第1話 どっちが彼女?
じりじりと眩しい太陽がアスファルトに照り付ける7月の昼間。
制服を着た2人の女の子が俺の家の前で待っていた。
シャツがはち切れそうな程の胸部が目立つ黒髪ロングの女の子と、健康的な筋肉を付けた小麦色の肌が眩しいクールでスポーティーな女の子。
「私が優真くんを好きになって告白したんだもん!」
「私もそうだ。出会って、惚れて、そして告白した。他でもない優真にね」
歯が浮くような偽りのない直球の好意を俺は2人の超絶美少女から向けられる。
ザ•普通の俺を好きすぎる初対面の超絶美少女たち。
一体、記憶を失う前の俺はどんな人間だったんだ……。
◇◇◇
「高凪優真くん、いよいよ退院だね。怪我した箇所が痛んだり、記憶が戻ったりしたらまた診察受けにきてね」
「ありがとうございます。今日まで本当にお世話になりました」
病院のエントランスまで見送りに来てくれた俺の担当医、佐藤先生に会釈をして別れる。
渡されたメモを頼りに、赤ペンで目立つように記された俺の家まで歩いて帰る。
途中、スーパーやコンビニ、道端にひっそりと置かれている謎のオブジェクトが目に入るが思い出すことは何もない。
やはり、失った記憶は簡単には戻らないのだろう。
7月10日、工事現場に迷い込んだ猫を庇い、倒れてきた木材に頭を強く打たれ、3日間昏睡状態。
病院のベッドで目覚めた俺はそう教えられた。
医者から名前と年齢を聞かれ、高凪優真、16歳と普通に答える。
次に学校名を聞かれ、答えようとした時に何かがおかしいことに気づく。
学校名が思い出せない。
クラスはどこだったっけ。
友達が1人は必ずいたはずだ。
そもそも俺は高校1年生なのか、2年生なのか。
何も覚えていない。
記憶の穴に気づき、俺は戦慄した。
告げられた病名は逆行性健忘症。
どうやらその中でも重めのものらしく、俺は殆どの記憶を失ってしまった。
佐藤先生からの質問攻めの結果、失ったのはエピソード記憶と呼ばれる種類のもので、大体小学校からの記憶が抜け落ちているようだ。
意味記憶と呼ばれる、言語や知識の記憶は問題ないらしい。
記憶が戻るかどうかはわからない。
リハビリとは違うが、普段の生活をしているうちに何かきっかけがあるかもしれないとのことだ。
そういうわけで、俺は今から家に帰って制服に着替えた後、学校に行くことになった。
もうお昼なので途中登校になってしまうけど。
メモに学校の場所は記してもらったが、記憶を無くした俺にとって1人で行動するのはちょっとどころか結構難しい。
メモが無ければ場所はもちろん、クラス、友達、制服に時間割など、学校についてわからないことだらけだ。
親の付き添いなどがあれば大分楽なのだが、両親は太平洋を隔た先、自由の国アメリカに住んでいる。
俺が高校生になるタイミングで仕事の関係で海外に移住。
それに合わせて俺は高校の近くのアパートを借りて1人暮らしを始めた……らしい。
俺はそのことを全く知らなかった。
もれなく記憶喪失中だから当たり前だけど。
全て昏睡状態から目覚めた後に佐藤先生から教えてもらったことだ。
たまたま担当になった医者がなんで俺の両親について詳しく知っているのか、当然疑問に思って聞いたところ、さらなる疑問が沸いた。
佐藤先生は俺の彼女と名乗る女性から教えてもらったらしい。
昏睡状態で寝ている彼氏のお見舞いに来てくれる、そんな出来た彼女が俺にはいるらしいのだ。
連絡先を一応控え、記憶喪失だと伝えた時にはかなり取り乱したようで、夜にも関わらず病院に駆けつけようとしたのだが、俺の大事を取って退院まで面会謝絶ということになった。
その素晴らしい彼女が俺のために家の前で待っていて、学校を案内してくれるらしい。
メモに書かれた地図上では今歩いている道の突き当りで曲がれば直ぐに俺の家がある。
T字路の角の前で止まり、深呼吸をする。
あと一歩踏み出したら俺の彼女が待っている
記憶喪失の影響で顔も名前も何も覚えていない。
いつ付き合ったのかも、初デートの場所も、恋のABCのどこまで行ったのかも何もかもだ。
