悪夢のような現実
「携帯はないんだけど、テレビならあるよ?」
東明はそう言って、カウンター奥の壁に取り付けられた、年季の入った小型の壁掛けテレビを指差した。
「普段はスポーツ中継とか流してるんだ。これならニュースが見られると思うよ。」
「ナイスおじさん!」
リリサが勢いよく褒めると、東明は嬉しそうに笑いながらも、どこか複雑そうな表情を浮かべた。
「お、おじさん……って、まぁ否定はしないけどね。」
そのリアクションに少し吹き出しそうになる。確かに、おじさんと呼ばれてもおかしくない見た目だ。色々と“薄い”し。
――でも、今はそんなことどうでもいい。ナイスなアイデアなのは間違いない。
「ナイスだ、東さん。」
俺も素直に褒める。すると、東明は照れたように頬をかきながらも、まんざらでもなさそうに頷いた。
「それじゃあ、つけてみようか。ニュースのチャンネルは……えーっと、この時間だから……」
そう言ってカウンターの下からリモコンを取り出し、電源ボタンを押す。
カチッ。
画面がパッと光り、ざらついたノイズが一瞬走った後、ニュース番組が映し出された。
テレビ画面がちらつき、ノイズ混じりの音声が乗る。
『――緊急速報です』
キャスターの硬い声が、静まり返ったバーの空気を切り裂いた。
『今日、正午過ぎ、東京各地にて大規模なテロ事件が発生しました。黒い衣装を身にまとった集団が、東京各地に突如現れ、無差別な襲撃を行っています』
映し出された映像は――地獄だった。
崩れ落ちたビル、瓦礫の山、燃え上がる車両。
黒煙が空を覆い、街全体が灰色に染まっている。
その中を、黒い軍服を着た集団が無言で進む。手にした槍や剣が、逃げ惑う人々の背中を無慈悲に貫いていく。
「……っ」
リリサが小さく息を呑む。
東明も、固まったように画面を凝視していた。
『被害者はすでに5万人以上。現在も被害は拡大中です』
無機質なアナウンスが、心の奥を冷たくえぐる。
崩れ落ちた街、血で染まる道路、呻き声すらかき消す爆音――。
数時間前まで、俺たちもその「日常」にいたはずだった。
友人と笑い、通学路を歩き、ありふれた時間を生きていた。
なのに、今は……ただの焼け跡だ。
頭が理解を拒む。
だが、映像は無慈悲に現実を突きつける。
「……ここまで、だなんて……」
リリサの呟きが、場の静けさに沈む。
あの冷静沈着な彼女ですら、目を逸らした。
その事実が、逆に恐怖を際立たせる。
沈黙を破ったのは、東明の小さな声だった。
「……6.11事件……」
その言葉に、背筋がぞわりとする。
10年前、日本を震撼させた未曽有の大規模テロ。
だが、これは――あの事件を超えている。
いや、そもそも「テロ」なんて呼べるのか?
まるで戦争だ。
画面が再び切り替わる。
《新宿・上空中継》
今度は、ヘリコプターからの俯瞰映像だった。
崩壊したビル群、黒煙を上げる瓦礫の山、燃え上がる車両――。
地上には、黒い軍勢が蟻の群れのように広がっている。
ヘリのカメラは新宿全体を見下ろし、絶望的な光景を映し出していた。
「……あの男の仕業ね。まだ私たちを探しているのかしら」
リリサが低く呟く。
冷静を装ったその声も、わずかに震えていた。
いざ映像越しに見ると、あの赤毛の男――いや、“あの怪物”が、いかに異常な存在だったかを改めて実感する。
そして、あれがまだこの街のどこかにいる。
……俺たちを探しながら。
ぞくり、と背筋が冷たくなる。
『こちら新宿上空からの映像です。現在、現場の状況を確認――』
キャスターの声が映像にかぶさる、その瞬間――
ズズッ……!
カメラが激しく揺れた。
『……!? な、何だ……揺れて――』
中継の音声がノイズ混じりになり、機体が大きく傾く。
画面がブレて回転する中、偶然カメラがヘリの外側を捉えた。
そこに――何かがいた。
黒い影。
人影のようでありながら、その背中からは翼が映えている“異形の存在”。
ヘリのすぐ外、空中に浮かびながら並走している。
まるで重力を無視するかのように、滑らかに空間を滑っていた。
『な、なんだ!? 何かいるぞ!!』
リポーターのパニックに満ちた叫びが響く。
次の瞬間――
ズドォォォン!!!
