表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

4/6

第4章 反撃の狼煙

前作 最弱記録係は今日も天才美少女たちの戦いを見守るだけの主人公達が異世界転移!?

最弱記録係はどうやって活躍するのか?


主要人物紹介


綾瀬陽太(あやせ ようた

- 本作の主人公。蒼城学園で「記録係」を務める普通の高校生

- 能力者ではないが、観察力と記録力に長けている

- 控えめで真面目な性格だが、仲間思いで責任感が強い

- 異世界で「魔眼」の力に覚醒し、世界の真実を見抜く能力を得る


倉田美咲くらた みさき

- メインヒロインの一人。「絶対領域」を操る能力者

- クールで真面目、責任感が強い。成績優秀で品行方正

- 異世界では「神域展開」として時空を操る力に進化

- 陽太に対して特別な感情を抱いている


若林香織わかばやし かおり

- もう一人のメインヒロイン。「千変万化」の能力を持つ

- 明るく天真爛漫、感情表現が豊かで積極的な性格

- 異世界では「創世魔法」として物質創造能力に進化

陽太と美咲を大切に思う親友

4-1 元の世界へ


 まばゆい光が瞬き、そして消えた。


 目を開けると、そこは蒼城学園の中庭だった。


 「戻ってきた……」


 陽太は呟いた。懐かしい景色。空には二つではなく、一つの月。そして、見慣れた校舎と訓練場。


 「本当に帰ってこられたんだね」


 香織の声には安堵と少しの寂しさが混ざっていた。美咲も静かに周囲を見回している。


 「何日経ったんだろう」


 美咲が腕時計を確認する。


 「5月15日……私たちが消えたのは5月12日だった」


 「3日? たった3日しか経ってないの?」


 香織が驚いた声を上げる。


 「異世界では一ヶ月以上過ごしたのに……時間の流れが違うのね」


 三人は互いを見つめ、笑みを交わした。体は疲れていたが、元の世界に戻れた安堵感が心を満たしていた。


 「とりあえず、寮に戻ろう」


 陽太が言うと、二人は頷いた。


 学園内を歩きながら、三人は不思議な感覚に包まれていた。すべてが昔のままなのに、自分たちはまるで別人になったような気がする。一ヶ月の戦いと冒険を経た今、蒼城学園の日常はなんて平和で穏やかなことだろう。


 「明日、どう説明するかな……」


 香織が呟く。確かに、突然消えて3日後に戻ってきた彼らには、何らかの言い訳が必要だった。


 「真実は言えないわね」


 美咲が現実的に答える。


 「誰も信じないでしょうし」


 「そうだね。何か適当な……」


 陽太の言葉が途切れた。視界の端に、一瞬だけ金色の光が見えたような気がした。振り返るが、そこには何もない。


 「どうしたの?」


 「いや、なんでもない」


 三人は各自の寮に別れを告げ、明日また会うことを約束した。


 男子寮の自室に戻ると、すべてが出発した時のままだった。机の上の記録ノート、本棚の資料。まるで時が止まっていたかのようだ。


 陽太はベッドに腰掛け、深いため息をついた。


 「記録係……」


 その言葉を口にすると、異世界での日々が鮮明に蘇ってくる。


 陽太は手を上げ、魔眼を発動しようとした。元の世界では使えないとわかっていても、確かめずにはいられなかった。


 集中すると、かすかに視界が鋭くなった気がする。完全な魔眼ではないが、異世界での経験が彼の観察力を高めたのは確かだった。


 「消えてはいないんだ……」


 安心したような、少し物足りないような複雑な気持ちで、陽太は床に横たわった。その夜、アルスティア王国での戦いの夢を見た。


4-2 戻れない日常


 翌朝、学園に向かう途中で美咲と香織に会った。三人とも少し緊張した面持ちだ。


 「おはよう」


 「おはよう、陽太くん」


 「陽太くん、おはよー!」


 挨拶を交わし、一緒に校舎へ向かう。昨晩考えた言い訳は、郊外での特別訓練だった。それなりに通用する説明だと思いたい。


 教室に入ると、周囲の視線が一斉に彼らに注がれた。


 「あれ、綾瀬たち戻ってきたんだ」  「どこ行ってたんだよ」  「急に消えるからみんな心配してたぞ」


 クラスメイトたちが次々と声をかけてくる。三人は予行演習通りに対応する。


 「特別訓練だったんだ。急で申し訳なかった」


 陽太はできるだけ自然に答えた。


 「そう……それで、どうだったの?」


 女子の一人が美咲に尋ねる。美咲は少し考え、静かに答えた。


 「充実していたわ。いろいろ学ぶことがあった」


 その答えは嘘ではなかった。


 教室の扉が開き、藤堂舞子先生が入ってきた。彼女の目が三人を捉え、一瞬驚きの色が浮かんだ。


 「おや、帰ってきたようね」


 彼女は淡々と言い、授業の準備を始めた。いつもの厳しい表情だが、どこか安堵の色も見える。


 授業が始まると、陽太はすぐに違和感を覚えた。数学の公式やグラフの説明が、なんて些細なことだろうと思ってしまう。つい先日まで、彼は一国の運命を左右する戦術を立案していたというのに。


