下人として働き始める
「そなた、何か料理や裁縫など、出来ることはあるか?」
山蔭卿に問われ、
(私の得意な事って何かしら)
姫はしばし考える。
「歌を詠むことや、楽器の演奏でしょうか。笙、篳篥、筝、琵琶」
(この形で、貴族の姫のようなことを言うとは)
卿は、姫の返答を冗談だと思い破顔した。
「これといって役立つ特技は無さそうじゃな。では、湯殿の番でもするか?」
どうせ、行く宛も頼る先も無い身。何処にいても忌み嫌われるだけなら、ここで働いて生きていくのがいいかもしれない。
漁師に助けられた時と同じ、これも観音様の思し召しなのだろう。
「ありがとうございます、お願い申し上げます」
姫は頭を深く下げた。
その日から姫は、屋敷で働き始めた。
ひとくちに、『湯殿の番』といっても、中々に厳しいお役目であった。早朝から夜更けまで、山蔭卿御一家が使う大量の湯を沸かすのは大変な作業である。
朋輩である下人たちは、当初『薄気味悪い』と思った。しかし、彼らはすぐに、姫の美しい声音やきめ細かな色白の肌といった美点に気づいた。
中でも、湯殿の役人は、(この鉢かぶりは、もしかしたらとんでもない美形ではないか? 過去に見てきた、宮仕えの女房たちなど比較にならない品の良さや美しさがある。話のねたに、ねんごろになるのも面白いかもしれない)などと、下衆な思いを抱いていた。
姫が働き始めてしばらく経った夜のこと。姫はいつものように、湯殿の湯を沸かしていた。
山蔭卿の屋敷では、卿と奥方、四人のご子息などといった方々のために湯を用意するのだが、四男に当たる末息子の宰相君だけは、決まって夜も更けてから、ひっそりと行水するのであった。
彼は昼間は領地に出掛けては、領民と共に田畑を耕したり、領民が困ったことがないか見回ったりしていた。それ以外は、馬に乗り猟を好み、とても貴族とは思えない野趣あふれる暮らしをしている人であった。
そのためか、彼は夜遅くなってから帰館することも多かった。