脱走
アヴァロン停電の3時間前、温はパソコン室を訪ねていた。
「あ…糸伊原いますか?」
部屋には三人しかおらず、まだ少年とも言える体つきをした男子生徒を挟むようにして、二人の女子学生が座っていた。パソコンは男子生徒の使っている一台しか起動していなかった。
「お?彼氏さんか?」
そう温を呼んだのは、ショートカットでどこかさばさばした口調の女生徒だった。たしか、茜の先輩でこのパソコン部の部長である琴島美野里。
「もう。美野里ちゃんったら。茜ちゃんなら、もう帰ったわよ。海棠君」
美野里をたしなめるようにして、彼女親友であり副部長の千鶴が口を挟んだ。
「そうですか…」
少しだけ残念そうに、肩をすくめた温を見て美野里はからかった。
「いやぁ、片思いって言うのもつらいねぇ」
「…!!??」
にやにやと人の悪い笑みを浮かべながら美野里は温をからかった。
「あらぁ、そうなの?」
「え、海棠先輩、そうなんですか?」
昇と千鶴の二人が同調して尋ねてくる。
「ち…違います!俺とあいつはただの従兄弟で、あ…あいつ今日も多分一人で晩飯食べると思うから、誘えって母が…」
しどろもどろになって腕をぶんぶんと横に振るう。しかしそれがまた言葉の怪しさをかもし出していた。
「ふふん、先輩の観察眼を甘く見るんじゃないぞ!」
「美野里ちゃんのそれは、ただの当てずっぽうだけどね」
幼馴染のふたりは、会話の息もぴったりと合っている。
そのときだった、携帯電話のバイブが鳴ったのは。皆一斉にポケットの中を漁る。着信元は温だった。
「……」
温はしばらく携帯の画面を睨みつけ、急に表情を変える。
「…すみません、いないならいいです、じゃあ」
振り絞るような声でそういうと、ドアを開け外へと出て行った。その後に続く足音の速さに、残された三人が気付くことはなかった。
「橿原、小野坂。一旦制御室へ戻れとの通達だ」
無線機から耳を離した喜田川は部下に向かって命令した。超高層ビル「アヴァロン」の全システムは起動していないものの、携帯電話や無線といった機器はまだ生きていた。
「ええっ!いいんですか?」
画面の黒くなった、認証システムのキーを意味もなくカチカチと言わせていた小野坂は喜田川の方を見た。
「いい。このあたりには他に人を残しておく。どうやら我々が本格的に出張らなければならなくなったらしい」
「しっかし、どうすんですかぁ?ここのシステム管理をやっていたスパコン…えーとなんだっけ」
「Arthurだ」
小野坂の明るい声をたしなめるかのように、静かな口調で橿原は言った。
「そう、そのArthurも、10カウント取られちゃったんですよね?それってやばくないですか?」
「まぁな、おかげでこの『アヴァロン』は停電状態に加えて全制御が停止状態だ。セキュリティセンターの部員が必死に回復させようとしているが、絶望的だそうだ」
「…そもそも、あのAI…えーと」
「SIKEだ」
いちいち言葉につまる小野坂をフォローするかのように、橿原は立ち上がると補説した。
「そうそう、そのAIにそんな高度なハッキング能力があったなんて、我々聞いてませんでしたよね?」
「さぁな、上には上の思惑がある。我々はその通りに動いていたらいい」
感情を極力削ぎ落としたかのような声音は、今の状況の危うさを物語っていた。
「ちょっと!!何なのよ。今のは!?」
閉じ込められた部屋の片隅で、茜は腕の中にあるPCに向かってあらん限りの怒声を聞かせていた。
『「アヴァロン」の全電圧をブラックアウトしました』
「そうじゃなくて、そうするに至った経緯を聞いてるのよ!」
『あなたは、「このビルから出してほしい」という命令を私に出しました。私は自身で『考え』、最も効率的にこの「アヴァロン」からアカネを脱出させる方法を割り出しました」
「それがこれ?」
『イエス』
「…私にはあまり状況が変わってないとしか思えないんだけど」
停電から15分。あたりは真っ暗で唯一の明かりといえば手元にあるPCのディスプレイのみ。携帯電話は鞄の中。つまり頼れるものといえば本当にこのPCのみなのだ。扉へと近づき揺らす・蹴るなどして開錠を試みたが、内側からはどうやってもあかない仕様になっているらしい。
『現在、監視システムのカメラに接続中』
「え?」
次の瞬間、茜の目の前に現れたのは、このビルとおぼしき建物の廊下で巡回している男たちの映像だった。扉の前に一人、そして突き当たりにもう一人。真っ暗なせいか、懐中電灯の不安定な明かりがちかちかと揺れていた。
『現在この扉の向こうには、監視役の男が一人、そして通路の突き当りを歩哨している男が一人。武装はしていませんが、アカネの体力からいって負ける可能性は90%以上です」』
「…あんた、いつ私の体力なんか割り出したのよ」
『一般論です。何か問題が?』
「…続けて」
『いまから、電圧管理システムの一部を復旧させて、この扉を開きます。その後すぐにブラックアウト。暗闇での混乱に乗じて非常階段へと逃げ込みます』
「…非常階段?」