 美咲も香織も同じように落ち着かない様子で、時折、窓の外を見つめては溜息をついていた。


 休み時間、三人で中庭に集まった。


 「なんだか、うまく馴染めないね」


 香織が正直に言う。


 「もう戻れないのかもしれないわね、以前の自分には」


 美咲の言葉は重く響いた。


 「君たちの気持ち、わかるよ」


 陽太は頷いた。


 「僕も同じだ。あの世界での経験は……」


 彼は言葉を探すように空を見上げた。


 「まるで夢のようで、でも確かに実在した。その記憶と共に生きていくしかないんだ」


 美咲が静かに微笑んだ。


 「だからこそ、あなたは記録係なのね」


 その日の午後、三人は蓮見龍哉学園長に呼び出された。緊張しながら校長室に向かう三人。


 「お呼びですか、学園長」


 陽太が部屋に入ると、白髪の学園長が穏やかな表情で迎えた。


 「やあ、無事に戻ってきたようだね」


 その言葉に、三人は驚きで目を見開いた。


 「…戻ってきた、というと?」


 美咲が慎重に尋ねる。学園長はくすりと笑った。


 「君たちが異世界に行っていたことは知っているよ」


 「え?」


 「な、なんでそれを?」


 香織が驚いて声を上げる。


 「この学園は特別なんだ。異能力者を育てる場所であると同時に、様々な世界との繋がりを研究する機関でもある」


 学園長は立ち上がり、窓際に歩み寄った。


 「君たちは初めてではない。過去にも、異世界に行き、戻ってきた生徒がいた」


 「そんな……」


 陽太は言葉を失った。学園長の言葉は衝撃的だったが、どこか納得できる部分もあった。


 「ただ、君たちのケースは特別だ。特に、綾瀬くん」


 学園長は陽太をじっと見つめた。


 「君の『観察と記録』の力は、世界の境界すら超える可能性を秘めている」


 「僕の力が?」


 「そう。だからこそ、君を記録係に任命したんだ」


 学園長の言葉に、陽太は混乱した。自分の力が特別だとは聞いていたが、ここまでとは…。


 「今日は報告書を提出してもらうつもりはない。まずは休息を取りなさい。そして、また通常の学園生活に慣れていくといい」


 三人が退室しようとしたとき、学園長が最後にこう言った。


 「そして…用心しなさい。境界が薄くなっている今、何が起きてもおかしくはない」


 廊下に出た三人は、しばらく無言だった。


 「学園長が知っていたなんて…」


 香織が呟いた。美咲は思案顔だ。


 「何か隠しているわ。全てを話したわけじゃない」


 陽太も同感だった。そして、学園長の最後の言葉が気になっていた。


 「境界が薄くなっている…」


 その言葉の意味を考えながら、彼は空を見上げた。そして、また一瞬、金色の光を視界の隅に捉えた気がした。


4-3 学園の秘密


 その晩、陽太は眠れずにいた。学園長の言葉、そして何度も見る金色の光。何かが起ころうとしている予感に、彼は落ち着かなかった。


 「試してみよう」


 彼は起き上がり、集中した。異世界で得た魔眼の力が、この世界でどこまで使えるのか確かめたかった。


 陽太は目を閉じ、かつての感覚を思い出す。金色の光が内側から湧き上がる感覚。世界の真実を見通す力。


 「魔眼…解放」


 彼は小さく呟いた。すると、まるで応えるかのように、視界がわずかに変化した。完全な魔眼ではないが、普段より鋭い観察力が蘇った。


 「やはり、残っている」


 興奮したように部屋を見回す。壁の向こう側までは見えないが、微妙な色調の変化や、空気の流れが以前より明確に感じられた。


 「これで…」


 陽太は衝動に駆られて外に出た。夜の学園は静まり返っていたが、彼の感覚はかつてないほど鋭敏だった。


 何かに導かれるように、彼は中庭を過ぎ、古い校舎の方へと足を向けた。使われていない旧校舎。普段は立ち入り禁止だったが、今夜の陽太を止めるものはなかった。


 「ここだ」


 旧校舎の地下に続く階段を見つけ、陽太は躊躇なく降りていった。湿った空気が肌に触れる。


 地下室は広く、中央に大きな円形の台座があった。そして壁には、見覚えのある紋様が刻まれていた。


 「これは…魔法陣?」


 アルスティア王国で見た魔法陣に似ている。しかし、完全に同じではない。より複雑で、古い印象だ。


 陽太が台座に近づくと、床に落ちていた一冊の本が目についた。拾い上げると、その表紙には「世界の記録」と刻まれていた。


 本を開こうとした瞬間、背後から声が聞こえた。


 「見つかってしまったか」


 振り返ると、そこには蓮見龍哉学園長が立っていた。いつもの穏やかな表情だが、目には警戒の色が見える。


 「学園長…ここは?」


 「世界の境界を研究する場所だよ。そして、その本は…」


 学園長は「世界の記録」を指差した。


 「観測者の記録だ」


 「観測者?」


 「世界を見て、記録する者。そして、その記録によって世界を形作る者」


 学園長の言葉は謎めいていた。陽太は混乱しながらも、本を開いた。


 すると驚くべきことに、ページには金色の文字が浮かび上がった。しかも、その文字が読める。


 「世界は何度も破壊と再生を繰り返している」  「破壊の原因は『観測者』の暴走」  「次の破壊は間もなく」


 「これは…」


 「君にしか読めない。観測者の素質を持つ者だけが解読できるんだ」


 学園長の声が静かに響く。


 「綾瀬くん、君の力は特別だ。記録係と呼んでいるが、実際は『観測者』の素質を持つ数少ない存在なんだよ」


 「僕が…観測者?」


 「そう。世界を見て、記録し、そして…その記録によって世界を変える可能性を持つ者」


 陽太は本を握りしめた。そして、あの世界の特殊な魔眼の力、「すべてを見通す目」の意味を考える。単なる観察ではなく、観測による世界への干渉…。


 「学園長、もっと教えてください。観測者とは何か、なぜ世界が破壊されるのか」


 学園長は少し躊躇い、そして決意したように口を開いた。


 「観測者は古来より存在し、世界の記録を担ってきた。しかし、その力が強くなりすぎると、記録が現実を侵食し始める。主観が客観を塗り替え、世界は観測者の意志に従って歪み…最終的には崩壊する」


