第3章 同盟と裏切り
前作 最弱記録係は今日も天才美少女たちの戦いを見守るだけの主人公達が異世界転移!?
最弱記録係はどうやって活躍するのか?
主要人物紹介
綾瀬陽太(あやせ ようた
- 本作の主人公。蒼城学園で「記録係」を務める普通の高校生
- 能力者ではないが、観察力と記録力に長けている
- 控えめで真面目な性格だが、仲間思いで責任感が強い
- 異世界で「魔眼」の力に覚醒し、世界の真実を見抜く能力を得る
倉田美咲
- メインヒロインの一人。「絶対領域」を操る能力者
- クールで真面目、責任感が強い。成績優秀で品行方正
- 異世界では「神域展開」として時空を操る力に進化
- 陽太に対して特別な感情を抱いている
若林香織
- もう一人のメインヒロイン。「千変万化」の能力を持つ
- 明るく天真爛漫、感情表現が豊かで積極的な性格
- 異世界では「創世魔法」として物質創造能力に進化
陽太と美咲を大切に思う親友
3-1 影の谷の戦い
北街道から少し外れた場所に、影の谷と呼ばれる狭い渓谷があった。両側を切り立った岩壁に囲まれ、日が落ちると深い影に覆われることからその名がついたという。
「蒼翼」一行は、この谷の入り口に陣を敷いていた。
「敵の先遣隊、あと3キロの地点に到達しました」
斥候から報告を受け、陽太は魔眼を開いた。視界が拡大し、遠方の様子が手に取るように見えてくる。
「確認できました。約500の兵力、主に飛行型の魔物です」
美咲と香織、そしてアリシアが緊張した面持ちで陽太の言葉に耳を傾けている。
「本隊はどうかしら?」
美咲が尋ねる。陽太は目を細め、さらに先を見ようとするが、一瞬頭痛に顔をしかめた。
「まだ見えません……何か、視界を妨げるものがある」
「魔王軍の結界かもしれないわね」
美咲が推測する。アリシアが地図を広げ、作戦を確認した。
「予定通り、谷の狭い部分で敵を足止めします。蒼翼殿の能力で地形を利用し、できるだけ時間を稼ぎます」
陽太は頷き、騎士たちに指示を出した。
「各隊、位置についてください。敵が谷の中心部に入るのを待ち、合図と共に一斉攻撃を」
騎士たちは素早く移動し、岩陰や高台に隠れていく。
「香織さん、上空からの攻撃に備えて」
「了解!」
香織は肩のピュルに囁きかけた。小竜は大きく翼を広げ、上空へと飛び立った。今や人間の子どもほどの大きさに成長し、偵察と戦闘の両方をこなせるようになっていた。
「美咲さん、神域の範囲は?」
「谷全体を覆えるわ。ただし、強度は平均的になるけど」
「それで十分です。敵の動きを鈍らせるだけでいい」
三人は最終確認を終え、作戦位置に就いた。
やがて、谷の入り口に黒い影が現れ始めた。飛竜に乗った騎兵、空を飛ぶケルベロス、巨大な蝙蝠のような魔物。これらが陣形を組み、谷へと進軍してくる。
「待て……」
陽太は魔眼で敵の位置を確認しながら、タイミングを見計らう。
「待て……」
敵部隊が谷の中心、両側の崖が最も迫った場所まで進んだ時、陽太が叫んだ。
「今だ!」
「神域展開・重力崩壊!」
美咲の声と共に、青い光が谷全体を包み込んだ。敵の魔物たちが急に宙に浮き、制御を失い始める。
「創世魔法・光の檻!」
香織の力で、谷の上空に巨大な光の網が形成された。飛行魔物たちが次々とこの網に引っかかり、落下していく。
「全軍、攻撃開始!」
アリシアの号令と共に、岩陰に隠れていた騎士たちが一斉に攻撃を開始した。魔法弓や投石器から放たれる魔力の弾が、混乱する敵を襲う。
「くっ、伏兵か!」
敵の指揮官らしき者が叫ぶ。しかし、狭い谷では陣形の立て直しも難しい。
戦いは一方的だった。わずか100名の精鋭と「蒼翼」の力で、500の敵部隊を撃退していく。
「勝てる……!」
香織が喜びの声を上げた時、陽太の魔眼が異変を捉えた。
「待って、これは……」
谷の向こう側、遠方に巨大な魔力の波動が見える。黒い霧のようなものが急速に近づいてきていた。
「全軍、撤退準備!」
陽太が叫ぶ。しかし、既に遅かった。
黒い霧が谷に流れ込むと、美咲の神域が侵食され始めた。
「な、何!?」
美咲が驚きの声を上げる。彼女の神域が、まるで塩の壁に水がかかるように、溶けていく。
「これは……魔法消去の力!」
陽太が叫ぶ。
「虚無のニヒルだ!」
黒い霧の中から、一人の人影が現れた。全身を黒いローブで覆い、顔も見えない。しかし、その存在感は圧倒的だった。
「退がれ! 全軍撤退!」
アリシアが命令する。騎士たちは素早く馬に飛び乗り、谷を離れ始めた。
「美咲さん、香織さん、急いで!」
陽太が二人に声をかける。香織はピュルを呼び寄せるが、美咲は動かない。
「美咲さん?」
「もう少し時間が……皆が逃げるのに時間が必要よ」
美咲が決意を固めた顔で言う。
「神域展開・時間障壁!」
美咲の神域が、これまでにない輝きを放った。谷の中央に巨大な時間障壁が形成され、敵の進軍を物理的に阻止する。
「香織、陽太くん、先に行って!」
「でも!」
「大丈夫、すぐ追いつくから!」
陽太は状況を瞬時に判断し、決断した。
「分かった。でも、限界を感じたらすぐに撤退して。それが約束だ」
美咲が微笑み、頷いた。
陽太と香織は馬に乗り、撤退する騎士たちの後を追った。振り返ると、美咲の神域が谷を青く染め、敵の進軍を止めている。
彼らが谷を抜けてから約10分後、突然の爆発音と共に、青い光が消えた。
「美咲!」
香織が叫ぶ。しかし、その直後、森の中から一頭の馬が疾走してきた。
「美咲さん!」
陽太が安堵の声を上げる。美咲は無事だったが、疲労で顔色が悪い。
「大丈夫?」
「ええ……なんとか。でも、ニヒルの力は想像以上よ。神域が完全に打ち消された」
三人は馬を並べて走りながら、後方を確認する。
「どれくらい時間を稼げましたか?」
アリシアが尋ねる。陽太が魔眼で後方を確認する。
「敵は陣形を立て直しています。今日中の追撃はないでしょう。少なくとも半日は稼げました」
「それだけでも大きいわ」
美咲が言った。一行は南へと急いだ。敵の本隊との直接対決は避けられたが、予想以上に強力な敵の存在に、全員が不安を感じていた。
王都までの道のりはまだ長い。しかし、時間稼ぎという最初の目的は果たせたのだ。
3-2 助けを求めて
「蒼翼」一行は、東に迂回して王都への道を進んでいた。直接王都へ戻るルートでは魔王軍と鉢合わせになる危険があるため、森林地帯を通る遠回りの道を選んだのだ。
「この森は『妖精の森』と呼ばれています」
アリシアが説明する。
「伝説によれば、人間とは異なる種族が住んでいるとか」
「異なる種族?」
香織が興味を示す。アリシアは頷いた。
「エルフの一族が住むと言われていますが、近年は姿を見せなくなりました。人間との争いを避けているのでしょう」
陽太は魔眼で森を観察していた。確かに、普通の森とは異なる魔力の流れがある。
「ここには確かに何かいます。私たちを見ている存在が」
その言葉が終わらないうちに、前方から矢が飛んできた。
「伏せろ!」
アリシアの叫びに全員が身を低くする。矢は当たらなかったが、警告は明確だった。
「止まれ、人間ども」
森の中から声が響く。美しい声だが、冷たさを含んでいた。
「我らの森への侵入を許可していない」
茂みが揺れ、十数名の人影が姿を現した。彼らは全員が長い耳を持ち、すらりとした体格。弓や細い剣を手にしている。
「エルフ……」
アリシアが息を呑む。
伝説と思われていた種族が、本当に存在したのだ。
「我々は敵ではありません」
陽太が前に出て、丁寧に頭を下げた。
「アルスティア王国の使者です。魔王軍が攻めてきており、王都が危機に瀕しています」
エルフたちは無表情なまま、互いに視線を交わした。そして、彼らの中から一人の女性が前に出た。緑の髪に金色の瞳、他のエルフより威厳のある姿だ。
「私はシルヴァーナ、この森の守護者だ。なぜ我らがお前たち人間の争いに関わる必要がある?」
陽太は真摯に答えた。
「魔王軍の野望は人間だけに向けられたものではありません。彼らは『混沌の門』という儀式を行おうとしています。それが成功すれば、この世界全体が危機に」
「混沌の門?」
シルヴァーナの表情が変わった。彼女は部下に何か囁き、再び陽太たちに向き直った。
「話を聞こう。我らの村へ案内する」
エルフたちに囲まれ、一行は森の奥へと進んだ。
やがて彼らが辿り着いたのは、樹上に築かれた美しい集落だった。巨大な樹々の間に張られた橋、幹に沿って螺旋状に伸びる階段、葉の間から漏れる柔らかな光。それはまるで別世界のような光景だった。
