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国崎 3

 逆側から見ると、ドアが開いている助手席もナトリウム灯のつくる影に包まれ、車中の様子はよく見えない。


「子供は――居ないみたいね」


 ドアを開けて外に出ようとする琴美を国崎は押し留める。


「まって。おかしいよ。あの辺に切れた腕があったはずなのに。運転席の人も居ないみたいだ」


 警察が対処した訳も無かった。もしそうだったらここは赤色灯や制服でごった返しているはずだ。

 そして国崎の意識は、黒い袋に囚われてゆく。


「ちょっと待ってて……俺見てくる」


 何か言いたげな彼女を、手の平で制し国崎はドアを開けた。暴風に体を揺すられながら、ひっくり返った車体にゆっくりと近づく。琴美が窓を開けて何か言っているようだったが、それも風にかき消されていった。

 車の腹に手を掛け、恐る恐る中を覗き込むが、やはり運転手も少女も見当たらなかった。


「なんでだ」


 国崎は運転席のシートを指で拭いながら呟いた。やはり血だ。国崎の疑問は確信に変わってゆく。見間違えや動転して幻覚をみた訳では無い。あの少女はどうしてあれを――。


 体はプログラムされたロボットのように動き、気がつけば黒いビニール袋に手をかけていた。重い物がそれに入れられていることはすぐにわかった。これを開けたが最後、とんでもないことに巻き込まれるぞ、と頭の中で冷静な自分が言う。しかし、指は勝手に柔らかいビニールに穴を穿ってゆく。


「隼人!」


 琴美の叫び声が、一瞬風に乗って届く。驚いて袋から手を引っ込め振り返ると、そこにあの少女が立っていた。国崎は大口を開け、尻餅をついた。


 その仏像のように半ば閉じられた目はやはり路面に落ち、長い髪とTシャツだけが、風に煽られている。

 その顔に釘付けになった国崎の視界の隅に、煽られよろけながら走ってくる琴美が映る。


「ねえ、大丈夫? 一人で居たの?」


 彼女は何の戸惑いも無く少女の肩にピンクのジャージをかけると、怪我を確認し始める。

少女は無表情で琴美のなすがままになっている。


「お前、どこから出てきたんだ!」


 かすれた声で怒鳴る国崎を目で制しながら、琴美は笑顔を少女に向けた。


「ごめんね、怪我は無いようだけど。この車に乗ってた人は? お母さん? 救急車来たのかな?」


 しかし少女は、ただ人形のように押し黙り、視線を合わせようともしない。


「いいわ、色々聞いても仕方ないね。とりあえず暖かいところに行こう。お話し出来るようになったら、お家まで送るからね」

「連れてくの? このガキを」

「他にどうするのよ」

「警察や病院に連れていったほうが……」

「だめ。だめよ! 家に連れてく」


 見たことの無いほど毅然とした表情で、琴美の目は国崎を見据える。そして少女の肩を抱き、真っすぐに車へと向かった。国崎も尻についた埃を払いながら立ち上がると、溜息をつく。


――いや、袋は。


 でも、何故かすぐにどうでもよく思えて来る。


 ――あれ開いて、ただのゴミだったら、もう目も当てられないじゃないか。


 そうさ、あんなもの放っておいて、と国崎は自分の考えに納得すると引き寄せられるように二人の後を追った。



「ええ、事故があったようで……ええ。車がひっくり返ってるんですよ。――えーっと、バイパスのガソリンスタンドを町側に……はいそうです。――それが、誰も乗ってなくてですね……わかりません。――はい、お願いします」


 国崎は、後部座席で警察に電話する琴美をバックミラー越しに覗いていた。まるで芝居を匂わせない口調に感心しつつも、その横に無表情のまま座っている少女から何か言葉が出ないかと固唾を呑む。

 電話を終えた琴美は、少女の顔の前で手をかざしながら国崎に同意を求めた。


「ショックで一時的にぼーっとなっちゃうことがあるって、確かネットでみた気がするの。この子もそうなんじゃないかな。ね?」

「……現実にこんななんだから。そうなのかも」

「家で暖かいココアでも飲ませればさあ、きっと――」

「いや」


 国崎は、エンジンを掛けると、事故車の横をすり抜け大通りを目指した。


「どこ行くの?」

「俺この子の家知ってんだ。っていうか、車が出てきた家だけど」

「早く言ってよもう。隼人ってそういうとこ、ちょっと困るのよね。出るときだって――」


 止まらない文句を吐き出し続ける琴美をなだめながらも、国崎の眼はミラー越しに少女を確認し続けていた。実際、ショックによるものとは限らない。冷静に考えれば、やはりおかしい。


 少女とはいえ、後ろから頭を確認できないほどの背格好ではない。

 助手席に不自然な姿勢で居たか、後部座席で寝ていたとかいうことになる。半裸の少女、消えた運転手、なによりあの袋はなんだ。


 風は益々吹き荒れ、国崎の軽自動車を揺さぶる。琴美の成すがままにジャージを着せられている少女の静けさとそれは反比例して激しさを増しているかのようだった。突然息苦しさを覚えた国崎は、咳払いをしながらカーステレオのスイッチを入れる。


 ――いや、待てまて。この子は少なくとも目撃者だ。現場で警察を待ってないと駄目なんじゃないのか。琴美は、いったい何をしているんだ。いや、俺は、なのか?


 だが、国崎の頭を巡る疑問や懸念は、近づいて来る町の灯に溶かされるように薄まっていった。凍りついたように冷たかった胸に、少しづつ熱が戻るのを感じる。引っ切り無しに少女へ話しかけている琴美の甲斐甲斐しさにも頬が緩んだ。明らかに感情の、認識の動きがおかしいのは認識している。


 ――もうなんでもいいよ。さっさとこの子を家に戻して、琴美のアパートでビールでも飲んで、忘れちまおう。

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