信じられない光景が映し出された。
その影が、まるで空気すら斬り裂くかのように、素手でヘリの胴体を貫いたのだ。
金属が引き裂かれる悲鳴のような音。
内部で火花が散り、コックピットのガラスが粉々に砕ける。
『ぎゃあああああああああ!!!』
リポーターの絶叫。
画面がぐるぐると回転し、空とビル、黒煙と炎が入り乱れる。
視界が崩壊していく。
そして――
ヘリは真っ逆さまに墜落していった。
カメラが地面に激突する直前、最後に映し出されたのは――
黒い軍勢の兵士たちが、静かに上空を見上げている姿だった。
……ズズッ……バチッ……。
そこで、映像は途切れた。
数秒間の沈黙。
画面は慌ただしくスタジオへ戻る。
だが、そこも混乱していた。
『……じ、上空中継が途絶えました。ただいま確認を……』
キャスターの顔は真っ青だった。
背後ではスタッフたちがモニターに駆け寄り、怒号と混乱が入り混じる。
『あ、あの……新たな情報が入り次第、お伝えします……』
震える声で無理やり言葉をつなぐキャスター。
明らかに動揺しているのが、画面越しでも伝わってきた。
俺たちは、その衝撃的な映像に――ただ、言葉を失った。
不気味な沈黙が、バーの空気を支配する。
テレビの向こう、スタジオ内の騒然とした様子が徐々に落ち着きを取り戻していくのがわかる。
数秒後――
『……ただいま、情報が入ってまいりました!』
キャスターが緊迫した声で原稿を読み上げ始めた。
『政府はこの事態を重大な国家危機と認定し、E.S.T.Aの出動が要請されたことが、たった今発表されました!』
E.S.T.A――
その言葉に、リリサが僅かに眉をひそめる。
『また、陸上自衛隊および警視庁の特殊部隊が現場に派遣され、現在、民間人の避難誘導および救助活動が行われています』
映像は新たな現場へと切り替わり、銃を構えて警戒する自衛隊員や、必死に人々を避難誘導する警官たちの姿が映し出される。
『……市民の皆様は、速やかにお近くの避難所へ向かい、安全を確保してください』
キャスターの声が必死に呼びかける中、画面下には避難所のリストがスクロールされ続けている。
その情報が、かろうじて視聴者に「希望」を与えているかのようだった――だが。
――次の瞬間。
『ここが、“てれびきょく”ってやつ?』
キャスターとは明らかに違う、不気味なほど冷静な少女の声が、突然マイクに割り込んだ。
あまりにも唐突で、スタジオ内が一瞬だけ静まり返る。
『……だ、誰だお前は――』
戸惑いと困惑が混ざった男性の声が発せられた、その直後。
ズシャッ!
鋭く何かを切り裂く音。
続いて、喉を潰されたような苦しげな叫び声がマイク越しに響く。
『うぎゃあぁぁあああああ!!』
今度は、別の男の悲鳴。
恐怖と痛みに満ちた声が、スタジオ内の混乱を物語っていた。
『な、なにが……!? うわああああああああ!!』
物が倒れる音、駆け出す足音、誰かが滑り倒れる鈍い衝撃音。
マイクは、全てを容赦なく拾っている。
『い、いやぁ!! 死にたくない!! 誰か助けてぇぇぇ!!!』
懇願する声。
そして――
"グチャッ"
という生々しい音で、それも途切れた。
……シン……。
一瞬の静寂が、返って耳を刺す。
画面は依然として定点カメラのまま、スタジオの一角を映している。
カメラが捉えていない「向こう側」で、明らかに何かが起きている。
次の瞬間――
バシャッ!
鮮やかな赤が、カメラのレンズに飛び散った。
それが"何"なのか、説明するまでもない。
『ぎゃああああああああ!!』
『や、やめてくれ!!』
『あ、あああああ――!!』
耳を塞ぎたくなるような叫びと、肉が引き裂かれる音。
「ひ、ひどい……」
東明が震える声で呟き、手で口元を覆う。
「こんなことって……」
リリサも硬直したまま、青ざめた顔で画面を見つめていた。
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