六話 覚悟は決まった
「っ!?」
「まさか、"剣闘神祭"の闘技場から抜け出して来たのか!?"軍神の聖火団"は一体何をやってる!」
巨大な熊の魔物。
鋭い眼光。
強靭な鉤爪はまるで刃。
角と牙。
魔物には似つかないフルプレートの鎧。
鎧熊だ…何故、こんな危険な魔物が!
「ぐるァァァァァァァァァァァァア!!!」
鎧熊の鋭い眼光が俺と師匠を捉える。
まずい…そう思った俺は師匠の腕を取って駆け出す。
それを追うように、鎧熊がその巨体からは想像も出来ない速さで追いかけて来る。
凄まじい速度で街の建造物などを破壊しながら俺達を執拗に追い続けてくる。
「なぁ師匠、コレ俺達完全に狙われてるよな!?」
「どうやら、そのようだ…アレは私達ではどうしようもないな。」
悔しいがその通りだ…幾らステータスが上がったといえど今の俺のランクは"0"。
あんな怪物には手も足も出ないだろう…例え対峙しても師匠を守り切れる自信はない。
必死に逃げる。
魔物の視界が遮られる路地などを通りながら。
それでも奴は、俺達を決して逃さない。
「ギィァァァァァァァァァァァァ!」
「しまっーー「師匠!」
鎧熊の巨大な鉤爪が師匠に向かって放たれる。
俺は、腰に帯びた鞘から剣を抜き鎧熊の鉤爪へ向けて振り下ろす。
しかし、鎧熊の鉤爪は硬く。
俺の握っていた剣は粉微塵に砕け散り、俺の身体はその衝撃によって吹き飛ばされてしまう。
「ジーク!」
師匠が、心配そうな顔で此方に駆け寄って来る。
大丈夫、身体はまだ動く!
俺は直ぐに立ち上がり師匠の手を取り、再び逃げる。
ーー逃げる?
ーーまた?俺は逃げるのか?
何も出来ず?
何も成さずに?
また相手に背を向けて逃げ出すってのか?
違うだろ!
俺は誓ったんだ…大切な者を守る為に絶対に逃げないって!
もう2度と、師匠にあんな顔をさせない為に。
ーー
それは俺がまだ、5歳にも満たない幼かった頃の話。
師匠と俺は、迷宮都市から遥かに離れた静かな森で2人で暮らしていた。
その日は、本当に気まぐれだったんだろう。
師匠は、小さい俺を膝に乗せながら昔の話を語った。
顔も声も名前も知らない、俺の両親と共に数々の冒険譚を乗り越えて来た話。
それはどれもが浪漫に満ち溢れていて、何処までもカッコよくて子供だった俺は単純に憧れてしまった。
今思えば、どうしても眠れない俺を寝かせる為の子守唄みたいな感覚だったんだろう。
そんな冒険譚を語る師匠はとても幸せそうだった。
いつの間にか俺は、眠りについていたんだ。
意識が薄れて行く中で、師匠の言った言葉と顔は何故か鮮明に見て聞こえた。
『どうして皆んな、私を置いて行ったんだ…』一筋の涙と共にそんな言葉を漏らしていた。
とても淋しそうで…辛そうだった。
その時に俺は誓ったんだ。
もう2度と師匠を悲しませないって。
なら戦えよ臆病者!
相手が自分を遥かに上回る怪物だからなんだ?
そんなの全部、承知の上だろ!?
最高の冒険者になるんだろ?最高の英雄になるんだろ?
なら、戦え!
前に進め!
「ジー、ク?」
「師匠。此処は俺に任せて逃げてくれ。」
師匠に背を向け、俺はそう言った。
「何を馬鹿な事を言っている!お前では、あのバケモノには勝てん!」
「俺は…もうアンタを悲しませたくないんだ。だからこそ、此処で逃げる訳には行かない!」
予備の短剣を抜き構える。
迷いはない。
恐怖も感じない。
少しでも良い、ほんの少しでも時間を稼げれば良い。
「行くぞ!」
気が付けば、俺は既に駆け出していた。
ーー
一方、"剣闘神祭"の会場内では予定通り魔物と冒険者による闘技大会が行われていた。
"剣闘神祭"の主催者たる"現人神"アレウスの耳に報せが届く。
「なんだと!?鎧熊が逃げ出した?他には!」
「他にも、3匹ほど魔物が脱走したようだ。どうする"父上?」
「むぅ…拠点近辺に他のパーティーは居るか?」
「主な戦力としては、正義と秩序の剣秤パーティーに道化師の遊戯児パーティーそして鍛治神の柱炉が近くに居る。」
「なら、あ奴らに協力を求めろ。」
アレウスの放った協力と言う言葉に、軍神の聖火団パーティーの"使徒長"ヒッポリュテは少し驚いた表情を見せる。
だが、すぐさま分かった。と頷き部下達に指示を出す。
(地下牢を監視していた部下達は皆、洗脳状態にあった…そんな事が出来る神物或いは人物は限られている。だが、一体…何が目的なのだ。)
アレウスは主催者として、この場を離れる事は許されない。
だからこそ、賭けるしかない。
彼等に…
そして同時に楽しみでもあった。
この騒ぎを解決し、栄誉を得るのは一体誰になるのかを。
冒険者ギルドでもこの件は騒ぎになっていた。
ジークの担当受付嬢であるミリーナもまた対応に追われていた。
避難誘導や冒険者への指示などで、ミリーナを含めた受付嬢達は大変な思いをしていた。
だが、此処で自分達が投げ出す訳には行くまいと必死に働き続ける。
「どうする?アルレイヤ。」
「無論、あの熊を始末しに行く…神剣が早く魔物を狩れと五月蝿いからな。」
会場の近くで待機していたアルレイヤそしてセタンタは、街の奥で暴れ回っている鎧熊を討伐する為に動き出す。
ーー
そんな騒がしい迷宮都市を巨大な建物の展望台から見下ろす外套を纏った女。
「ふふ…楽しませてちょうだい。」
様々な混乱が迷宮都市に蠢く。
ただ一柱の現人神が己の興味と欲望のままにこの事態を引き起こした事すら知らないまま。
"今を担う"冒険者達…そして"未来を担う"冒険者達は奔走する。
そして彼等も、この一連の出来事を仕組んだ彼女さえ予想を覆された。
ある一人の少年の躍動が芽を出す事となる。