「すごい……」
香織が感嘆の声を上げる。美咲も静かに周囲を見回していた。
エルフの村の中心部、大樹の広間に案内された一行は、長老会議と対面することになった。シルヴァーナの他に五人のエルフが座っており、全員が鋭い視線で来訪者を観察していた。
「人間よ、混沌の門について話せ」
年老いたエルフが命じる。陽太は魔王軍の目的について、これまでに判明したことを全て説明した。
話が終わると、エルフたちは静かに議論を始めた。彼らは独自の言語で話しているため、内容は分からない。やがて、長老が再び口を開いた。
「混沌の門は古代の禁忌。異なる次元から力を呼び寄せる儀式だが、それは世界の秩序を崩壊させる」
「私たちも同じ理解です」
陽太が答える。
「しかし、なぜ魔王はそのような危険な儀式を?」
シルヴァーナが疑問を呈する。美咲が前に出た。
「それはまだ分かっていません。ただ、儀式には私たち三人の力が必要だということだけは」
「お前たちの力?」
長老が眉を寄せる。
「見せてみよ」
三人は顔を見合わせ、それぞれの能力を小規模に発動した。陽太の目が金色に輝き、美咲の周りに青い光が現れ、香織の手に小さな光の球体が形成される。
エルフたちはこれを見て、明らかに動揺した。
「天の三輪……」
長老が震える声で言った。
「何ですか?」
陽太が尋ねる。
「古い予言にある。『時を操る者』『物を創る者』『真実を見る者』。三つの力が揃うとき、世界の扉が開くとされる」
「それは……私たちのことですか?」
美咲が驚いて聞き返す。
シルヴァーナが立ち上がった。
「もしそうなら、お前たちを守ることは我々の義務だ。エルフは古来より、世界の秩序を守護してきた」
「では、助けていただけるのですか?」
陽太の問いに、長老が頷いた。
「エルフの戦士100名を差し出そう。彼らは魔法弓の達人だ。それに」
長老は手を叩き、侍従が三つの小箱を持ってきた。
「これらは『妖精の祝福』。お前たち三人の力を増幅する宝玉だ」
箱が開けられると、中から三つの宝石が姿を現した。青い宝石、赤い宝石、そして金色の宝石。各々が陽太、美咲、香織に手渡された。
「この宝玉を身につけていれば、魔力の消耗が少なくなり、能力の制御も容易になる」
三人は感謝の言葉を述べた。
「そして、もう一つ」
シルヴァーナが言う。
「北東にある『鉄山』には、ドワーフの一族が住んでいる。彼らも古い同盟者だ。使者を送り、ドワーフたちにも協力を要請しよう」
「ドワーフまで……」
アリシアが驚きの声を上げる。
「伝説の種族が次々と」
「人間たちは我々を『伝説』と呼ぶが、我々は常にここにいた。ただ、表舞台から去っただけだ」
シルヴァーナの言葉には、悠久の歴史が感じられた。
「では、明日にでもドワーフの元へ向かいましょう」
陽太が提案する。しかし、長老は首を振った。
「時間がない。我々の使者が先にドワーフへ向かう。お前たちは王都へ急げ。エルフの戦士たちが護衛する」
こうして「蒼翼」一行は、思わぬ同盟者を得た。夜が更けると、エルフたちは美しい歌声で彼らをもてなした。星明かりの下、不思議な調べが森に響く。
「エルフの歌は心を癒すと言われています」
アリシアが小声で説明する。確かに、疲れていた心と体が、歌声と共に軽くなっていくのを感じた。
宿に割り当てられた大樹の一室で、三人は今日の出来事を振り返っていた。
「予言に私たちのことが書かれているなんて……」
香織が呟く。
「ますます不思議ね。私たちがこの世界に来たのは偶然じゃないのかも」
美咲が窓から夜空を見上げながら言う。
「何か大きな力が、私たちを引き寄せたのかもしれない」
陽太は宝玉を見つめていた。金色の宝石が、微かに彼の瞳と共鳴するように輝いている。
「ただ、一つだけ確かなことがあります」
陽太が二人を見た。
「私たちは魔王の計画の一部になるわけにはいかない。どんな予言があろうと、私たちには選ぶ自由がある」
美咲と香織は頷いた。窓の外で、二つの月が並んで輝いている。
翌朝、エルフの戦士たちを伴った一行は、王都への帰路についた。新たな同盟者を得た彼らに、わずかな希望の光が差し込んでいた。
3-3 王都の影
エルフの森を出てから二日後、「蒼翼」一行は王都の外壁に到着した。城壁の上では、既に兵士たちが警戒態勢を敷いていた。
「門を開けろ! 蒼翼殿が戻られた!」
城壁の上から叫び声が聞こえ、ゆっくりと城門が開かれる。中からレオンハルト将軍が出迎えに来ていた。
「無事で何よりだ」
レオンハルトは安堵の表情を見せるが、その横顔には疲労の色が濃い。
「将軍、状況はどうですか?」
陽太が尋ねる。レオンハルトは一行の後ろにいるエルフたちを見て、一瞬驚いたが、すぐに表情を戻した。
「魔王軍は着々と進軍中だ。おそらく明後日には王都に到達するだろう」
「防衛の準備は?」
「可能な限り進めている。しかし……」
レオンハルトは言葉を濁す。陽太たちが城内に入ると、その理由が明らかになった。街中は混乱し、避難する民や物資を運ぶ兵で溢れていた。
「内部に問題があるのね」
美咲が指摘する。レオンハルトは重々しく頷いた。
「貴族間の対立だ。非常時にも関わらず、指揮系統が分断されている」
「デュラン侯爵は?」
「彼は懸命に調整しているが、根深い問題だ」
城へと向かう途中、エルフの戦士たちは多くの注目を集めた。彼らの姿を見るのは、ほとんどの市民にとって初めてのことだった。
「まさか、エルフが実在するとは……」 「あれが妖精の森の住人か」 「どうして人間に協力するんだ?」
ひそひそ声が街中を駆け巡る。
城に到着すると、すぐに国王との謁見が行われた。大広間には国王の他、マーリン魔導師長、デュラン侯爵、そして数名の貴族が集まっていた。
「蒼翼殿、無事に戻られたか」
国王は安堵の表情を見せたが、その目には深い憂いが宿っていた。
「陛下、エルフの協力を得ることができました」
陽太が報告する。シルヴァーナが前に出て、エルフ流の礼をした。
「アルスティア国王陛下、私はシルヴァーナ。エルフの長老会議の意向を受け、100名の戦士を差し向けました」
国王は深く頭を下げた。
「古の民からの助力、心より感謝する」
しかし、横に控えていた一人の貴族が不満の声を上げた。
「異種族を王都に入れるなど前代未聞です。彼らの忠誠は証明されていない」
「ガンドルフ卿!」
デュランが声を荒げた。
「非常時に何を言うか。エルフの協力は天の恵みだ」
「しかし……」
「黙れ」
国王の一言で、ガンドルフは口を閉ざした。だが、その目には明らかな不満が残っていた。
「シルヴァーナ殿、失礼をお許しください。王国は深く分断されています」
「分かっている」
シルヴァーナは静かに応じた。
「人間の政治は常にそうだ。だが今は、世界の命運がかかっている。我らは混沌の門を阻止するためだけに来た」
会議は続き、防衛戦の詳細が議論された。エルフの戦士たちは城壁の上に配置され、その優れた弓技で敵を牽制することになった。
会議の後、陽太たちは「蒼翼」の執務室に向かった。そこでアリシアが状況を詳しく説明する。
「実は大きな問題が発生しています」
「何?」
「王国内に裏切り者がいるという情報が」
三人は顔を見合わせた。
「どういうこと?」
美咲が尋ねる。アリシアは声を潜めた。
「王都の防衛計画や兵力配置が、何者かによって魔王軍に漏れているようなのです」
「それで貴族たちの間に不信感が」
陽太が理解した。
「誰か心当たりは?」
「皆が皆を疑っている状態です。ガンドルフ伯爵のように露骨に異論を唱える者もいれば、デュラン侯爵のように団結を呼びかける者もいる」
陽太は考え込んだ。
「一番良くないのは、この分断が魔王軍に利するということですね」
「そのとおりです」
アリシアが頷く。
「このままでは、いくら城壁が堅固でも、内部から崩れていくでしょう」
「調査が必要ね」
美咲が真剣な表情で言う。
「裏切り者を見つけ出さないと、全ての努力が水の泡になる」
「そうだね」
香織も同意する。
「でも、どうやって? 私たちは城内の勢力図も詳しくは分からないし」
陽太は魔眼で執務室全体を見回した。誰かに盗聴されていないか確認するためだ。
「まずは情報収集から始めましょう。王宮内の人間関係、特に最近の動きに注目します」
美咲は小さく頷いた。
「私は貴族たちの様子を探ってみるわ。女性同士なら話しやすいこともあるでしょう」
「私はエルフたちと協力して、街の様子を見てくる」
香織が言う。