彼女はどんな人なのだろう。
健気で純粋な黒髪ロングの清楚系だろうか。
それとも運動神経抜群のクールでカッコいいショートカットのボーイッシュ系だろうか。
そもそも同級生なのかも確定していない。
先輩、後輩、様々な可能性が脳裏に浮かぶ。
もしかしたら多くの時を共に過ごしてであろう彼女と会えば記憶が戻るかもしれない。
恋人を結ぶ深い絆があれば記憶喪失なんて乗り越えられる……なんてね。
そんな淡い期待を抱きながら覚悟を決め、俺は彼女が待つ家の前に歩き出す。
目の前に現れたのは最近建ったばかりなのか、真っ白で汚れの無い綺麗なアパート。
そして、アパートの一番奥の部屋の前に制服を着た女の子が立っている。
聞いた話だとその子が俺の彼女なのだが……。
「優真くん……! おかえりなさい!」「おかえり優真。心配かけやがって」
俺を見るや否や、目を潤ませて小走りで近づいてくる小柄な女の子と、腕を組んで壁に寄りかかり、真顔で俺を見つめる女の子。
彼女が待っているって確かに佐藤先生言ってたよな。
それなら普通1人の女の子だと思うでしょ。
どうして2人の女の子が待っているんだ。
片方の子は付き添いとか?
それとも男女の垣根を超えた親友ポジション的な?
記憶が無い俺にはさっぱりわからん。
わかることはと言ったら、どちらの女の子も芸能人顔負けの超絶美少女だということくらいだ。
「私のこと覚えてない? 青宮楓って言うんだけど……」
俺の目の前で止まった小さな女の子が、身長差のために上目遣いの形で真ん丸い大きな瞳を投げかけてくる。
長い艶のある黒い髪と対照的に真っ白な肌。
ぱっちりとした大きな目に、小さな鼻と薄い唇が真ん丸い形をした小顔に整えられている。
それに何より、白シャツに施された校章が曲線を描いて伸びるほどの豊満な胸がとても目立つ。
思わず数秒見つめてしまったが、いかがわしい視線を察される前に慌てて目を逸らす。
絵にかいたような純粋で優しい黒髪ロングの清楚系美少女だ。
もし俺の彼女だったら、という願望と共に、こんな可愛い彼女が俺にいる訳ないな、という確信が頭に浮かぶ。
何にしても、不安そうに俺を見つめる青宮楓という女の子に覚えはない。
「ごめん、まだ何も思い出せないんだ……」
「そう……ですか……」
俺が首を横に振ると、青宮は肩を落とし、見るからにがっかりしてしまった。
心が痛いが本当に全く思い出せないのだから仕方がない。
どうにか少しでも思い出そうと頭を捻って考えていたら、壁に寄りかかっていた女の子がこちらにゆっくりと歩いてきた。
青宮の隣に並ぶとかなり身長が高いのがわかる。
「ねえ、私のことも覚えてないの? 黒崎香菜。優真と同じ、陸上部所属なの」
青宮とは反対に表情を崩さず、真顔で首を傾げる黒崎と名乗る女の子は俺より少し低いくらいで目線は大して変わらない。
地毛なのか染めたのか分からないが、短くショートカットでまとめた茶髪にキリっとした眉毛と目。
小麦色の長い手足はモデルのように長く、大胆に露出している肌をちらりと見ると、しっかりと健康的な筋肉が付いているのがわかる。
恐らく陸上で鍛えられた故のスタイルだろう。
ザ、スポーツウーマンって感じ。
まさしく運動神経抜群のクールでカッコいい、ショートカットのボーイッシュ系。
こちらも俺とは不釣り合いの、男女共に人気がありそうな美少女だ。
「やっぱりわからないや……。本当にごめん。俺が陸上部ってのも初めて知ったんだ」
「そっか、まあ仕方ないね。優真が謝ることないよ。そうなると、あの日の事も覚えてないってことだよな……」
「あの日?」
俺は高校は愚か、小中学校の記憶も失っている。
そんな状況下であの日という超絶抽象的な出来事を思い出せるわけがない。
「あの日の事を忘れられるのはショックですね……。今まで生きてきた中で、1番の勇気を出しましたから」
「私もあの日が無かったことになるのは嫌だな。でも時間はまだたっぷりある。ゆっくりと優真の記憶を取り戻していこう」
「そうだ! 私、とても良い事を思いつきました! 香菜ちゃん、少し耳を貸してください」