 学園長は壁の魔法陣を見つめた。


 「これまでに何度も世界は破壊され、再生してきた。そして今、新たな崩壊の兆候が現れている」


 「それと僕たちの異世界転移は関係があるんですか?」


 「ああ。世界の境界が薄くなっているからこそ、君たちは転移できた。そして、ここに戻ってこられた」


 学園長は深いため息をついた。


 「しかし、それはまた、境界が危険なほど脆くなっている証拠でもある」


 陽太は震える手で本のページをめくった。そこには、様々な世界の記録と、観測者についての断片的な情報が記されていた。


 「僕には何ができるんですか?」


 「まだ分からない。だが、君の力が鍵になることは間違いない」


 その時、突然、地下室全体が震え始めた。魔法陣が淡く光り、空間にひびが入るような異音が響く。


 「何が?」


 学園長の表情が一変した。


 「来るのが早すぎる…」


 彼は陽太の肩を掴んだ。


 「急いで、倉田さんと若林さんを呼びなさい。何かが境界を突破しようとしている!」


 陽太は本を抱え、急いで階段を駆け上がった。外に出ると、空は異様な色に染まっていた。緑がかった紫色の雲が渦巻き、時折、雷のような光が走る。


 「美咲さん、香織さん!」


 陽太は女子寮に向かって走った。しかし、途中で足を止めた。空から降りてくる光の柱。そして、その中に浮かぶ一枚の紙切れ。


 「手紙?」


 彼は恐る恐る手を伸ばし、それを掴んだ。開くと、見覚えのある筆跡。


 『助けを求む。アルスティア王国、危機に瀕す。「蒼翼」の力が必要だ。』


 署名はレオンハルト将軍だった。


 「どうして…」


 陽太が困惑していると、身体が突然すくんだ。視線の先に、一人の人影が立っていた。


 金色の瞳を持つ男性。しかし、その姿は霞んでいて、完全にこの世界に存在しているようには見えない。


 「誰だ?」


 男性は微笑んだ。その表情に、陽太は奇妙な既視感を覚えた。


 「間もなく会おう、若き日の私よ」


 そう言うと、男性は光の粒子となって消えた。残ったのは、陽太の混乱した思いと、レオンハルト将軍からの緊急メッセージだけ。


 「何が起きているんだ…」


 彼は女子寮に急いだ。美咲と香織に会い、すべてを共有する必要があった。境界の向こう側で、何かが起きている。そして、それは彼らとも無関係ではないようだ。


4-4 二つの世界からの呼び声


 「何ですって!?」


 美咲の部屋で、陽太は二人に地下室で見たものと、レオンハルト将軍からのメッセージについて説明した。美咲は信じがたい表情で手紙を見つめている。


 「アルスティア王国が危機…でも、私たちは確かに魔王軍を倒したはず」


 「何かが変わったのね」


 香織が心配そうに言った。


 「それと、この金色の目を持つ男の人は誰なんだろう?」


 陽太は頭を抱えた。


 「彼は僕のことを『若き日の私』と呼んだ。まるで、僕の未来の姿か何かのように」


 美咲が思案顔で頷いた。


 「時空を超えた存在…可能性としてはありえるわ。特に、世界の境界が薄くなっているなら」


 三人が話し合っていると、突然、窓の外が明るく輝いた。見ると、空には大きな亀裂が走っていた。まるで、空そのものにひびが入ったかのようだ。


 「これは…」


 香織が息を飲む。美咲は立ち上がった。


 「行ってみましょう。何が起きているのか確かめないと」


 三人は急いで外に出た。キャンパス中が騒がしく、多くの生徒たちが不思議な空を指差して議論している。


 「あれを見て」


 香織が指差した先、校庭の中央に光の柱が立っていた。アルスティア王国に開いた「混沌の門」に似ている。


 「扉が開いている…」


 陽太は魔眼の力を使って、光の柱を観察した。その向こうに見えるのは、変わり果てたアルスティア王国の姿。城は黒い霧に覆われ、空には不吉な雲が渦巻いていた。


 「どうしましょう?」


 美咲が尋ねる。


 「行くべきかしら?」


 そのとき、背後から声が聞こえた。


 「行ってはいけない」


 振り返ると、藤堂舞子が立っていた。厳しい表情だが、目には心配の色が浮かんでいる。


 「先生…」


 「それは罠だ。誰かがわざと開いた扉だよ」


 蓮見学園長も近づいてきた。


 「あの向こうには危険が待ち受けている。君たちの力を狙っているんだ」


 「でも、レオンハルト将軍からのメッセージです」


 陽太は手紙を見せた。学園長はそれを見て眉をひそめた。


 「筆跡は似ているが…これが本物だという保証はない」


 「でも、もし本当に危機なら…」


 香織が悩ましげに言う。


 「私たちには助ける義務があるわ」


 美咲も同意した。


 「あの世界の人たちは、私たちの友人です」


 学園長と藤堂先生は互いに視線を交わし、悩んでいるようだった。


 「少なくとも、準備が必要だ」


 学園長が決断を下した。


 「もし行くなら、万全の態勢で。二度と戻れなくなる可能性もある」


 「どういうことですか?」


 陽太が尋ねる。


 「境界は不安定だ。一度越えてしまえば、元の世界に戻る保証はない」


 その言葉に、三人は重い沈黙に包まれた。


 「考える時間をください」


 美咲が言った。


 「明日までに決めます」


