無自覚な暴君陛下の歪な愛情表現
アマリリス・ハーマリーは由緒正しき公爵家の一人娘で、両親や使用人からたくさん甘やかされて育ってきた。
毛先がゆるいカールのかかった紫の髪に、金色に輝く瞳をした自他ともに認める美しい容姿に、婚約者は皇族の人間。誰もが羨む完璧な令嬢だった。
この世界は自分の思い通りに動き、わがままは聞いてもらって当然。
そんな甘い人生を歩んでいたアマリリスは、ある日──
「お父様は何もしていないわ! 早くここから出しなさい! なぜわたくしたちにこのような仕打ちを……!」
投獄された。
正確には、アマリリスの父親であるハーマリー公爵をはじめとする公爵家の人々が捕らえられていた。
罪状は、ハーマリー公爵が謀反を企てたというもの。
(お父様は決して謀反なんて企てていない……!)
アマリリスの両親はとても心優しく、領民からたくさん慕われていた。
わがままな娘だと影でアマリリスの悪口を言う人がいても、両親を悪く言う人は誰もいなかった。
領民だけではなく、国民のことも大切に思っていて、恐怖政治を行う皇帝に反発し暴走を抑える数少ない人物だった。
『これが公爵家の当主である私の責務だ』と話す父親はアマリリスにとって誇りで、心から尊敬していた。
しかし皇帝が父親を許さなかった。
ついに偽りの罪を着せ、強行突破で罰するつもりなのだ。
「ハーマリー公爵は今、拷問を受けているらしい」
「陛下も容赦ないよな」
看守の会話を聞いた時、アマリリスは怒りでどうにかなりそうだった。
父親は国のために、民のために尽くしてきた。
その見返りがこれかと。
(許せない……こんなことをする皇帝なんて絶対に許さない。たとえわたくしが死んでも恨み続けてやる)
その時、ガチャンと牢獄部屋の扉が開かれた。
アマリリスが顔をあげるとそこには、彼女の婚約者が立っていた。
その名はフリージア・ウェイリアス。黒髪赤眼の第三皇子で、一応皇位継承権があったが、地味で気弱な性格のため早々に皇帝から見捨てられていた。
第一皇子と第二皇子が皇太子の座を巡って熾烈な闘いを繰り広げている中、フリージアは継承権を放棄したものと思われ、周囲からは見向きもされていなかった。
幼い頃は将来皇族と結婚できると喜んで周りに自慢していたアマリリスだが、自身と不相応なフリージアの存在が次第に恥ずかしく思うようになっていた。
最初こそフリージアに会う度、『もっと堂々としてください』や『皇族としての自覚を持ってくださいませ』と厳しく指摘していたが、一向に変わる様子のない彼に最後は嫌味ばかり口にしていた。
それでも優しさの塊のようなフリージアは、いつも穏やかな表情でアマリリスと話していた。
その呑気な姿がより一層アマリリスを腹立たせていたが、フリージアは一度も彼女に怒りを露わにしたことなどなかった。
しかし今日は鬱憤を晴らすため、惨めに捕らえられる自分を笑いにきたのだとアマリリスは思った。
「アマリリス」
「いったい何の用ですか?」
もう何日もまともな食事をしておらず、飲み物もろくに与えられていないアマリリスの声は枯れ、今の一言で咳き込んでしまう。
「アマリリス、早くこれを飲んで」
心配そうにフリージアが水を渡そうとしたが、アマリリスは勢いよくそれを振り払う。
「わたくしの名を呼ばないで……どうせ貴方も心では笑っているのでしょう⁉︎ 今までわたくしに嫌味ばかり言われていたものね! 罪人の娘となった惨めなわたくしを眺められて楽しいかしら⁉︎」
「アマリリス、僕の話を聞いて」
「これで満足したら早く出ていきなさい! 顔も見たくないわ!」
鉄格子を強く握り、ガシャンと音が響く。
怒りをぶつけるアマリリスに対し、フリージアはこの時ですらも柔らかな笑みを浮かべ、彼女の手にそっと自分の手を重ねた。
フリージアから触れてくるのは今回が初めてで、なぜかアマリリスはゾッとした。
「気高く美しい僕のアマリリス。もう少しで全てが終わるから、待っていて。僕の力不足のせいでこれほど時間を要してしまってごめんね」
「なっ……お父様が罰せられるのを黙って見ていろと⁉︎ 絶対に嫌! 死んでも貴方たち皇族を恨んでやる!」
ここはフリージアに助けを求めるのが賢い選択だったが、父様を陥れた皇帝と血の繋がる彼に助けを求めるなど、プライドが許さなかった。
第一、決して目立たず生きてきたフリージアにそのような力はないだろうと思い、アマリリスは彼が出ていくまで何も言わずに睨みつけていた。
◇◇◇
その日からさらに時が流れ、アマリリスは時間の感覚すらなくなっていた。
相変わらず生きていくのに最低限な食事と飲み物しか与えられず、心身共に限界が訪れていた。