青宮と黒崎が何やらこしょこしょと話し始めたのを俺はただ静かに見つめる。
身長が10センチほど違うので、必然的に黒崎が身を屈めて青宮に合わせることになる。
手を膝に当てて軽く屈んでいるショートカットのボーイッシュ系の耳元に、黒髪ロングの清楚系が顔を寄せる。
どんなことを話しているのか、2人の顔には笑みが浮かび、女の子らしい高い笑い声が閑静な住宅街に響く。
話に入れず俺はただ茫然としているだけになるが、目の前の微笑ましい光景はずっと見ていられる。
佐藤先生の言ったことが本当なら、家の前で待っていた2人の美少女のどちらかが俺の彼女ということになるが、全くさっぱり見当が付かない。
学校があるのにわざわざ家の前で待っててくれるし、俺のことを名前呼びするし、何やら親しい間柄であることは間違いなさそうだ。
「あの、間違っていたら悪いんだけどさ……」
今の俺に思い出す、という手段は使えない。
ならば、単刀直入に聞くしかない。
「2人のうち、俺の彼女だよ、って人います?」
この質問、だいぶ恥ずかしいな。
俺の勘違いだったとしたら、穴を見つけて入りたいレベルだ。
俺の質問を聞いて、きょとん、と目を丸くした2人が、顔を見合わせる。
そして、ぷるぷると身体を震わせた後――
「ふふふふふふふふ」「はははははははは」
耐えられない、といった感じで、2人がお腹を抱えて思いっきり笑い始めた。
これ、勘違いしちゃったパターンだ。
よし、穴を探しに行こう。
「ちょっと、優真! どこいくんだよ」
「今から穴を探しに行くんだ。止めないでくれ」
「なんですかそれ。やっぱり、優真くんは変わりましたね」
黒崎に肩を掴まれ、元の場所に引き戻される。
青宮も黒崎もまだ笑い足りないのか、頬が緩んだままだ。
「変わったってどういうことだ? 記憶を失う前の俺とは違うってこと?」
「はい、そうです。優真くんは絶対に、俺の彼女だって人いる? とか、穴を探す、なんて言いませんから」
「思わず笑っちゃったもんね。ちょくちょく思ってたけど、やっぱり優真は記憶喪失になって変わったわ」
2人は変わったと断言するが、俺自身は自分が変わったなんて思わない。
記憶を失う前の俺ことなど知らないし、今の俺が他ならぬ自分自身だと思うことは当たり前だ。
しかし、黒崎と青宮にとって俺は確かに変わったのだろう。
外見ではなく内面。
喋り方や表現の仕方、些細な仕草などで、どこか前の俺と違うところを見つけている。
「2人は結局、俺の何なんだ? お医者さんから、家の前で君の彼女が待っているって伝えられたんだけど、やっぱり君たちじゃないよね。2人みたいな美少女が俺の彼女なわけない」
「あっ、今の」
「似てる……」
似てる、というのは、記憶を失う前の俺に、だろうか。
気のせいかもしれないが、2人の頬が少し赤らんでいる。
「やっぱり記憶を失って、少し前と違っても優真くんの大事な部分は変わらないと思うな」
「そうだな。今の一言で私もそれを感じたよ」
「さっきから何なんだ……。話の流れが俺だけ掴めない」
再び顔を見合わせた黒崎と青宮が、柔らかな笑みを浮かべる。
「優真くん、私たちのどっちかが彼女じゃないかって聞いたよね」
「うん。俺の勘違いだってわかって――」
「勘違いじゃない」
勘違いじゃない?
食い気味で黒崎はそう断言した。
いつの間にか、2人の顔から朗らかな笑顔が消え、どこか真剣味を帯びた表情になっている。
そして、これはたぶん気のせいなんかじゃない。
確実に2人の顔が赤みがかっているのがわかる。
「勘違いじゃないって、それじゃあ――」
「よく聞いてね」
「私が優真の彼女だ」 「私が優真くんの彼女です」
第1話を最後まで読んでくださった皆様ありがとうございます!
作者の木本真夜は三度の飯より感想が好きなので、どんなに些細なことでも書いて貰えると嬉しいです。
感想が好きすぎて、返信がかなり長くなることがありますがご了承ください。
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