 学園長は頷き、藤堂先生と共に去っていった。三人は再び美咲の部屋に戻り、深刻な表情で向き合った。


 「どうする?」


 陽太が問いかける。


 「僕は行くべきだと思う。アルスティア王国の人たちは、僕たちを信頼して助けを求めている」


 「私も同感よ」


 美咲が頷いた。


 「危険はあるけど、知らんぷりはできない」


 「うん、私も行く!」


 香織が決意を示した。


 「ピュルのことも気になるしね」


 三人は互いに視線を交わし、そして決断した。アルスティア王国へ戻り、真実を確かめる。そして、できる限りの助けを提供する。


 「でも、今度は準備していこう」


 陽太が提案した。


 「前回は突然の転移だったけど、今回は計画的に」


 美咲と香織は同意し、必要なものをリストアップし始めた。


 翌朝、三人は決意を胸に学園長室を訪れた。


 「行く決心をしたようだね」


 学園長は彼らの表情を見て理解したようだった。


 「ええ。アルスティア王国の危機を見過ごすわけにはいきません」


 美咲がきっぱりと言った。


 「特別な装備を用意しました」


 学園長は机の上に三つの小さな装置を置いた。腕時計のような形をしているが、文字盤の代わりに不思議な結晶が埋め込まれている。


 「これは『境界探知機』だ。世界間の境界を感知し、可能であれば帰還の助けになる」


 陽太たちは装置を受け取った。


 「さらに、これを」


 藤堂先生が現れ、三人に小さな石を手渡した。


 「能力増幅石。この世界の法則に従い、あなたたちの能力を強化する」


 「ありがとうございます」


 陽太は感謝を述べた。さらに、食料や水、簡易的な医療キットなど、必要な物資も準備された。


 「行く前に、これを読んでおくといい」


 学園長は「世界の記録」を陽太に返した。


 「可能な限り多くのことを理解しておくんだ。特に、『観測者』について」


 陽太は頷き、本を受け取った。


 午後になると、校庭の光の柱はさらに強く輝いていた。生徒たちは避難させられ、校庭には「蒼翼」と学園関係者だけが残っていた。


 「準備はいいかな?」


 蓮見学園長が尋ねる。三人は装備を確認し、頷いた。


 「行きます」


 「気をつけて」


 藤堂先生が珍しく優しい口調で言った。


 「何があっても、必ず戻ってきなさい」


 「はい!」


 三人は光の柱に向かって歩き始めた。一歩一歩、未知の危険に向かって進む。


 柱の前で立ち止まり、三人は互いの手を取り合った。


 「行こう」


 陽太が言った。


 「アルスティア王国へ」


 そして、彼らは光の中へと踏み込んだ。まばゆい光が全身を包み込み、現実が溶けていくような感覚。


 陽太の最後の視界に映ったのは、学園長の心配そうな表情と、その背後に立つ金色の瞳を持つ霊的な姿だった。


4-5 変わり果てた王国


 耳鳴りと共に視界が戻ってきた。陽太は目を開け、周囲を見回した。


 「ここは……」


 空は暗く、紫がかった雲が低く垂れ込めている。大地は荒れ果て、かつての緑は枯れ、灰色になっていた。


 「アルスティア王国……だよね?」


 香織が不安そうに尋ねる。美咲は表情を引き締め、辺りを観察していた。


 「そう。でも、前に見た王国とは違う」


 彼らが立っていたのは、小高い丘の上。遠くに見える王都は、かつての輝きを失い、黒い霧に覆われていた。城壁の一部は崩れ、かつての美しい城は影のように暗く沈んでいる。


 「何が起きたんだ?」


 陽太は混乱していた。彼らが去ったとき、魔王軍は退却し、王国は平和を取り戻しつつあったはずだ。


 「まずは状況を確認するべきね」


 美咲の提案に、三人は頷いた。彼らは慎重に丘を降り、王都へと向かった。


 道中、彼らの目に映るのは荒廃した風景だけだった。畑は荒れ果て、村々は焼け落ちている。人の姿はほとんど見えない。


 「まるで、戦争が終わった後のよう……」


 陽太が呟いた。彼は魔眼を開き、周囲を細かく観察する。その力は元の世界よりは強く、しかし前回の異世界ほどではなかった。


 「魔力の痕跡がある。これは……」


 彼は立ち止まり、地面を調べた。


 「黒い魔力。以前の魔王軍のものとは違う」


 美咲が近づき、手をかざした。


 「確かに。より古く、より強力な力ね」


 「大体どれくらい前の跡なの?」


 香織が尋ねる。


 「一ヶ月……いや、もっと経っているみたい」


 美咲は眉をひそめた。


 「私たちが帰った後、かなりの時間が経過している可能性があるわ」


 陽太は不安を感じながらも、前進し続けた。王都への道は、以前よりも長く感じられた。


 やがて、彼らは小さな村の廃墟に辿り着いた。かつて活気に満ちていたはずの場所は、今や無人の廃墟となっていた。


 「誰かいますか?」


 陽太が声を上げたが、返事はない。


 「分かれて探しましょう」


 三人は村の中を調査し始めた。陽太が半壊した家屋に近づいたとき、かすかな物音が聞こえた。


 「誰か、いるんですか?」


 慎重に中に入ると、隅で震えている老人を見つけた。


 「大丈夫ですか? 僕たちは敵じゃありません」


 老人は恐る恐る顔を上げた。その目が陽太を捉えると、驚きで見開かれた。


 「蒼翼……!?」


 「え?」


 「蒼翼の若者! 本当に戻ってきたのか!?」