「もしかしたら、王宮じゃなくて街の中に裏切り者がいるかもしれないし」
「いい考えだ。私は魔眼で王宮内を調査します」
三人は任務を分担し、それぞれの調査を開始した。時間は限られている。魔王軍の到着まで、あと2日しかなかった。
その日の夕方、美咲は貴族の女性たちが集まる茶会に招かれていた。表向きは避難計画の相談だが、実際は美咲という存在に興味を持った貴族たちが、彼女を品定めする場だった。
「倉田様、その神域とやらは本当に時間まで操れるのですか?」
華やかなドレスを着た中年の貴族婦人が質問する。
「はい、ある程度は」
美咲は簡潔に答えた。過度に能力の詳細を明かすのは避けるべきだと判断していた。
「素晴らしいわ。そんな力があれば、戦に出る必要もないのに」
別の貴族が言う。どこか皮肉めいた調子だ。
「命をかけるのは男たちの仕事。貴女のような美しい方は、安全な場所で……」
「それは違います」
美咲は丁寧だが、毅然とした態度で反論した。
「私の力は戦うためにある。そして、この国を守るためにも使われるべきです」
場の空気が少し冷たくなった。だが、一人の年配の婦人が口を開いた。
「その気持ち、嬉しく思います。私の息子も前線で戦っているのです」
その婦人はアーネスト公爵夫人と名乗った。彼女は城内の事情に詳しいようで、美咲に様々な情報を提供してくれた。
「最近、貴族間の対立が激化しているのは、単なる意見の相違だけではないのです」
アーネスト夫人が小声で言う。
「二ヶ月ほど前から、一部の貴族の動きがおかしい。特に北方領の領主たち」
「北方……魔王軍が侵攻してきた方向ですね」
「そう。彼らは早くから『降伏論』を唱えていた。魔王の力は絶対だから、抵抗せず服従すべきだと」
美咲は重要な情報を得たと感じた。茶会の後、すぐに陽太と香織に報告しようと思う。
一方、香織はピュルと共に街中を歩いていた。ピュルの存在は人々の注目を集めたが、香織は「蒼翼」の一員として認知されていたため、それほど警戒されなかった。
彼女は市場や酒場など、人々が集まる場所で耳を傾け、様々な噂を集めていた。
「聞いたか? 魔王軍に内通している貴族がいるらしいぞ」 「まさか……誰だ?」 「さあな。でも、最近北の領主たちが頻繁に秘密会議を開いているって」
香織はそれを聞いて、美咲と同じ情報に辿り着きつつあることを感じた。
陽太は王宮内の調査を続けていた。魔眼で壁の向こう側まで見通し、人々の集まりや秘密の会話を探っていく。
魔眼の能力は日に日に強くなっており、今では城全体を見渡すことができた。しかし、それには大きな負担が伴う。一日中使い続けると、激しい頭痛に襲われるのだ。
「くっ……」
廊下の隅で、陽太は頭を抱えた。しかし、その痛みの中で、彼は重要な光景を魔眼に捉えていた。
地下の小部屋で、数人の貴族が集まり、誰かと通信魔法で話をしている。その魔力の色は、明らかに魔王軍のものだった。
「これは……!」
陽太は動きを止め、その場面を詳細に観察した。顔を認識し、名前を思い出す。
「ガンドルフ伯爵……そして、アルバート子爵、マルセイユ男爵……」
証拠を掴んだ。しかし、これを国王やレオンハルト将軍にどう伝えるか。即座に逮捕すれば良いわけではない。彼らの背後にいる者、魔王軍との繋がりを全て暴く必要がある。
夜になり、三人は「蒼翼」の執務室に集まった。互いの情報を共有し、共通の結論に達した。
「北方貴族の一部が、裏切り者だ」
陽太が断言する。
「ガンドルフ伯爵を中心とした一派が、魔王軍と通じている」
「じゃあ今すぐ捕まえないと!」
香織が声を上げる。しかし、美咲は首を振った。
「慎重にならないと。貴族社会は複雑よ。証拠なしに動けば、さらなる分断を招く」
「美咲さんの言う通りです」
陽太が同意する。
「まず、レオンハルト将軍とデュラン侯爵に内密に報告しましょう。そして、決定的な証拠を掴むための罠を張る」
三人は具体的な計画を練り始めた。内部の敵を排除しなければ、王都の防衛は成り立たない。
そして、魔王軍の到着まで、残り時間はわずかだった。
3-4 裏切りの代償
早朝のレオンハルト将軍の執務室。窓から差し込む朝日が、重苦しい空気を照らしていた。
「確証はあるか?」
将軍は「蒼翼」の報告を厳しい表情で聞いていた。
「はい。魔眼で彼らの会話を直接見ました」
陽太が答える。
「魔力の流れも確認しました。間違いなく魔王軍との交信です」
レオンハルトは沈黙し、思案した。
「陛下には?」
「まだです。確かな証拠と共に報告したいと思い」
将軍は頷いた。
「賢明だ。北方貴族は古くからの名門。軽々しく動けば、貴族全体の反発を招く」
その時、ノックの音がして、デュラン侯爵が入ってきた。
「呼んだか、レオンハルト」
「ああ。今、重大な報告があった」
デュランは三人の存在に気づき、挨拶した後、状況説明を受けた。
「ガンドルフが……」
デュランの表情が険しくなる。
「あの男とは以前から意見の相違があったが、まさか裏切りとは」
「侯爵、どう動くべきでしょうか」
陽太が尋ねる。デュランは手を組み、考え込んだ。
「彼らの計画を知る必要がある。いつ、どのように魔王軍に協力するつもりか」
「おそらく城門を内側から開ける計画でしょう」
美咲が推測する。
「彼らは頻繁に西の城門近くで会合しています」
レオンハルトが机を叩いた。
「ならば、今夜にでも動く。彼らが次に会合する時を見計らい、現行犯で捕らえる」
「その際、私の神域で彼らを包囲し、逃げられないようにします」
美咲が提案する。
「そして私の創世魔法で、証拠を残す方法を」
香織が続けた。
「魔力の痕跡を可視化する光を作れるから、魔王軍との交信の証拠が残せるはず」
計画は立てられた。その日の夜、ガンドルフたちが次の会合を開くという情報を得て、三人とレオンハルト、デュラン、そして選ばれた騎士たちが西の城門近くに潜んで待機した。
「近づいてきました」
陽太の魔眼が暗闇の中、動く人影を捉える。
「ガンドルフと……六人の貴族。彼らは地下室に向かっています」
「行くぞ」
レオンハルトが小声で命じる。一行は静かに地下室への道を辿った。
地下室の扉の前で、美咲が神域を展開する。
「神域展開・封鎖空間」
青い光が地下室を包み込み、中にいる者が逃げられないようにした。
「行きましょう」
扉を開けると、中では確かにガンドルフたちが通信魔法を使用していた。彼らの前には、魔法の鏡に映る黒いローブを着た人物——ザイオンの姿があった。
「なんだ!?」
ガンドルフが驚愕の声を上げる。彼らは慌てて通信を切ろうとしたが、すでに遅かった。
「ガンドルフ伯爵、貴方は魔王軍と通じた罪で逮捕する」
レオンハルトが宣言する。デュランも剣を抜いていた。
「馬鹿な……これは誤解だ!」
ガンドルフは弁解しようとするが、香織が前に出た。
「創世魔法・真実の光!」
彼女の力で、室内に金色の光が満ちる。すると、通信魔法の残滓が目に見える形で浮かび上がり、黒い糸のように伯爵たちと魔法の鏡を繋いでいた。
「これが誤解ですか?」
陽太が静かに問う。ガンドルフは言葉につまり、やがて態度を一変させた。
「フッ……バカめ。もう遅いのだ」
「何?」
「今夜、魔王軍が動く。我々の仲間は既に南門の守備についている。そこから敵を迎え入れるのだ!」
レオンハルトの顔が青ざめた。
「南門だと? アーネスト公爵が守る場所だが……」
「そう、アーネスト公爵も我々の一員だ。今頃は南門の防衛体制を崩しているだろう」
美咲がガンドルフを睨みつけた。
「先ほどの茶会で会ったアーネスト夫人は、息子が前線で戦っていると言っていた。なぜ公爵自身が裏切る?」
「夫人? あの女は何も知らん。公爵は一人で動いているのだ」
その言葉に、レオンハルトが顔色を変えた。
「急げ! 南門へ!」
ガンドルフたちは騎士に引き渡され、「蒼翼」たちは全速力で南門へと向かった。
城内は既に緊張が走り、兵士たちが慌ただしく動いている。遠くから、戦闘の音が聞こえ始めていた。
「まさか、魔王軍が既に到達しているのか?」
デュランが憂慮の表情で言う。
「予定より早い。内通者からの情報を得ていたのだろう」
南門に到着すると、そこは既に混乱状態だった。門は半ば開かれ、外から押し寄せる魔王軍と戦う王国兵の姿がある。
「どうなっている!?」
レオンハルトが叫ぶ。近くにいた騎士が駆け寄ってきた。
「アーネスト公爵が突然、門を開けるよう命じたのです! 従わない兵を斬り捨て……」
「公爵は?」
