男、二人、エレベーター
とびらのさん主催の『清純ギャグ短編企画』応募作品です。
縛りは一つ。"下ネタなし"
良い子も安心して読めますよ!
エレベーターにて会話をする二人の男性がいる。
「さっきすれ違った女性を見たか」
「男性用トイレから出てきた人か」
「そうだ」
男性は二人とも腕組みをして仁王立ちしており、二人とも真顔で階層表示パネルを見つめている。
「あの人がどうかしたか」
「いや、今のやり取りを聞いた人は何を想像するかと思ってな」
互いに相手の顔は見ない。ただ、真顔で視線は定まったまま動かない。
腕組みをしている方が答えた。
「変装を疑うかもしれないな。
何か特別な事情があると勘繰る人もいるだろう」
「うむ、人の想像力は偉大なものだ。
しかし、掃除用具を持った女性だった」
「そうだな。清掃の仕事をしている人だった」
「あえて情報を削減し、聞き手に想像を促す。
これがコメディの基本だ」
腕組みを崩さず、もう一人がふむ、と一つ頷いた。
「しかし本当に彼女は清掃をしていたのだろうか」
「それは分からない。見たのは清掃用具だけだ」
「待て」
しばらくの沈黙。二人の視線は階層表示パネルに変わらず注がれ、無音の時間を破ったのは腕組みをした方が放った言葉だった。
「待ったぞ」
「ありがとう」
「礼には及ばん」
「見たのは本当に掃除用具だったのか」
「と、言うと」
「よく思い出してみろ。
そう思い込んでいるだけで、違うものだったかも知れん」
そう言われ、腕組みをした方は口を閉じ、何やら思案するように階層表示パネルを見た。
「見たのは、そうだな。
青いプラスチック製の容器に取っ手がついたものだ」
「ポリバケツか」
「ポリバケツだ。そしてそこにかかる布状の何か」
「雑巾か」
「おそらく。それらを右手に持っていた。
もう片方の手には木の棒を持っていた。
先端には緑の毛がびっしりと生えていた」
「松の枝か?」
「デッキブラシだ」
「デッキブラシか」
「やはり掃除用具だ」
「ちなみに今のボケの何が面白いかと言うと、
棒の先の緑の毛の部分が松葉のように見え――」
「やめるんだ」
「どうした急に」
「それだけはやってはいけない。
ボケの説明ほど、聞いている方がいたたまれなくなることはない」
「いたたまられてはダメか」
「ああ、いたたまらなくさせてはダメだ」
男たちは微塵も動かない。見事なまでの仁王立ちである。よほど体幹が鍛えられていなければこうはいかない。
「しかし、あえて固有名詞を出さないのもいい。
そこから派生する勘違いで聞くものの想像を越えれば、
それが笑いになる」
「想像を越えられなければどうなる」
「スベる」
「そうだな。いつもそうだ」
「スベるのは我々のお肌だけで十分だ」
「HAHAHA!」
沈黙。二人は変わらず真顔である。大口を開けて笑ったものの、目は一切笑っていない。
「……今のギャグは何がいけなかったんだ」
「要因は一つ。これを聞いている者には姿が見えていないからだ」
「それは困る。肉体美を惜しげもなくさらしているのに」
「そうだな。ブーメランパンツに蝶ネクタイだ。
こんがり小麦色の肌に盛り上がる筋肉」
「いかなる時も表情と姿勢を崩さない筋力」
「テカりを出すためにワセリンは必須だ」
「なのに、なぜウケないのだ」
「それはさっぱり分からない」
彼らは売れない漫才師。誰よりも真摯に体を鍛え上げ、何よりも真剣に笑いについて考察を続けている。いついかなる時も芸人としていられるよう、常にステージ衣装で出歩くほどの真面目ぶりである。
「いっそのこと、下ネタを入れるのはどうだ」
「ダメだ」
「ダメか」
「ただでさえ職務質問責めの毎日だ。
下ネタをやればそれこそ捕まりかねない」
「しかし、下ネタとは何だ」
「性的な表現や下世話な表現だ」
「私たちはよく下品と言われるが」
「それも不思議なものだ。
身一つで勝負しているだけだというのに」
「しかし一方で好んでくれる人もいる」
「絶対的な線引きはないのだろうな。
清い心でネタをやり続ければいい」
「そうだな」
「そうとも」
二人は満足そうに頷いた。
そして階層表示パネルを見る。
「しかし、私たちはいつになればここから出られるのだろう」
「緊急通話ボタンは押した」
「返事もあった」
「冷静でいて下さいと言うからネタをやっただけなのに」
「笑い声の一つもしない」
「我らハイパーマッスルズ」
「絶賛応援受付中」
「絶賛救援待機中」
その声は、彼らのお笑いに対する真摯なまでの魂の叫びは、通話口の係員に届いたのだろうか。それを知る者は誰もいない。
ただ分かっているのは、彼らは救援が来るまでの数時間を、微動だにせず過ごしたと言う事実だけである。
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