 陽太は驚きを隠せなかった。美咲と香織を呼び、三人で老人に話を聞いた。


 「私たちが知っているのは、魔王軍を撃退した後のことまでです。その後、何があったのですか?」


 美咲が静かに尋ねる。


 老人は沈痛な表情で語り始めた。


 「君たちが去った後、しばらくは平和だった。王国は再建を始め、エルフやドワーフとの同盟も強化された」


 陽太はほっとした表情を見せるが、老人の次の言葉でそれは凍りついた。


 「しかし、三ヶ月後、全てが変わった」


 「三ヶ月……」


 香織が驚いて呟いた。


 「黒き観測者が現れたのだ。彼は金色の目を持ち、その視線だけで現実を歪めた」


 陽太は背筋が凍るのを感じた。金色の目……彼が校庭で見た人物と同じ特徴だ。


 「彼は何をしたんですか?」


 「彼は『記録』と呼ばれる力で、世界を書き換え始めた。都市は一夜にして姿を変え、記録に従って歪められた。そして、彼に逆らう者は『記録』から消された」


 「消された……?」


 「存在そのものが消えるのだ。まるで、最初から存在していなかったように」


 陽太は震える手で「世界の記録」を握りしめた。観測者の力……記録によって世界を変える力。それは彼の魔眼の本質に近いものだった。


 「レオンハルト将軍やデュラン侯爵は?」


 「抵抗軍を組織し、今も戦っている。だが、苦戦しているだろう」


 「エルフたちは? ドワーフは?」


 香織が尋ねる。


 「エルフは森に引きこもった。黒き観測者の力がエルフの森には及びにくいからな。ドワーフは山の奥深くで新たな武器を鍛えているという」


 老人は三人を見つめた。


 「君たちの帰還は予言されていた。『蒼翼が戻り、希望をもたらす』と」


 「予言?」


 「そう。シルヴァーナ様が語ったものだ」


 美咲が決意の表情を見せた。


 「レオンハルト将軍たちの元へ向かわなければ」


 「抵抗軍の本拠地は?」


 陽太が尋ねる。


 「エルフの森の北、隠された谷だ。だが、危険な旅になるぞ」


 老人は外を指差した。


 「黒き観測者の傀儡が世界中を徘徊している。『記録兵』と呼ばれる存在だ」


 「どうやって見分けるのですか?」


 「金色の印が額にある。そして、彼らは感情を持たない」


 三人は老人に礼を言い、食料と水を分け与えてから村を後にした。目指すは、エルフの森。かつての同盟者たちに再会し、真実を知る必要があった。


 長い道のりを歩きながら、陽太は「世界の記録」の内容を二人に伝えた。


 「観測者は世界を記録し、その記録が現実になる……」


 美咲が思案顔で聞いている。


 「あの金色の目の男が言っていた『若き日の私』という言葉と、黒き観測者が金色の目を持つという事実」


 「それって、まさか……」


 香織が不安そうに陽太を見た。


 「僕の未来の姿……かもしれない」


 陽太は重い口調で言った。三人は沈黙の中を歩き続けた。


 夕暮れ時、彼らは小さな森に辿り着いた。かつてのように野営する場所を選び、簡素な食事を取る。


 「神域は以前より範囲が狭いけど、それなりに使えるわ」


 美咲が力を試していた。青い光が彼女の周りに広がるが、前回ほどの輝きはない。


 「私の創世魔法も。あ、でも小さいものなら」


 香織が手の平に小さな光の鳥を作り出した。それは羽ばたき、周囲を一周して消えた。


 「僕の魔眼も完全じゃないけど、使える程度には戻っている」


 陽太は実力の衰えを感じつつも、希望も持っていた。彼らの力は、この世界に入るたびに強くなる。恐らく、滞在期間が長いほど、元の力を取り戻せるのだろう。


 「それにしても、黒き観測者……」


 美咲が心配そうに陽太を見た。


 「あなたの未来の姿だとしたら、何が彼をそうさせたのかしら」


 「観測者の暴走……」


 陽太は「世界の記録」の言葉を思い出した。


 「もし、僕の力が制御を失ったら。記録が現実を侵食し始めたら……」


 「そんなことにはならないわ」


 美咲がきっぱりと言った。


 「あなたは違う。私たちがいるもの」


 「そうだよ、陽太くん」


 香織も励ました。


 「私たちがついてるから、大丈夫」


 陽太は微笑んだ。確かに、彼は一人ではない。三人の絆が、未来を変える可能性もある。


 「ありがとう。でも、真実を確かめなければならない」


 彼は決意を新たにした。黒き観測者の正体、そして王国の危機の真相。すべてを明らかにするために。


 星が輝く夜空の下、三人は交代で見張りを続けた。明日からの困難な旅に備えて、できるだけ体力を回復する必要があった。


 陽太の見張り番のとき、彼は「世界の記録」をさらに読み進めた。そこには、観測者たちの歴史と、世界の崩壊と再生のサイクルが記されていた。


 最後のページには、不思議な文が書かれていた。


 「記録を超える者のみが、崩壊を止められる」


 その意味を考えながら、陽太は星空を見上げた。二つの月が並んで輝いている。アルスティア王国の空。この世界をもう一度、平和に戻すための戦いが、明日から本格的に始まるのだ。


4-6 抵抗軍との再会


 荒れた道を三日間歩き続け、三人はようやくエルフの森の外縁に辿り着いた。しかし、かつての緑豊かな森は変わり果てていた。木々は色あせ、葉は枯れ、生命の気配が薄れていた。


