未来商人ドクトル・サジタリウスと奇妙なカード
佐々木という男がいた。
年齢は30代半ば。大企業に勤め、毎日を平凡に過ごしていた。
朝起きて会社に行き、会議をこなして帰宅するだけの生活には、刺激がなかったが、大きな不満もなかった。
ある夜、佐々木は帰り道で妙な屋台を見つけた。
その屋台には、手書きの看板が掲げられている。
「サジタリウス未来商会」
薄暗い路地の奥で光る文字に興味を引かれ、佐々木は近づいていった。
そこには痩せた初老の男が座っていた。顔は細く、目は鋭い。だが、不思議な親しみを感じさせる微笑みを浮かべている。
「おや、ようこそ。未来を少し変えてみたくはありませんか?」
「未来を変える?」
「ええ。当店は『未来商会』。未来を形作るための道具や手段を販売しています。さあ、こちらをどうぞ」
男は小さな金属製のカードを差し出してきた。光沢のあるそれは、奇妙なデザインに満ちており、中央には「サジタリウス未来商会」のロゴが刻まれていた。
「これは何ですか?」
「簡単に言えば、未来を調整するためのツールです。このカードを使えば、さまざまな出来事を少しだけ望ましい方向へ動かせるのです」
「そんなことができるんですか?」
「もちろんです。ただし、使用には慎重を期してください。未来をいじり過ぎると、予期せぬ結果を招くこともありますから」
佐々木は迷ったが、好奇心に勝てなかった。
「では、試してみます」
その夜、カードを手に帰宅した佐々木は、さっそく使い方を試してみた。
カードの裏面には、使用法が書かれている。
「カードに触れると、未来の予測と指示が表示されます。それに従えば、未来が少しだけ調整されます」
半信半疑でカードに触れてみると、画面に文字が浮かび上がった。
「明日、会議の進行を変更すると成果が上がるでしょう」
佐々木は特に気に留めなかったが、次の日、会議の途中でふとカードの指示を思い出し、予定にはなかった話題を持ち出してみた。すると、取引先が大いに興味を示し、その場で新たな契約が成立したのだ。
「本当に未来を変えたのか……?」
彼は驚いたが、さらに試してみたくなった。
次の日、カードに触れると、また指示が表示された。
「右側の階段を使いなさい」
その通りにすると、彼の目の前で左側の階段を降りていた人が荷物を落とし、混乱が起きた。彼はそのトラブルを避けて無事に通り抜けることができた。
それ以降、佐々木はカードに頼るようになった。
「午後2時に駅前で人と話せ」
「これからの企画書には三つの案を盛り込みなさい」
「この土曜日は外出を避けなさい」
カードが示す通りに行動すると、物事が上手く進むことが増え、佐々木の人生は次第に快適になっていった。
だが、ある日、カードがとんでもない指示を出してきた。
「今夜、ある人物を止めなさい。さもないと未来が崩れます」
画面には「坂本浩一」という名前と、夜9時に駅前で会うようにとの指示が書かれている。
「未来が崩れる……?」
佐々木は恐る恐る駅前へ向かった。
夜9時、駅前にはスーツ姿の中年男性が立っていた。
胸元に名札があり、確かに「坂本浩一」と書かれている。
佐々木は心を決め、声をかけた。
「すみません、少しお話ししてもいいですか?」
坂本は驚きながらも応じた。彼は平凡な会社員で、帰宅途中だという。だが、話しているうちに、坂本が翌日にある重要な契約で致命的なミスを犯す可能性があることを知る。
「それは危険です。資料を確認し直してください」
佐々木は必死に伝えた。坂本は怪訝な表情を浮かべたが、最終的に佐々木の提案を受け入れた。
「ありがとう、君のおかげで助かるよ」
坂本は去っていった。
その後、佐々木がカードに触れると、こう表示された。
「未来の崩壊を回避しました」
佐々木は安堵したが、それと同時に恐怖も覚えた。自分の些細な行動が、どれほど大きな影響を及ぼすのかを知ってしまったからだ。
さらにカードの指示に従うたびに、佐々木は次第に自分がどんな未来を求めているのか分からなくなっていった。
ある日、ついに彼はカードをサジタリウスに返そうと決意した。
再び路地の屋台を訪れると、サジタリウスは静かに微笑んでいた。
「どうでしたか?未来の味は」
「怖いんです。カードが示す通りに行動していると、もう自分が何をしたいのか分からなくなる。だから返します」
サジタリウスは頷いた。
「分かりました。ですが、カードを手放すと、未来の混乱を防ぐ保証はありませんよ」
「それでもいい。自分で未来を選びたいんです」
サジタリウスはしばらく彼を見つめた後、静かに言った。
「未来を作るのは、カードではなくあなた自身です。どうぞ、そのことをお忘れなく」
彼はカードを返すと、深い解放感に包まれた。
その後、佐々木は自分の力で未来を作る生き方を選んだ。
あのカードの指示を手放したことで、失敗も増えたが、同時に小さな成功を自分の手で掴むことも増えた。
サジタリウスの屋台に再び出会うことはなかったが、彼の言葉は佐々木の心に深く刻まれていた。
「未来は誰にでも買えるものではない。だが、作り出すことは誰にでもできる」
【完】