(わたくしがわがままで悪い子だったから、神様が罰を下したのかしら。ああ、神様……わたくし、心を改めると誓います。だからどうか……)
ぐったりと横たわるアマリリスは己を悔い改め、目に涙が浮かんだその時。
「早く開けるのだ!」
「はっ!」
突然アマリリスの牢が開かれた。
(食事の時間はまだ先なはずだけれど……)
ゆっくりと視線だけ動かすと、アマリリスの元に医者と複数人のメイドが駆け寄ってきた。
「アマリリス様! 意識は……あるな」
医者はアマリリスの容態を確認した後、メイドに支えられながら上体を起こされる。
「あなたたちは……ゲホッ、いったい」
「すぐにアマリリス様を部屋に運ぶのだ!」
何が何だかわからないまま、アマリリスは牢獄を出ることになった。
処刑場にでも向かうのかと思いきや、宮殿の一室に案内される。
「アマリリス様。ひとまず湯浴みを……」
「どういう、つもりなの……? 処刑の前に、最後の慈悲を与えろとの命?」
「しょ、処刑などとんでもありません!」
メイドたちは何かに怯えるように震えながら、その場に膝をついて謝罪し始める。
「誤解を招いてしまい申し訳ありません……!」
「何があったのか説明して。お父様やお母様は?」
「アマリリス様のご家族も無事でございます!」
「我々が話せるのはここまででして……お許しください!」
危害を加えるつもりはなく、家族も無事だと聞いて安心したアマリリスは、死ぬ前の都合のいい夢かもしれないと思うことにした。
そして投獄されていた時は無縁だった湯浴みによって、体の汚れを落とす。
家にいた頃は当たり前だと思っていた湯浴みの存在も、今はありがたくて泣きそうになった。
体を綺麗にした後は、久しぶりに華々しいドレスを身に纏う。
その後、部屋には豪華な食事が用意されていた。
食事の内容は公爵家にいた頃と変わらなかったが、腐りかけのパンと水で空腹を凌いでいた牢獄にいた時と比べてしまい、やはり豪華だと思ってしまう。
「……うっ」
今までまともに食べていなかったせいか、肉などは胃が受け付けず、スープとパンを少しだけ食べることしかできなかった。
それでも久しぶりの贅沢に心が満たされていき、ようやく頭が正常に働き始める。
(これは本当に夢なのかしら……)
今の状況に現実味を帯びてきた頃、部屋のドアがノックされた。
「誰かしら」
アマリリスはドアに視線を向けると、中に入ってきたのはフリージアだった。
思わず立ち上がり、反射的に睨んでしまう。
「アマリリス、遅くなって本当にすまない。今すぐ君のご両親に会いに行こう」
「お父様とお母様はどこにいるの⁉︎」
今の状況が夢ではないのだとしたら、フリージアは何か企んでいると思ったアマリリスは、この時初めて危機感を覚えた。
(ここで呑気にしている場合ではなかった……!)
アマリリスに近づくフリージアを警戒し、彼女は一歩、また一歩と後ろに下がる。
「あなた、何が目的なの?」
「これはきっと、見たほうが早いね。ご両親の無事を確かめるためにも、僕についてきて」
フリージアは今まで見たことがないほど上機嫌だった。
そんなフリージアに案内されたのは謁見の間で、アマリリスは心臓が嫌な音を立て、冷や汗が止まらなくなる。
(ここに来たということは、この扉の先にお父様を陥れようとした皇帝がいる……)
両親は無事だと聞かされていたが、それでも怖くなって足がすくむ。
「アマリリス、安心して? この国はもう君のものだ」
「……え」
フリージアの言葉の意味を理解する前に、ゆっくりと扉が開く。
その先には、二人に向けて頭を下げる臣下たちの姿があった。
おかしい、とアマリリスはすぐに違和感を覚える。
臣下たちは何かを恐れるように震え、誰も顔をあげようとはしない。
さらに皇帝が座っているはずの玉座には誰もおらず、空いたままだった。
「アマリリス!」
「……っ、お父様! お母様!」
唯一その場から立ち上がり、アマリリスの元に駆け寄ってきたのは彼女の両親だった。
父親は何度も拷問を受けたのか、傷だらけでふらつきながらも、母親に支えられながら歩いていた。
「ああ、アマリリス。無事で良かった」
「わたくしは大丈夫です。それよりもお父様やお母様がご無事で良かったです……!」
両親に温かく抱きしめられ、初めてアマリリスは生きているのだと実感できた。
「陛下、我々を助けていただき心より感謝申し上げます」
「礼など不要だ。君たちは無実なのだから」
父親の一言は、アマリリスの違和感が募っていく。
(今、殿下に対してお父様は……確かに“陛下”と言った。それはどうしてなの?)