 「エルフの森がこんな状態になるなんて……」


 香織が悲しげに呟いた。美咲は警戒しながら周囲を見回している。


 「魔力の流れが乱れているわ。これは通常の荒廃ではない」


 陽太も魔眼を使って森を観察した。


 「黒い霧のような魔力が森を侵食している。まるで……『記録』が現実を書き換えているかのようだ」


 「でも、老人は言っていたわよね。エルフの森には黒き観測者の力が及びにくいって」


 美咲の指摘に、陽太は頷いた。


 「だから完全には変わっていない。森の奥はまだ守られているはずだ」


 三人は慎重に森の中へと進んでいった。枯れた木々の間を抜け、かつての獣道を辿る。道は荒れており、進むのは容易ではなかった。


 突然、陽太が立ち止まった。


 「何かいる」


 彼の警告の直後、矢が風を切って飛んできた。反射的に三人は散開する。


 「誰だ!」


 香織が叫ぶ。周囲の茂みから、数人の人影が現れた。全員が粗末な装備を身に着け、疲れた表情をしているが、彼らの目は鋭く、武器が確実に三人を狙っていた。


 「待ってください!」


 陽太が両手を上げた。


 「私たちは敵ではありません。『蒼翼』です」


 その言葉に、人影たちはざわめいた。そして一人が前に出た。


 「嘘をつくな。蒼翼は伝説だ。二年前に消えたはずだ」


 「二年……?」


 美咲が驚いて声を上げた。


 「私たちが去ってから、そんなに時間が経っているの?」


 人影たちは互いに視線を交わしていた。そして、彼らの中からやや年長の男性が歩み出た。


 「証明してみろ。お前たちが本当に蒼翼なら」


 陽太は決意を固め、魔眼を開いた。瞳が金色に輝き始める。


 「私は綾瀬陽太。魔眼の使い手です」


 美咲も一歩前に出る。


 「倉田美咲。神域の力を持つ」


 彼女の周りに青い光が広がった。


 「若林香織! 創世魔法を使えるの」


 香織の手から、小さな光の鳥が現れ、上空を舞った。


 男性たちは驚きの表情を浮かべ、そして最年長の男性がゆっくりと頭を下げた。


 「本当に……蒼翼の方々だったとは」


 彼は眉間の皺を深くして続けた。


 「しかし、黒き観測者もまた、金色の目を持つ。我々はどうして信じられようか」


 陽太は困ったように考え込んだ。どうやって信頼を得ればいいのか。


 その時、遠くから馬のひづめの音が聞こえた。森の奥から、一団の騎馬隊が疾走してくる。先頭を走るのは……


 「デュラン侯爵!」


 陽太が驚きの声を上げた。かつての同盟者は年老いて、白髪が増えていたが、その勇ましい姿は間違いなくデュラン侯爵だった。


 「綾瀬か!?」


 デュランは馬から飛び降り、陽太に近づいた。彼の目は疑いと希望が入り混じっていた。


 「本当に……お前たちか?」


 「はい、侯爵。私たちです」


 美咲が答えた。デュランは慎重に三人の顔を見つめ、そして突然、陽太を強く抱きしめた。


 「生きていたのか! 本当に戻ってきたのだな!」


 「あ、はい……」


 陽太は驚きながらも、その温かさに安心感を覚えた。


 「みんな、警戒を解け!」


 デュランが命じる。


 「これは紛れもない蒼翼だ。我らの希望が戻ってきた!」


 警戒していた男たちは武器を下ろし、中には喜びのあまり涙を流す者もいた。


 「皆さん、こんなに喜んでくれて……」


 香織が感動の声を上げる。


 「当然だ」


 デュランが言った。


 「お前たちが消えてから二年。世界は闇に覆われた。だが、エルフの予言では、蒼翼が戻れば希望が生まれるという」


 「黒き観測者について教えてください」


 陽太が切り出した。デュランの表情が曇る。


 「ここではない。本拠地で詳しく話そう」


 彼らは馬に乗り、森の奥深くへと向かった。枯れた外側の森とは対照的に、内部はまだ緑を保っていた。エルフの魔法が森を守っているのだろう。


 やがて、小さな谷間に辿り着いた。そこには、テントや簡素な建物が並び、多くの人々が行き交っていた。人間だけでなく、エルフやドワーフの姿も見える。


 「抵抗軍の本拠地だ」


 デュランが説明する。


 「ここには約3000の兵がいる。エルフ、ドワーフ、そして人間の同盟軍だ」


 彼らが到着すると、多くの人々が集まってきた。「蒼翼」の帰還は、瞬く間に広まったようだ。


 大きなテントに案内された三人を、馴染みの顔が出迎えた。


 「陽太殿、美咲殿、香織殿!」


 シルヴァーナだ。エルフの指導者は変わらぬ美しさを保っていたが、その目には深い悲しみが宿っていた。


 「シルヴァーナさん!」


 「無事に戻られたか!」


 グロムハンマーもそこにいた。ドワーフの王は年老いて、髭はすっかり白くなっていたが、その気迫は健在だった。


 そして、テントの奥に、最も馴染みのある顔があった。


 「レオンハルト将軍……」


 陽太は驚きを隠せなかった。かつての精悍な将軍は、今や松葉杖に頼る老人となっていた。右腕は失われ、顔には深い傷痕が走っている。


 「ようやく会えたな、蒼翼の若者たち」


 彼の声は弱々しかったが、その目は鋭さを失っていなかった。


 「将軍……そのお体は」


 「黒き観測者との戦いの記念だ」


 彼は苦笑した。


 「彼と直接対決したらしく、そして、ほとんど記録から消されかけた」


 デュランが説明する。


 「レオンハルトはもの凄い精神力で生き延びた。記録から完全に消されることを拒否したのだ」


 三人は言葉を失った。事態の深刻さが、身に染みてくる。


 「さて、事情を説明しよう」


 レオンハルトがゆっくりと話し始めた。


 「お前たちが去った後、約三ヶ月は平和だった。しかし、ある日、金色の目を持つ男が現れた。彼は『記録者』と名乗り、王都に現れるなり、現実を変え始めた」


 「どのように?」


 美咲が尋ねる。


 「彼は物事を『記録』する。そして、その記録通りに現実が変わっていく。建物の形や位置、時には人の存在までも」


 「彼は私に似ているのですか?」


 陽太の質問に、デュランが重々しく頷いた。


 「異様に似ている。年老いた姿だが、お前そのものだ」


 陽太は震える手で「世界の記録」を握りしめた。やはり、黒き観測者は自分の未来の姿なのか。


 「彼の目的は?」


 「完璧な世界の創造だと言っている」


 シルヴァーナが答えた。


 「彼によれば、現在の世界は『欠陥品』。完璧な記録によって、理想の世界を作り直すという」


 「しかし、その『完璧』とやらは、自由も多様性もない世界だ」


 グロムハンマーが怒りを込めて言った。


 「彼の記録通りに動く人形のような世界。それが彼の理想だ」


 三人は重苦しい沈黙に包まれた。


 「私たちに何ができるでしょうか」


 陽太が静かに尋ねた。


 「単なる『蒼翼』では、黒き観測者には勝てない。特に、彼が僕の未来の姿なら」


 シルヴァーナが前に出た。


 「希望はある。エルフの古い予言には、『天の三輪』が揃えば『記録を超える力』が生まれるとある」


 「天の三輪?」


 「時を操る者、物を創る者、真実を見る者。そう、お前たち三人だ」