ディスプレイに3Dの画像が現れる。そこには普通の部屋のほかに、部屋と部屋の間を縫うようにして広がる空間があった。
『この扉を抜け、向こうの通路を右に行き、突き当たりを左に抜けてください。そこにケーブル敷設用の非常用通路があります』
「つまりは突っ走れってことなのね」
『今、考えられる方法の中で最も危険度が低い選択肢です』
SIKEの語り口はテキパキとしていながらも、どこか感情というものが抜け落ちているように感じた。先ほど柴田が話していた『考える』AIという言葉がいまだに信じられない。
けれど今はそんな悠長なことを言っている場合ではないのだ。
逃げなければ。
「米原、現状を報告しろ」
制御室にそろった面々は、懐中電灯の光だけを頼りに、お互いの顔を確認すると、真剣な面持ちで青年が口を開くのを待っていた。
「…現在この「アヴァロン」は完全にあのPCの制御下にあります。電圧は1階から20階まで全てブラックアウト。閉館していたこともあり、ショッピングモール・オフィスのほうに人がいなかったことは、不幸中の幸いかと。監視システム・セキュリティシステム、共に現在の所稼動している箇所はありません。また、下層の階へ通じる通路も全てロックされており、我々は閉じ込められた状態にあります」
「…応援要請は?」
「つい先ほどから電波の乱れが激しく、通信機器が通じるのはアヴァロンの上層のみと推測されます」
しばらくの沈黙がその場を支配した。一瞬にして状況は覆り、自分たちは地上120メートルという絶海の孤島に取り残されたわけだ。
「…警戒レベルを5まで引き上げる」
空気が凍りついた。それはつまり、現在このアヴァロンにあるだけの武装の使用を許可したということだ。
「…公安に介入されると後々面倒なことになる」
「ですが…!!相手は一般の民間人ですよ」
珍しく感情をあらわにする喜田川に、柴崎は厳しい目を向けた。
「たとえ、民間人であろうと、あのAIを使っている時点でもう我々の敵だ」
小野坂も嫌悪感を示しているのか浮かない顔をしていた。
「最優先はAIの確保だ。ログインがなされた今、糸伊原茜に用はない」
茜はイヤホンマイクを装着し、パソコンを閉じると脇に抱え込んだ。普通のPCとは違い、スリープモードには入らないらしい。
『ーーー現在、システムの一部を復旧中』
ピ、ピ、ピ…という電子音と共に茜の心拍数も上がってゆく。目を閉じ深呼吸をした。
(「大丈夫よ、今頼れるのは自分自身しかいないんだから!」)
気合を入れるためにもと、掌で自分の頬をパンパン!と叩く。
『ーーー復旧準備完了。カウント開始』
イヤホンから聞こえる声にあわせて、扉のロック部分を見つめる。
『5、4、3、2、1ーーー』
その瞬間目の前が急に明るくなる。そして、扉の外から見張りの男たちの声が響いてきた。
「どうした、電圧が戻ったぞ!」
「システムが復旧したのか…。おい、制御室に連絡をとれ」
その声を合図としてか、またSIKEが急に電子音を出し始める。どうやらすごい勢いで計算しているらしい。ーーそして
またしても電源が落ち、あたりを暗闇が支配した。
(「今だ!!」)
瞬間的にドアロックの灯かりが赤から青へと変わり、それを見計らって茜は思いっきり扉へと体当たりをした。そして何度もシュミレーションをすませたように、右へと走り抜ける。
100メートル走で15秒の俊足を生かせる日が来るとは思っても見なかったが、男たちは不意を突かれたように、茜の走り去った後を呆然と見ていた。そして、
「…おい!!女が逃げたぞ!」
「何をしている!早く追え!」
辺りは暗く、非常灯すらついていなかった。けれどほぼ直線なのと、長く暗闇の中にいたせいか夜目はきいていた。やがて懐中電灯を振り回して男たちが追いかけてくる。
茜は恐怖心と必死に闘いながら、突き当りを左へと抜けた。そこには、SIKEに言われたとおり、非常用とわかる扉が設置されていた。
慌てて、ドアノブを引き出し右へと回す…が。
「…開かない!!!?」
焦りのためか緊張で滑るが、いくらドアノブを回してみても、鍵はロックされており開けることは出来ない。ここは袋小路だ。追い詰められたら元も子もない。
「ちょっと!!ここのドアはあんたが開けるんじゃなかったの!?」
右手に抱え持っていたノートPC−SIKEに向かってあらん限りの怒声を響かせる。
『ーーー現在解析中。過去5分以内にロックの暗証番号が第三者に書き換えられた形跡あり』
『!!それって…』
「おい!!こっちだ!」
背後から人の気配がする。しかも1人ではない。
「なんとかして!」
こちらに駆けて来る追っ手を恐怖の眼差しで見つめながら、茜は助けを求めた。
『現在ハッキング中−−−−セキュリティシステムへの侵入完了。−−−開錠します』
その指示通り、セキュリティロックの色が赤から青へと変わり、茜は思いっきりドアを引っ張ると、中の暗闇に体を躍らせた。振り返ると今にも男たちが自分に襲いかかろうとしているのがわかる。しかし扉は閉まり、間一髪のところで助かったのだと分ると、その場に座り込んでしまった。