「あそこです!」
門の上の塔を指差す。そこには一人の男が立ち、剣を振るっていた。
「倒せ! アルスティアの愚か者どもを! 魔王こそが新たな支配者だ!」
アーネスト公爵は錯乱したように叫んでいた。
「美咲、香織、門を!」
陽太の指示に、二人は即座に動いた。
「神域展開・時間停止!」
美咲の神域が門周辺を包み込み、進入してくる敵兵の動きを止める。
「創世魔法・光の壁!」
香織の力で、開かれた門を塞ぐ巨大な光の壁が形成された。
「陽太くん、アーネスト公爵が!」
陽太は魔眼で公爵の位置を確認した。彼は今、近くの兵士たちを次々と斬り伏せていた。
「あれは……憑依されている」
陽太の魔眼が捉えたのは、公爵の体を覆う黒い霧のようなものだった。
「魔王の術だ。門を任せてくれ!」
デュランが騎士たちを指揮し、門の防衛を固める。
「陽太くん、行って!」
美咲が叫ぶ。陽太はレオンハルトと共に、公爵のいる塔へと急いだ。
階段を駆け上がり、塔の上に辿り着いた時、アーネスト公爵は既に数人の兵士を倒していた。彼の目は黒く染まり、声は別人のように歪んでいた。
「来たか、蒼翼の小僧」
「公爵ではない……お前は誰だ?」
レオンハルトが剣を構える。公爵は不気味に笑った。
「私は虚無のニヒル。この愚か者の体を借りているだけだ」
「憑依魔法……」
陽太が理解する。ニヒルが直接城内に入ることはできないため、内通者の体を乗っ取ったのだ。
「お前たちが魔王様の計画を邪魔するなら、ここで終わりだ」
「公爵を解放しろ!」
レオンハルトが叫ぶ。
「無駄だ。この男の魂はもう消えている。体だけが残った」
ニヒルに操られた公爵が突進してきた。レオンハルトはそれを受け止めるが、その力は尋常ではない。
「くっ……!」
陽太は魔眼を最大限に開き、ニヒルの力の源を探る。
「魔眼解放・真実顕現!」
金色の光が輝き、公爵の体内に巣食う黒い力が明確に見えた。それは心臓部分を中心に、全身に広がっていた。
「レオンハルト将軍、彼の左胸! 黒い光の中心です!」
「分かった!」
レオンハルトは剣を構え直す。しかし、ニヒルは陽太の能力に気づき、矛先を彼に向けた。
「まず、お前から消す!」
公爵の体が猛スピードで陽太に迫る。その剣が振り下ろされる瞬間——
「陽太くん!」
美咲の声が聞こえた。彼女は神域を使って時空を歪め、自分を瞬間移動させていた。青い光の盾が陽太の前に立ち、剣撃を受け止める。
「美咲さん!」
「大丈夫……でも、彼の力は強い」
美咲の神域がにひびを入れ始める。ニヒルの魔法消去の能力が、彼女の力を侵食しているのだ。
「私も来たよ!」
香織も駆けつけ、創世魔法を発動した。
「創世魔法・光の鎖!」
光の鎖が公爵の体を拘束する。しかし、それも徐々に解けていく。
「愚かな……私の前では全ての魔法が無力だ」
三人は危機的状況に陥った。レオンハルト将軍が背後から攻撃を仕掛けるが、ニヒルは簡単にそれを見切った。
「どうすれば……」
陽太が必死に考える時、彼の魔眼に新たな光景が映った。公爵の体の中に、かすかな光の点。魂の最後の欠片だ。
「公爵の意識が、まだ残っている!」
陽太は大声で叫んだ。
「アーネスト公爵! 夫人のことを思い出してください! 息子さんのことを!」
ニヒルが操る体が一瞬、動きを止めた。
「ア……ネス……」
かすかに違う声が聞こえた。公爵本人の意識だ。
「今です!」
レオンハルトが剣を振るう。それは公爵の心臓を外れた場所を貫いた。致命傷ではないが、ニヒルの力の一部を切り離すのに十分だった。
「くっ……邪魔が入ったか」
ニヒルの声が弱まる。公爵の体から黒い霧が立ち上り、形を失いつつある。
「今のうちに! 三人で!」
陽太の号令に、美咲と香織が力を合わせる。
「神域展開・時空浄化!」 「創世魔法・聖なる光!」 「魔眼解放・真理の炎!」
三つの力が公爵の体を包み込み、黒い霧を焼き払っていく。悲鳴と共に、ニヒルの存在が消えていった。
公爵の体は床に崩れ落ちた。レオンハルトが駆け寄る。
「まだ生きている……微かだが」
「治療が必要です」
陽太が言う。三人の力を使い果たし、疲労が押し寄せてきた。
塔から下りると、南門は何とか持ちこたえていた。デュラン侯爵と王国軍が敵を押し返し、門は再び固く閉ざされていた。
「なんとか持ちこたえた……」
レオンハルトが安堵の息をつく。しかし、喜ぶには早い。
「将軍、これは前哨戦に過ぎません」
陽太が言った。
「魔王軍の本隊はまだ到着していない。本当の戦いはこれからです」
三人は顔を見合わせた。裏切りは阻止したが、最大の試練はまだ先にあった。魔王軍との全面対決。そして、「混沌の門」の真実へと続く道。
夜が明けると、王都は本格的な戦争準備に入った。悲劇的な夜の出来事は、王国の団結を強める結果となった。裏切りの代償は大きかったが、その教訓をこれからの戦いに活かさねばならない。
そして陽太たちは、次なる決断を迫られていた。
3-5 エルフとドワーフの力
裏切りの一件から二日後、魔王軍の本隊はついに王都の城壁を目の前にした。城壁の上から見下ろすと、地平線まで黒く広がる軍勢の様子が見える。
「一万以上……いや、一万五千はいるだろう」
レオンハルト将軍が呟いた。彼の隣には、陽太、デュラン、そしてエルフのシルヴァーナが立っていた。
「王国軍は総勢七千。エルフの戦士が百」
デュランが状況を確認する。
「倍以上の差だ。普通なら勝機はない」
「しかし、我らには城壁がある」
レオンハルトが言う。
「それに……」
その時、北東の空に異変が起きた。空から何かが落下してくる音。
「あれは……?」
茶色の球体が次々と空から投下され、魔王軍の陣形に着弾する。爆発と共に、敵兵が吹き飛ばされていく。
「ドワーフの爆裂石だ!」
シルヴァーナが叫んだ。
城壁の東端に目を向けると、そこには奇妙な飛行船が近づいていた。巨大な風船に吊るされた木と鉄の船体。その上には、短い体躯と長い髭を持つ者たちの姿があった。
「ドワーフが来た!」
歓声が上がる。飛行船が城壁に接近し、太い声が響く。
「アルスティアの者たちよ! ドワーフの鉄山一族、到着したぞ!」
船から降りてきたのは、筋骨隆々としたドワーフの戦士たち。先頭に立つのは、赤い髭を豊かに蓄えた年配のドワーフだった。
「グロムハンマーだ。鉄山の王よ、我らエルフの名において歓迎する」
シルヴァーナが挨拶する。グロムハンマーは大声で笑った。
「シルヴァーナか! 久しいな、森の娘よ。お前の使者が来たときは驚いたぞ。エルフとドワーフが共闘するとはな!」
レオンハルトが一歩前に出て、頭を下げた。
「アルスティア王国軍総司令官、レオンハルト。援軍感謝する」
「礼など無用だ。混沌の門が開かれれば、世界が終わる。それは我らドワーフにとっても同じこと」
グロムハンマーは城壁の下に広がる敵軍を見た。
「たいした数だな。だが心配するな。我らは五百の戦士と、最高の兵器を持ってきた」
「兵器?」
陽太が尋ねる。グロムハンマーは誇らしげに胸を叩いた。
「爆裂石、蒸気砲、そして——最高傑作の鋼鉄巨人だ!」
彼が手を振ると、飛行船からさらに巨大な物体が吊り下げられた。それは三階建ての建物ほどもある、巨大な人型の機械だった。
「鋼鉄巨人『ドルムガード』だ。蒸気と魔力結晶で動く、我が一族最高の傑作」
陽太は魔眼でその構造を見た。内部に複雑な歯車と配管、そして中心には強力な魔力結晶。
「素晴らしい……」
彼は感嘆の声を上げた。
こうして、三つの種族による共闘が実現した。人間、エルフ、ドワーフ。異なる文化と能力を持つ彼らが、共通の敵に立ち向かうことになった。
陽太たちは急いで作戦会議を開いた。城の大広間には、人間の将軍たち、エルフの長、ドワーフの王が集まっている。
「私の魔眼で確認したところ、魔王軍は三つの部隊に分かれています」
陽太が地図を広げて説明する。
「北側に飛行型の魔物部隊。東と西に重装歩兵。そして中央に、『虚無のニヒル』を中心とした精鋭部隊」
「城壁に集中攻撃をかけてくるだろう」
レオンハルトが予測する。
「各門への攻撃で防衛を分散させ、突破口を作る作戦だ」
「ならば、我らも三つの部隊で対応する」
デュランが提案する。
「エルフの弓兵たちには飛行型魔物への対処を。ドワーフには爆裂石と蒸気砲で東西からの攻撃を牽制してもらう。人間部隊は城壁全体の防衛を」
「『蒼翼』は?」
国王が尋ねる。陽太が答えた。
「私たちは機動部隊として、最も危険な場所に対応します。特に、ニヒルが率いる中央部隊には注意が必要です」
