
「で、今日会った。鶏谷くん」
真っ直ぐすぎる視線に、思わず言葉を失う。
……いや、こんな話、どう返せばいいんだ。
「えーと、その……俺、鶏頭だけど」
「うん。そこがいい」
「そこがかよ」
こはねはくすっと笑って、ふっと目を伏せた。
「ただね……」
その肩が、ほんの少し震えたように見えた。
「ちょっと、やばいかも」
「やばい?」
「うん……さっきから、胸のあたりがあつくて、ドキドキして、力が入っちゃいそうで……」
こはねは胸の前で手をぎゅっと握り締め、深呼吸を始める。
「すーーーー、はーーーー……」
なんだこれ。緊張? 恋のときめき?
それとも、昼の唐揚げ食いすぎただけか?
「お、おい、大丈夫か?」
「だいじょ、ぶ……だと思う……。もう少しで、たぶん落ち着くから……」
額に汗がにじんでいる。顔は真っ赤だ。
これはさすがに心配になって、俺は一歩近づいた。
「無理すんなよ。保健室戻るか?」
「だめ」
「なんで」
「ここで落ち着かないと……ママじゃんの前で……変なところ見せちゃうから……」
「変なところ?」
そう聞き返した瞬間――
こはねの目が、カッと見開かれた。
「――っ、やば……もう、むり……!」
空気がビリビリ、と震えた気がした。
こはねの足元のタイルが、ほんのわずかにきしむ。
「ちょ、ちょっと待て、本当に大丈夫じゃないやつじゃ――」
言い終わる前に、こはねが叫んだ。
「ママじゃああああああああああん!!」
――その瞬間、世界が音を立てて、変わった。