 彼女の言葉に、三人は互いを見つめた。


 「記録を超える……」


 陽太は「世界の記録」の最後のページに書かれていた言葉を思い出した。


 「記録を超える者のみが、崩壊を止められる」


 同じ言葉だ。これは偶然ではない。


 「では、どうすれば?」


 「古代遺跡に行く必要がある」


 レオンハルトが言った。


 「『観測者の神殿』。そこには、観測者の力を制御する方法が記されているという」


 「でも、それを黒き観測者も狙っているのでは?」


 美咲の質問に、デュランが頷いた。


 「彼も探しているが、場所がわからないようだ。我々も手がかりを追っているところだ」


 「私たちに協力させてください」


 陽太は決意を固めた。


 「黒き観測者が僕の未来の姿なら、それを止めるのも僕の責任です」


 デュランは陽太の肩を叩いた。


 「その言葉を待っていた。蒼翼の戦術眼があれば、我々にも勝機が生まれる」


 「まずは休め」


 レオンハルトが言った。


 「明日から、本格的に作戦を立てよう」


 三人は用意された小さな小屋に案内された。シンプルだが、清潔な場所だ。


 「これが現実なんだね……」


 香織がベッドに腰掛けて呟いた。


 「私たちが消えた後、二年も経って」


 「時間の流れが違うのね」


 美咲が窓から夕暮れの景色を眺めている。


 「元の世界では三日だけど、ここでは二年。もし長く滞在したら、帰った時には……」


 「そんなことを考えても仕方ない」


 陽太が言った。


 「今はここでやるべきことをするしかない」


 三人は静かに頷いた。この荒廃した世界を救い、そして黒き観測者の正体と目的を突き止める。それが彼らの使命だった。


 小屋の外では、抵抗軍の兵士たちが「蒼翼」の帰還を祝う簡素な宴を始めていた。希望の光が、この暗い世界に再び灯ったのだ。


4-7 古代遺跡への旅


 翌朝、作戦会議が開かれた。大きなテントの中央に地図が広げられ、レオンハルト、デュラン、シルヴァーナ、グロムハンマー、そして「蒼翼」が集まっていた。


 「『観測者の神殿』の位置についての手がかりは三つある」


 レオンハルトが地図上の三カ所を指し示した。


 「北の『忘却の塔』、東の『鏡の湖』、そして西の『星見の丘』。古文書によれば、これらの場所には神殿への手がかりがあるという」


 「三カ所同時に調査するには、人手が足りないわね」


 美咲が地図を見ながら言った。


 「そうだ。だから、蒼翼には『星見の丘』を調査してもらいたい」


 デュランが言う。


 「そこが最も危険だが、最も有望な場所でもある」


 「星見の丘とは?」


 陽太が尋ねる。


 「かつての占星術師たちの聖地だ。天体を観測し、未来を予測していた場所」


 シルヴァーナが説明する。


 「星を観測する者たちと、世界を観測する者たちは繋がりがあったとされる」


 「わかりました」


 陽太は頷いた。


 「僕たち三人で行きます」


 「いや、一人同行させてほしい」


 デュランが言った。


 「アリシアを」


 「アリシア!?」


 三人は驚いた。アリシア・フォン・ローゼンハイム、かつての騎士団副団長だ。


 「彼女は今、我々の最高の戦士の一人だ。そして、星見の丘の近くで育った」


 「彼女は無事だったんですね」


 「ああ。今は偵察任務から戻るはずだ」


 テントの入り口が開き、一人の女性が入ってきた。長い金髪に青い瞳。顔には小さな傷があり、鎧は古くなっていたが、その凛とした姿勢は変わらなかった。


 「アリシア!」


 香織が喜びの声を上げた。アリシアは一瞬驚き、そして微笑んだ。


 「本当に……蒼翼が戻ってきたのですね」


 彼女は三人の前で膝をつき、深く頭を下げた。


 「お待ちしておりました」


 「あの…立ってください。そんなふうに」


 陽太は照れたように言った。アリシアは立ち上がり、報告を始めた。


 「王都周辺の偵察を終えました。記録兵の動きが活発化しています。彼らは何かを探しているようです」


 「神殿を探しているのだろう」


 レオンハルトが頷いた。


 「我々と同じく、彼らも焦っている」


 「なぜ焦るのでしょうか?」


 美咲が尋ねた。


 「彼には時間がないからだ」


 シルヴァーナが答えた。


 「黒き観測者は強大な力を持つが、その代償として寿命を縮めている。彼の体は徐々に消失しつつある」


 陽太はその言葉に衝撃を受けた。自分の未来の姿が、力の代償として命を削っているのか。


 「計画を急ごう」


 デュランが言った。


 「アリシア、蒼翼と共に星見の丘へ向かってくれ。神殿への手がかりを見つけてほしい」


 「承知しました」


 準備が整えられ、翌朝の出発が決まった。三人は残りの一日を使って、この二年間の詳細な状況を学んだ。


 黒き観測者の出現、王国の陥落、そして抵抗軍の形成。全てが彼らの不在中に起きた出来事だった。


 「あの…記録兵とは正確に何なのですか?」


 陽太がアリシアに尋ねた。彼女は表情を曇らせた。


 「黒き観測者によって記録を書き換えられた人々です。意志を奪われ、彼の命令だけに従う人形のような存在」


 「元に戻せるのでしょうか?」


 「わかりません。試みた者もいましたが…成功した例は聞いたことがありません」


 その夜、陽太は眠れずにいた。「世界の記録」を読み返し、観測者の力について理解を深めようとする。しかし、答えよりも疑問の方が増えていった。


 「悩んでいるのね」


 美咲が小屋に入ってきた。静かに陽太の隣に座る。


 「ええ、自分の未来の姿が世界を脅かしているなんて…信じられません」


 「私はそうは思わないわ」


 美咲がきっぱりと言った。


 「確かに似ているかもしれないけれど、あなたは彼とは違う」


 「でも、同じ力を持っている。観測と記録の力。それが暴走したら…」


 「大丈夫よ」


 美咲が静かに陽太の手を取った。


 「あなたには私たちがいる。一人で抱え込まなくていいの」


 その言葉に、陽太は少し安心した。


 「ありがとう、美咲さん」


 翌朝、四人は星見の丘へと向かった。道中、アリシアがガイドとなり、安全なルートを選んでいく。


 「記録兵の巡回を避けるべきです。彼らに見つかれば、すぐに黒き観測者に報告されます」


 森と丘を越え、二日間の旅を経て、彼らは目的地に近づいた。遠くに見えるのは、小高い丘の上にそびえる不思議な塔。


 「あれが星見の丘です」


 アリシアが指さした。台地のように平らな丘の上に、天文台のような建物がある。かつては華やかだったのだろうが、今は廃墟と化していた。


 「用心してください。この辺りにも記録兵がいるはずです」


 四人は慎重に近づいていった。陽太は魔眼を開き、周囲を細かく観察する。


 「右側の茂みに二人…いや、三人います」


 彼の警告に、全員が身を低くした。


 「記録兵ね」


 美咲が呟いた。茂みの先に、三人の人影が見える。彼らは一様に灰色の服を着て、額には金色の印が光っていた。表情はなく、まるで人形のように立っていた。


 「どうやって通りますか?」