計画が了承され、各部隊への指示が出された。美咲と香織も作戦を確認し、自分たちの役割を理解した。
「あと一つ」
陽太が言う。
「魔王軍の真の目的は、王都の占領ではなく、私たち三人の捕獲です。そのため、私たちは常に共に行動し、互いを守り合います」
美咲と香織は頷いた。彼らの絆が、この戦いの鍵となるだろう。
会議の後、各自が最終準備に入った。城壁は強化され、兵器が配置される。エルフの弓兵たちは城壁の上に位置し、ドワーフたちは砦と城壁の間の広場に爆裂石と蒸気砲を設置していた。
陽太たちは城の高台から、最後の準備を見守っていた。
「明日の朝、彼らは攻撃を始めるでしょう」
陽太が言う。魔眼で敵陣を見れば、着々と準備が整えられているのが分かる。
「いよいよね……」
香織が空を見上げる。
「私たちがこの世界に来てから、もう一ヶ月近くか」
「早いわね」
美咲も同意した。
「異世界で戦うなんて、考えもしなかったけど」
「でも、この世界の人たちを守る理由はある」
陽太の言葉に、二人は頷いた。彼らが出会った人々——アリシア、レオンハルト、デュラン、そしてエルフやドワーフたち。皆、守るべき存在だった。
「それに」
陽太は続けた。
「魔王が私たちをこの世界に呼んだのなら、その理由を知る必要がある。そして、元の世界に戻る方法も」
「うん、絶対に勝とうね」
香織が明るく言った。
「ところで」
美咲が首を傾げる。
「ドワーフから、これを受け取ったのだけど」
彼女が取り出したのは、小さな丸薬だった。赤く輝いている。
「グロムハンマーが言うには、『闘志の薬』。服用すると一時的に力が倍増するそうよ」
「私にもくれた」
香織も同じ薬を取り出す。
「でも、副作用もあるって。使った後は、かなり消耗するらしい」
「最後の手段として取っておきましょう」
陽太も同じ薬を受け取っていた。エルフとドワーフは、彼らの力を信じ、協力してくれている。
その夜、城内は静かな緊張に包まれていた。兵士たちは明日の戦いに備え、休息を取っている。
陽太は眠れず、城壁の上を歩いていた。星空の下、遠くに敵陣の灯火が見える。
「眠れないか?」
振り返ると、シルヴァーナが立っていた。
「ええ、少し」
「人間は戦いの前、不安になるものだな」
「エルフは違うのですか?」
「我らも不安は感じる。だが、千年の寿命を持つ者として、別の視点も持っている」
シルヴァーナは星空を見上げた。
「この世界は幾度も危機を迎え、そして乗り越えてきた。今回も同じだろう」
「そう信じたいです」
「お前たち三人は特別だ。予言にある『天の三輪』。世界の行く末を決める存在」
陽太は黙って聞いていた。シルヴァーナは続ける。
「だが、予言は未来を決定付けるものではない。お前たちには選択肢がある」
「何を選べばいいのでしょうか」
「それは私には分からない。だが、心に従えば良い」
シルヴァーナは優しく微笑んだ。彼女の姿は月明かりの下、神秘的に輝いていた。
「今夜はよく休め。明日は長い一日になるだろう」
彼女はそう言って去っていった。陽太は再び星空を見上げる。二つの月が並んで輝いている。
(元の世界には、一つの月しかなかった)
不思議な気持ちだ。この世界での戦いが、彼の人生を大きく変えていた。
宿舎に戻ると、美咲と香織がまだ起きていた。彼らは無言で互いを見つめ、やがて笑顔になった。
「明日は頑張ろうね」
「ええ、必ず勝ちましょう」
三人は固く手を握り合った。明日の戦いが何をもたらすにせよ、彼らは共に立ち向かう。そして、この世界の未来と、自分たちの帰路を切り開くのだ。
3-6 大規模防衛戦
夜明け前、城壁の上では既に兵士たちが警戒態勢を取っていた。遠くの地平線が薄紅色に染まり始め、新たな一日の到来を告げている。
「来るぞ」
レオンハルト将軍が低い声で言った。
東の空が明るくなるにつれ、魔王軍の姿がはっきりと見えてきた。黒い大軍が、まるで暗い波のように動いている。
「全軍、戦闘準備!」
号令が城壁に響き渡る。弓兵たちが弓を構え、魔導師たちが杖を掲げる。エルフたちは特に緊張した面持ちで、彼らの魔法弓を手に取っていた。
「蒼翼」も城壁の一角に位置していた。陽太は魔眼で敵陣を詳細に観察する。
「敵は予想通り、三方向からの攻撃を仕掛けてきます。北側の飛行部隊が最初に動くでしょう」
美咲と香織も戦闘準備を整えていた。エルフとドワーフから受け取った宝玉をそれぞれ身につけ、力の増幅を感じていた。
「東と西からは攻城兵器を使ってくる。おそらく、魔力で強化された投石機や、魔物を使った破壊工作だ」
「中央部隊は?」
デュランが尋ねる。
「まだ動きません。ニヒルは様子を見ているようです」
「奴は慎重だな」
その時、地響きがして、魔王軍の前線が動き始めた。
「来た!」
北の空から、無数の翼を持つ魔物が飛来する。グリフォン、ガーゴイル、巨大な蝙蝠、そして人型の翼を持つ堕天使のような存在。
「エルフ部隊、発射準備!」
シルヴァーナの号令に、エルフの弓兵たちが弓を構えた。彼らの弓には魔力が込められ、青白い光を放っている。
「放て!」
数百の矢が一斉に放たれ、空を飛ぶ。緑の光の尾を引く矢は、驚くべき精度で標的を射抜いていく。
飛行魔物の最前列が次々と墜落していくが、後続がそれを乗り越えて押し寄せてくる。
「東西にも敵影!」
東と西の門前に、巨大な攻城兵器が押し寄せてきた。魔力で強化された投石機から、巨岩が放たれる。
「ドワーフ部隊、応射!」
グロムハンマーの号令で、ドワーフたちの蒸気砲が火を噴いた。轟音と共に、特殊な砲弾が敵陣に着弾する。爆発の煙が上がり、敵の攻城兵器が次々と破壊されていく。
「おお! 流石はドワーフの技術だ」
レオンハルトが感嘆の声を上げる。
しかし、魔王軍の数は圧倒的だった。破壊された攻城兵器の代わりに新たなものが押し寄せ、墜落した飛行魔物の隙間を埋めるように次の部隊が飛来する。
「敵の数が尋常じゃない……」
デュランが呟く。
「北側が厳しいな!」
レオンハルトが指摘する。確かに、北門上空では飛行魔物がエルフの防衛線を突破しつつあった。
「私たちが行きましょう!」
陽太が言う。三人は急いで北門へと向かった。
北門に到着すると、既に数体の飛行魔物が城壁内に侵入していた。エルフたちは懸命に戦っているが、数に押されつつある。
「神域展開・重力崩壊!」
美咲の神域が空中に広がり、飛行魔物の多くが急に墜落し始めた。重力の変化に対応できず、地面に叩きつけられるのだ。
「創世魔法・光の嵐!」
香織の力で、空中に無数の光の矢が形成され、残りの飛行魔物を撃墜していく。
「見事だ!」
シルヴァーナが感嘆する。
しかし、その時、陽太の魔眼が新たな脅威を捉えた。
「注意して! 東門が危険です!」
三人は急いで東門へと移動した。そこでは、ドワーフたちが苦戦していた。魔王軍の一部が地面を掘り進み、城壁の下から侵入を図っていたのだ。
「地底魔獣だ!」
グロムハンマーが叫ぶ。モグラのような巨大な魔物が、地中から飛び出してきた。
「創世魔法・大地の槍!」
香織の力で、地面から巨大な石の槍が生え、地底魔獣を次々と貫いていく。
しかし、破壊されたモグラの体から、小さな魔物が無数に飛び出してきた。それらは素早く兵士たちに取りつき、力を奪っていく。
「神域展開・浄化の風!」
美咲の神域から青い風が吹き、小さな魔物たちを吹き飛ばした。
「魔眼解放・真実の炎!」
陽太の目から金色の炎が放たれ、残りの魔物を焼き尽くした。
「ありがとう、若者たち!」
グロムハンマーが大声で礼を言う。
戦いはさらに激しさを増していった。南門でも攻撃が始まり、「蒼翼」は常に前線と前線の間を駆け回り、危機的状況を打開していった。
正午を過ぎた頃、ようやく敵の勢いに陰りが見え始めた。城壁は守られ、侵入した敵は撃退された。
「少し持ちこたえられそうだな」
レオンハルトが言う。しかし、その表情は依然として厳しい。
「だが、これはまだ前哨戦に過ぎない。彼らの本隊、特にニヒルはまだ動いていない」
「恐らく、夕方か夜に本格攻撃を仕掛けてくるでしょう」
陽太が予測する。
「その前に、体力を回復させておかねば」
美咲と香織も同意した。彼らは短時間の休息を取ることにした。
食事をとりながら、三人は今日の戦況を振り返っていた。
「敵の数は予想以上だけど、エルフとドワーフの力で何とかなってるわね」
美咲が言う。
「うん、あの鋼鉄巨人『ドルムガード』なんてすごいよね! 魔物を次々と踏みつぶしてた」