「あの、殿下……」
「さて、そろそろ行こうか。アマリリス」
アマリリスの言葉を遮るように、フリージアは彼女の手を取り、玉座の前に連れてきた。
「これはいったい……」
「今日からここが君の座る場所だ」
「なっ……いくら殿下といえど、今の発言は」
「謀反と見なされる? アマリリス、一度周りを見て」
フリージアの言う通り周りに視線を向けると、相変わらず臣下たちはアマリリスたちに頭を下げ続けている。
「君が座ったら始まるんだよ」
半ば強引に玉座に座らされる。
フリージアはと言うと、まるで側仕えのようにアマリリスの一歩後ろに立った。
わけがわからず両親に視線を向けると、二人は心配そうにアマリリスを見つめていた。
その後すぐ周りに合わせるように頭を下げる。
「今日から君がこの国の帝だ」
「何を仰っているのですか⁉︎ 皇族でもないわたくしが皇帝に……女帝になんかなれるわけないでしょう!」
「表向きは僕が皇帝になるよ。ただ、あくまで形だけ。この国の民も、臣下も、僕も……君を女帝として接するし、誰も君に逆らわない。僕たちは君の駒だ。だから好きにしていいんだよ」
どこか興奮気味に話すフリージアに、アマリリスはゾッと身震いする。
国単位で自分の思い通りにできるなんて、少し前のアマリリスなら飛びついていただろう。
しかし捕らえられたことで、今までの浅はかで愚かな自分に深く反省し、改心しようと決めたアマリリスにとって、フリージアの言葉に全く惹かれなかった。
「結構です。この席は殿下の……フリージア陛下のものですので」
アマリリスは咄嗟に立ち上がり、その席を譲ろうとする。
もし本当にフリージアが皇帝になるのなら、アマリリスは皇后として支えていかなければならない。
改心すると決めた今、その覚悟はしようと思った時──
「そうか。君や君のご両親を苦しめた者を生かしていたから怒っているんだね。そんな国はいらないと。考えが足りなくてごめん、アマリリス。どうか僕に幻滅しないで」
「何を言っ……」
フリージアは剣を抜く。
とても落ち着いていて、手慣れた様子だった。
「陛下……⁉︎」
「今回、ハーマリー公爵家を陥れた前皇帝に手を貸していた家門は複数ある。ハーマリー公爵家を後押ししていた家門ですら、反逆の罪で囚われた時、反発する者はいなかった。ハーマリー公爵は恐怖政治を行う前皇帝と最後まで闘っていたというのに」
剣先が、臣下に向けられる。
「そんな無能な人間だけれど、君の駒として働くなら生かしてもいいかなと思っていた。僕はとんだ勘違いをしていたようだ。こんなゴミは早く捨てて、綺麗な状態から始めたいんだよね。綺麗好きな君のことだ、そう思って当然だというのに」
「お、お許しください陛下!」
「我々は前皇帝陛下に逆らえず、仕方なく従って……」
臣下が震えながら叫び始め、生に縋っていた。
しかしフリージアの心に一切響いておらず、剣を振りかざす。
「早く掃除するから少し待ってて、アマリリス」
「待ってください!」
アマリリスは、叫ぶようにしてフリージアを呼び止める。
(この男は先程から何を言っているの……? こんなやり方、恐怖政治を行なっていた前皇帝と何も変わらないじゃない)
「アマリリス、どうしたんだい?」
アマリリスを見て微笑み、落ち着いた声音は恐ろしく、彼女は思わず息を呑む。
(けれど、この男を止められるのは……おそらくわたくししかいない)
「彼らを殺すのはやめましょう」
「え、どうして……ゴミを放置していいの?」
「いいえ。彼らには相応の罰を受けてもらいます。けれど陛下の仰る通り、彼らの地位や権力に価値があるのも事実。それらを上手く使うのが正しいと思います。簡単に殺してはもったいない」
フリージアが剣を向けた臣下たちは、前皇帝の忠犬として多くの人を苦しませる行いをたくさんしてきた。
その罪を、殺すのではなく生涯かけて償ってもらおうとアマリリスは進言した。
(きっとこれが正しい選択よね……?)
改心すると決めたものの、何が正しい答えなのかわからず、アマリリスは内心焦っていた。
「ではこの国の君主として、君が彼らの命を握るといいよ。だけど不要になったら僕に教えて? すぐに消してあげるから」
フリージアはアマリリスの手をギュッと握り、まるで幼い子供のように無邪気な笑顔を見せる。
「これからは君が思い描く国を作っていこう。僕も力になるから。ね?」
フリージアがアマリリスに向ける感情は、愛と呼ぶにはあまりに歪なものだった。
「アマリリス。君はまるで光そのもので、僕にはもったいないぐらい眩しい存在だ。そんな君に僕がしてあげられることは、この程度しかない」
今までにないほど饒舌なフリージアは、恍惚とした表情でアマリリスを語る。
「君がこの国を制する姿は、この世の何よりも美しいはずだ。ああ、僕の愛しいアマリリス。どうか、これからも僕の隣で華やかに生きてほしい。そのためなら僕は、喜んで君の奴隷になろう」
歪んだ愛情表現は、アマリリスを新たな窮地に追い込む。
(わたくし……この男と共にこの国を率いていかないといけないの?)
こうしてアマリリスの奮闘が始まろうとしていた。
後に『フリージア皇帝陛下とアマリリス皇后陛下は国を救った英雄』と呼ばれ、歴史にその名が刻まれることになるのだが、それはまた別の話。