 「私が注意を引きます」


 アリシアが言った。


 「その間に、三人は丘へ」


 「危険すぎる」


 陽太が反対する。


 「別の方法を考えましょう」


 香織が前に出た。


 「私に任せて」


 彼女は手をかざし、創世魔法を発動した。小さな光の動物が数匹現れる。キツネやリスの姿をした幻影だ。


 「向こうに行って、気を引いて」


 光の動物たちが茂みの反対側へと走った。記録兵たちは一斉に動き、幻影を追いかけていく。


 「今よ!」


 四人は素早く丘へと向かった。急な坂を登り、天文台の廃墟にたどり着く。


 「ここが星見の丘…」


 陽太は息を整えながら周囲を見回した。円形の建物は半ば崩れていたが、中央にはまだ巨大な望遠鏡のような装置が残っていた。


 「天体観測のための道具ですか?」


 「そう。かつての占星術師たちはここから星々を観測していた」


 アリシアが説明する。


 「そして、世界の運命を読んでいたという」


 美咲が望遠鏡に近づいた。


 「これ、単なる望遠鏡じゃないわ」


 彼女は装置を調べる。


 「星だけでなく、もっと別のものを見るための道具よ」


 陽太も装置に近づき、魔眼で分析した。


 「確かに…この装置には特殊な魔力が込められている。世界の境界を見るための…」


 「つまり、異世界を観測する装置?」


 香織が尋ねる。


 「そうかもしれない」


 陽太が装置の操作部分を調べていると、中央のレンズが動いた。それは星空ではなく、床に向けられている。


 「これは…」


 レンズから光が放たれ、床に複雑な模様が浮かび上がった。星座のような模様だ。


 「地図?」


 アリシアが驚いて言う。


 「いいえ、もっと複雑ね」


 美咲が模様をじっと見つめた。


 「これは位置情報。星の配置と、地上の特定の場所を結びつける暗号よ」


 陽太は「世界の記録」を取り出し、その内容と照らし合わせた。


 「ここに似たような記述がある。『星は地を映す鏡。その配置は、神殿への道を示す』」


 「つまり、この星図が神殿への地図?」


 香織が尋ねる。陽太は頷いた。


 「でも、解読する必要がある。この星座と地上の地形を対応させないと」


 「それなら!」


 アリシアが壁に向かった。そこには古い星図が刻まれていた。


 「これは、この地域の古代の地図です。川や山の位置が星座と対応している」


 四人は興奮しながら解読を進めた。星座と地形を照らし合わせ、徐々に「観測者の神殿」の位置が明らかになっていく。


 「ここだ」


 陽太が地図上の一点を指さした。


 「北の森と東の山脈の交わる地点。隠された渓谷の中に」


 「それは…『忘却の谷』!」


 アリシアが驚いた声を上げた。


 「伝説の地。誰も入った者がいないと言われている」


 美咲が地図を描き写す。


 「これで神殿への道がわかったわ」


 「急いで戻りましょう」


 陽太が言った時、建物全体が震動した。外から騒がしい声が聞こえる。


 「記録兵だ!」


 アリシアが窓から外を見た。


 「少なくとも二十人。それと…」


 彼女の顔が青ざめた。


 「黒き観測者がいる」


 陽太は息を飲んだ。遂に自分の未来の姿と対面する時が来たのか。


 「ここはまずい。別の出口はありますか?」


 「裏口があります。急いで!」


 四人は裏手の小さな出口から外に出た。しかし、彼らの姿は既に記録兵に発見されていた。


 「追ってくる!」


 逃げる四人。記録兵たちの追跡を振り切るため、森の中へと走り込む。


 その時、陽太はふと振り返った。丘の上に立つ一人の男。長い黒いコートを着て、風にたなびく白髪。そして、その瞳は鮮やかな金色に輝いていた。


 黒き観測者——未来の自分自身が、陽太を見つめている。


 「行くぞ、陽太くん!」


 香織の声で我に返り、陽太は森の奥へと走った。黒き観測者との直接対決の時はまだ来ていない。まずは、神殿の場所を仲間たちに伝えなければならない。


 そして、陽太の心には確信があった。「観測者の神殿」こそが、全ての謎を解く鍵になるのだと。


4-8 忘却の谷への準備


 抵抗軍の本拠地に戻った四人は、すぐに指導者たちに報告した。


 「『忘却の谷』か…」


 レオンハルトは思案顔で地図を見つめた。


 「確かに、古い伝説ではその谷に特別な力があると言われている」


 「伝説によれば、谷に入った者は記憶を失うという」


 シルヴァーナが付け加えた。


 「だから『忘却の谷』と呼ばれているのですね」


 美咲が理解した様子で言う。


 「それは神殿を守るための仕掛けかもしれません」


 「黒き観測者も私たちと同じ情報を得たと思います」


 陽太が言った。


 「彼も神殿を目指すでしょう」


 「奴に先を越されるわけにはいかん」


 デュランが拳を握りしめた。


 「すぐに遠征隊を組織する」


 「大規模な部隊は逆に目立つだろう」


 グロムハンマーが言った。


 「小規模精鋭の部隊の方がいい」


 「そうですね」


 陽太が同意した。


 「蒼翼と、少数の仲間たち。素早く移動し、黒き観測者より先に神殿へ辿り着く」


 「そのとおりだ」


 レオンハルトが頷いた。


 「蒼翼と共に行くのは、アリシア、エルフの戦士二名、そしてドワーフの技術者一名」


 「時間がない。明日にも出発だ」


 計画が決まり、準備が始まった。陽太は少し離れた場所で、「世界の記録」を読み続けていた。そこには、観測者の力と弱点についての断片的な情報がある。


 「観測者の力は、記録に左右される。記録のない領域では、力が弱まる」


 「記録から消されたものは、別の記録に残っていれば復活できる」


 「最も強力な観測者でさえ、自らの記録を完全に掌握することはできない」


 「何を読んでるの?」


 香織の声に、陽太は顔を上げた。


 「観測者についての記録だよ。黒き観測者の弱点を探してる」


 「見つかった?」


 「少しね」


 陽太は立ち上がり、本を閉じた。


 「観測者の力は『記録』に依存している。だから、記録されていない場所や事柄は、彼の力が及びにくい」


 「だから忘却の谷が神殿の場所なのね」


 美咲が近づいてきながら言った。


 「記憶を失う場所。つまり、記録が曖昧になる場所」


 「正確にはそうじゃないかもしれない」


 陽太は思案顔で続けた。


 「谷が記憶を奪うのではなく、観測者の力が届かない場所だから、外の世界との『記録の連続性』が断たれる。だから記憶が曖昧になるのかもしれない」


 「なるほど…」


 美咲が頷いた。


 「理論的には理解できるわ。世界の認識は連続的な記録に基づいている。それが断たれれば、記憶も不安定になる」


 「でも、私たちはどうやって記憶を守ればいいの?」


 香織が心配そうに尋ねた。


 「神殿に行っても、記憶を失っては意味がない」


 陽太は「世界の記録」を示した。


 「この本自体が特別な記録媒体みたいだ。おそらく

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