香織が興奮気味に話す。ドワーフの巨大兵器は、今日の戦いで大活躍していた。
「気になるのは、中央部隊が動かないことです」
陽太が思案顔で言う。
「ニヒルは何か別の計画を持っているかもしれない」
「罠かしら?」
美咲が眉をひそめる。
「城内に別の裏切り者がいるとか?」
「それも考えられますが……」
陽太が言いかけたその時、突然の爆発音が轟いた。
「何!?」
三人は即座に外に飛び出した。南門の方角から、煙が上がっている。
「行こう!」
彼らが南門に到着すると、そこは既に混乱状態だった。門の一部が破壊され、そこから魔王軍の精鋭部隊が侵入しつつあった。
「どうなっている!?」
陽太がレオンハルトに尋ねる。
「奇襲だ! 地下から魔導爆弾を仕掛けられていた!」
門の防衛を担当していた騎士たちは奮戦していたが、侵入してくる敵の勢いは激しい。
そして、侵入部隊の中央に、黒いローブを纏った人影があった。
「ニヒル……!」
美咲が息を呑む。虚無の将、魔王四天王の最後の一人が、ついに姿を現したのだ。
「防衛線を固めろ!」
レオンハルトが叫ぶ。兵士たちが集結し、盾の壁を作る。
「神域展開・絶対防壁!」
美咲の神域が広がり、破壊された門を覆う青い壁を形成した。
「神域か……懐かしい力だな」
ニヒルの声が低く響く。彼は手を掲げた。
「だが……」
黒い霧が彼の腕から伸び、美咲の神域を侵食し始める。
「私の前では無意味だ」
「くっ……!」
美咲の神域が徐々に溶けていく。
「創世魔法・閃光弾!」
香織が強烈な光を放ち、ニヒルの視界を奪う。
「魔眼解放・真実顕現!」
陽太の目が金色に輝いた。ニヒルの姿が、魔眼には透けて見える。
「あれは……幻影?」
陽太が驚いた声を上げる。
「前方のニヒルは偽物です! 本物は——」
言い終わる前に、彼らの背後から黒い影が現れた。
「見抜いたか」
本物のニヒルが静かに言う。
「だが遅い」
彼の手が美咲と香織に向けられる。黒い霧が二人を包み込もうとした。
「美咲さん、香織さん!」
陽太が叫ぶ。しかし、その瞬間——
「蒸気砲、発射!」
グロムハンマーの声と共に、轟音が響いた。ドワーフの砲撃がニヒルの方向に直撃する。
「神域展開・空間跳躍!」
美咲が神域を使って、三人をその場から瞬間移動させた。
「風よ、我らに力を」
シルヴァーナの呪文で、エルフたちの矢が雨のように降り注ぐ。
「くっ……」
ニヒルは一時撤退を余儀なくされた。
状況は刻々と変化していく。南門からの侵入者は押し返されたが、他の門でも戦闘が激化していた。
「全ての門が同時に攻撃されている!」
レオンハルトが報告する。
「これは陽動ではなく、本格的な総攻撃だ」
陽太は王都の全体を魔眼で見渡した。
「東門が最も危険です。ドルムガードも苦戦しています」
三人は東門へと急いだ。途中、負傷した兵士や、焼け落ちる建物を目にする。戦いは激しさを増していた。
東門に到着すると、そこではドワーフの鋼鉄巨人ドルムガードが、巨大な魔物と死闘を繰り広げていた。
地面を揺るがす振動と共に、二体の巨人が激突する。ドルムガードは蒸気を吹き上げながら、魔物の体を掴み投げ飛ばした。
「グロムハンマー王、大丈夫ですか?」
陽太が尋ねる。グロムハンマーは顔に傷を負いながらも、力強く頷いた。
「何とかなる! だが、魔物の数が尋常じゃない。特にあの『魔神獣』は厄介だ」
彼が指し示したのは、四本の腕と二つの頭を持つ、巨大な獣型の魔物だった。
「私が止めます」
香織が前に出た。
「創世魔法・天空の鎖!」
彼女の力で、空から巨大な光の鎖が降り注ぎ、魔神獣を拘束する。
「いけドルムガード!」
グロムハンマーの号令に、鋼鉄巨人が腕を振り上げる。蒸気の力を利用して、巨大な拳が魔神獣の頭を直撃した。
魔物は咆哮を上げたが、完全に倒れることはなかった。むしろ、さらに凶暴化したようだ。
「この魔物、生命力が強すぎる」
美咲が指摘する。
「魔眼解放・弱点探知!」
陽太の目が光り、魔神獣の体の構造が見えてきた。
「胸の中央に魔力の核があります。それを破壊しないと倒せません」
「核か……だが、あの硬い皮を貫くには」
「私の神域と香織さんの創世魔法を合わせれば」
美咲と香織が互いに顔を見合わせた。
「神域展開・時空圧縮!」
美咲の神域が魔神獣の周囲に展開され、空間そのものが歪みはじめる。魔神獣の体が少しずつ収縮し、その胸部に亀裂が走る。
「創世魔法・光の剣!」
香織の力で、巨大な光の剣が形成された。それはまるで天から降り注ぐ審判の剣のようだった。
「今だ!」
光の剣が魔神獣の胸を貫き、内部の魔力の核を直撃する。
轟音と共に、巨大な魔物が崩れ落ちた。その胸からは黒い魔力が噴出し、やがて体全体が光の粒子となって消えていった。
「やった……!」
香織が安堵の声を上げる。しかし、その喜びも束の間だった。
「注意して! 全方位から!」
陽太の魔眼が察知した。城壁のあちこちから、敵が侵入し始めていた。
日が傾きかけたその時、戦いは最も激しい局面を迎えていた。魔王軍は全力で攻め込み、王国軍とその同盟者たちは最後の抵抗を続けていた。
「このままでは持たない……」
レオンハルトが呟いた。彼の顔は疲労で青ざめ、鎧は血と汚れで覆われている。
デュラン侯爵も同様だった。彼は左腕に深い傷を負いながらも、剣を手放さない。
「撤退か……?」
「いえ」
陽太が前に出た。
「まだ諦める時ではありません。敵にも消耗があります。特に中央部隊、ニヒルの姿が見えない」
「奴は何を企んでいる?」
「おそらく、『混沌の門』です。私たちを捕らえるための準備をしているのでしょう」
「なら、あいつを直接叩くべきだな」
グロムハンマーが提案する。
「ニヒルを倒せば、軍は崩壊するだろう」
「でも、どこにいるか分からないのでは?」
シルヴァーナが疑問を呈する。
「私の魔眼で探します」
陽太が決意を固めた表情で言う。
「魔眼解放・世界把握!」
彼の目が、これまでにない輝きを放った。視界が一気に拡大し、王都全体、そして周辺の状況まで見渡せるようになる。
「見つけました。城の南、約500メートルの場所に特殊な魔法陣が展開されています。そこにニヒルの姿が」
「よし、突撃だ!」
レオンハルトが命令しようとしたが、陽太が制した。
「待ってください。これは罠かもしれません。『蒼翼』だけで行きます」
「危険すぎる」
デュランが心配する。
「ニヒルは四天王最強。それに、魔法を無効化する能力を持つ」
「だからこそ、私たちが行くべきなんです」
美咲が言った。
「私たちが魔王の目的なら、ニヒルも私たちを生け捕りにしようとするでしょう。それを逆手に取って」
「罠に対して、罠を仕掛ける」
香織が続けた。
「わたしたちも、少し策を用意してるの」
三人の表情に強い決意が表れていた。レオンハルトとデュランは、一瞬躊躇した後、頷いた。
「分かった。だが、援軍は近くに待機させる」
「お願いします」
陽太が感謝の意を示す。
「エルフの祝福を」
シルヴァーナが三人の額に触れる。彼女の指から緑の光が流れ込み、疲れが少し和らいだ。
「ドワーフの力も受けるがいい」
グロムハンマーが三つの小瓶を差し出した。赤い液体が入っている。
「『闘士の薬』だ。最後の力が必要なとき、飲むがいい」
三人は感謝し、薬を受け取った。そして、覚悟を決めて南へと向かった。
陽太、美咲、香織。彼らの足取りは重かったが、確かな決意に満ちていた。この戦いの結末が、王国の命運を、そして彼ら自身の運命をも左右することになる。
夕暮れの空が赤く染まり、激しい戦いの一日が終わりに近づいていた。しかし、最も重要な戦いはこれからだった。
3-7 真実の光
南城壁を抜け、荒れ果てた野原を進む三人。周囲には戦闘の痕跡が残り、魔物の死骸や破壊された兵器が散乱していた。
「あと300メートルです」
陽太が魔眼で前方を確認する。
「魔法陣はますます強く輝いています。間違いなく『混沌の門』の準備でしょう」
三人は足を止め、最終確認をした。
「計画通りに行きましょう」
美咲が言う。
「私が神域で時間を操作し、香織さんが創世魔法で囮を作る。そして陽太くんが魔眼でニヒルの弱点を見つける」
「おそらく彼は私たちの能力を封じてくるでしょう」
陽太が付け加える。
「だから、最初から全力は出さないで」
香織は頷き、ピュルの頭を撫でた。小竜は今や犬ほどの大きさになっていた。
「ピュル、危なくなったら逃げるんだよ」
「キュルル」
ピュルが答えるように鳴いた。
「行きましょう」
