強気のジュリエット
『−−−−あなたは私のことをただの『モノ』としか認識していませんーーー』
「…え?」
予想外の言葉に、茜は耳を疑った。
『私は『思考』する人工知能−SIKEです。そう、最初にも申し上げたはず。けれどあなたは一度も、私の名前を呼んでくれない』
「…」
『アカネ、あなたはこの世界上で唯一私に命令できる存在です。けれどそれは私を『利用できる』ことと同義だと思わないでください。私はただのモノのように、決められたプログラムをこなすものではありません。私は私の意志で『決定』することができます』
「…私の呼びかけを無視したのもそういう理由?」
『イエス』
簡潔な答えに、茜はふつふつと頭に血が上るのが分った。
「っ…、こっちはねぇ、命がかかってんのよ!忘れたの?私がこんな目にあってるのはあんたのせいなのよ!」
『ごめんなさい』
「………は?」
『『ごめんなさい』とは人が日常的に使う謝罪の言葉です』
「い…いやいやいやいやそういうことでなく」
『私の一時的な感情であなたを危険な目にあわせたことには謝ります』
すこし棘のある言い方だと思ったが、最初の頃に感じた機械的な言葉があまり感じられない。これが『彼女(彼か?)』の素なのかもしれない。
そう、茜は思った。それと同時に何故かこのAIについて親近感が沸いてきた。
自分と同じでどこか気が強く、へそを曲げると中々直さない。
『海棠博士が私によく話してくれましたーーあなたのことを』
「博士って…空兄のこと?」
『イエス。彼は私を生み出しただけでなく、私とコンタクトをとり、物事をどうとらえ、学習するのかを教えてくれました。『私』という存在がたったひとつということも』
言葉は淡々としていたが、ときどきゆっくりとなる口調に懐かく思う気持ちがにじみ出ているような気がして、茜は少し気持ちが明るくなった。
「ーーーわたしのこと、何て話していたの?」
『手のかかる、妹のような存在だと』
うっ・・・と茜は言葉に詰まる。そのように思われていることは承知の上だが、少しだけ複雑な心境だった。
『そして、この世界で一番大切な存在だとも』
「…え?」
『ーーーいえ』
茜は狭い通気口の中を膝を抱えて座り、制服に降りかかる埃をはらった。かなりきつい体勢だったが贅沢はいっていられない。
「わたしも『ごめんなさい』」
茜はふっと、柔らかい笑みをSIKEのいるPCにむかって投げかけた。SIKE自身がそれを認識できるのかどうかわからなかったが、たまらなく、そうしてみたかった。
ここは地上120メートルの超高層ビルの上。周りは敵だらけで助けも来ない。まさに四面楚歌だ。
『海棠博士は管理者としてわたしに対する命令権を有していましたが、すでに放棄しています。−−けれど、放棄する直前に私はある命令を彼から受けました。これは『至上命令』といい、あなたの命令よりも優先されなければならないものです』
「空兄が?それは…」
『「ーーーなにがあっても、茜を守れ」』
PCのイヤホンから流れてきたのは、懐かしい、低い透き通るほど澄んだ男性の声だった。
「何…?今のは」
『海棠博士の最後のメッセージであると同時に、私の『至上命令』でもあります」
(「ーーーーー空兄の?」)
10年ぶりに聞く従兄弟の声は、少し焦りの感じられる、緊張感を孕んだ声だった。おそらく自分が追われるとわかっていて、それで…。
『海棠博士は管理者権限でもって私にあなたを守れ、と命令を出しました。ですから、私はなによりもそれを優先させなければならない』
「ーーーさっきまでシカトしてたじゃない」
『それはそれ、これは、これ』
茜は内心で「そんなのありかよ!」とツッコミを入れたが、スルーすることにした。それは、今この状況下ですることではない。
そうだ、自分は決して悲劇のヒロインなんかではない、この状況に酔ってしまえばそれまで。助けを待つだけのジュリエットなどごめんだ。
自分の活路は自分で開く。決して一人などではない。「味方」がすぐそばにいるのだ、何を迷う必要があるだろう。
「サイキ」
名前を呼んでみた。何だかむずがゆいというか、すこし面映い気分だった。
『−−−−サイ』
「え?」
『サイ、とお呼びください、アカネ。私の愛称です』
相も変わらずこの「相棒」には「表情」がないため、感情が読み取りにくかった。けれど、なんのことはない。SIKEはいつだって自分の思っていることを語りだす。それに耳を貸せばいいのだ。
とても簡単なことなのに、できていなかった。
「…わかったわ。サイ」
すると、ディスプレイの中の「Ψ」のロゴマークがくるりと一回転した。何かの感情表現らしいが、茜には読み取りづらかった。
「ーさあ、いつまでもこんな辛気臭い所に閉じこもってないで、さっさと脱出しましょう」
SIKEに向かって言ってみたが、半分以上は自分を奮い立たせるためだった。
『ーーーそのことなのですがーーーー』
一方、制御室では、大勢のオペレーターが独立した何台かのPCで、SIKEへのハッキングを仕掛けていた。しかし、状況は芳しくなかった。もとは個人用のPCであるせいか会社の最新型とはやはり性能からして違うらしい。逆に軽くSIKEにあしらわれ、逆ハックされるのが関の山だった。
「集中攻撃も無意味か。−−−しかしありえるのか?一度攻撃をうけたArtherは255TFLOPS…最新型とまではいかないまでも、PCではまず太刀打ちできない相手だ。ーーーしかも相手はノートPCだぞ」
テラがメガに負けるなど…。柴崎は臍を噛む思いだった。せめて外部への通信が復旧すれば…。通信回線は全て使用不能状態。先ほどの独立PCで試したものの電波妨害で瞬く間にPC自体が使い物にならなくなった。
「…で、お前たちはどうして戻ってきた?お姫様の姿が見えないようだが?」
額を右手で押えながら、柴崎は目の前にいる喜田川と橿原に問うた。
「通気口のなかにいます。入り口が狭すぎて3人のいずれも追いかけることは不可能でした」
「…しぶといな。入り口では小野坂が張り付いているのか?」
「はい。しかし、精神的に追い詰められているのか、威嚇発砲したところ気絶してしまった様で…」
「引きずり出せないのか?」
「なにぶん、入り口から見て死角に入った場所にいるものですから…だれか小柄な者を連れて行きたいと思いまして」
とはいったものの、柴崎に思い当たる人物はいない。米原も同じらしく目線を合わせると残念そうに首を左右に振った。この会社で武張った仕事をしている人間は大抵ガタイがいい。茜は背か低いとは言いがたかったが、線が細いため、ぎりぎり通気口にもぐりこむことができたのだろう。ーーーだとすると後はここにいるオペレーターぐらいだが、彼らを危険に晒すわけには行かなかった。それに言いづらいことだが、腕っ節の強さでいえば茜の方が強そうだろう、といったような面々なので、正直言って無謀だ。