三人は前進を続けた。やがて、丘を越えると、そこには驚くべき光景が広がっていた。
直径100メートルはあろうかという巨大な魔法陣が地面に描かれ、紫色の光を放っている。その中央には黒いローブを纏ったニヒルが立ち、呪文を唱えていた。
魔法陣の周囲には、数十名の魔王軍兵士が警備についていた。
「予想通り、彼らは私たちを待っている」
陽太が呟く。
「では、計画通りに」
美咲が小さく頷いた。
彼らが姿を現すと、魔王軍の兵士たちが即座に気づき、武器を構えた。しかし、ニヒルは手を上げて、彼らの動きを制した。
「来たか、『蒼翼』よ」
ニヒルの声は低く、しかし遠くまで届いた。
「待っていたぞ」
「何をしているんですか、ニヒル」
陽太が問う。
「見ての通り、『混沌の門』を開く準備だ。そして、そのためにはお前たち三人が必要なのだ」
「私たちが必要? どういうことです」
「世界を越える力を持つ三つの存在——時を操る者、物を創る者、真実を見る者。古の予言にある『天の三輪』よ」
美咲が警戒しながら尋ねた。
「なぜ私たちが必要なの? あなたたちには充分な力があるはずでしょう」
「我らの力だけでは不十分だ。異なる世界からの力、それもお前たちのような特殊な存在の力が必要なのだ」
「だから私たちをこの世界に呼んだの?」
香織が声を上げる。ニヒルは低く笑った。
「その通り。魔王様の計画は完璧だった。予言にある三つの力を持つ者を別の世界から召喚し、その力を『混沌の門』に注ぎ込む」
陽太の表情が変わった。
「それで私たちが異世界に来た理由が分かった。でも、なぜ『混沌の門』を開こうとしているのですか?」
「その先にあるものを手に入れるためだ」
ニヒルの声が湿った。
「『創造の源』——すべての世界を創り出すエネルギー。それを手にした者は、神にもなれる力を得る」
「神になる?」
「その力で、世界を作り変える。すべての苦しみ、争い、不平等を無くし、完璧な世界を創る」
「だからって、現在の世界を犠牲にしていいの?」
美咲が怒りをにじませる。
「『混沌の門』が開けば、この世界は崩壊する。そんな代償を払ってまで、新しい世界を作る必要があるの?」
美咲の声には怒りがこもっていた。ニヒルはゆっくりと頭を振った。
「既存の世界が滅びるのは避けられない。だが、その犠牲なしに新たな完璧な世界は生まれない。創造のためには、破壊が必要なのだ」
「それは間違っている」
陽太が一歩前に出た。
「世界をより良くするために闘うのなら、現在の世界から変えていくべきです。他の誰かの犠牲の上に築く理想など、理想とは呼べない」
「理想論だ」
ニヒルが冷たく言い放つ。
「数千年、いや数万年の間、世界は戦い続けてきた。種族は種族を憎み、国は国と争う。そんな世界を少しずつ変えられると思うのか?」
「だとしても、全てを滅ぼすことが答えではない」
香織も声を上げた。
「この世界には、素晴らしいものがたくさんある。エルフやドワーフ、そして人間たちの絆。そういうものを犠牲にしてまで欲しい未来なんて、私はいらない!」
ニヒルは静かに二人を見つめた。
「議論は無意味だ。お前たちの意見など関係ない。必要なのは、お前たちの力だけだ」
彼が手を上げると、魔法陣がさらに強く光り始めた。
「さあ、抵抗せず魔法陣の中に入れ。そうすれば、痛みは最小限で済むだろう」
三人は互いに視線を交わした。
「行くわよ」
美咲の小さな合図で、計画が始まった。
「神域展開・時間分岐!」
美咲の神域が展開され、周囲の時間の流れが乱れ始めた。しかし、彼女はわざと力を抑え、ニヒルに対抗しているように見せかけていた。
「創世魔法・分身の術!」
香織の力で、三人の幻影が次々と現れる。十数体の分身が四方に散らばり、敵兵を混乱させる。
「魔眼解放・真実顕現!」
陽太の目が金色に輝いた。彼も全力は出さず、あくまでニヒルに対抗する姿勢を見せる。
「愚かな抵抗だ」
ニヒルが黒い霧を放ち、美咲の神域を侵食していく。彼女は意図的に防御を崩し、弱さを装った。
「くっ……」
香織の分身も次々と消されていく。
「このまま捕まるフリをして、彼の懐に入るわよ」
美咲が小声で指示を出す。三人は少しずつ後退しながら、魔法陣に近づいていった。
「そうだ、抵抗は無駄だと理解したようだな」
ニヒルは満足げに言った。魔法陣の光が三人を引き寄せる。
「ふふ……騙されたな」
ニヒルが突然冷笑した。
「お前たちの計画など見透かしている。私の前で芝居を打つとは」
「何!?」
黒い霧が爆発的に広がり、三人を取り囲んだ。霧は彼らの能力を完全に封じ込め、動きを制限する。
「魔力消去の力を最大限に高めておいた。今のお前たちには抵抗する力もない」
三人は身動きが取れなくなった。ニヒルの力は予想以上だった。
「すまない、二人とも……」
陽太が呟く。計画は失敗したようだ。
ニヒルは魔法陣の中央へと三人を引きずり込んだ。
「これで『混沌の門』が開く。お前たちの力が、新たな世界の創造を可能にする」
彼が詠唱を始めると、魔法陣から柱のような光が立ち上り、空へと伸びていった。三人の体からも、それぞれ青、赤、金色の光が引き出され始める。
「うっ……!」
激しい痛みが三人を襲う。彼らの力が強引に抽出され、魔法陣へと流れ込んでいく。
「このままでは……」
美咲が痛みに顔を歪めながらも、決して諦めない表情を見せる。
「最後の手段よ」
彼女がポケットからドワーフの「闘士の薬」を取り出した。他の二人も同じく薬を手に取る。
「飲むわよ!」
三人が同時に赤い薬を飲み干した。
一瞬の静寂の後、彼らの体から爆発的なエネルギーが放出された。
「何だと!?」
ニヒルが驚愕の声を上げる。三人の体が、それぞれの色の光に包まれ、彼の黒い霧を押し返し始めた。
「これが……エルフの祝福とドワーフの力が合わさった効果」
陽太が力を取り戻した声で言う。
「神域展開・絶対領域!」
美咲の神域が再び広がり、今度はニヒルの魔力消去の力さえ押し返していく。
「創世魔法・真なる姿!」
香織の体が光に包まれ、ピュルと融合する。彼女は半人半竜の姿となり、輝く翼を広げた。
「魔眼解放・世界の真理!」
陽太の目が太陽のように輝き、魔法陣の構造そのものが見えてきた。
「あそこだ……魔法陣の弱点! 魔法陣の北、東、西の三箇所を同時に破壊すれば、流れが逆転する!」
三人は瞬時に行動した。
美咲が北へと跳び、神域で魔法陣の一部を切り裂く。
香織は翼で舞い上がり、東の位置から創世魔法の光を放った。
陽太は西へと駆け、魔眼から放たれる金色の炎で魔法陣を焼き切った。
「やめろおおお!」
ニヒルの絶叫が響く。魔法陣のパターンが崩れ、紫の光が不安定になる。
「何をした!?」
「魔法陣を書き換えました」
陽太が答える。
「『混沌の門』は開きますが、あなたの望む方向ではなく……元の世界への扉として」
「そんな……!」
魔法陣の中央から、巨大な渦が形成され始めた。それは確かに異世界への扉だったが、ニヒルの意図した方向ではない。
「この流れなら、私たちの世界に戻れるはずです」
陽太は確信を持って言った。三人の力が調和し、渦は安定し始める。
「許さん……!」
ニヒルが最後の力を振り絞り、渦に向かって飛びかかった。
「神域展開・時間停止!」
美咲の神域がニヒルを捉え、その動きを固定する。
「創世魔法・光の審判!」
香織の力で、天から巨大な光の柱が降り注いだ。
「魔眼解放・真理の炎!」
陽太の目から放たれる炎が、ニヒルの体を包み込む。
三つの力が一つになり、ニヒルに注がれる。彼の黒いローブが裂け、中の姿が露わになった。
そこにいたのは、予想外の存在だった。
「これは……」
年老いた男性の姿。白髪交じりの髪に、疲れた表情。しかし、その目には強い意志が宿っている。
「私は……アルザリア帝国の最後の皇帝だ」
彼の声は、もはやニヒルのものではなかった。
「千年前、世界大戦で滅んだ帝国。私は魔法で命を繋ぎ、新たな世界の創造を目指していた」
「だから『混沌の門』を……」
「そうだ。過去の過ちを正し、理想の世界を創るために」
彼の体が徐々に崩れていく。光の粒子となって散っていくその姿に、三人は言葉を失った。
「私は失敗したが……いつか、誰かが……真の平和を……」
最後の言葉を残し、かつての皇帝は消えた。
魔法陣の渦は安定し、その向こうには懐かしい風景が見える。蒼城学園の校庭だ。
「帰れる……」
香織が呟いた。
「でも……」
美咲が周囲を見回す。戦場となった王国、そしてまだ終わっていない戦い。
「このまま帰っていいの?」
三人は言葉を交わさなかったが、思いは同じだった。
「魔王軍はまだ王都を包囲している。しかも、元は千年前の皇帝だったとはいえ、ニヒルを倒しただけでは終わらない」
陽太が状況を整理する。
「渦は安定しています。しばらくは開いたままでしょう」
「じゃあ、王都に戻りましょう」
美咲が決意を固めた。
「この戦いを終わらせてから、帰るべきか判断しましょう」
三人は頷き合い、王都へと引き返した。
道中、彼らの頭の中には様々な思いが巡っていた。元の世界に戻る道が開かれた今、彼らはどうするべきか。
王都に到着すると、まだ戦闘は続いていたが、魔王軍の勢いに陰りが見えていた。敵兵の多くが混乱し、指揮系統が乱れているようだった。
「ニヒルが消えたからか……」
陽太が察する。四天王最後の一人が倒れたことで、魔王軍の士気は大きく低下していた。
城壁を登り、レオンハルト将軍を見つけた。
「将軍、ニヒルは倒しました!」
「何!? 本当か!?」
レオンハルトは疲労困憊した姿だったが、その目に希望の光が灯った。
「敵軍の混乱は、それが原因だったのか。今が反撃のチャンスだ!」
彼は即座に号令を発し、全軍に総攻撃を命じた。
エルフの弓兵たち、ドワーフの兵器、そして王国軍が一斉に動き出す。勢いづいた同盟軍は、魔王軍を押し返し始めた。
「蒼翼」も最後の力を振り絞って戦いに参加した。美咲の神域、香織の創世魔法、陽太の魔眼。三つの力が、最後の戦いで輝きを放つ。
深夜までには、魔王軍の大部分が撤退し始め、王都の安全は確保された。完全な勝利ではないが、少なくとも今夜の危機は去ったのだ。
城の大広間には、三つの種族の指導者たちが集まっていた。
「ニヒルの正体が千年前の皇帝だったとは……」
国王は驚きの表情で言った。
「混沌の門を通じて神になり、世界を作り変えようとしていたとは」
「おそらく彼の下にいた者たちも、その計画を知らなかったでしょう」
陽太が推測する。
「魔王と呼ばれる存在も、実は別の姿なのかもしれません」
「だが、問題は残っている」
レオンハルトが言う。
「魔王軍はまだ存在し、北の領土の多くを支配している。この戦いは終わっていない」
「そして」
シルヴァーナが静かに言った。
「混沌の門は開かれたままです。あなたたちの世界へ続く扉が」
三人は顔を見合わせた。決断の時が来たのだ。
「陽太くん、どうする?」
美咲が尋ねる。陽太は深く考え込んだ。
「私たちには二つの選択肢があります。今、元の世界に戻るか、それともこの世界の戦いを最後まで見届けるか」
「もし戻るなら、今がチャンスね」
美咲が言う。
「でも、残された人たちは……」
香織の表情には迷いがあった。
「我らはお前たちの助けに感謝する」
国王が前に出て言った。
「だが、これはもともとお前たちの戦いではない。故郷に戻る道が開かれたのなら、それを選ぶのは自然なことだ」
「そうだ」
デュランも同意した。
「お前たちはすでに十分すぎるほど貢献してくれた。四天王を倒し、王都を救った。これ以上の犠牲を払う必要はない」
「考える時間が欲しいです」
陽太が言う。国王は頷き、三人に休息を取るよう勧めた。
彼らに与えられた部屋で、三人は静かに向き合った。
「どうする?」
香織が最初に口を開いた。
「もちろん、家に帰りたい気持ちはある。でも、ここで出会った人たちのことを考えると……」
「私も同じよ」
美咲が窓から夜空を見上げる。
「でも、私たちには元の世界での責任もある。家族や友人たちが心配しているはず」
陽太は両手で顔を覆い、深く考え込んでいた。
「魔法陣の状態から判断すると、混沌の門はあと数日は開いたままでしょう」
彼は静かに言った。
「だから、もう少し時間がある。明日、敵の状況を確認してから決めるというのはどうでしょう」
二人は同意し、その夜は疲れた体を休めることにした。
翌朝、思わぬ訪問者が彼らの部屋を訪れた。黒いローブを纏った人物——ザイオンだった。
「驚かせるつもりはない」
彼は両手を上げ、敵意がないことを示した。
「何しに来たの?」
美咲が警戒の姿勢を取る。
「情報を伝えに来た。魔王……いや、闇の皇帝は死んだ」
「何?」
三人が驚く。
「ニヒルが倒され、混沌の門が目的と違う方向に開かれたとき、魔王は激怒し、魔力の暴走を起こした。その結果、自らの体を焼き尽くしてしまった」
「それじゃあ、魔王軍は?」
「分裂している。多くは撤退し、元の領地に戻った。この戦いは、実質的に終わったも同然だ」
陽太は魔眼でザイオンの言葉の真偽を確かめようとしたが、彼の内面は読み取れなかった。
「なぜ私たちにそれを?」
「私自身、千年前の皇帝の野望に従っていただけだ。彼が死に、魔王も消えた今、私たちに理由はない」
ザイオンは窓の方へと歩み寄った。
「選択はお前たちにある。故郷に戻るか、この世界に残るか」
彼は窓から外を見て、静かに言った。
「どちらを選んでも、お前たちの物語は続く。ただ、違う世界でね」
そう言うと、ザイオンは黒い霧となって消えた。
三人は言葉を交わさずとも、心は一つになっていた。
「レオンハルト将軍に報告しましょう」
陽太が言った。
彼らがザイオンの情報を伝えると、王国軍は直ちに哨戒隊を送り、状況を確認した。数時間後、報告が戻ってきた。
「魔王軍の主力部隊は確かに撤退しています。北部の占領地も、次々と解放されつつあります」
レオンハルトは安堵の表情で伝えた。
「信じられんな。これほど早く終わるとは」
デュランが驚きの声を上げる。
「四天王が全て倒れ、魔王も消えた。魔王軍の兵士たちにとって、もはや戦う理由がないのだろう」
「では、もう危機は去ったのね」
美咲が確認する。
「少なくとも当面は。残党の掃討と北部の再建には時間がかかるだろうが、王国の存亡の危機は脱した」
国王は「蒼翼」に向き直った。
「そなたたちの功績は計り知れない。アルスティア王国の歴史に永遠に刻まれるだろう」
三人は感謝の言葉を受け、そして最終的な決断を告げた。
「私たちは元の世界に戻ることにしました」
陽太が静かに言った。
「この世界での戦いは終わりました。そして、私たちにも帰るべき場所があります」
国王は悲しげな表情を浮かべつつも、理解を示した。
「そなたたちの決断は尊重する。だが、忘れないでほしい。ここにも、そなたたちの居場所はあるということを」
城の大広間では、エルフ、ドワーフ、そして人間たちが集まり、盛大な送別会が開かれた。
「また会えるだろうか」
シルヴァーナが美しい微笑みを浮かべる。
「世界が違えど、心はつながっている」
「そうだ!」
グロムハンマーが大声で言った。
「ドワーフの交わした友情は、世界を超えても続くものだ!」
レオンハルトとデュランは、三人に敬礼した。
「「蒼翼」の名は、永遠に語り継がれるだろう」
アリシアは涙を浮かべながら、三人を抱きしめた。
「あなたたちと戦えて光栄でした」
夕暮れ時、「蒼翼」は最後の旅に出発した。混沌の門のある南の丘へと向かうのだ。
彼らが丘に着くと、魔法陣はまだ輝いていた。その中央には渦が開いており、向こう側に蒼城学園の姿が見える。
「本当に帰れるのね」
香織が感動に声を震わせる。
「ああ。でも」
陽太は振り返り、王都を最後に見つめた。
「この世界での体験は、決して忘れません」
「私たちの記憶の中で、永遠に生き続けるわ」
美咲が付け加えた。
三人は手を取り合い、渦の前に立った。
「行こう、家に」
そして彼らは一歩を踏み出し、光の中へと消えていった。
後に残されたのは、ゆっくりと閉じていく混沌の門と、彼らが残した数々の伝説。
「蒼翼」が去った後も、彼らの名は長く語り継がれ、「最弱記録係、異世界で最強の軍師になる」という物語となって、世代から世代へと伝えられていくことだろう。
そして、三人が元の世界に戻った後の物語も、また別のページで始まることになる。
---
第3章「同盟と裏切り」は、こうして幕を閉じた。陽太、美咲、香織の三人は、エルフとドワーフという新たな同盟者を得て、魔王軍との決戦に臨んだ。裏切り者の存在という困難を乗り越え、ついに「混沌の門」の真実を明らかにし、魔王の計画を阻止することに成功した。
そして、元の世界への扉が開かれた今、彼らは帰路につく決断をした。しかし、この異世界での冒険が彼らにもたらした変化は、これからの人生に大きな影響を与えることだろう。
最弱記録係だった少年は、異世界で最強の軍師となり、そして再び元の世界へ——。物語はまだ終わらない。